偶然ではあれど、それは必然だったのだろう。君に出会い、多くの知識を得た。君が笑うと、私はつられて笑った。君が泣いても、私は泣けなかった。君が私を守れば、私は君を支えた。君が死ぬ時、私は生きる事を選んだ。
私は、体の左側の感覚が失われるのを君の死によって自覚した。少し違う私達、けれど、どこか同じだった私達。
生きるのならば、喪失感は共にあれ。
お終い
私は、もう走りたくないという気持ちになっていることに気づいた。嫌いなはずの体育でマラソンをしている。6周を終えた頃には息を吸うだけでも肺が痛んだ。なぜなら私は、運動部ではないので体力が格別ある訳では無いのだ。
だから、マラソンなんか嫌いだ。汗をかけば肌がベトベトと湿り、まるで蛞蝓が這っているようでただでさえ下がっている気分が底につきかけていた。気の抜けた頭で走り続けていた所にゴールテープが見えた瞬間、私は最後の力を振り絞って駆け抜けた。少しづつ足の速度を落としていく。私の心臓は、太鼓を連続で叩く時のように力強く血液を全身へ送り出していた。
胸の鼓動が静まる時が待ち遠しい。
お終い
踊れと言われたなら、真っ先に嫌だと答える自信がある。というか、急に踊れと指示されて従う馬鹿がいるのだろうか。せめて、理由を聞いてから行動するべきだろう。舞踏会の舞踏家がバックれたとかならまだ分かる。だが、特にそういうイベントがある訳でもない。
なのに、目の前の男は私に踊れとしきりに淡々と声をかけてくる。いい加減にしてくれと言いたいが、その余裕もないくらいに目の前の男へのイラつきが増していくのだけを感じた。
私の心電図は、踊るように動いている。
お終い
偽善を装うのが、一番簡単で残酷な方法なのだ。だから、誰かが笑顔でいられる。けれど、その差分を担うために、知りもしない人間や知っている人間が苦しむ。
これが世界の仕組みであり普通なのだ。誰かが偽善という行いをしなければ成り立つことが出来ない世界に、我々人間はしがみついている。それ故に、そこで生きていくしかないのが我々人間なのだ。
いつか、偽善じゃないと呼ばれる時は来るだろうか。進み続ければ、時が告げてくれるだろうか。
そこに救いの時はまだ、告げられない。
お終い
貝殻は、部屋だ。自分を守るための硬くて分厚い壁であり自分でさえ出るのに苦労する部屋。人間の脳みそも似たようなものだ。あくまでイメージでしかないが、引き出しのようなものがあり、ラベルが貼られているのだ。
だが時に、いくつかラベルが貼られていないものもあったりする。それらは、大抵自分が掘り起こしたくない記憶だったりする。
だからこそ、開くのには覚悟が必要になるのだ。中身は開かなければわからないのだから。
覚悟はあるか?
お終い