楽園
みどりなす自然の息吹
悲しい光を秘めた純金
芽吹く葉は花ひとつ
だが それもたまゆら
やがて葉は葉として落ち
その時エデンの園にも
悲しみは訪れたのだ
かくて 夜明けは
日に移る
輝くものは
輝きのままにとどまらず
S . E . ヒントン 「アウトサイダー」
わたしたちは、悲しみも苦労もない楽園に暮らしていました。
神の用意した住まいに兄弟姉妹と共に
弟は父に愛されていた
兄は父の愛に渇望し悲しみと嫉妬を知った
姉妹は美しさを競った
神は人は独りでいるのは寂しかろうと助け合うものを創ろうとしましたが、助け合いとともに争い合うものも人と人とは創ってしまわれたのでした。
独りの男の肋をとってつくられたもう一人の女彼と彼女は幾人もの兄弟姉妹を産み助け合いましたがまた争い合うことも覚えてしまったのです。
独りの男と女は最初エデンの園という神が用意した楽園に暮らしていました。
エデンの園には美しい木や、実のなる木が沢山あり、美しい水の流れる泉もありました。そしてエデンの園の中央には「善悪を知る木」がありました。
神様は二人に「園にある木から好きな実をとって食べなさい。ただし善悪を知る木の実は決して食べぬように」と言われていたのでした。何不自由なく美しい楽園の中純真無垢な男と女は生まれたままの姿で、神様との約束を守り暮らしていました。
ところが、ある時悪魔から知恵を授けられた白いヘビがやって来て、女に「神様はどの木から実をとって食べてはいけないと言ったのかい」と聞きました。女は答えました「いいえ、どの木からもとって食べなさいと仰いました。ただ善悪を知る木の実は決して食べてはならぬと仰いました」ヘビは女の耳元で囁きます「善悪を知る木の実を食べると神様のように善悪が分かるようになるんだよ!神様は君たちが神様にならないように善悪が分かる木の実は食べちゃいけないと仰っているのさ、分かるかいこの意味」
女はその真ん中にある木の実が、それはそれはとても光輝いて美味しそうに見えたのでした。そしてまた、食べると神様のようになれるという白いヘビの言葉をおもうのでした。
そうして、羨望という思いを知ってしまうのでした。
女はついにその善悪を知る木の実に手を伸ばして男と共に食べてしまうのでした。
善悪を知る木の実を食べた瞬間、男と女は互いに裸でいることを知り恥じらいを知って体を隠すようになりました。
神様は二人に「食べたのか?」と尋ねました。
男は女に勧められたと言い女は白いヘビに勧められたと言いました。
こうして二人は言い訳を知り神様は「女、汝これから先子供を産む苦しみを知るだろう」「男、汝 これから一生戦い凌ぎ合い続けるのだ」
こうして男と女はエデンの園を追放され、2度と楽園に戻ることは許されず、二人の子孫たちは、凌ぎ合い競い合い戦い続ける道に生きることになるのでした。
善悪とは悲しみを知ることなのかも知れません。楽園で生きていた頃は知ることもなかった善悪は楽園の外に溢れていました。
これが最初の罪と罰でした。
旧約聖書 「創世記」引用
2024年4月30日
心幸
風に乗って
風に乗って君はまた僕の肩に降り積もりにやって来た。数ヶ月前「あなたの肩に降り積もる雪になりたい」と囁いた君は深々と静かに降り積もり僕の肩を白くしてやがて消えた。
外套の肩先に君の涙の跡がいつまでも残っていた。
「今度は消えない姿で戻っておくれ」
僕は外套に残った君の涙の跡を撫でながら呟いた。
やがて、春が来て風に乗って君は戻った。
今度は薄紅色の羽衣を纏って
ハラハラと僕の肩に降り積もる
「今度は雪じゃないから消えないは」
彼女の子供のような声が僕の耳に届いた。
僕は肩に止まった薄紅色の彼女を掌に乗せて
「おかえり」
そう、呟いて
肩に舞い降りた桜の花弁をそっとハンカチに包んだ。
いつまでも一緒にいよう
君降る午後
2024年4月29日
心幸
刹那
その潮を見る為に自ら罠に落ちる
彼女はそんな遠い潮の誘いを聞いた。
激しく早い性急な本性に必死に抗う彼岸の彼女は今その流れの境目で本性の流れに巻き込まれる刹那を目の当たりにする。
渦潮は生まれ、その時彼女の小さな白い身体は渦潮に餐まれる刹那に身を任せ遠くに潮の音と匂いのような祭り囃子の男踊りと女踊りの足音を感じながら静かに眼を閉じ身を任せた。
揺れ動きながら
刹那な潮は彼女の全身を電流のように駆け抜けた。
身悶えするような
刹那な一瞬に酔う
春の渦潮クルージングツアーの船酔い・・・。
2024年4月28日
心幸
生きる意味
生きることに意味などあるのか
生きたことに意味があるのではないのか。
生きる前から
生きる意味など考えるから
生きることが辛くなるのではないのか
生きる前から
生きることに意味など探すな
生きるために生きろ 必死に生きろ
必ず死ぬから
必死に生きろ
必ず死ぬなら
必死に生きろ
生きることに意味などない
生きたことに意味がある
だから もしも
生きる意味が知りたいならば
生きろ
必死に生きろ
生きたことが生きる意味だからだ!
2024年4月27日
心幸
善悪
「Passion」
そりゃあ悪魔は醜く汚れていて不遠慮で下品で粗雑で薄汚れた身なりをしていたなら分かりやすくて良いだろう。
悪魔は美しく清らかで遠慮がちで上品に丁寧な仕草や口調で近づくものなのだろう。
悪魔は神よりも優しくて上品で丁寧で整えられた身なりをしていなければならないでなきゃ騙せないでしょう。
正直者の詐欺師そんなもの商売あがったりです。詐欺師は優しくて寄り添い上手の聞き上手でなければなりません。
善悪もきっと同じ
善は悪よりもきっと汚れていて悪は善よりもきっと無垢なはずです。
天使も子供も残酷で悪魔は優しくて甘美だから騙されてしまう。
善行を積むには
騙されて汚れて悪のナニかを知っていなければならない。
優しく愛情深い人はより傷つきより汚れていて美しい。
正義の味方の手は誰よりも血で汚れていなければならない。
イエス・キリストは私たちの汚れた罪を背負って十字架にかけられました。
自分のかけられる十字架を背負い弱く愚かな私たちの脇を通り過ぎてゆく私たちの罪を背負って汚れず綺麗なままのものに善行は決して出来ない。
悪を知り善を知るのだろう。
2024年4月26日
心幸