あの人を失ってからというもの、私の世界は全てが曖昧になってしまった。空も、海も、山も、建物も、時折部屋に入ってくる見知らぬ男も、全て灰色。私にとってはどうでもいい。
灰色の空虚な世界から逃げ出したくて眠りのなかに身を投げても、あの人の思い出は遠く霞んで二度と鮮やかには戻らない。あの人と見た空も、海も、山も、建物も、全てが混ざり合って一つになってしまう。
私は、これが夢か現か、それすらも曖昧な世界で、今日も魂を失ったまま彷徨い続ける。
(あいまいな空)
私の道は、私がこの世に生を受けた時から既に決められていた。
私は由緒ある寺の跡取りとして生まれた。私は生まれた瞬間から、周囲に期待されていた。私はその期待に応えようと努力し続けた。荘厳で広大な寺の境内だけが、私の世界の全てだった。
時が経ち、私は周囲からこの寺の正式な跡継ぎと目されるようになった。私には二つ下の弟があったが、彼の性分は厳格な禁欲主義とは相容れず、様々な騒動を起こした末に破門されるに至った。
弟の破門以降、私に対する期待はこれまで以上に過剰なものとなっていった。この寺の最高権力者である父からは、必ずや次代当主となるように、と釘を刺された。私は彼らの期待に沿うように、今まで以上に努力を重ねたが、私はそんな毎日に疲弊し始めていた。
ある冬の晩、私は父に呼ばれた。父は私に、私を正式な後継とすることを告げた。
「とはいえ、おまえはまだ精進が足らん。皆への周知は夏まで待ってやる。この半年のうちに今一度身辺をあらため、家督を継ぐに恥じぬよう、これまで以上に精を出して勤めよ。」
この頃になると、私の心は疲れきっていた。父の言葉は、私をいたずらに焦らせるだけだった。
目立った成果を出せぬまま、梅雨の季節になった。まとわりつくような沈鬱な空気の中、私は庭の掃除をしていた。
父のいる本堂の方から、妙齢の女が出てきた。女は私を見て挑発的に笑った。境内では、この寺にあるはずのない紫陽花が、魅惑的な表情で花ひらき始めていた。
(あじさい)
『二色の絵の具から別の一色を作るように、好きと嫌いを混ぜ合わせたら、後に残るのは何だろうか?』
ゴードンの若く純粋な好奇心は大いに沸き立った。彼は実に情熱的に研究にのめり込んでいった。しかし研究をはじめてしばらく経った頃、彼は突如としてその研究を止めてしまった。彼は、心配して訪ねてきた友人のマックスに言った。
「いや、もう研究は止めだ。こんなことをして何になるというのだ」
ゴードンは、今では研究を始めた頃とはまるで別人のようだった。かつては純粋に輝いていた瞳は老人のように光を失い、全てに対して無関心になっていた。
マックスは過去のゴードンの情熱を継いで彼の研究を続行した。ゴードンの残した研究記録を隅々まで読み込み、現在の-まるで廃人同然になった-彼の様子を毎日事細かに観察した。
マックスは、その後長い年月をかけてゴードンの研究を完成させた。マックスは最後に、若き日のゴードンが記した研究記録の最終ページに研究の結果を書き加えた。
『絶望』
(好き嫌い)
人間の堕落を知った神は激怒した。そして、人の世に二度と光が射さぬよう、太陽を隠してしまわれた。
_____
一人の少女が、人々の嘆きの声と永遠に明けない夜の闇の中、神に祈りを捧げた。神は彼女の純粋な願いに心を打たれ、彼女の命と引き換えに、人の世に再び光を与えることを約束された。
_____
ふと目覚めた少年は、もう長い間暗闇に閉ざされていた世界に一筋の光が射しているのを見つけた。人の世に、再び朝が来たのである。人々はこれを単なる奇跡だと喜んだが、少年は、少女の命が朝日に姿を変えたことを知っていた。
少年は生涯、この時の温もりを忘れることはなかった。
(朝日の温もり)
世界の終わりに君となんていてあげない。
僕の世界が終わっても、君の世界は続くから。
僕の世界は僕一人で終わらせる。
いつか、君の世界から僕が消えたとしても、君には君の世界でずっと笑っていてほしい。
でも。
もしも何かの間違いで、君の世界が僕の世界よりも早く終わってしまったら。
君の世界が終わるのと一緒に僕の世界も終わるだろう。
だから僕は、今宵も部屋の窓から月を眺めて祈る。
「君の世界が、僕の世界よりも長く、幸せでありますように」
~名前のある猫~
(世界の終わりに君と)