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8/22/2024, 1:43:51 AM

さよならを言う前に
鳥のように
あなたの空を飛びたい

あなた達の空を飛びたい
鳶のように天高くから
燕のように霞むような速さで

あなたの空を飛びたい
永遠のさよならを言う前に
直ぐ側を羽ばたくように

やがて 遠くに
あの 雁のように
夕焼けに消えて逝くまで…


令和6年8月20.21日

心幸

8/19/2024, 11:41:03 AM

空模様

雨が降った、最近日がずっと短くなって、この雨が初秋を連れて来たように駆け足で夏が過ぎてゆく、暑かった夏の名残りは何年ぶりかの日焼けのあとだろうか…、日焼けもせずに青白い顔でいるから、自分の店も他人の店も分からなくなるのか?そもそもここはお前の店か?お前の我の通るお前の法律が通るお前の店か?よーく考えろ? 世の中はお前をイライラさせない為に存在なんかしていないんだよ笑笑

自分に耳障りの良い言葉だけを良い言葉だなんて知ったこと言うな。意味の分からない言葉はシャット・アウトなんだから仕方がない。

「バカの壁」って知っているか? 下町の商店街のおばちゃんの言葉だと文句つけるけど東大卒の学者先生の言葉ならどうだ、「バカの壁」人間は自分の価値観や立場意見の反対にはバカの壁って壁をつくるらしい、例えば右は左を馬鹿だと言い左は右を馬鹿だと言う、年寄と若者の間にも東と西の間にも共産主義と自由主義の間にも独裁主義と民主社会の間にもバカの壁が有るから話は永遠に通じない。まず、そのことに気づけと言う、それが大事なのだと学者は言う、つまり正義の反対はもうひとつの正義ってことだ、それ分かんなきゃ永遠に自分の反対は馬鹿でイライラしかしないから聞くのも観るのもやめた方が良いが、他人様に消えろはいくらなんでも独裁主義だと気づかなきゃならない、仮にも表現の自由の保障された自由主義の国だ、ここはお前の店でもお前が法律の世界でもない。

空模様は明日の天気は我々に決められないのと同じで、お前の都合で世の中は色を方向を変えないと理解する力を持て笑笑


令和6年8月19日

心幸
  


8/18/2024, 1:23:54 PM



君の心はひび割れたビー玉のようだ、覗き込めばこの世が逆さまに映り君は欲しいものを渇望を否定し批判することで自分を守っているね、あれだね、ムーミン谷のお寂し山に住むというオロオロ、心が冷えていて愛だとか情けだとかそういうものが近寄るとその炎を消してしまうというやつだ。

そしてまた山に引きこもって独りが良いさと独り善がりに嘯いて、正義の味方気取りで裁いて石を投げるね投げた石は鏡に当たって鏡が割れる、そこに映る君の顔は歪んでいる。
根っ子まで冷え冷えと凍てつきボロボロと砕け散ってしまうのかい? 君はね、自分がブーメランを投げて自分に刺しているよ、君が批判して割れた鏡に映っているのは君だよ、名前無しカオナシさん。

名前無しのカオナシの気安さで無責任な正義の味方気取りで、他人の一生懸命や他人の好きに唾吐きかけていたら、ブーメランじゃなくて、君自身が閻魔様の前で舌を抜かれる気をつけたまえ。正しく優しく有りたいのだろう? 
僕はね、君のように正しく有りたいとも優しく有りたいともあまり強く思はないんだよ、それよりもっと大切なことが有ると知っているから。

お寂し山のオロオロは、自らが自分を寂しい奴だ、つまらない奴だと知ることで知りすぎることで、ムーミンが、たった一人見せた彼への温かな言葉に心の氷を溶かすことが出来たんだ、ようは受け取り方受け取る心なんだよ、言葉も物語も文章もドラマも…好き嫌いは人間だもの有るけど、そう思うこと大事だよね。

親はいないから愛情不足になるのではない、親が居たって愛を受け取れない子は愛不足だそんなことも判らない? 親が居なくても代わりになる愛に恵まれた子は愛情を受け取るコツを覚えるが、親が居たって愛情を受け取れない子はいつまでも愛情不足だって泣くんだよ。受け取るのは、自分自身だ。

ここに昔のドラマの話を書こう
ある青年は、母親に捨てられたその母親は、まだ乳飲み子のその子を兄夫婦に預けて別の男と駆け落ちした。兄夫婦はその子を自分たちの子供たちと別け隔てなく愛情注いで真の親子兄弟のように育て25年の歳月が流れ、立派な青年に育った彼の元に実の母親から手紙が届いた受け取った育ての母親は差出人を見て胸が騒いだ我が子のように育てた青年の実の母親の名前だったからだ、けれど育ての母親は、そのままその手紙を青年に手渡した、もう25才になっている息子だ、判断はこの子に任せようと思ったのだ。青年は、義母から渡された手紙の差出人を見て突き返そうとしたが義母に遮られポケットの中に手紙を入れた、そして、その手紙を同居する義母の親友のシングルマザーに預かって欲しいと頼み手渡した、困った義母の親友だったが親友とその息子の関係を知る彼女は引き受けその手紙を預かった、そして夫の仏壇の引き出しに仕舞ったのだが、それを一人娘が見つけてしまう、娘は仄かに彼に好意を抱いていたものだから、宛名に彼の名があることで咄嗟に差出人を見てしまう、そしてその名前が女性名であることに、ひどく傷つき狼狽し偶然帰ってきた彼を問い詰めてしまうのだった、詳しい理由も聞かずに責められた彼は腹立たしさ紛れに手紙を破いて燃やしてしまうのだった。一部始終を娘から聞いた彼女の母親は、娘を怒鳴りつける叱られた意味が分からず憤慨する娘に母親は、

「どうして、彼が自分を捨てた母親からの手紙を母さんに預けたかその心を想像したことはあるかい?」と問うた。
「そんな、我が子を捨てる親の手紙なんて」
と、娘が言うと母親は 「じゃあ、お前ならそれで良いかい?後悔しないかい?少しでも気になったから渡されて直ぐ破り捨てずに、母さんに預けたのかも知れないと思わないかい」と娘に尋ねた。

娘は黙って俯いて灰になった灰皿の手紙を見た
母親は続けた、「常識や正しいこと悪いことを越えるのが人の心なんだよ、それを救うのが情けなんだよ」…みたいなやり取りをする。

遠い昔の大正生れのお母さんの話。

この物語は大好きで一説丸暗記しているってやつ、私は、この心を日本人のアイデンティティの故郷だと思っている。

この物語は祖母を思い出すからだ。


令和6年8月18日

心幸





 

8/17/2024, 10:53:12 AM

いつまでも捨てられないもの

「誇り、気位、情け」
「親、家族、仲間」
「愛と勇気と明日食べるに困らないくらいのお金と」


誇らしく思うもの

「生きているだけで丸儲け」
「裸で生まれて来て、洋服一着自分の甲斐性で自分に着せることが出来たら人生勝ったも同然」
「最後に、お気に入りの洋服着せてもらって棺桶に入れてもらえたら人生圧勝」と、思っているので恥じることも僻むこともないということが唯一無二誇らしく思うこと。

つべこべ常識、正論、説くんじゃないそんな奴は自分で生きたことのない世間知らず。

常識正論を越えるものが人の心
それが情けだなぁ〜(笑)


令和6年8月17日

                 心幸

8/15/2024, 3:19:49 PM

夜の海

海岸に女がまだ小さい4才から5才と思われる女の子と小学1年生くらいの女の子の手を引いて背中には1才くらいの、これまた女の子を背負い立っていた、いや、立ちつくしていた。

「どうしたの、お母ちゃん、帰ろうよ、お母ちゃん」何かしら重苦しい空気を感じてか小学1年生くらいのお姉ちゃんが女の顔を見上げて手を引っ張った。

それでも、女は娘の手を握り前だけを見つめて歩を進めていた。無心のような虚無のような虚ろな瞳は夜の海をの遥か向こうに行先を見失わないようにと立てられている灯台の赤い灯りだけを追っていた。

夜の静寂は波音を不思議なほど響かせていた。
寄せては返す漣。女は草履を脱ぎ揃え、両腕に子供たちを抱えようとした、その時上の小学1年生くらいのお姉ちゃんが、「駄目、お母ちゃん駄目、帰ろう家に帰ろう」と叫んで母親の手を無理やり引き泣くように叫んだ、つられてもう一人の脇に抱えられていた4才か5才くらいの女の子も泣き出し背中の子も泣き出した
三人の娘に泣かれて、ようやく我に返った女は裸足のまま砂浜から堤防へと引き返した。ようやく子どもは泣きやんだ、いちばん上のお姉ちゃんが女の足元に草履を揃えて置いた黙ってその草履を履き子供たちの手を握りしめた、今度は力強く女から母親に変わった目をしていた。

二人の娘の手を引き背中にはさっきまで火がついたように泣いていた妹はスヤスヤと寝息をたてている、その正直で無垢な温もりを感じ母親は微笑んだ、両手を握っている娘たちは安心したように微笑みこえをたてて笑った。

夜の海を背中に母親は二人の娘の手をひき、背中にも娘を背負い「七つの子」を口ずさみ帰った、「お母ちゃん、夕方じゃないよカラスがお家に帰るのは夕方でしょ」そう母親を見上げながら問う妹の言葉に3人は声をあげて笑いながら帰った。

家に帰ると、まるで何事もなかったように静かで、座敷には末の娘が眠りその隣に姑が眠っていた。

二人の布団をなおし、上のお姉ちゃんたちには静かに寝るように促し、背中に背負っていた子を布団に寝かせ、母親は、まだ真新しい夫の遺影に手を合わせた。

夫が南方から復員して来たのが一昨年夫は両手は肘の上から両足は膝下から欠損し帰って来た送り返されたのだ、毎日ダルマになった息子を世話をするのは夫の母である姑、彼女は女だてらに力仕事に出た、家族の生活が彼女の背中にズッシリと掛かる中、相次いで彼女は妊娠する、してしまう。近所の口さのない裁くのが好きな者たちは、囁きあった「あの体で、よくやる」そんな中、昭和20年8月15日を迎えた。

それから、3日後、昭和20年8月18日彼女の夫は農薬を煽り死んだ、身勝手な夫の理不尽な死その姿を目の当たりにした、姑は気を病み正気に戻って来れなくなった。

彼女は嫁であること、母親であることから発作的に逃げ出したくなり上の子たちの手をひき、末の子と、正気を失くした姑を家に残して夜の海に立っていた。別に無理心中を考えた訳ではないただ楽になりたいと思った、どうして私ばかりと思ってイライラと全てを否定し正気を彼女もまた失ったのかも知れない。

けれど、娘たちが女を母親に戻し正気もとり戻させた。女は母となり時代に立ち向かう決心を夜の海を背中にした。

今から、丁度79年前だ、日本には、そんな女がいた、時代、国自分の生きる場所を選ぶことが容易く出来ない時代がこの国にもあったことを忘れてはならない…。

子供の頃、よく祖母が話してくれた、祖母が見た戦争の話であった。

79回目の夏に寄せて。


令和6年8月15日

                 心幸 


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