世界に一つだけ
知らないということは、恐ろしいことだ、そしてまた幸せなことだ。
言葉も時代と共に変化して行くものだが「唯我独尊」というお釈迦様の有り難い言葉を取り違え独り歩きさせ平気で「自分が世界で最も優れているの意」なんて書いているものを目にして哀しくなる。
「天上天下唯我独尊」釈迦が生まれて7日目だかに歩き出し言ったとされる言葉は、自惚れの身勝手な意ではなく、「唯だ、我、独(ひとり)として尊し」だ、歪んでものを捉えない人であれば、これは、世界に唯ひとつだけの我という存在(命)は尊いと言っているのだと分かるだろう。「我も人なり、彼も人なり」であれば、我の命も彼の命も天上天下に唯ひとつきりの尊いものであると言っているのだと分かるだろう。
それをイキった漢字好きのヤンキーが「俺が天下とったる!」「この世で一番俺が強いんじゃあ~」と威勢よく旗印に掲げて走ったものだから「俺最強」「無敵」なんて使われ独り歩きし始め、それを真似した一部の屁理屈王たちが否定して使う時に使う様にしてしまいましたが、本来はお釈迦様の言葉であり、普通に学問を修めた一般人歳上の家族や上司様々な人の中で揉まれた人なら、独り善がりの自惚れの言葉ではないことは、字をじっくり読めば理解できます。
「天上天下唯我独尊」さらに勉強すれば、
「一人ひとりかけがいのない命であり、そのままで尊い」と唯一無二の存在であると言っていると分かります。そして、お釈迦様は、それと同時に「三界皆苦」と続けます。これは「人生は苦なり」という意味です。「三界の獄」とも言われ「人生は四苦八苦」となります。四苦八苦とは、生、老、病、死のことで命が平等に与えられたという意味を表します。
「天上天下唯我独尊」とは、一人ひとりが生きているままで尊い、苦しみながら、老いて、病にかかり、そして死ぬ、、そのままでいいんだという、世界に一つだけの平等に与えられた我唯ひとつきりの尊い命と言っています。
少しお釈迦様の言葉の本を紐解くと見つかる話ですので、日本人なら覚えておきたいですね。
令和6年9月9日
心幸
胸の鼓動
彼は生まれてはじめてのその早鐘を打つような胸の鼓動を恋であると気づきながら否定しその相手を下に見て賢り正義中毒のお硬い先生のように批判するくせに、つけまわしては嫌われていることも理解できずに愚かにも守ってやるよなんて思いあがっていた。それは推しアイドルでも追いかけるアダルトチルドレンのメガネ豚のように。
そして、独りカーテンに月あかりの差す部屋で
顔にはスマホのブルーライトをあてながら今夜も胸の鼓動に苦しんでいた。
メンタルヘルスか?
アダルトチルドレンメガネ豚はメンタルヘルス先生を訪ねた…はじめての胸の鼓動を持て余す。
「先生奴は悪魔なのか?僕を苦しめる」アダルトチルドレンメガネ豚は息を荒げてメンタルヘルス先生に問い掛けた。
「それは、恋だよ、利己的な」
「自分の思い通りにならないと苦しい、苦しめられていると錯覚する傷つけられていると誤解する、被害者妄想の恋だよ」メンタルヘルス先生は答えた。
アダルトチルドレンメガネ豚は、そうなのかと汗ばむ手を握り締めたが、どうにも胸が苦しい。
「先生、これは恋なのか?」
アダルトチルドレンメガネ豚の声はかすれていた、額には脂汗が滲んでいた。
メンタルヘルス先生はアダルトチルドレンメガネ豚の脈を取りながら、「いや、ちょっとまて、これは心筋梗塞の発作のようだ、君、救急車だ!」メンタルヘルス先生は看護師に救急車を呼ぶように指示をした。
胸の鼓動を、未知との遭遇の恋と思い違った
アダルトチルドレンメガネ豚は血の気の完全に引いた顔で倒れた。
胸の鼓動には、気をつけて、恋も心筋梗塞も
命とりになりかねません。
批判一切受けつけませんの毒舌ネタの回
令和6年9月8日
踊る時を告げる
「私が踊る時」を告げる黄泉の帝王
飛ぶがいい かもめよ
誰?あなた
嵐の夜も傍にいよう
私はもう一人で飛べるわ
自由になるのよ
俺だけが自由を 与えることが出来る
あなたが 自由を
やっと 歩き出した
私だけの道を 邪魔しないで
どんなに強く 拒んでみせても
いつか俺を求める
手を取って 俺と踊るんだ
俺が望む時に 好きな音楽で
踊るなら 命果てるその時でも
一人舞う あなたの前で
お前には俺が必要なんだ
歩いて行けるは 一人でも
もうすぐ歩み出す人生を
愛し始めたの人生を
踊るなら 選んだ相手と
踊りたい時に好きな音楽で
踊るなら この世終るその時でも
ただ一人 愛する人と
踊るなら 全てはこの 私(俺) が選ぶ、、
ご存知「エリザベート」の一節
死神も皇后エリザベートもなんと言う身勝手さと高慢さで笑う、と言うか死神の根拠のない自信は何処から?と想うが、死神は皇后エリザベートその人なのであると分からなければならない、でなければこの物語はドラマチックではない。常に自由を心の解放を求め続けた孤高の皇后エリザベートの最後のダンスの相手は鏡の中の皇后自身、湖面に映った自分の姿に恋したギリシャ神話のナルシスのように、自由を求めた孤高の皇后は鏡の間でその艷やかな髪を何時間もかけ結わせ鏡の中の自身に孤独の癒しを求めた。
踊る時を その時を告げるのは
魂の解放と自由を求め続けた孤高の皇后最後の時でなければならないのだ。
死神よ死ぬ時は 一人舞うなのだ。
高慢で身勝手でだからこそ美しく人を引き付けてやまない、悪魔のような主人公たち。
だからこそ物語なのである
だからこそドラマチックなのだ。
満点のそつのない生き方の
優等生は物語には不必要
それが、物語の読み方だ。
ぼくらは 欠片を探してる
足りない 欠片を探してる
足りない 欠片は面白く
足りない 欠片は美しく
そして、足りない欠片は優しい…。
物語は いつも足りない欠片を探してる。
それに気づくと物語は楽しく優しいく
読むことが出来る。
読書力という 物語と踊る時 その時を告げる
秘密の秘訣だ。
令和6年9月6.7日
心幸
貝殻
丘の斜面から海を見おろす
夏の忘れもの
日焼けの跡と
白い貝殻を耳に当て
ふと、あなたの声が聞こえた
遠い、深海の奥深くから
低い夕日が、届くかしら
あなたの 眠る海の底まで
真っ暗ではありませんか?
孤独で寂しくありませんか?
遠い遠い異国の海の奥深く
舞って散ったあなたを想います
白い貝殻を耳にあて
丘の斜面にはコスモスが揺れて
秋の訪れ
日焼けの跡は
暑かった夏の焼け跡
ふと、最後に見た街を思い出す
遠い、荒野の彼方から
低い夕日が、赤く差すから
あなたの 眠る大陸まで
真っ赤に染めて行くから
苦しくはありませんか?
遠い遠い異国の彼方に響く
地響き怒号の中に散ったあなたを想います
白い貝殻を耳にあて
ここに静かに眠りたまえ
君の清らかな御霊を
私たちは忘れてはならない
この、自由も平和も
可愛らしい貝殻も
あなたの、永遠の悲しみが
遺し与えてくれたものだと
若い英兵たちの眠る
海よ大地よあなたの悲しみを忘れない
当たり前は当たり前ではないことを
決して忘れないと誓います
白い貝殻を耳にあて
来年は昭和100年、戦後80年
二十歳で海に散ったあなたは100歳に
守られた彼女も100歳に
彼女とあなたのあなたが抱けなかった
息子が83歳になりあなた達の元に逝きました
その息子の息子が還暦になり息子の息子の息子は親になりました
全部全部、二十歳のあなたが守ってくれたものです
あなたの生きたかった明日を忘れない
白い貝殻を耳にあて
戦がやって来た遠い海を想い
今の平和に感謝します
有り難う あなた
あなたのことを 忘れません
この小さな貝殻と共に
令和6年9月5日
心幸
些細なことでも、きらめき
ギラギラ太陽が 燃えるように
はげしぬ火をふいて 恋する心…♪
あなたの一挙手一投足が
些細なことでも きらめいて
溢れる言葉は 宝石のよう
じりじりと暑い夏に
ギラギラときらめいた
じれったいじれったい
つめたくされて
秋風かんじて 風は秋風
みんな、真夏の夜の夢
ゆらゆら ゆれて消えるの
なぜ、なぜ 素知らぬ顔
いつ、いつ なぜ、なぜ…
あなたの嘘など聞き飽きた
いかないでと言うかわりに
深呼吸ひとつして
夕立の中走り出すわ
些細なことでも きらめいた
あなたとの時間が消えてゆく
些細なことで 疑心暗鬼になり
きらめきは 消え去った
輝くものは輝きのままにとどまらず
令和6年9月3.4
心幸