「僕の前から居なくなったら殺しに行く。」
「は?きも。」
普段からこういうこと平気で言う奴だった。
「だって、死ぬって言っても“勝手にしろ”で終わりでしょ?」
「おー。よくわかってんじゃねぇか。勝手にしろ。」
「嫌だ。死ぬときは一緒がいい。」
「俺の意思は?」
「尊重しない。」
「は〜!俺の人権は無視、ってわけですか!」
「そうだよ。ごめんね、二人で永遠になるためなんだ。」
「きっっっしょ!!!」
心底きもいって思ってた。それは今でも揺るがない。倫理観がどうかしてるんだ、あいつは。
「……殺しに来いよ、早く。」
“二人で永遠になる”とか言い出したときは本当に引いた。ドン引きした。
でも、嫌だ、って言葉は口から出なかった。あまりの気持ち悪さに言葉を忘れたわけでもなかったと思う。
あいつと永遠になる、ってことをどこかちゃんと考えていて、真面目に捉えてた自分がいるわけだ。
でもそれも仕方ないと思う。あいつが隣に居ることは当たり前のことで、これから先の長い生涯、それこそ永遠に変わらないのだと確信していたから。
小さな箱に収まった薄灰色の物体じゃ、あいつの存在証明にはとても心許なくて、「こんなことになるなら髪の毛の一本でもとっておけばよかった」と、如何にもあいつが言いそうなことが頭をよぎったときはぞっとした。でも嬉しかった。
まだ、俺の心にはあいつが住み着いてる。染みになって取れやしないのだと。
大丈夫、忘れてない。今もずっと、俺の大部分を担うのはあいつだ。
小さな箱を開けて、薄灰色のそれを指でなぞり、指紋の隙間に入り込んできた粉を、食べた。
自分は本当に頭がおかしくなってしまったのだと思って泣いた。いくら嗚咽をもらしても、背中をさすって一緒に堕ちてくれるあいつはもうどこにも居ないんだとわかってしまった。
ぜんぶ、ぜんぶあいつのせいだ。
あいつに狂わされて満更でもなくてどうしようもなく寂しがってる俺を、笑って見てても揶揄ってても喜んでてもなんでもいいから早く連れ去りに来てほしい。
寂しい。会いたい。声が聞きたい。肌に触れたい。
でも。
「……会いになんていかねぇからな。」
お前が来いよ、俺が好きなら。
そんでとっとと殺してくれ。
「私たち、どうも今世では一緒になれないようね。」「え?」
「結婚するの。私。」
いつものお茶会のはずだった。
「えっ……と、」
「だからこうして会えるのも今日で最期。ごめんなさい、急に決まったことなの。」
「急にも程があるよ……。」
「仕方ないのよ。」
「……おめでとう……で、いいのかな……」
「ありがとう。」
「その……ど、どなたと……あっ!差し支えなければなんだけど……!」
「誰でしょうね。私が一番知りたいわ。」
「あっ……!ご、ごめん。」
「なぜ謝るの。貴女は何も悪くないでしょう。」
「ご、ごめん……。」
「……どこかの伯爵らしいわ。私より一回り以上、上のね。」
「そっ、か……」
腹の奥がずんと重くなる。あとから冷静になって、これが“絶望”だと知った。
「……今まで良くしてくれてありがとうね。」
私が男に生まれていたら。
「明日から挙式までは屋敷に幽閉されるから。会いに来ても無駄よ。幼い頃からやんちゃしすぎた天罰ね。今更逃げも隠れもしないのに。」
「……優しい人だといいね。素敵な人であること……心から願ってる。」
「……そう。」
「……ごめんこれ以上は無責任なことしか言えない。」
男だったら、今すぐこの娘を奪い去ってしまったのに。
「今世は運がなかったわね。神様も意地悪ですこと。少しくらい、甘やかしてくれてもいいのに。」
「……ほんとだね。」
「貴女も他人事ではなくてよ。遅かれ早かれ縁談はつくのだから。……私の方が早かっただけ。それだけよ。」
生まれ変わったら。
「あ、あのさ!」
生まれ変われたら。
「なに?」
「来世は、ちゃんと奪いに行くから。」
「……馬鹿。」
「え……?」
「今世でもちゃんと奪いに来なさいよ。馬鹿。」
揺れる瞳の奥の底知れない悲しみは、計り知れないほど暗くて、深くて。
いつも強気な彼女が途端に頼りなく映り、今にも消えそうな少女を堪らず抱き留めた。
「ちょっ……!」
「必ず迎えに行くから。ちょっとだけ待ってて。」
「…………本当?」
「うん。だから、生きて。お願い。」
「……うん。」
「元気でね。」
「……えぇ。」
また、会いましょう。
湧いて出てくる背徳感。自分の不幸が蜜の味。
喉に落ちていく血の味と、自責に駆られる貴方の顔。
「大丈夫、貴方は何も悪くない。」
そう言って抱きしめてあげたら縋るみたいに泣きついて、熱の残る右頬を「ごめん、ごめん」って撫でてくる。
完璧で、優しくて、誰にも好かれる貴方の、誰にも言えない秘め事を、自分だけが知っている。
焦燥感に煽られるまま、欲望の赴くまま。
貴方が人間らしく居られるのは、俺の前だけでしょ?
本当の貴方を知っているのは、俺だけだよね?
「俺……——が居ないと駄目なんだ。」
震える声で絞り出したその言葉は、すぐ嗚咽に戻る。
全身が内側から熱くなり、どうしようもなく愛おしい薄く骨っぽい貴方の身体を強く、強く抱きしめる。
「俺も、貴方が居ないと駄目なんです。」
貴方が居ないと。
「俺たち、ほんと終わってますね。」
誰が俺を罰してくれる?
「でも、それでいいじゃないですか。それで生きていけるなら。」
誰が俺の為に苦しんでくれる?
どうしようもない衝動を、俺だけに向けてほしい。
劣等感も全部、ぶつけてほしい。
「……ごめんなさい、自分勝手で。」
貴方の不幸が、蜜の味。
「俺、飛べねぇの。」
「は?」
「飛んだことねぇんだわ。」
「え、じゃあその背中の羽は……」
「俺にとっては飾り。邪魔なだけだよ。」
「……取れないの?」
「着脱可能であって堪るか。」
「まぁ……そう、だよね……。」
「……がっかりしたろ?」
「えっ、いや……」
「いいよ、別に。慣れてるし。今更泣いたり喚いたりしねぇから。」
そう言って彼は真っ直ぐこちらを見つめてきた。青く透き通った瞳が白い肌の奥で揺れている。
「……びっ、くりはしたけど……俺は人間だからさ、天使ってだけで凄いって言うか……飛べないからなんなんだよ、って言うか。」
「ふっ、ふははっ!あははははっ!……あー、関係ねぇか、人間には。」
「うん。関係ないよ。」
「そっか。……そっか。」
「気にしてる?」
「え?」
「飛べないこと。」
「まぁ、それなりに。」
天使は嘘がつけない生き物だ。