通
り
雨
に濡れる
テラス席
(通り雨)
その日初めて、空が泣くのを見た。
15歳上の姉が若い男と消えた。
5歳の息子、空(そら)を家に残したまま、突然帰ってこなくなったらしい。
姉は昔から、自らの行動に責任を持つということがなかった。
両親は、私より姉を愛した。
私は高校卒業と同時に家を出て、働いた。
空が私の部屋を訪ねてきたのは、私が二十歳の時だった。
私は子供が嫌いだった。
ひとまず私は、空が不潔だったので風呂に入れ、腹をすかせているようだったので食事をさせた。
姉の一番の被害者は、時折笑顔すら見せていたが、常に私の顔色をうかがっていた。
なりゆきで、私は空と一緒に暮らすことになった。
空の母親になる気はなかった。
夜に子供を一人にしておけないので、夜勤はできなくなった。
給料は減ったが、出費は増えた。
生活は苦しかったが、空には言えなかった。
お互い2人の生活にも慣れてきた頃。
仕事を早上がりさせてもらえたので、その日はいつもより早い時間に家に帰った。
その日初めて、空が泣くのを見た。
私に隠れて。
声もたてず静かに泣いていた。
私は空の母親になろうと思った。
「あんたさぁ」
「泣くならもっと子供らしく泣いたら?」
「あと明日は仕事サボるから。あんたもつきあえ。」
(空が泣く)
夜明け前、秘密の2人は誰もいない事務所で。
みたいなのって創作だから美しいのであって、現実でされたら幻滅しかないんよ。
夜勤中にすんな。職務怠慢だぞ。
夜勤でもないヤツが子供たち置いて職場に3回も来んな。不法侵入だぞ。
だいたい、誰もいないって私いるんですけど⁉泊まりの利用者だっていますけど⁉
By同じく夜勤中の同僚
(夜明け前)
「昔の話をしてやろうか」
旅人はそう言って語りだした。
若い蜘蛛は悩んでいた。
彼は巣を作るのが苦手だった。どんなに頑張っても、まわりの蜘蛛たちが作り上げる作品のような美しい多角形にはならない。いつもどこか歪んだ、糸が絡まりあった醜いなにかが出来上がるだけなのだ。
友人たちは、若い蜘蛛に言った。
「君の価値は、なにも君の作る巣だけで決まるわけじゃない。」
そう言われるたび、若い蜘蛛の自尊心は傷つけられていった。そして同時に、友人たちの優しい言葉を素直に受け取れない自分の心の醜さにも嫌気がさすのだった。
若い蜘蛛はとうとう我慢ならなくなって、ある夜、他の誰にも告げずに旅に出た。行先なんて自分でもわからなかったが、ここにはもう二度と戻らないだろう、という予感だけがたしかにあった。
旅を続けるのは愉快だった。若い蜘蛛は、巣を作ることもせずにただあてもなく前進を続けた。
そうして明るい森の中、水辺の美しい場所で若い蜘蛛が水を飲んでいると、目の前に影が落ちた。
目を上げると、アゲハチョウがひとり無邪気に舞い踊っていた。羽は太陽の光を受けて黒くすきとおり、傷つきやすさを隠した青と明るい黄色がそれを彩っていた。
そのあまりの美しさに、若い蜘蛛は何も言えずにただ立ち尽くした。そんな彼を、アゲハチョウは気に留めることもなく、しばらく辺りを飛び回った後、やがてふわふわと彼の前から姿を消した。
あれ以来、若い蜘蛛は美しいアゲハチョウに心を奪われてしまった。彼女のことを考える以外、何も手につかない。旅を続けることなど、今はもう思いつきもしなかった。
いつしか若い蜘蛛は、あれほど苦手だった巣作りを始めた。あのアゲハチョウに、愛を伝えるためだった。一心不乱に銀色の糸を吐き、少しずつ絡めあっていく。それは今までのどんな時よりも苦しく、そして、最も幸せな時間だった。
そうして彼が作り上げた蜘蛛の巣は大きく、美しかった。
若い蜘蛛は、作り上げた巣の中で弱々しい微笑みを浮かべた。彼は巣を作るうちに自分の吐いた銀色の糸にからめとられ、それが完成するころにはほとんど身動きが取れなくなっていた。
若い蜘蛛は、食べることも飲むこともできないまま、次第に弱っていった。いつしか眠りについた彼の近くを、いつかのアゲハチョウが無邪気に飛び回り、そして去って行った。
「もう、昔の話だがな。ま、生きてりゃ色んなことが起こるんだよな。お前さんは、俺やあいつのようにならずに、もっと利口に生きていくこった。」
旅人は、旅を続けるうちにすっかりすり減って、ボロボロになった羽を広げて飛び立った。
(踊るように)
貝殻と聞いて連想するもの
幸せの丸い貝
(貝殻)