もう一つの物語なんて、漫画や小説やドラマやアニメでしか見聞きする事ができない。それは、私達の想像力で生み出された産物であって、現実では無いからだ。
だから、私は人生においての重要な選択肢を可視化できるようになればいいのにと考えている。普段から、私達が選択する際にパネルが浮かんできて、その中から自分に合う選択を周りにも見える形で選択する。
そうすれば、多少は心が救われる気がする。傷ついた心も体もいつか糸で縫い付けられたボタンのように切り離さなければと思ってしまうこの脳ミソににも微かな選択肢を与えて欲しいものだ。
自分を救える、物語があるのなら。
お終い
暗がりの中で、異質なモノを見つけた事がある。ただ、直感的に、あれはダメだと肉体が拒絶するように、全身の毛穴が開いた時の痺れ具合が、あの時私の全身に走っていた。今、思えばあれはこの世で最も関わりを持ってはいけないモノだったのだろう。
なぜなら、家まで走り帰って家族に言われた言葉がなんで全身血塗れなのだと叫ばれたからだ。勿論、私はモノに触れてはいない。何より私自身が体を見ても血など1滴も付着していなかった。
けれど、見つけた事がいけなかったのだ。この後、家族は私を近くの寺に連れて行きお祓いを受けさせた。お祓いを受けている最中に、私を取り囲むようにあの異質なモノが私との距離を詰めようとしているのが見えた。私は、全身の毛穴から体の水分が全て出ていくのではないかと思う程に、汗が流れ出ていた。
だが、汗が流れる度にあの異質なモノは私の目の前から少しづつ姿を消していった。結局全て居なくなるのに、8時間近くもかかった。私は暗がりの中に、潜り込むことは二度としないと誓った。
暗がりの中を、探すな。
お終い
紅茶の香りが苦手だ。よく体調を崩して保健室で過ごす時間が多くなった時に、先生が紅茶を淹れてくれた。
けれど、いくら紅茶が苦手だからと言って人様の気持ちを無下にする様な真似はするなと、厳しく躾られた事もあり飲まないという事は1度もなかった。でも、やはり匂いがあまり好きでは無いのだ。慣れていないからだと家に帰ってから買った紅茶のティーパックにお湯を注いだが、あの独特な香りは無かった。
次の日、私は学校に着いて真っ先に保健室に向かった。朝早い時間にも関わらず、先生は席に座っており私の姿を確認すると紅茶の準備を始めようとしていた。
だから、私はその紅茶にいつも何を加えているのか聞いた。先生は細長いスティック状の砂糖を紅茶に加えながら、ティースプーンでかき混ぜたものを私に手渡した。飲んで確かめてみるといいと、先生は私を見つめて言った。
先生の紅茶の香りは、私の体調を崩す。
お終い
友達ってどんな人の事を当てはめればいいのだろうか。愚痴を言い合えるのが友達と言えるだろうか、それとも、同じ目的を通して高みを目指す同士の事だろうか。
これらは、果たして友達というステタースに当てはめる事ができるのだろうか。私には、友達というものがよく分からない。
なぜなら、友達というステータスがあった所で裏切られたり、それこそ自分に不利益を被ったりする人間になったら、友達という言葉そのものには意味が無いのではないかと考えてしまうからだ。
だから、私にとって人との関わりに名前を付けることは、今も今後も無いのだと思う。会社の同僚、家族、ただ、そういう風に見えたり聞こえたりしているのならそうすればいい。だって、私はその関係に名前をつけてはいないのだから。
友達という関係も、本当は意味を成さない只の言葉。
お終い
風呂に入ろうとする時に、いつも癖で脱衣所の窓から空を見てしまう。時間帯によって色を変える空はとても澄んでいて、どこまでも続いているように見える。
けれど、風呂を出る頃にはその姿を暗闇に隠してしまう。暗闇があの色を攫ってしまった、私の好きな色は暗闇が去る時、再び色づくことだろう。
どこまでも続く青い空が、好きなのだ。
お終い