太陽
その昔ひとりの娘が太陽の神に恋をした。
ギラギラ燃えるジゴロ太陽神アポロンへの恋は、娘にとっては到底叶うはずない恋でした。
それでも、娘はアポロンが東の空に昇ってくるのをひたすら待ち続けます。
アポロンは天の道を神馬に乗り翔けます。
その姿を娘は追い続け来る日も来る日も西の空にアポロンの姿が見えなくなるまで追い続けるのでした。
そして、とうとう娘の脚は地に根づき肢体は茎に手は葉に顔は花になってしまいました。
娘は、向日葵になったのです。
向日葵の花言葉は「あなただけ見つめている」
あなただけ見つめている
出会った日から
今でも、ずっと
あなただけ、側にいれば
他に、何もいらない…と娘が歌ったかどうかは分からない。
けれど、季節も変わり
娘も乙女のままではいられない
茎になった、しなやかな肢体は
アポロンを追いかけて向きを変え
アポロンの方を向いて咲き誇っていたが
年を取り、茎が硬くなると動けなくなって
しまうのでした。
丁度、その頃
真っ直ぐに、アポロンを見つめ続けた
その顔も、茶色くなり、金髪の鬣のような
たおやかに娘の顔を包んでいた花弁も朽ちてしまうのでした。
もう、アポロンを追いかけて
見つめることが出来なくなった
その娘は、やがて脚から倒れて落ちて
大地に突っ伏して朽ちた肢体を晒すのでした。
それでも、娘は後悔しませんでした。
全身でアポロンを見つめ続けた、その日々を
思い返しなから、静かに微笑みながら土に帰るのでした。
それを、憐れんで見ていた大神ゼウス、アポロンの父は彼女に再び命を与えるのでした。
その朽ち倒れ土に突っ伏した顔から溢れた涙のような種を地中に埋めると、また娘は生まれ
アポロンが一年で一番長く天道を翔る夏の最中に一番美しい時を娘に与え続けたのでした。
娘は毎年アポロンが一番長く天道を翔る季節に花を咲かせアポロンを追いかけて見つめ続けるのでした。
嗚呼 私の太陽よ
私は、あなただけ見つめている
向日葵
ギリシャ神話 太陽と向日葵オマージュ
令和6年8月6日
心幸
鐘の音
その街の小高い丘に教会はあった、鐘を打つ女を見ると呪われると実しやかな噂がその街にはあった。その女は生後間もない頃教会の前に置き去りにされていた、見ると酷く哀しい顔をしていて笑うことも泣くことも出来ず顔の無い表情の無い顔には赤黒い月のような痣が顔半分から首筋に走っていた。通りを行く子供がその子の顔を見ては泣いたり石を投げたりした。みんな違ってそれが良いという御婦人に限って、そのみんなと少し違う容貌の少女をイライラした目で見つめた、そして自分の子供に近づけないようにし、「有り得ないよねあんな人、怖いわ」と言いふらし、教会の前に相応しくないとイライラをぶつけた。憐れんだ司祭が少女を、ひきとり教会の奥一番高いところにある鐘の側に少女を匿うように住まわせた。その日から少女は教会の鐘打ち女になりマントを被り街に時間を知らせる鐘を打つようになった。教会の奥の一番高いところから、何時も独り下界を眺めて、夜は青白く輝き姿を変える月に其々に名前をつけて見上げては溜息をつくように語り、窓の外に飾られている3体の像と遊びに来る小鳥だけが彼女の心を癒す友達であったのでした。
そんな彼女も、少女期を過ぎ毎日鐘をつきながら外の世界に憧れを募らせた。彼女は独りこの部屋で沢山の本を読み司祭の元勉強をしとても聡明で信心深く慈悲深い人に成長していた。だからこそ、司祭は彼女が外に出ることに良い返事をしなかった。
一年に一度の祭りの日彼女は独り意を決して外に出た。
外ではジプシーの女が踊りを踊っていた。
とても妖しくて美しくそして躍動感伝わる激しいリズムに負けることのないジプシーのステップと眼差しにマントを頭からスッポリ被った彼女は魅了され、自然に体がリズムをとっていた。ジプシーが彼女の元に歩み寄り手招きした彼女は戸惑ったが、ジプシーに誘われるままジプシーの手を取りステップを真似リズムに合わせて踊りだした。なんという弾けるような開放感であろうか、彼女は楽しくなって天を見上げた、その時顔をスッポリ隠していたマントのフードが取れた、ハッと思ったがジプシーは彼女のフードをさらに下げる、そしてもっと堂々と踊れと彼女に言った、持っているものを曝け出し堂々と踊れとジプシーは彼女を挑発した。
彼女はマントを剥ぎ取り、ジプシーと共に踊った激しく大地を蹴って踊った…遠巻きに見ていた群衆がはじめは二人の踊りに熱狂していたが誰かれとなく、鐘つき女の彼女の顔があらわになっていることに気づいて熱狂は怒号に変わった。中には石を投げる者もあらわれた。
気づいた司祭が鐘つき女の手を無理矢理引いて舞台から降ろしジプシーから遠ざけ、教会に連れ帰った、司祭は「こんなことになるからお前を人目に晒したくなかったのだ!」と激しく叱責し彼女をまた鐘のそばの教会の一番奥の一番高いところに閉じ込めたのだ、なんと慈愛に満ちた優しい司祭であろうか、司祭は自分だけが彼女の理解者で自分だけが彼女を人々の好機の目から守れると信じていた、そうして自分の慈悲の元でしか生きられない彼女を見ることで、その承認欲求を満たしていたのだ。
聡明な彼女はそのことを見破り自由に憧れ、マントを剥ぎ取ったジプシーにシンパシーを感じた、けれど小鳥が運んできた街の噂話では、ジプシーは人心を惑わせた魔女であるとして追われていると知ったのである。それでもジプシーは堂々とし、「私には恥ずべきことは何もない!」と言い、「私はジプシーだ踊りたい時に踊りたい人と踊りたい曲で私は踊る」と言い放って囚われたのであった。
鐘つき女は、泣き崩れ
ついに立ち上がる、司祭を突き放しジプシーの元に走った。
やっとジプシーの前に走り出た彼女は言った
「私は、もう自分を怖がらない自分の生い立ちを怖がらない自分の姿を怖がらない!私はわたし」
ジプシーは鐘つき女を指差し笑っていた
鐘つき女も笑っていた
最後に笑う人になれ!
令和6年8月5日
心幸
つまらないことでも
つまらないことなら言うなー!
つまらないことならするなー!
自分が、つまらない人にならないように
つまらないことを、わざわざ数えて探して
イライラしたとかするとか言うなー!
他人は貴女を気持ちよくするために生きていないし、地球は貴女を気持ちよくするために回ってない。
つまらないことでも、つまらないと思うものでも、楽しみ方を見つけること、たとえば置かれた場所がつまらんならそう試みる。
それでも、駄目なら自分の居場所は自分で決めろ!つまらんとイライラ探してイライラするとか言ってる間に、手離せばいいつまらないことにしがみついて、腐った顔して不平不満ばかり言ってみても、あんたの不満を解消するのはあんただよ誰でもないから。
最後に笑う人になれ
色々、あっても平気な顔して笑ってろ
最後に笑えれば、ワハハと笑えれば
人生圧勝。
令和6年8月5日
心幸
目が覚めるまでに
目が覚めるまでに、より多くのものを見て感じたい。
もしかしたら、この一生が長い夢であり、目覚めると私は神の前にいるのではないか?神とは誰か、誰でもない自分の内なる宇宙それが神
「語ってみよ、見たもの全てを」
内なる宇宙である神の問いかけに、なんと答えれば良い?目に映るもの全てを批判して自分を気持ち良くさせるものだけが正しく全てでしたと言えば良いか?
韓国人の感覚と日本人の感覚は違う当たり前にハリウッド映画は欧米人の感覚なので日本人のそれとは当たり前に違うし、フランス映画のフランス人の恋愛感覚は日本人とは違う、イタリア人も違うって当たり前の君の好きなみんな違ってそれがイイをどうして自分の物差しにあてて、イライラとか身勝手な独り善がりのことを言うのか?馬鹿なのか何時も自分は特別で自分のことは棚の上なのか?我儘な幼稚園児なのか?
ただ、嫌いなだけでしょうが?自分が許せないだけでしょうが?それに正しさとかありますか?馬鹿げてる。好きが嫌いか言うだけのことに日本人らしさとかいう言葉出すな! だって日本人が書いた日本人の物語だって自分が嫌いならイライラするくせに、なにをアイデンティティ持ち出してくれちゃってんだろ(笑)
目が覚めるまでには
他人に指した人差し指を自分に向けることが出来ると良い。そうすれば、悲しみで一瞬にその髪が白髪に変わるそんな人の悲しみも心に深く遺る愛した人の面影の幻影を見る悲しみも想像つくだろうから、せめて目が覚めるまでにそれくらいにはなってくれ。
令和6年8月3日
心幸
病室
彼女は、毎日病室の窓から向かいの病棟の外壁に絡まり伸びる蔦の葉を見つめている日々。一枚ずつ散っていく蔦の葉と自分の命を重ね 「最後の一枚が散ったら、わたしも死ぬんだわ」と呟く。そんなジョンシーの呟きを売れない絵描きは聞いた。
そんな絵描きは、人生最大の一枚を描き上げる決心をするのであった。
彼女が病室の窓から、自分の命を重ね見つめていた蔦の最後の一葉は、次の日も次の日も、その次の日も、嵐が来ようとも散らなかった。
彼女は、この生命力に満ちた最後の一葉に励まされ、少しずつ体調を回復させた。
やがて、彼女の病気は全快し病室から動き出せるようになった。嬉しさに彼女は活動的になり病室の窓から、蔦の最後の一葉を見つめることもなくなった。
退院が決まった日、ふと病室の窓から外を見つめた… 「あの最後の一葉は何故散らないのかしら」窓際に近づいて目を凝らしてよく見るとそれが絵であることに彼女は気づいて驚いて尋ねた、病室に居た黒い服を着た老人が「あの絵は、貴女のために描かれました」そう言って、彼女の前に歩み寄った。
生きる希望を無くして生気を失いかけながら、絡まる蔦の最後の一葉を見て呟いた言葉「最後の一葉が散ったらわたしも死ぬんだわ」その言葉を呟いた時の目とはまるで違う力強く生気に満ちた目で彼女は問うた。
「どういうこと?」
黒い服を着た老人は、売れない絵描きがこの病室の扉の向こうから、来る日も来る日も彼女を見つめ、窓際のベットに座り壁に絡まる蔦の最後の一葉を見つめ溢した言葉を聞いたことを打ち明けました。
そして、その売れない絵描きが嵐の夜に描き上げたのが、あの蔦の最後の一葉だと話しました。
彼女は胸をつまらせ、カーテンを掴んだ。
「わたしは、この散らない最後の一葉にどれほど励まされたことか、是非お会いしてお礼が言いたいわ」そう言った彼女に黒い服の老人は首を横に振りました。
「絵描きは、この絵を描いた2日後に肺炎を拗らせ亡くなりました」
けれど、嵐の中この絵を描いたことが原因だとは言いませんでした。けれど、彼女は察して泣き崩れました。
老人が言いました。
「わたしは、貴女には彼の存在を知って欲しかった、絵描きはそのことを望んでいないかも知れないが、わたしは、貴女に絵描きの真実を迷惑でしょうが知って欲しかった、それが絵描きのこの最後の絵を最高傑作にするのだとわたしが信じたからです」
彼女は、涙をふいて「わたしは生きます、わたしのために描かれた最後の一葉に誓って」
胸に手をあて彼女はキッパリと言いました。
朝露に濡れた、最後の一葉の絵はキラキラと光っていました。
オー・ヘンリー著書
「最後の一葉」オマージュ。
心幸