→短編・内緒
私のお母さまは手先の器用な方で、季節ごとにカフェカーテンをお仕立てになります。
キッチン横の小さな出窓に掛けるためのものでございます。
四季折々、レース編みやクロスステッチ仕様、カットワークを施した刺繍作品などなど、技法も様々、モチーフもデザインも異なったカーテンは、どれもたいそう美しく、思わずうっとりと見とれてしまいます。
お母さまは私に丁寧に手芸を手ほどきしてくださいます。でも私は、ついついお母さまのお手元を目で追うことに気を取られて、手を休めてしまうのです。
「あなたはどのようなカーテンを作るのかしらね」
お母さまは歌うような調子で、未来の私の作品に思いを馳せるのですが、私は心の影を抑え込んで、何も答えずそっと微笑むことにしています。
あぁ、お母さま! 実は私はとても不器用なので、手芸が苦手なのです。
ですから、カーテンが入り用の際はニ〇リのお世話になろうと思っております。
テーマ; カーテン
→忍野八海とオフィーリア
忍野八海は、富士山の麓にある八つの池の総称である。非常に透明度が高い池で、人気の観光スポットだ。
その澄み切った水の見秘密は池は、富士山に降り積もった水を長い時間かけてろ過された伏流水にある。コツコツ、ポツポツ、玄武岩、砂利、砂、木の根……自然のろ過機で濾された水は、やがて池に湧き上がる。
忍野八海の湧池の水深は4メートル。面積は152平方メートルと記されているが、それほど大きな印象は持たない。にぎやかな観光地の中にある小ぶりな池という感じ。
他の観光客に倣って、気負いなく池をのぞき込む。その瞬間、私の足の裏から脳天に震えが走った。
池は、すり鉢状ではなく、縦坑のような形状をしていた。それだけでも井戸をのぞき込むような怖さがあるというのに、湧池の水は恐ろしく透明なのだ。
深い池を鱒が自由に泳いでいる。遠く深くに水底が見える。透き通った水は光を遮らず、遥か底でも見通せるのだ。「見通す」という単語がこれほどピッタリ当てはまるとは。
じっと見ていると、池に引っ張られそうになる。手すりを頼りに正気を保つ。
圧倒的な純粋度を感じさせる水にこんな意識的とも思える力があるとは思わなかった。
安直ながら、私は戯曲『ハムレット』のオフィーリアを思った。恋人やら周囲に振り回されて、自分を失ってしまった彼女。小川の傍にある柳に花輪を掛けようとして足を滑らせてしまい、彼女はその命を終える。
オフィーリアは、小川に流されてその最期の時を過ごす。きっとその時の小川の水は、この湧池の水のように恐ろしく意識的であったのかもしれないな、などと私は妄想を彷徨わせた。
テーマ; 青く深く
→夏が来る。
空の蒼が深くなり、雲との境が鮮明になる。雲の白が際立つ。日陰が建物にこびりつくように黒く短くなる。
長袖から半袖へ一気に駆け抜けるように、服装が変わる。衣替えも間に合わないような変遷。
少し外を歩くだけで、肘の内側に汗が溜まり、薄手の服の下に熱が籠もる。
昨日まで飲んでいたコーヒーや紅茶よりも、炭酸水が飲みたくなる。弾ける水の喉越しが、暑さを喉から弾け飛ばす。
昼間、気だるい気温に包まれて、私は本に手を伸ばす。
もう何度も読んだマルグリット・デュラスの作品たち。ラマン、モデラート・カンタービレ、夏の夜の10時半、C'est tout.……
デュラスを読むのは、絶対に夏だ。
テーマ; 夏の気配
→時間、そのベルトコンベアは止まらない。
「まだ見ぬ世界へ!」
そんなに気炎を上げなくても、時計の針が1秒進むたびに、世界は一歩先へ。
ね?
あなたがこの短文を読む前と後のたった3秒ほどでも、そこはもう別世界。
テーマ; まだ見ぬ世界へ!
→ひ弱なんですよ。
最後の声というものが、誰かとの別れに繋がることを指す言葉なら、人間未熟者の私には耐えられないので、そんなものは考えたくもない、です。
テーマ; 最後の声