NoName

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11/28/2024, 11:25:45 AM

終わらせないで

「新しい友達とトークしよう」時々そんなメッセージがラインに届きアイコンが表示されている、誰だか分からないのは即ブロックなのだがその日は、とても懐かしい名前が上がってきていた、思わずアイコンとホーム画面をチェックした、彼女に間違いないと思った。クリスタルブルーのキラキラホームに可愛い昔懐かしいキャラクターのアイコン、そのキャラクターも実に彼女らしくて思わず脳裏に小学生の頃の風景が走馬灯のように駆け巡った、そんな目覚め。

コーヒーを入れながら休日の少し遅い朝を迎えていた、家族はもう出払っていて愛猫と向い合せ、もう一度スマホを手に取りラインに上がった彼女のアイコンを眺めた、、メッセージ入れてみようか?でも、もう20年以上は連絡取っていないし、私は彼女の今の住所も連絡先も知らなかったのだ、けれど、あまりに懐かしその名前に思わず「〇〇ちゃん?」とメッセージを入れた、暫くスマホとにらめっこしていたが返信も既読にもならず、そのままスマホを閉ざし家事をしていた、お昼頃ラインメッセージの到着音にスマホを開くと「そうよ、お久しぶり」という返信が来た。実に意思疎通のやり取りをするのは彼女の結婚式の後以来だろう。それから生きる道が随分変わり疎遠になり何時しか連絡も途絶え、随分前に同窓会の連絡を古い携帯番号に入れたが繋がらずそれきりだった。彼女の実家は知っているけど今はご両親だけなはずだし、少し敷居も高く、帰省しても訪ねることはなかった。そんな彼女と久し振りに繫がれて他愛のない昔話のやり取りで盛り上がり、互いの近況報告に至って言葉を失った、それは「元気にしてる?」の言葉から「まあ、元気かな、、癌だけど」だった。彼女はことのほかナイーブな人だと知っていたので、どう返したらと思ったが、まあそう言われたら「大丈夫なの?手術とかなの…」と返した。「乳癌が見つかった時には肝臓に転移していて、再発して脳にも転移した…」もう手術はしないのだと言う、なんてことだ、昨年一昨年と義両親を共に癌で見送った私には、どんな状態か想像出来たからだ。その言葉を私は口にしなかった、彼女に確かめなかった、確かめる必要ないと思った。極懐かしい友達に久し振りに連絡出来た、先ずそのことを喜び合いたかったからだ。そして1番気になっていることを彼女にそれとなく尋ねた、ご両親のこと私たちは共に一人っ子同士(その頃田舎では珍しかった)で、私は早くに母を亡くしているので彼女のお母さんには、良くしてもらったからだ。すると彼女は「母は2年前に亡くなった」と返信が来て、まあ、お互いの年齢も親の年齢も考えれば見送りの時期だから、あり得る話しだが、彼女が癌の告知を受けたのがちょうどお母様を見送るその1年ほど前で、彼女はその頃に年老いた父に任せていた母の介護をするために東京から帰って来ていたそうだ、そして更にその3年ほど前に離婚していた。バリキャリで結婚も遅目だった彼女は、方言もすっかり話さない都会に染まった才女だったはずなのだ。なによ、そのキャラ壊さないでよ、あなたは昔っからクラストップのいや、学年トップの優等生で、ずっとそうで、あなたと同じ中学高校に行けたのは私の自慢で、関西きっての難関国立大学に現役入学して、将来最有望視され、バリキャリで東京で働いてんじゃなかったの!?そのままでいてよって。それからライン電話に切り替えて、弱くなった彼女の声を聞いて、私は泣かないように一所懸命自分の太腿を抓っていた。

それから、毎日のように彼女から連絡があり、私は、彼女のお母様に選ばれたような気がしています。「有り難うございます」私はお母様の変わりにはなれませんが、満身創痍で故郷へ帰って来た友人のそう遠くないかも知れないエンディングの側に居させてもらいます。幸い私ももう、セミリタイアの身で仕事も楽になりましたから、二人いや、故郷の友人たちみんなで集まって終わらない昔話をしたいと想います。

どうか、そんな昔話を、終わらせないでください。

久かたの 光のどけき
小春日(春の日)に
静心なく 花の散るらむ

もう一度咲け 冬桜


令和6年11月28日

              心幸

11/27/2024, 12:17:04 PM

愛情

愛情不足で育った子は、自己価値が低く自尊心も低いなのに承認欲求は人一倍で他人を試すそして思う通りにならないと切れて逆恨みする。人への警戒心が強いが依存心はその倍強い為対人関係で必要以上に傷つきやすく他人に気を遣わせるが気付かず逆に傷つけられたと逆恨みしストーカーになりやすい。親に愛されなかった子には自分がなく私もと同調傾向が強く安心感もなく安定感もない。心に負の影響を強く受けている為マイナス思考で悲観的で否定的で批判的思考で、、、それいつまで続くんだろ?
だいたい、その親もその親もまたその親も愛情不足なんでしょ、逆に愛情不足な子ですって言っていれるのって恵まれてるよね、何でも愛情不足のせいに出来る。で、何時まで子供でいるつもりなんですか?別に親の借金のかたや口減らしに色街に売られる訳でもないし、吹雪吹くなか山深い峠道越えて朝まだ日の上がらないうちから働く訳でもないし、弟妹を背中に背負って学校に行く訳でもないし、読み書き覚える前に人の殺し方や盗みの仕方覚えなきゃならない訳でもない、もし仮に、それでもだ生まれてから一回でも腹抱えて笑って美味しいと思うものをお腹いっぱい食べることが出来たら、それは生まれてからだからで良かっ良かったなんだ。裸で生まれてから自分の力で洋服1枚自分に着せることが出来たら人生勝ったも同然で、死ぬ時に本当の涙を流してくれる人が1人居たら人生圧勝な訳です、それが気位とか自尊心ってやつなんだと思います、、ってのは長い前置きで、、

「愛情」    作詞 小柳ゆき

壊れそうな明日に向かい
信じあう奇跡を
傷ついた翼広げ
飛び立つ true heart uh yeah Hey

眠れない朝に震えてた
冷たい壁にもたれてた
同じこと 繰り返し呟いていた

なにも手につかづ過ごしてる
わからない何か期待して
欲しいのはあなたの愛だけ

振り向いて今直ぐに抱きしめて
Ah 止められず溢れる想い受け止めて
少しずつ明けてゆく暗闇に
Ah いつかくる二人の光夢見て

壊れそうな明日に向かい
信じあう奇跡を
傷ついた翼広げ
飛び立つ true heart uh yeah Hey

1982年生まれの小柳ゆきは、私がおばさんになってからファンになった私の平成の歌姫だライブにも、ちょくちょく行く。MISIAより宇多田より安室より上手いと思っている。昭和の歌姫は美空ひばりと山口百恵と中島みゆき、これに追随するのは松田聖子だが彼女は1980年代のパイオニアだが私の歌姫とはまた違う、中森明菜も小泉今日子も松田聖子が引いた道を歩いた、綺麗なため息で歌う中森明菜はメンヘラの女王だが歌姫でもパイオニアでもないと思っている、突き抜ける海風のようなよく通るキャンディボイスの松田聖子とはまた違うのである。嘗て松田聖子は第2の山口百恵と言われることをどう思うかとの記者の問に「第2の山口百恵と言われるよりも第1の松田聖子と呼ばれたい」と答え、当時のオバサンたちに批判されたが松田聖子は有言実行1980年代の明るさの象徴となりパイオニアとなり1980年白いマイクを置き欲しいものを全て手に入れ奉公した会社にも恩を返した山口百恵と入れ替わる。山口百恵と松田聖子は、1970年代というまだ戦後を引きずって走っていた日本の時代と、新しい1980年代の象徴がはっきり変わったことを世に知らしめた。

松田聖子には追随者が多くいるが、山口百恵には追随する者がいない、それほど山口百恵の生き様と愛情はパイオニアと言うより金字塔であり伝説なのであろうと言える。あの潔さは実に前時代の日本人好みである。戦後も知らない私でも、美空ひばりの「悲しい口笛」の口笛と間奏のタップの音色を聴くとDNAが疼き、山口百恵の潔さを見ると感慨に耽る、これぞ歌姫という感じがするのである、歌姫とはその醸し出す愛情と魂がどれだけ歌に声に反映させられるかで、歌いっぷり生き様全ての反響のように思えてならない。

そして同じ魂を中島みゆきの歌声と小柳ゆきの歌声にも感じるのである。

中でも、この小柳ゆき作詞作曲の「愛情」はその歌いっぷりも含め素晴らしいと思っている。

はい、今夜は個人的独壇場の歌姫について語ってみました。

全て 1個人の意見ですので、悪しからず。


令和6年11月27日 

                心幸 
        

11/26/2024, 10:42:16 AM

微熱

「微熱」だが、その前に近頃微熱あるんじゃない?悪い意味でと思う人々がいるのである。自らを物語のヒロインの名をつけて名乗ってみたり、士と名乗ってみたり、妃と名乗ってみたり、天才だと名乗ってみたりする、かと思えば常識人です繊細ですと名乗ってみたりする、、そんな常識人で繊細な人は自らを物語のヒロインの名で名乗ってみたり、士とか妃とか天才だとか名乗らないんですよ!

謙遜とか謙虚とかの言葉が染み付いてる日本人は、そんな幼稚なこと大人になれば言わなくなります。近頃のZ世代は謙遜や謙虚をネガティブな「私なんか、、」と取り違えるし、それ言われたら相手は気遣って「そんなことないわ、、」と返さなきゃなりませんね、相手の優しさを利用して自分を上げさせる為の大変あざとい姑息な言葉です、覚えといてください。

謙遜や謙虚の心とは、他人を評する言葉他人様に使う言葉と自分に使う言葉の違いを知っていて心得ていることです。近頃のZ世代ビックリするわと思うような自惚れさんかと思いきや、自称繊細さんや常識人がいらして微熱でもあるのか?この人たちと思うのである(笑)そのくせ、そんな人に限って「凡人ね」って言われると怒るしね💦どう思われたい訳?ってなります。他人様に期待ばかりしている私に寄り添ってさんなのよね結局(笑)

で、本題の微熱です。

「微熱時代」

今日は雨が本降りです
もう、晩秋の雨は冷たくて
濡れると 明日微熱出そうです
恋の微熱じゃありません、、悲しみ

昨日までは悪いことでも
明日からはなんでもない

二十歳前 

危うく不安定な子も
平凡でお利口な子も
みんな過ぎてく
青い時

振り返れば
センチメートルじゃなく
センチメンタルジャーニー
私まだ16だから〜の
青い時

いけない不良も
退屈な優等生も
何時かアルバムの1ページ
青い時

初恋も失恋も
秘密めいたこと
それぞれに告げないまま
青い時

本当のことは
胸の奥深く沈める
想い出が窓辺で
黄昏る時


微熱の時代


令和6年11月26日


心幸




11/25/2024, 11:10:07 AM

太陽の下で

二十日鼠とドブネズミ

ドブネズミみたいに美しくなりい
写真には写らない美しさがあるから…

もしも僕がいつか君と出会い話し合うなら
そんな時はどうぞ愛の意味を知って下さい

ドブネズミみたいに誰よりも優しい
ドブネズミみたいに何よりも温かく

愛じゃなくても恋じゃなくても君を離しはしない
けして負けない強い力を僕はひとつだけ持つ

人生は勝ち負けじゃないと涼しい顔で言う傍観者ほど、賭けた馬が負ければその馬を撃ち殺す勢いで罵声を浴びせる。何時も喝采を浴び花吹雪舞う太陽の下で、中央を歩くことが勝者の行進なのか、ならば僕は敗者でいよう、誰よりも泥をかぶり傷ついてそれでも守りたい何かを負けない心で抱きしめるそんな強い力で、唯一人でも太陽の下で歩く、それが賢者の行進だ。

ここに同じ日に産声をあげた2匹のネズミがいた、一匹はマンホールの下が塒のドブネズミ、もう一匹は籠の中で飼われる白い二十日鼠
全く違う場所で生まれ育った二匹はあるまだミルク臭い年頃に出会う、二十日鼠はドブネズミを憐れんで餌を少し分けてやった、ドブネズミは喜んでそれを食べ家族の分もと持ち帰った、二十日鼠は何処か部屋の隅から消えて行ったドブネズミの背中を見つめて、可哀想な子だと思った。月日が流れ、互いに太陽が真上に差す頃、二十日鼠は何時ものようにその籠の中で回し車に乗っていた子供がいつの間にか増えて子供を回し車で遊ばせていた、そこへあのドブネズミがやって来た随分と大きく逞しくなったドブネズミは何時かの礼だと二十日鼠が見たことも食べたこともない人間の食べ物を土産に持って来た。
「こんなもの食べられるのかい?」
「ああ、うめえよ、食ってみな、人間のやつらは、自分たちばかりうめえもの食ってやがるのさ」ドブネズミはそう言って笑いリンゴの端を噛んだ。二十日鼠は恐る恐るプライドチキンとやらを啄んた、何かにぶたれたような覚醒が身体中を駆け巡り、二十日鼠はプライドチキンをガッツイて食べた。
「じゃあな」ドブネズミたちはガッツイている二十日鼠を横目にまた壁の穴に消えて行った。
二十日鼠はふと、ドブネズミが消えて行った壁の穴の上にある向こうの世界が覗ける太陽が何時も通り過ぎる場所を眺めています、二十日鼠はふとドブネズミのことを思いました、ドブネズミは何時もあの太陽の下を駆けて、河をくだり、街に出て、人間の足元を掻い潜りこんなものを自分の手で手に入れて来るのか、、太陽の下ばかりじゃない、雨の下も嵐の下も駆けて行くんだろうな、、二十日鼠は少し憧れたが、やっぱり、この暮らしの方が良いに決まっていると自分に言い聞かせた。

やがて、二十日鼠は近頃どうも怠くて眠い回し車も飽きて寝ているばかりの日を送っていました。そこへまたあのドブネズミが現れて今度は沢山のシロツメグサとパンジーを持って来て眠っている二十日鼠の上に乗せました、「あれ、なんだろういい匂いがして心地良い、まるで夢に見た、あの太陽の下で眠っているようだよ、これがお日様の匂いかい?」二十日鼠はドブネズミに尋ねました、ドブネズミは「オイラには難しいことはわからねぇけど、元気になる匂いだろ?」そう言ってドブネズミは笑う、つられて二十日鼠も笑った、またドブネズミは何時ものように消えて行った、それがドブネズミと二十日鼠の最後の再会だった。

二十日鼠は最後に目を閉じる時に思いました、
今度はドブネズミに生まれたいと。


ドブネズミみたいに美しくありたい
写真には写らない美しさがあるから

ドブネズミみたいに誰よりも優しく
ドブネズミみたいに何よりも温かく
太陽の下で生きてみたい

それこそ、人生は勝ち負けじゃあないということだ。


令和6年11月25日

              心幸


11/24/2024, 11:15:25 AM

セーター

着てはもらえぬセーターを涙こらえて編んでますなんて、恐ろしい歌が流行ったのよ昭和って(笑) 今時好きな人に手編みのセーター贈る女の子って居るのかしら?私たちの頃は流行ったもんだ、中学生くらいから二十代のクリスマス過ぎて大晦日で崖っぷちになる頃まで(この言い回し分かる人は昭和よ、分からない人はお母さんに聞いてね、説明はしないw)

紅葉が満点に色づいて枯れ葉が舞って来たら、「彼のセーター」「彼のマフラー」なんて見出しの本なんか買って来て、毛糸玉を買いに出かけるの、これも一大イベントであるのだ、冬が来る前の一大イベント友達たちとキャワキャワやりながら、時にひとりで真顔のド真剣で毛糸玉は選ばれる。

そこから、先ずはクリスマスを目標に編み始める、別に寒さ堪えて編むほどメンヘラな人は極限られた人で、だいたいの女の子は友達で集まったりしながらお菓子食べながらお喋りの方が優先で、彼へのクリスマスプレゼント手編みのセーター&マフラープロジェクトはスタートする。彼が居るいないに関わらず、クリスマスに告白なんてことのお供にも使われた手編みのセーター&マフラー、その頃の少女漫画はみんなそんな感じで女の子は、すべからくそれに憧れた。

かくいう私も、これでも片想いではなくお付き合いしていた彼がおりました、当時憧れたのは二人で巻ける長いマフラーよ(笑)もちろんネタは少女漫画、気分は陸奥A子の世界よ(笑)
そして、これくらいの頃から始まるクリスマスに手編みのプレゼント大作戦。

はじめは、放課後のお喋り会で、そのうち深夜のラジオのお供になり、やがてクリスマス過ぎちゃうのよ…半分くらいになったクリスマスに渡すはずの手編みのセーター&マフラーは、期末テスト前でお休みしてクリスマスを過ぎて冬休に突入、なんだかんだで忙しい年末年始を過ぎて、初詣一緒に行こうと誘われて、なんとかその日に渡そうと結局寒さ堪えて夜なべするも寝落ちで間に合わず、新学期を迎えた、ついに年を越えた毛玉はコタツの横に転がり、バレンタインデーの前に探しあてると何故か出来上がっている、、何時も仕上げは婆ちゃんが知らぬ間にしていてくれた。

それを可愛くラッピングして、さも自分で仕上げましたと、あまり上手でもない手作りのチョコレートクッキーとをバレンタインデーに彼に贈る、それが1980年代田舎の女子高生の一大イベントだった。

「手編みのセーターとマフラーとわたし♪」


令和6年11月24日 

追記

てなこと、思春期の頃のメンヘラちゃんの想い出のヒトコマだよね😂 少女漫画の読み過ぎだと地味な大人しめのあざとさんか、何故だかクラス一軍男子のサッカー部なんてのを射止めて健気に仕上げるのよ、「頑張ったのよわたし」的に、80年代の中二病は可愛かったね🤣🤣

私の彼は陸奥A子よりハイティーンブギよりだったかなぁ、、ムッチせんぱーい😂 

 


               心幸

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