星座
それは無理な話だ この暗闇に手を伸ばして
「…踊ろうか?」と誘っても 彼女には届かない分からない奴だなと馬上の人は呟いた。
住む世界が違うんだよ それは水の瓶を抱えて水汲みに歩き瓶を抱えて休むお前が、アンドロメダの星を越えペガサスに跨るわたしのところに着くほどの距離よ。何万光年離れていると思っているのか?そりゃあ目を離したら二度と見えなくなると心配になるし声も届かないと苛つきもするのだろうな、毎夜毎夜届かない掴めない読み解けないと苛つき、それを吐くように瓶にぶち撒けているなお前は、だからお前は嫌われているのだ彼女に。
だからな、そうして、毎夜見つめるのが精一杯よ それくらいは許してやろうじゃないか。
なかなか探すのも難しい お前の場所からじゃな(笑)
知恵の女神アテナはペガサスを飼いならし、芸術の女神に贈りました その天馬ペガサスにペルセウスは跨りアンドロメダ姫に逢いにゆくのですから彼は上からです(笑)
ペルセウスは続けます。
お前はその世界のまだ端で水を汲みにゆく青年なのだ 分をわきまえろ。 彼女とは遠く離れている目には見えるけど 手も届かなければ言葉も通じ合わないのだ目を覚ませ!
なんて酷いしうちでしょう、けれどそれこそが現実。
いくら目に見えても二人を隔てる距離は誰にも埋められないのです。 それを自分の手を取れ言葉を聞けと独り善がりで利己的なナルシスよりもナルシストな自惚れの水瓶を抱えた、見た目だけの青年を馬上ペルセウスは気の毒に思い伝えようとしたが、、いや、まて私の言葉もあの水汲みの青年に届くはずもなく、気が済むまで、やらせておくしかないのかと我に返ったのでした(笑)
住む世界が、仮に同じでも魂の距離心の距離が離れていれば通じ合わないのと同じ。
星座は目に見えるけれど この闇の彼方その距離は光の速度でも時空を越えるほど遠いのだと自で気づくしかないのだ。
いい加減 気づけよ(笑)
令和6年10月5日
心幸
踊りませんか?
「Shall we ダンス?」
1996年公開 監督 周坊正行
主演 役所広司 草刈民生
しか思いつかない、楽しいような切ないような
不思議な映画、、また中年サラリーマンの夢物語。
男性目線のエンタメ映画ドラマも久しく観ないが、その終焉の美のような映画でもあった。貞操で奥ゆかしく夫を愛する妻は夫を理解し許し、夫は妻に文句がある訳じゃないけれど黄昏ゆく我が身の夕暮れを、車窓に映るうら若き踊り子に映し遠い海だか山の音だかを見たり聞いたりしてしまう、勝手にやってろ!的な映画
彼女は悲しげな眼差しで遠くを見つめ、風に戸惑う弱気な僕に通りすがりに影を落とす、本当は見た目以上に涙もろい過去があると勘ぐり
消せどもゆる魔性の火勝手に燃え上がらせて中年サラリーマンの悲哀物語は始まり、門を叩くそのうち社交ダンスの楽しさに目覚め、仲間を得て青春リメンバー・ミーの中年サラリーマン
格好良くお嬢さんの蟠りを解し元の居場所に戻し、花は日の当たる場所で水を受けて咲かんとす、中年サラリーマンスキップしながら家に帰る、「トキメキは、遠い日の花火なんかじゃない」家に帰れば 物分かりの良き妻が笑顔で迎えるのであった。
役所広司たからだからねー許されるの
そこのオジサン(笑)遠い日の花火は五番街の場末のスナックにでも鍵かけて閉じ込めておいてください。
そんなくだりより、たま子先生の
「王様と私」の乙女チックな夢物語の方が素敵だった。
「The・King&I」
「Shall we Dance?」
1956年米国映画
ブロードウェイミュージカル1951年初演
ユル・ブリンナー素敵だったよねぇ、たま子先生。
令和6年10月4日
心幸
巡り会えたら
巡り会えたら良いのにね
顔なし名前無しの孤独な君が
イチニサンシほらみんなワタシと同じ意見よ
ワタシは視聴者の正義の常識の代弁者よ
だから ワタシに嫌われたら終わりよ
だから ワタシが嫌いなものは加害者でワタシは被害者よっていつもいつまでも泣きながら 自分にイイねで嫌われているものにしがみつく 独り善がりで我が儘で利己的な自分に飽きて
居場所と顔とニックネームくらい名乗れる度胸と愛嬌を 躾けてくれる人に巡り会えたら良いのにね
祈っているよ
君 この世は右と左の振り子時計なんだよ
君の正義と常識と 反対側の誰かの正義と常識が振り子のように 右と左に同じ感覚と調べで
行ったり来たり揺れながら 時間も時代も世間も進むんだ そうでなければ 片方にだけ偏れば 時間も時代も世間も動かなくなるんだよ
君 よく覚えておくんだ この世は振り子時計
君の正義と常識と 反対の誰かの正義と常識が
チクタクチクタクボーンボン 右と左に同じ調べで 動く動き続けることが平和と言うんだよ
そうでなければ 片方だけに偏れば ガラガラと音をたてて 平和は崩れてしまうさ
そして 時計は時を刻むことを止めてしまう
振り子を止めるんじゃないよ
右と左に揺れる 静かな揺らぎの中に
君と誰かの平和な暮らしがあるのだから
チクタクチクタク チクタクチクタク ボーンボン それは持って生まれたものでも そこに当たり前にあり続けるものでもないんだ 誰かが導いて 教えてくれるものでもない
顔なし名前無しの孤独な君に語ってくれる人から 君が学び取るものだから 君がどっちから
振り子を押すのかは 君がその人生経験で決めれば良いこと けれど忘れてはいけないことは
振り子を止めてはいけないってこと
正義も真実も決して一つじゃない
チクタクチクタクチクタクチクタクボーンボン
右と左の揺らぎの中で時は刻まれる
巡り会えたら良いのにね
孤独な独り善がりの
顔なし名前無しの君にも
そんなことを語ってくれる人が
令和6年10月3日
心幸
奇跡をもう一度
そんなに何度も奇跡が起きたら奇跡じゃないじゃない あなたならそう言って笑うだろう
たった一度の奇跡を望むなら
そんなの分かりきっているけれど
それは 順番通りに訪れるはずの軌道で
その 歴史が今の私に繋がったのだから
まだ 若いあなたが守ろうとしたものが
私の 今だから奇跡は必然
奇跡をもう一度 望むならあなたの様に
生きて行くだけだと分かった
二度と重ならないあなたとわたしの時間
そんなの分かりきっているけれど
それは 順番通りに訪れた別れなのだから
その 別れが今の私を創った
まだ 世の中のことを何も知らなかった
私の 軌跡が始まったのだった
人生は二度とはない 二度あればと
奇跡をもう一度と望んでも無駄 望むなら
始まった軌道を 私は繋げるだけあなたに再会する道は きっとそこにある
それは この命を繋げて行く中で
もう一度 あなたは生まれ 私は生まれる
この 輪廻の中で何度も巡り合う
あなたと出会う 奇跡をもう一度
奇跡は必然
奇跡は積み重ね
奇跡は証
奇跡を望むなら
否定ばかり 批判ばかり
粗探して 文句ばかり言っていないで
受け止めて
感謝して生きることだ
こんな狭いネットの中で
視聴者代表の国民代表の多数派代表のと騒ぐのは馬鹿げている
100年も経たぬうちに正義も社会常識も変わる そんな無情のなかにいる
より多くの敵を殺す 殺しきることが正義
個人の自己実現よりも命よりも大切な国家という時代は ほんの80年前にこの国に存在した
それでも そこに生きた人々は
家族を恋人を愛し 奇跡を望み生きた
だから 私は今ここに生きることが出来ている
あなたが守ろうとしたものを 守ろうと思います
100年も経たぬうちに変わってしまうもののなかに 変わらないあなたのくれた真を守りたいと思います
奇跡をもう一度
もう一度 あなたに出会うために
そう 思いながら
祖母の古い古い
アルバムを閉じた
令和6年10月2日
心幸
たそがれ
今は夏 そばにあなたの匂い
幸せな夢におぼれていたけれど
夕立が 白い稲妻つれて
悲しみ色の日暮にして行った
しびれた指 すべり落ちた
珈琲カップ 砕け散って
私はただ あなたの目を
言葉もなく 見つめるだけ
さだめという悪戯に
引き裂かれそうなこの愛
今は冬 そばにあなたはいない
石畳 白く粉雪が舞い踊る
引き裂かれ 愛のカケラになって
それでも胸で熱さをなくさない
凍える手で広げて読む
手紙の文字が赤く燃えて
私はもう あなたの背に
もたれかかる夢を見てる
さだめという悪戯に
引き裂かれそうなこの愛
今は秋がはじまったところ
白い稲妻が連れて行った
悲しみの只中で 夕立にうたれた
アスファルトは蜃気楼でもあげているのか?
やがて 枯れ葉が舞って
マラソン人が過ぎる公園のベンチで
止まる私を誘うのか?
そして 粉雪舞う冬になり
人混みに紛れても
二人が同じ空を眺めていれば
同じ風に吹かれて 似たように凍えるのか
心まで白く染められたなら
二人の孤独を分け合えたのか
二人の孤独を包んで空に還すことが出来たのか
胸の中でざわめく
同じ痛みを感じ合えているなら
変わり続けてく
街並みのように
もとには戻れない二人だけれど
ただ季節は流れ
もし再び出会って
瞳を探り合っても
隔てた時を埋める
すべは何ひとつなくても
手放した恋は今が幸せと感じる
ことが出来て あなたの幸せも祈れ
やっと本当のサヨナラ出来る
時は優しいと たそがれに微笑む女がいた
いろんな詩を繋げて物語を作ってみた
詩人はいつも文学者であり哲学者である
私には
座右の銘といえる歌詞が3つある
歩きだそう明日の日に 振り返るにはまだ若い
吹きすさぶ北風に 飛ばされぬよう 飛ばぬよう
凍えた両手に息を吹きかけ
生きることが辛いとか 苦しいだとか言う前に
野に育つ花ならば 力の限り生きてやれ
果てしない大空と 広い大地のその中で
幸せは自分で決めて自分を信じ自分の腕で掴むよう
涙の数だけ強くなれるよ
アスファルトに咲く花のように
明日は来るよどんな時も
信じられぬと嘆き否定するよりも
信じて傷つく方がいい
求めないで優しさなんか
臆病ものの言い訳だから
悲しみこらえて 微笑むよりも
涙かれるまで 泣く方がいい
人は悲しみが 多いほど
人には 優しく出来るのだから
微笑むのは 泣いてから
優しさは 求めないで与えるもの
泣きもしないで 微笑む人は嘘つきで
寄り添ってとか優しくありたいとか優しさを求める人は臆病者だ
詩人たちは 言いました
使った詩
たそがれマイ・ラブ 作詞 阿久悠
恋人よ 作詞 五輪真弓
粉雪 作詞 藤巻亮太
シングル・アゲイン 作詞 竹内まりや
大空と大地の中で 作詞 松山千春
TOMORROW 作詞 岡本真夜 真名杏樹
贈る言葉 作詞 武田鉄矢
昭和歌謡曲にはドラマがある
令和6年10月1日
心幸