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夢見る心

不来方の
お城の草に
寝転びて
空に吸われし
十五のこころ

              石川啄木

一握の砂にある啄木の詩歌である。
抒情的で繊細な思春期の心を詠んだ詩で100年以上が経った現代でも思春期の普遍性のようなものを感じることが出来る。

現代「厨二病」なんて言葉を使ってこの思春期を下げる若い人たちがいる。実際自分がその只中にいると他人の感傷的な心に嫌気がさしわざわざそんな言葉で傷つけるという、どちらが厨二病だといった言動をとる。

厨二病は素晴らしいですよ、デリケートでナイーブで誰もが詩人になれる時です。

この石川啄木の詩歌も色々な先生方が解説しますが、感じ方なんて自由じゃないかと空を見上げ寝転ぶ十五歳の心は語っているように思います。

実際不来方の城は何処の城でも良くて、自分の故郷にはひとつかふたつくらいは城もあるだろうから、その城でも思い出し草原に寝転んで空を見上げた時の心を感じろと言っている。どう感じるかは自由だが、空に心なんかどうやって吸われる?なんて野暮な話はするな、吸われそうになる心を感じろと言っている。

夢見る頃を過ぎても
夢見る心は
置いておきたいものだ
心のどこか奥の方に…。

2024年4月16日

                心幸                

4/16/2024, 12:15:22 PM