「桜散る…いつかのきみへ」
実家の前の古寺に大きな桜の木が立っている
明治生れの彼女の写真にもう今と変わらぬ姿で写っている、その木は大層なお歳だ。
そう想いながらその木が花弁を散らすのを見ていた。
そういえば生まれたばかりの彼女を抱いた彼女の父が、その危なっかしい手つきで彼女を抱いていた日も木は花弁を散らしていた。
彼女が乳母車に乗ってやって来た日も
ランドセルを背負ってやって来た日も
セーラ服を着てやって来た日も
振り袖を着てやって来た日も
そして
おんぶ紐をしてやって来た日も
夫と息子の入った白い箱を抱いてやって来た日も…。
独り泣きながら
桜散る姿を見上げに来た日も
両手に子供の手を携えて
やって来た日も
大きなその桜の木は
そこに立っていて
見上げる彼女に
花弁を散らしていた
泣きながら見上げたり
微笑みながら見上げたり
微笑み合いながら見上げたり
また、独り見上げたり
苦しみながら見上げたり
腹立ち紛れに見上げたり
彼女は何度も何度も
桜の木の下から
花弁が舞う姿を
眺めていた
やがて月日は流れて
彼女が召され
土に帰り
その木の下で眠りにつき
春が来て
彼女は花弁になって
私の肩に舞い降りた
「おかえり」
彼女の声を
私は確かに聞いた
桜散る午後
久かたの 光のどけき 春の日に
しず心なく花の散るらむ 小倉山荘
2024年4月17日
心幸
夢見る心
不来方の
お城の草に
寝転びて
空に吸われし
十五のこころ
石川啄木
一握の砂にある啄木の詩歌である。
抒情的で繊細な思春期の心を詠んだ詩で100年以上が経った現代でも思春期の普遍性のようなものを感じることが出来る。
現代「厨二病」なんて言葉を使ってこの思春期を下げる若い人たちがいる。実際自分がその只中にいると他人の感傷的な心に嫌気がさしわざわざそんな言葉で傷つけるという、どちらが厨二病だといった言動をとる。
厨二病は素晴らしいですよ、デリケートでナイーブで誰もが詩人になれる時です。
この石川啄木の詩歌も色々な先生方が解説しますが、感じ方なんて自由じゃないかと空を見上げ寝転ぶ十五歳の心は語っているように思います。
実際不来方の城は何処の城でも良くて、自分の故郷にはひとつかふたつくらいは城もあるだろうから、その城でも思い出し草原に寝転んで空を見上げた時の心を感じろと言っている。どう感じるかは自由だが、空に心なんかどうやって吸われる?なんて野暮な話はするな、吸われそうになる心を感じろと言っている。
夢見る頃を過ぎても
夢見る心は
置いておきたいものだ
心のどこか奥の方に…。
2024年4月16日
心幸
届かない想い
揺れる想い体じゅう感じて
君と歩き続けたい in your dream
夏が忍び足で 近づくよ
きらめく波が 砂浜潤して
こだわっていた周囲(まわりを)全て捨て
今 あなたに決めたの
揺れる想い体じゅう感じて
このままずっとそばにいたい
青く澄んだあの空のような
君と歩き続けたい in Your dream
・・・(笑)
届かない想いと聞いて
この歌を口ずさんだ。
坂井泉水ちゃんは永遠の恋敵であるのだ
今もなお色褪せない君は
彼の永遠のアイドル
この歌を嬉しそうに聴く彼に
「そんなにイイかなぁ」とか言ったのは恥ずかしい想い出だ。
何故、そう言ったのかは
届かない想いの方が最早良い。
青年はおじさんになり
今でもたまに嬉しそうに
この曲を聞いている
「懐かしいね、いい曲だよね」とか言ったら
「昔は、好きじゃないとか言ってたくせに」と返された。
覚えてやがるこいつ
「そうだっけ?そんなこと言ったかな」
その想いは、届いていたのか届いていなかったのか? その心は確かめなくていい。
今、この現実がここにあるから。
揺れる想い体じゅう感じて
君と歩き続けたい
in our dream
届かない想い
揺れる想い
届けたいけど
届かないと思った想いは
きっと届けることが出来る
想ったのは
自分だから
決めるのは
自分だから
届かないじゃなく
届けたいと
想へば気持ちは届く
2024年4月15日
心幸
神様へ
神よ私はこの大いなる試練に負けません
生き抜いてみせます
スカーレットは全てを失い故郷タラの土を握りしめて、すっくりと立ち上がり神に向かって拳をあげる。
大好きな大好きな映画のワンシーン。
戦うものの
歌が聞こえるか
鼓動があのドラムと
響き合えば
新たに熱い
生命が始まる
明日が来たとき
そうさ明日が…
レ・ミゼラブル
あゝ無情
神よ
私は、あなたに復讐すると誓いました。
あなたのくれた
十字架と試練に私は笑って応えます。
必ず
最高の復讐はより良く生きること
私は、あなたに復讐します。
どんな十字架も私を試すための苦難も
少し早めの別れも
人と少しばかり違っていた道も
あなたがくれたもの全てを
なんでもない顔をして
生きると誓います。
辛い時こそ笑ってやる。
最高の復讐をあなたにします。
いつの日にか
あなたの前で
あなたにもらった人生は
ひとつの曇もないほどに
素晴らしいものだったと私は言う。
それがあなたへの最高の復讐。
快晴
ひこうき雲
荒井由実
白い坂道が空まで続いていた
ゆらゆらかげろうが あの子を包む
誰も気づかず ただひとり
あの子は昇っていく
何もおそれない そして舞い上がる
空に憧れて
空をかけてゆく
あの子の命はひこうき雲
高いあの窓で あの子は死ぬ前も
空を見ていたの 今はわからない
あまりにも若すぎたと ただ思うだけ
けれど しあわせ
空に憧れて
空をかけてゆく
あの子の命はひこうき雲…。
今日は、快晴で桜がひらひら舞い落ちて
桜の季節も通り過ぎようとしていました。
夫と二人あなた達のお墓参りにゆきました。
少し早い、白いカーネーションの花束を抱いて。
こうして、私がいることを、あなた達は見ていてくれていますか?
あまりにも早すぎて
あなた達に会わせられなかった、彼と彼が夫になって、私が夫と作った私の家族。
きっと、見ていてくれていると信じています。
快晴の空に掛かる、あのひこうき雲に乗って
あなた達は、私たちを桜の花びらで迎えてくれたでしょう。
知ってるよ、わたし。
あなた達の命を乗せたひこうきは、何時だって、わたしの空を旋回しやがてやがて迎えに来ると。
その日を、わたしは楽しみに待っています。
今じゃないね、いつかきっと。
それは、わたしが決めることじゃない。
わたしは、その日、夫とわたしが夫とつくった家族に「ありがとう」と言って あなた達の迎えのひこうきに乗って、きっときっとひこうき雲になるわ。
その日まで、もう少し頑張ります。
見ていてね、そして必ず迎えに来てね。
お父さん、お母さん。
そして、いつかは、わたしもひこうき雲になって、誰かを迎えにゆけますように。
そうなれる道を
本日快晴。
2024年4月13日
心幸