何気ないふりをしてやり過ごした。
この人は気付いていないだろう。
私がどれだけ傷付いたか。
雰囲気を壊したくなくて、また自分の気持ちに蓋をしてしまった。
傷付いたと伝えないと相手には分からないことなのに。
自分を誤魔化すことは人を欺くのと同じこと。
人を軽くみてるから自分も軽くあしらわれることが多いのに。
そう分かってはいるけれど、言えない私。
楽しかった空気をぬるくなったコーヒーで流し込む。
どうしようもない自分に深いため息をついた。
「ハッピーエンドノススメ」
その本はシンプルなものだった。
著作者の名前もない。
約束まで時間があったので何気なく寄った図書館で手に取った本。
重厚な革の表紙と背表紙には金色の文字。
古めかしい味わいのある装丁が何故か気になって、アカネはページを捲った。
「人生においてハッピーエンドとは何かを成し遂げた時の区切りではない。
誰にも平等に訪れる最期の時に、自分の人生を振り返って納得することがハッピーエンドなのだ。
人生は時に理不尽で厳しく、辛く、絶望に打ちひしがれる時もあるだろう。
うまくいかないことを人のせいにして自らを省みず、不遇を嘆くだけの人生かもしれない。
あるいは、どうして自分はこうなんだと、自分を傷つけ続けることしか出来なかったのかもしれない。
それでもそんな自分を受け入れ、許し、愛すことで誰でもハッピーエンドを迎えられるのだ。
辛かったけど生き抜いた。
恨み辛みは残さないよう生きる。
自分を救うことが出来るのは自分だけなのだ。
ハッピーエンドのために人生はある。
色んなことを経験して、色んな思いを感じる。
辛いことや間違いもあったけど、それで良かったと人生を全うすることが、人としてただひとつの使命である。
いつでもハッピーエンドを迎えられるように、自分が納得できる生き方すること。
それが精一杯生きるということ。」
ハッとして腕時計を見るともう約束の時間だった。
慌てて元の場所に本を戻し、待ち合わせの場所に向かうアカネを後ろから眺める初老の男。
アカネが手に取っていた本を確かめると、タイトルが消え、何も書かれていない本になっていた。
今日は何の話だったのかな…
この本は不思議な力が宿る本。
手に取った人に合わせ、その人がその時に必要なことが書かれている。
あの子が何に悩んでいて、この本がどんな内容だったかは分からないけど、この先の生きるヒントになることは間違いないだろうと、表紙を撫でて男はまた本を元に戻した。
またこの場所だ…
いい加減にしてくれ…
ジョウは目の前の光景にうんざりした。
いくらやってみても前に進まない状況に陥ってから、どれだけ経ったのだろう。
時間の概念すら通じない今、焦りばかりが先走る。
ジョウとコハルは月曜日の朝を何度も繰り返していた。
原因は分からない。
月曜日の朝、電車を降りたホームで顔見知りのコハルと会い、友達でもないので何を話すわけでもなく学校に向かう道の途中、横断歩道を渡るとなぜか二人はまた電車から降りるところに戻っているのだった。
何かに巻き込まれてるのか?
何で二人だけなんだ?訳が分からない。
ジョウは何とかコハルと通常の時間に戻るれるように学校までの道を変えてみたり走ってみたり、毎回パターンを変えて試してみたけど、ある一定の時間になると同じ場所に戻っている。
決まって7時30分に二人だけ戻るのだった。
「…一体何だってんだ」
二人は今度は学校には向かわず、駅のホームのベンチて座っていた。
でもやはり7時30分にこの場所に戻ってくる。
何をしても無駄かもしれない。
糸口は掴めないものの二人は何となく学校に向かって歩き出した。
これしか出来る術がなかった。
もう何度目かの道。
何とか戻れないかとトライアンドエラーを繰り返しながら二人は話し合ってきた。
今までお互いじっくり話した事はなかったけど、同じ中学出身だったこともあり、コハルの意外な一面を知ってつくづく一人じゃなくて良かったとジョウは思った。
コハルは周りの友達にはいない地味なタイプで、時々顔を赤らめたり、早口で一人で暴走する癖がある。
一人で忙しなくワタワタするコハルが、だんだん飼っていたウサギのように見えてくる。
思い出して和んでいたジョウがちょうど交差点を渡りきった頃、コハルが足を止めた。
「?」
「あのね…」
ジョウが振り返るとコハルは今にも泣きそうな顔でこちらを見ている。
実はこうなったのは…と震える声で切り出していたが、交通量の多い道路だけあって、コハルの声はかき消されそうだ。
「私!この後、ここで…車に轢かれるの」
何を言っているんだと一瞬理解できなかったジョウだったが、今この状況も常識からかけ離れている。
原因が事故だったとしたらと思うと全身が総毛立った。
「…それでその時、最期にジョウくんといっぱい話したかったなぁって思ったら…あの時間と場所に…」
戻ったの、とコハルは続けた。
「こんなことになったのは私のせい…ごめんね」
歩行者信号が点滅して赤に変わった。
コハルはまだ横断歩道の途中にいる。
コハルの事故が原因だったとしたら、同じ時間に事故に遭わないとまたループするということか。
でもそうなるとコハルは…
ジョウは咄嗟にコハルに駆け寄り手を取って道路を渡ろうとした。
「ダメだよ!私が死なないと元の時間に戻れない!」
時間が迫っていた。
自動車用の信号が黄色から赤になる。
減速が間に合わず左折しようとしている車が一台。
横断歩道の途中で手を振り払おうとするコハルを無我夢中で抱き寄せ、二人は間一髪のところで歩道に倒れ込んだ。
その瞬間、腕の中にいたコハルはいなくなり、ジョウは駅のホームに立っていた。
見慣れた光景だ。
朝の通学時間だから人も多い。
ここにいると言うとはコハルは無事なはず…
心臓はまだ早鐘を打っている。
同じ車両の左側のドアからコハルが降りてきた姿を見て、ジョウは長い息をついた。
「またこの場所で会えた…」
ホッとして安堵するジョウを見てコハルは涙を流した。
人は誰もがみんな孤独の中に生きている
共感は出来ても
人と気持ちが通じ合うことはない
どこまで行っても平行線のボクらは
近づいたり離れたりして日々を生きるんだ
共に寄り添い同じ時間を過ごそう
喜びは倍に
悲しみは分かち合って
共に生きるんだ
孤独だけどキミは一人じゃない
花束を貰って喜べる人間でありたかった
貰った手前、喜ぶふりはするけれど
本心に花たちは映らない
花に込められた気持ちを汲み取って
相手の望む反応しかできないんだ
大袈裟に感動して
ちょっと涙ぐんでみたり
同僚一人一人にお礼を言った
今日でこの職場ともお別れ
芝居がかった自分に嫌気がさして
帰宅する頃にはもうクタクタ
そんな自分を見たくないから
花を見るのも嫌になる
捨てようかと思ったけど
花に罪はない
思い直して大きめのグラスに活ける
何も言わないのに
光を放つ訳でもないのに
花があるだけで部屋が明るい気がする
サエは少し花が好きになった