太陽の下で
二十日鼠とドブネズミ
ドブネズミみたいに美しくなりい
写真には写らない美しさがあるから…
もしも僕がいつか君と出会い話し合うなら
そんな時はどうぞ愛の意味を知って下さい
ドブネズミみたいに誰よりも優しい
ドブネズミみたいに何よりも温かく
愛じゃなくても恋じゃなくても君を離しはしない
けして負けない強い力を僕はひとつだけ持つ
人生は勝ち負けじゃないと涼しい顔で言う傍観者ほど、賭けた馬が負ければその馬を撃ち殺す勢いで罵声を浴びせる。何時も喝采を浴び花吹雪舞う太陽の下で、中央を歩くことが勝者の行進なのか、ならば僕は敗者でいよう、誰よりも泥をかぶり傷ついてそれでも守りたい何かを負けない心で抱きしめるそんな強い力で、唯一人でも太陽の下で歩く、それが賢者の行進だ。
ここに同じ日に産声をあげた2匹のネズミがいた、一匹はマンホールの下が塒のドブネズミ、もう一匹は籠の中で飼われる白い二十日鼠
全く違う場所で生まれ育った二匹はあるまだミルク臭い年頃に出会う、二十日鼠はドブネズミを憐れんで餌を少し分けてやった、ドブネズミは喜んでそれを食べ家族の分もと持ち帰った、二十日鼠は何処か部屋の隅から消えて行ったドブネズミの背中を見つめて、可哀想な子だと思った。月日が流れ、互いに太陽が真上に差す頃、二十日鼠は何時ものようにその籠の中で回し車に乗っていた子供がいつの間にか増えて子供を回し車で遊ばせていた、そこへあのドブネズミがやって来た随分と大きく逞しくなったドブネズミは何時かの礼だと二十日鼠が見たことも食べたこともない人間の食べ物を土産に持って来た。
「こんなもの食べられるのかい?」
「ああ、うめえよ、食ってみな、人間のやつらは、自分たちばかりうめえもの食ってやがるのさ」ドブネズミはそう言って笑いリンゴの端を噛んだ。二十日鼠は恐る恐るプライドチキンとやらを啄んた、何かにぶたれたような覚醒が身体中を駆け巡り、二十日鼠はプライドチキンをガッツイて食べた。
「じゃあな」ドブネズミたちはガッツイている二十日鼠を横目にまた壁の穴に消えて行った。
二十日鼠はふと、ドブネズミが消えて行った壁の穴の上にある向こうの世界が覗ける太陽が何時も通り過ぎる場所を眺めています、二十日鼠はふとドブネズミのことを思いました、ドブネズミは何時もあの太陽の下を駆けて、河をくだり、街に出て、人間の足元を掻い潜りこんなものを自分の手で手に入れて来るのか、、太陽の下ばかりじゃない、雨の下も嵐の下も駆けて行くんだろうな、、二十日鼠は少し憧れたが、やっぱり、この暮らしの方が良いに決まっていると自分に言い聞かせた。
やがて、二十日鼠は近頃どうも怠くて眠い回し車も飽きて寝ているばかりの日を送っていました。そこへまたあのドブネズミが現れて今度は沢山のシロツメグサとパンジーを持って来て眠っている二十日鼠の上に乗せました、「あれ、なんだろういい匂いがして心地良い、まるで夢に見た、あの太陽の下で眠っているようだよ、これがお日様の匂いかい?」二十日鼠はドブネズミに尋ねました、ドブネズミは「オイラには難しいことはわからねぇけど、元気になる匂いだろ?」そう言ってドブネズミは笑う、つられて二十日鼠も笑った、またドブネズミは何時ものように消えて行った、それがドブネズミと二十日鼠の最後の再会だった。
二十日鼠は最後に目を閉じる時に思いました、
今度はドブネズミに生まれたいと。
ドブネズミみたいに美しくありたい
写真には写らない美しさがあるから
ドブネズミみたいに誰よりも優しく
ドブネズミみたいに何よりも温かく
太陽の下で生きてみたい
それこそ、人生は勝ち負けじゃあないということだ。
令和6年11月25日
心幸
セーター
着てはもらえぬセーターを涙こらえて編んでますなんて、恐ろしい歌が流行ったのよ昭和って(笑) 今時好きな人に手編みのセーター贈る女の子って居るのかしら?私たちの頃は流行ったもんだ、中学生くらいから二十代のクリスマス過ぎて大晦日で崖っぷちになる頃まで(この言い回し分かる人は昭和よ、分からない人はお母さんに聞いてね、説明はしないw)
紅葉が満点に色づいて枯れ葉が舞って来たら、「彼のセーター」「彼のマフラー」なんて見出しの本なんか買って来て、毛糸玉を買いに出かけるの、これも一大イベントであるのだ、冬が来る前の一大イベント友達たちとキャワキャワやりながら、時にひとりで真顔のド真剣で毛糸玉は選ばれる。
そこから、先ずはクリスマスを目標に編み始める、別に寒さ堪えて編むほどメンヘラな人は極限られた人で、だいたいの女の子は友達で集まったりしながらお菓子食べながらお喋りの方が優先で、彼へのクリスマスプレゼント手編みのセーター&マフラープロジェクトはスタートする。彼が居るいないに関わらず、クリスマスに告白なんてことのお供にも使われた手編みのセーター&マフラー、その頃の少女漫画はみんなそんな感じで女の子は、すべからくそれに憧れた。
かくいう私も、これでも片想いではなくお付き合いしていた彼がおりました、当時憧れたのは二人で巻ける長いマフラーよ(笑)もちろんネタは少女漫画、気分は陸奥A子の世界よ(笑)
そして、これくらいの頃から始まるクリスマスに手編みのプレゼント大作戦。
はじめは、放課後のお喋り会で、そのうち深夜のラジオのお供になり、やがてクリスマス過ぎちゃうのよ…半分くらいになったクリスマスに渡すはずの手編みのセーター&マフラーは、期末テスト前でお休みしてクリスマスを過ぎて冬休に突入、なんだかんだで忙しい年末年始を過ぎて、初詣一緒に行こうと誘われて、なんとかその日に渡そうと結局寒さ堪えて夜なべするも寝落ちで間に合わず、新学期を迎えた、ついに年を越えた毛玉はコタツの横に転がり、バレンタインデーの前に探しあてると何故か出来上がっている、、何時も仕上げは婆ちゃんが知らぬ間にしていてくれた。
それを可愛くラッピングして、さも自分で仕上げましたと、あまり上手でもない手作りのチョコレートクッキーとをバレンタインデーに彼に贈る、それが1980年代田舎の女子高生の一大イベントだった。
「手編みのセーターとマフラーとわたし♪」
令和6年11月24日
追記
てなこと、思春期の頃のメンヘラちゃんの想い出のヒトコマだよね😂 少女漫画の読み過ぎだと地味な大人しめのあざとさんか、何故だかクラス一軍男子のサッカー部なんてのを射止めて健気に仕上げるのよ、「頑張ったのよわたし」的に、80年代の中二病は可愛かったね🤣🤣
私の彼は陸奥A子よりハイティーンブギよりだったかなぁ、、ムッチせんぱーい😂
心幸
落ちてゆく
「分かっていたわ、あなたが苦労知らずで生きて来たこと。聞いてれば分かる」場末のスナック「Lilly」のママはその着飾って澄ました顔の女性客に言った。
「じゃなかった人生も五番街に仕舞っておく密やかな想い出も過ちもないようね、だから裁いて断罪出来る、知ってたわよ言わなくても、言葉の節々に出てるもの、本当は知らないことが怖いだけ、与えられたものの中でぬくぬくと生きて来た、けどそれって、それはそれで悪いことじゃないわよ、悪いのは、ぬくぬくと誰かの思いに乗っかって乳母日傘で生きてきただけのくせに分かったような気になって、独善的に裁くところ、まあ、それが何も辛苦を知らない苦労知らずが透けて見えるところなんだけど、だったら人を裁きなさんなって、あんたの正解や正義で」
まあ、一杯いかがという風にボトルの口をあけながらママは続けた。「人間あっちこっちぶつけてたら傷が出来て、そこから腐れてくることだってあるって日本一有名な先生も仰ってたし、人は悲しみが多いほど人に優しく出来るらしいわよ、優しくありたいなら、いっぱい間違うことだと思う、いっぱい間違うといっぱい解決方が見つかって、正解を導き出す方法はひとつじゃないんだと知る事が出来るし、間違った人を理解することも出来るようになるから、共感でも同情でも許すでもなく理解することが出来る…」
「幸せは自慢できる事だけど苦労知らずは自慢にならない、覚えておくと良いかもね(笑)」
場末のスナックのママは、カラオケのマイクを差し出しながらそう言って笑った。
曲がはじまった…。
「時の過ぎゆくままに」 作詞 阿久悠
あなたは、すっかり疲れてしまい
愛することさえ 嫌だと泣いた
壊れたピアノで 想い出の歌
片手でひいては ため息ついた
時の過ぎゆくままに この身をまかせ
男と女が 漂いながら
落ちてゆくのも 幸せだよと
二人つめたい からだ合わせる
からだの傷なら 治せるけれど
心のいたでは 癒せはしない
小指に食い込む 指輪を見つめ
あなたは 昔を思って泣いた
時の過ぎゆくままに この身をまかせ
男と女が 漂いながら
もしも二人が 愛せるならば
窓の景色も かわってゆくだろう…
落ちてゆくのも 幸せならば
窓の景色も かわってゆくだろう…
「この歌の二人は優しさを知っていて幸せも知ることが出来て、好い人たちよね」とママは言って拍手をした。中年の客は気持ち良さそうにマイクを置きグラスを空けて 「ママ、おかわり」と言った、午前零時の小さなスナック。
落ちてゆくのも幸せだろう…。
令和6年11月23日
心幸
夫婦
長らく、妻が夫を支え、その結婚生活で不貞をはたらいても夫の場合は甲斐性で妻の場合は刑事処罰であり、不貞の子を抱えて浜辺を歩くのは妻であったが、今は妻が不貞で産んだ子を自分の子と信じて愛しはじめた夫が子を抱いて泣きながら浜辺を歩く…。
男は随分と女々しくなった。
僕のことをからかったの?
そんなにアイツが好いの?
僕はもう要らない?
君のシグナル見逃していた?
お互い様じゃないの?
僕を責めるの?自分をせめるふりして
それでも構わない君のシグナルもう一度
気まぐれかな?それでも構わない
君と君の子と家族でいたいから
愛情って何かな?ただ欲しい
愛が欲しい?君と居たいから
嘘でも、どうぞ構わない
その子を、僕の子だと騙し続けてくれ
辿り着いた世界はもう、惚れた妬んだを越えて
ただ、女々しく君といたいだけ
そんな事を、男に言わせておけば
男女平等のフェミニズムの世界なのか?
それで時代は前に進んだのか?
肩肘張った女が男になっただけという気が
しませんか?阿久悠様。
せめて、少しは格好つけて
行ったきり幸せになるが良いと背中に言ってくれ、落ちて行くのも幸せだよと涙見せずに行ってくれ…。
先輩たちは、男も女も潔かった。
夫婦の愛情物語も、言葉の行間にその愛を感じ二人の人生を人間像を想像させます。
見た目とは裏腹な多面的な人間の物語は常に濃く湿っぽくもあり渇いていて軽く、軽薄さに傷つきながら重い重厚さで傷つける。けれど優しくありたいと偏った優しさで傷つける者が傷つけたものを、強さで癒す者がいた。
そんな物語があった。
結婚記念日
若くして妻を、亡くした男がいた。
再婚の話を持ちかけられるが、自分は二度と結婚しようとは思っていない。
妻のことを、愛しいとも美しいとも思ったことはなかった。彼女は無骨な職人の家で育ったため、品というものもなかった。そんな妻との結婚生活は、慎ましくも地味であった。
或夜、再婚話を持ちかけに来た友人を見送り、男は妻との、楽しかったような楽しくなかったような箱根旅行を思い出していた。その思い出すやりとりが何とも可笑しく、悲しく、愛しい。いつも、隣にいる人間が、どうしょうもなく大切に思える瞬間、「彼女はもうこの世にいないのだ」という喪失感を与えるのだ… あれが、愛情でなくなんであったのか?と男は冷たい妻の何ものにも替えがたい、いじらし生きものの身体を自分の体温で温めた日を追想するのであった。
井上靖 「愛」
11月22日 いい夫婦の日に寄せて。
心幸
追記 友がみな 我より偉く
見ゆる日よ
花を買いきて 妻と親しむ
石川啄木 「一握の砂」
妻でも夫でも構わない、外には7人の敵がいる中背中合わせで戦って行くのが夫婦だが、また向かい合って癒し合える日も来る、その時間こそがかけがえのないもの、夫婦愛である、男と女は互いに無いものを愛しみ合えるから夫婦になる、ライバルでも敵でもない同志なのでありたい。
どうすればいいの?
「どうすればいいの?」と問う孫娘に、おばあちゃんは答えた、「どうすればいいのか分からん時は、どうもできん時やから、何もせんくていい」「どうしてよ、そんなの駄目じゃない」涙声の孫娘に、おばあちゃんは続けた、「人生は、どうにもならんことの繰り返しだよ、そんな時は下手に逆らったりせずとも、なるようにしかならんもんさね、あんた自分の力を過信しちゃあかんよ、それこそ駄目だわ、何事もどうしょうもない、どうすればいいのか分からん時は、時任せの神任せでいいんだよ、どんな煮え湯も喉元過ぎれば熱さを忘れる、せいては事を仕損じる、そのうち何処からか他力の風が吹くものさ、そん時に思い切り帆を張れるように、どうすればいいのか分からなくなった時は、帆を仕舞って、時に任せなさい、なるようになるから」そう言って、おばあちゃんは笑った。
「他力の風を信じ、感謝する気持ちがあれば、どうすればいいの?と途方に暮れる時も道は開ける」おばあちゃんの金言でした。
孫娘は、そんなおばあちゃんの金言を胸に今日も生きてます。
おばあちゃん、ありがとう。
令和6年11月21日
心幸