哀愁を誘う
ハード・ボイルドGメン'75。
「熱い心を強い意志で包んだ人間たち」渋い芥川隆行のナレーションではじまる、言わずと知れた昭和刑事ドラマの金字塔的一作は、哀愁を誘う音楽とナレーション、そして重厚感ある出演者たちが印象的だった。
日本人は哀愁が好きで、口笛吹いて主人公が現れたり去ったり、そんな映画やドラマが多かったなと思う。
そん中、Gメン'75はオープニングもエンディングも哀愁と言う言葉がよく似合い、当時子供ながら、何処か儚く物悲しくも情緒のあるこのドラマが大好きであった。
私のお気に入りはパンタロンに斜めに深く被ったツバ広女優帽子姿の女性Gメン響圭子だった響圭子は女性Gメンだけではなくその後に続く刑事ドラマの女性刑事の先駆けとなったが、現在に至るまで、響圭子ほどクールでミステリアスでおまけにその容姿スタイルまで完璧な女性刑事が登場する刑事ドラマを私は知らない。永遠のレジェンドキャラ響圭子なのである。
それと同時に、若手刑事も「太陽にほえろ!」
や「西部警察」とは違うキャラクターであった
これまた、私のお気に入りは田口刑事役の千葉ひろしさんが、子供心にとても好きであった、たしか、最初はゲストのような出演で殺されてしまう犯人のような役だったように記憶している、それから、白バイ隊になりGメン入りを果たす、ハード・ボイルドなのに何故だか他の刑事ドラマと違い少し儚さのある、田口刑事途中どこかで、また殺されやしないなとハラハラしながら観たものだった、、今もし、昭和にタイムスリップしても、私はきっと昭和50年代土曜夜9時全員集合終わって明日は日曜日で嬉しそうにテレビの前に座っているチビわたしに出会うのであろう、一緒にテレビなんか観て「いい事いっぱいあるからね」と話してみたい、そうして祖母や父や母に感謝の気持ちを伝えたい
出来ることなら、、、(笑)
「哀愁」とは、悲しさと懐かしさを併せ持つ感情を表現する言葉なのだという、実に日本的な美しい言葉であると思う。
この言葉をきっと君は理解する日が来るだろう、けれど、その時には実体がなくなってしまっているもの、けれど心の1番柔らかい場所に残る確かな想い、それが何かと理解するその瞬間の物悲しい切なさを人は「哀愁」と呼ぶのだろう、そんな日が君にも訪れることを祈る、、と初孫の瞳に写る私を観ながら想う。
令和6年11月11日
心幸
鏡の中の自分
鏡の中のあなた…
可哀想に眠りにつく前に夜ごと毎夜呪の呪文を呟くあなたは、その呪文が自分への呪縛だということを知らない、何時か騙されたと思ってでも見てご覧なさい、毎夜毎夜眠りにつく前に呪いの主への呪縛を繰り返す自分の姿を写して鏡の中の自分を見てご覧なさい、きっと口から涎を垂れた醜い餓鬼が写るはずです、あなたが吐いた言霊の呪いの呪文はあなたにかかり、怨みの呪縛はあなたを縛ります、それが人を呪わば穴二つという意味です、覚悟なさい。
自分だけが綺麗なままだなんて、怨みの呪縛に落ちた時に返上しているんですよ、覚悟なさい、鏡のなかの自分に呪をかけたのはあなたです。
南の魔女は言いました、あなたが行きたい場所に行きたいと望むなら、西の魔女と東の魔女を招き入れるが良いでしょう、きっとあなたは東の空に日が昇り西の空に日が沈み眠りにつくまで怨みの念に縛られて、身動きとれなくなり涎を垂らした餓鬼に変わります、もしももしも、戻りたいと思うのなら、この聖水で先ず自分の顔を洗い、鏡に写る鏡の中の自分をよく己の眼で見定めて、その水を流してごらんなさい、きっとあなたに呪文を唱えろと言う東の魔女はあなたの家の前で扉を開けようとして圧死し西の魔女はその水に流されてしまうことでしょう、怨みの魔女の姉妹に巣食われたあなたの心を取り戻すのは、あなたです。そう南の魔女は告げて去りました…という、オズの魔法使いリスペクトオマージュでした。
鏡の国の幼気な呪いの魔女の呪縛に取り憑かれたドロシーさんへ、早く鏡の中の自分に気づき目覚められるといいのにね。
続き、
作り笑顔はいけないという人がいる、作り笑顔は嘘だからか?嘘でも笑顔でいる方が覚悟がいる、下手な笑顔も下手な嘘も100ぺんすればつけば真を妊む。言いたいことも言わずに我慢している気遣いしてますって俯いて舌出して暗くて険しい顔で夜な夜な涎垂らした餓鬼になって怨み節の呪い節より、そんな時こそハッタリでも嘘でも笑顔でいる方がいいね(笑)気遣いしながら気を遣わせるより、嘘でも笑ってデクノボウと呼ばれても笑ってる苦にもせず苦にもされずに笑ってるそういう人が賢者ですねと想いますけどね〜(笑)鏡の中で俯いてるあなた。
令和6年11月3日
心幸
眠りにつく前に
1日の終わりに眠りにつく前には、今日一日のことを振り返り、嫌だったことよりもなるべく好かったことを想出したい。嫌だったことからも頑張って好かったを見つけ出し、見つけ出せた自分を褒めてやり、批判や否定よりも賛同や肯定をして、共感は出来なくても理解をし批難よりも弁護する人でありたい、そうすれば1日の終わりに「有り難い」と感謝して眠れる気がする。
「有り難い」とは、「有り得ない」めったにない貴重なものだということらしく、「有り難い」「ありがとう」は、めったにない勿体無くも、貴重なことへの感謝ということなのだろう。
小さな感謝を見つけ出し、有り難いと感謝し、「ありがとう」と言って1日を終える、その細やかな1日の繰り返しが、きっと幸せにつながり、何時か永遠の眠りにつく時に、その小さな好かったが永遠に変わるのだと思っている。昨日の続きになるが、永遠とは「死」であろうと私は考える。
ひとつの我の人生が終わります、時間も空間もアントニ厶が見つからない罪も善も痛みも苦しみも悲しみもそして喜びも愛もその瞬間で止まり、永遠になる。生きたそれまでの想いが止まり、永遠に年を重ねない重ねられない。
年を重ね前に進むことはない、その想いは永遠となる、それが「死」という永遠の眠り。
ならば、やがてその避けられない永遠の眠りという死が私にも訪れる定めならば、出来るだけ目に映るものを肯定したいのだ。
それでも間違いを探して鬼の首でも取ったみたいな子供っぽい人や、文句や批判批評をして偉くなった気でいる学者センセーたちを批判したくなる時があって、人に差した人差し指自分に差すことで笑う日もあるのだけれど、そういう日が多いのだけれど、それでも私は、最後は眠りにつく前に、感謝して終えたいから、なるべく正しいや正解ではなく、正しくない間違いでも、愛しく楽しい有り難いものを見つけ、その力に感謝して眠りにつく、死という永遠の眠りを迎える時もそうでありたいと思っている。
私の永遠へと続く道その1日の終わりには、眠りにつく前に「ありがとう」と手を合わせて眠ります。
「世情」
世の中はいつも 変わっているから
頑固者だけが 悲しい思いをする
変わらないものを 何かにたとえて
その度崩れちゃ そいつのせいにする
シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
変わらない夢を 流れに求めて
時の流れを止めて 変わらない夢を
見たがる者たちと 戦うため
世の中は とても 臆病な猫だから
他愛のない嘘を いつもついている
包帯のような嘘を 見破ることで
学者は世間を 見たような気になる
シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
変わらない夢を 流れに求めて
時の流れを止めて 変わらない夢を
見たがる者たちと 戦うため…
作詞 中島みゆき
私に死が訪れて やがて私の、時が永遠に止まっても その想いは永遠に…。
令和6年11月2日
心幸
永遠の零
ここに一冊の本があるタイトル「永遠の0」
何年か前、夫と劇場に観に行き夫が恥ずかしいほど号泣して隣り合わせた三浦春馬くんか岡田准一くんかのファンらしき若い女性二人連れに笑われた想い出話は、未だに我が家の語り草だ。他にも涙腺緩めの彼は若い頃から私が泣く前に泣くだから何時も私は泣けなくて、彼のライオンみたいな泣き顔を見て笑う。
そして何時もハンカチ差し出しながら、この人で良かったなと思うのであったという、はい、惚気話はこれくらいで、この「永遠の0」というタイトルの意味を私は大号泣の夫を横目に桑田佳祐の歌声を聴きながらエンディングロールを見つめながらぼんやり考えていた。
「永遠の0」
それは、一期一会。
一度飛び立ったら二度と帰ることのない零戦
それが彼らの永遠、終わりのはじまり即ち永遠の0なのだろう。
宮部は擦り減る精神の果てに全て決心し覚悟して、その写真の裏に我が切望を記して彼に託す一期一会の永遠に続く想いの終わりのはじまり、受け継ぐ者達。
愛の歌が途絶えぬように
心の灯りが消えたの
たった一度の人生を捧げて
さらば友よ 永遠(とわ)に眠れ
青空は悲しい空
揺れる木漏れ日が切なくて
夏が来るたびあの日と同じ
風が通り過ぎたよ
涙見せぬように
笑顔でサヨナラを
また逢うと約束してね
何のために己を断つて
魂だけが帰り来るの?
闇に飛び交う蛍に連れられ
あなたがいた気がする
生まれ変われたなら
また恋するでしょう
抱き(いだき)合い命燃やすように
涙見せぬように
笑顔でサヨナラを
夢溢る 世の中であれと
祈る
夢溢る 世の中であれと
祈る…託された私たち
「永遠の0」
主題歌 「蛍」 作詞 桑田佳祐
来年の夏はあの夏から80年目の夏
夢溢る 世の中であれと
祈ってもらった
私たちは あの頃の未来に立っている
立って行く
永遠に…
あなたの祈りが守られますように。
テーマ 「永遠に」
令和6年11月1日
心幸
理想郷
桃源郷でも竜宮城でもなくて?
そこをゆけばどんな夢も叶うという、理想郷はやっぱり、仕事なんかしなくて嫌いな奴も居なくてみんな同じ住まいに住み生まれたままの姿で、一日中遊んでいるような話なのだろうか?
ユートピアってエデンの園ってガンダーラってそんなイメージだけど、、それって理想郷なのかな?そもそも旧約聖書によれば、そこ追放されたのが私たち人類の親だし💦 そしてその親アダムとエバから生まれたカインとアベルはカイン(兄)がアベル(弟)を殺すという兄弟は他人のはじまりのはじまりなのである。日本においてもヤマトタケルノミコトは兄を殺しているし、神の言いつけを守れず理想郷(エデンの園)は追放されるは、兄弟を殺す殺人犯の子孫が我々です、クズなんですよ殴ってやりたいほどの、だって遊んでくらせる理想郷で日がな好きな事だけして遊んでくらせる場所を与えてくれた神との約束を守れず蛇の誘惑に負け禁断の果実を口にし理想郷(エデンの園)を追放された夫婦の子孫、そしてその兄は弟殺しですしかも動機は嫉妬と妬みからの怨み節なんです。
笑っちゃうじゃありませんか、分かってるクズと分からないクズ?クズはクズですわ(笑)呆れるくらい、罪深き人の性。
それでも、愛しき人の性、愛しいと書いて、かなしいと読むそれが人の間のこの世に落とされた私たち人間。赤子は泣きながら生まれてくるはじめに覚えることは、泣くことそれが人間。
我は人にあらずで、他人ばかり裁いている人自分の罪はクズな部分もなんて可愛く見積もり他人を指差す時は、神にでもなったように天でもないのに罰をくだす、他人に差した人差し指を自分に向ける勇気のある罪深き勇者のいるところ、そんなところがあるなら、きっとそこが理想郷。
令和6年10月31日
心幸