夜の海
海岸に女がまだ小さい4才から5才と思われる女の子と小学1年生くらいの女の子の手を引いて背中には1才くらいの、これまた女の子を背負い立っていた、いや、立ちつくしていた。
「どうしたの、お母ちゃん、帰ろうよ、お母ちゃん」何かしら重苦しい空気を感じてか小学1年生くらいのお姉ちゃんが女の顔を見上げて手を引っ張った。
それでも、女は娘の手を握り前だけを見つめて歩を進めていた。無心のような虚無のような虚ろな瞳は夜の海をの遥か向こうに行先を見失わないようにと立てられている灯台の赤い灯りだけを追っていた。
夜の静寂は波音を不思議なほど響かせていた。
寄せては返す漣。女は草履を脱ぎ揃え、両腕に子供たちを抱えようとした、その時上の小学1年生くらいのお姉ちゃんが、「駄目、お母ちゃん駄目、帰ろう家に帰ろう」と叫んで母親の手を無理やり引き泣くように叫んだ、つられてもう一人の脇に抱えられていた4才か5才くらいの女の子も泣き出し背中の子も泣き出した
三人の娘に泣かれて、ようやく我に返った女は裸足のまま砂浜から堤防へと引き返した。ようやく子どもは泣きやんだ、いちばん上のお姉ちゃんが女の足元に草履を揃えて置いた黙ってその草履を履き子供たちの手を握りしめた、今度は力強く女から母親に変わった目をしていた。
二人の娘の手を引き背中にはさっきまで火がついたように泣いていた妹はスヤスヤと寝息をたてている、その正直で無垢な温もりを感じ母親は微笑んだ、両手を握っている娘たちは安心したように微笑みこえをたてて笑った。
夜の海を背中に母親は二人の娘の手をひき、背中にも娘を背負い「七つの子」を口ずさみ帰った、「お母ちゃん、夕方じゃないよカラスがお家に帰るのは夕方でしょ」そう母親を見上げながら問う妹の言葉に3人は声をあげて笑いながら帰った。
家に帰ると、まるで何事もなかったように静かで、座敷には末の娘が眠りその隣に姑が眠っていた。
二人の布団をなおし、上のお姉ちゃんたちには静かに寝るように促し、背中に背負っていた子を布団に寝かせ、母親は、まだ真新しい夫の遺影に手を合わせた。
夫が南方から復員して来たのが一昨年夫は両手は肘の上から両足は膝下から欠損し帰って来た送り返されたのだ、毎日ダルマになった息子を世話をするのは夫の母である姑、彼女は女だてらに力仕事に出た、家族の生活が彼女の背中にズッシリと掛かる中、相次いで彼女は妊娠する、してしまう。近所の口さのない裁くのが好きな者たちは、囁きあった「あの体で、よくやる」そんな中、昭和20年8月15日を迎えた。
それから、3日後、昭和20年8月18日彼女の夫は農薬を煽り死んだ、身勝手な夫の理不尽な死その姿を目の当たりにした、姑は気を病み正気に戻って来れなくなった。
彼女は嫁であること、母親であることから発作的に逃げ出したくなり上の子たちの手をひき、末の子と、正気を失くした姑を家に残して夜の海に立っていた。別に無理心中を考えた訳ではないただ楽になりたいと思った、どうして私ばかりと思ってイライラと全てを否定し正気を彼女もまた失ったのかも知れない。
けれど、娘たちが女を母親に戻し正気もとり戻させた。女は母となり時代に立ち向かう決心を夜の海を背中にした。
今から、丁度79年前だ、日本には、そんな女がいた、時代、国自分の生きる場所を選ぶことが容易く出来ない時代がこの国にもあったことを忘れてはならない…。
子供の頃、よく祖母が話してくれた、祖母が見た戦争の話であった。
79回目の夏に寄せて。
令和6年8月15日
心幸
8/15/2024, 3:19:49 PM