飾り立てた誕生日カードには、蝋燭やケーキ、クラッカーと言った誕生日を連想させるイラストがきらめき合うように描かれている。
けれど、ここにあるものを付け足すとより華やかになるものがある。それは、誕生日の人の名前だ。誕生日ケーキに名前が描かれていると、今日は私の日だと感じる人もいるだろう。
だから、特別なものにきらめきを足すのだ。
きらめきがあるから、大事なものに気づくことができる。
お終い
些細なことでも、感謝するようにしましょう。私は、家族にこれだけは言い聞かせている。そのため、私が何か食べ物を与える時や欲しい物を与えた時には、決まってありがとうと言う子供に育ちました。
ですが、私には一つだけ不安なことがあります。それは、私が子供に教えている些細なことでも、感謝するという心がけが、他者との関係性からの刺激によって、それが当たり前であり感謝する必要がないなどという情報に上書きをされてしまう事なのです。
些細なこととは、当たり前であるとは限らない。
お終い
自分が生きている未来がない。周りは、将来は王手企業に就職するだとかフリーで働くだとか言っているが、私は何一つ共感できなかった。自分が何をしたいのか明確なビジョンが何一つ見えないことで、今の自分でさえ形を持っているのかと疑ってしまう。
なんでもいい訳ではないのだ。自分が自分でいられる場所、生きていてもいいと思える場所、自分も他人も認められるくらいの場所、そして、自分から帰りたいと思える場所が欲しいのだ。
それでも、心の灯火が見つからない。
お終い
かつての友達とのLINEを開けずにいる。理由は、些細なものであり決定的なものであったのをよく覚えている。あの日、私はその友達との距離感が分からなくなってしまったのだ。今まで友達として接してきた。それが私にとっての普通だったからだ。
けれど、時というのは残酷であり望まぬ想いを芽生えさせることもある。だからこそ、私は距離を取り身を潜めることにしたのだ。まるで死者のようにひっそりと見えぬ墓場に眠る選択を取ることで身を守れているという実感が欲しいのだ。
だから、私はその友達の想いを受け取ることはできない。なぜなら、それは私の望むものではないからだ。
私は仮初の死を望む。
お終い
今日、不愉快だと感じた瞬間があった。それは、ネットでよく流れてくるポエムの中の一文だった。死んでも、周りに迷惑をかけるだけで意味が無いのだと。自分でも理由は分からないが、酷く気持ちを逆撫されて気分が悪かった。
だが、数分もすると感情の昂りは落ち着いた。自分はこの時、第三者目線で珍しく感情的になったと俯瞰していた。
そして、自然と口角は弧を描くように上がっていて自分は笑っているようだった。この時の自分の感情に名をつけるのなら、図星という言葉がピッタリだろう。だからこそ、イラつくのだ。何も知りもしない人間が、まるで理解したかのように物語るのがあまりにも不完全な僕を苛立たせる。
想像で語るな、語るなら経験を積め。
お終い