→短編・やぁ。
彼は、いろいろなところに出没する。公園のベンチでのんびり昼寝をしていたり、駐車場を我が物顔で悠然と歩いていたり、水の入っていない側溝を駆け抜けている姿を目撃したこともある。
彼は野良猫だ。
猫好きの僕は、彼を見るとつい足を止めてその姿を目で追ってしまう。彼も僕の執拗な視線が気になるのだろう。今まで何度も僕らは睨み合うように見つめ合った。距離を保ったまま、お互いに近づくこともなく。
彼はサバトラ柄のがっしり体型をしている。アニキっぽいので、密かにアニキと名付けているが、彼に呼びかけたことはない。
そう言えば、ここ最近アニキを見かけていない。どうしているだろうか?
そんなことをぼんやりと考えながら散歩していた僕は、突然の大きな音に身をすくみ上がらせた。背後からの車のクラクションだ。
―プップッー!!!
僕は即座に道路脇にピタッと体を寄せたが、車は来ない。
振り返って見ると、通り過ぎたところにある駐車場から聞こえてくる。何が車を妨げているのか、クラクションは止まない。
しばらくして、駐車場から車ではなく、灰色の小さな動物がのんびりと出てきた。クラクションの音にも動じず、あくまでマイペースに歩くその動物は……、
「アニキ」
呟くような小さな声だったが、アニキは足を止めて僕をじっと見た。彼の背後を駐車場から出た車が走り去ってゆく。
アニキは悠然と僕に近づき、僕を見上げ「ニャア」と返事をした。
テーマ; 君の名前を呼んだ日
→巣ごもり
コミュ障を拗らせて引きこもり気味の僕にとって、不外出のイイワケをくれる雨の日はご褒美みたいもので、やさしい雨音をBGMに部屋の中で安心の惰眠を貪る。
ハレの世界を乗りこなすため、巣の中で心の栄養を蓄えよう。
テーマ; やさしい雨音
→賑やかに騒がしく
昔、近所に社宅団地があった。コンクリートブロックのような形の団地が、等間隔に何棟も並んでいた。
団地に暮らすのは、若い夫婦が多かったように思う。小学校の登下校時には、団地に帰ってゆく小学生の集団をよく見かけた。
社宅団地の敷地の出入り口に掛けられた会社名の書かれたプレートは表札のようで、まるで団地全体が大きな家族のように感じたことがある。実際はもっと複雑な人間関係があるのだろうのが。
そんな大人の事情はともかく、午後から夕方まで、その団地は子どもたちのはしゃぐ声が絶えなかった。時には、団地をこだまして鬱陶しいくらいに。
どんな遊びをしているのか、彼らのおしゃべりはとどまることを知らず、声を抑える配慮などせず、ただ無邪気に遊ぶその声は、まるで小鳥のさえずりのようだった。可愛らしい歌を、騒々しく熱中して歌う。
いつまで聴いていても飽きず、ある種の郷愁すら誘う。
人に聞くところによると、団地はなくなってしまったらしい。生き生きとした歌が、あの場所に響くことはもうない。
テーマ; 歌
→死生観
貴方の大きな口が私をそっと包み込んで、離さない。丸呑みされた私の喉元に、貴方の太い牙が突き刺さる。
明日、私の生は存在しない。
私は目を閉じる。瞼の奥に鮮血の赤。
はじめまして、これからよろしく、私の死。
テーマ; そっと包み込んで
→昨日と同じ私……
その存在の不確かなことよ。
生物は生ある限り、身体の中で細胞分裂を繰り返している。つまり減価償却してゆくから、一秒一時として同じ「私」は存在しない。
そもそも「私」という個体が何を指すのかすら怪しいところもある。他者が認識する「体」が「私」なのか、思考する「脳」が「私」なのか。その両方が作用しあって「私」を為すのだとしたら、「私」が自身の細胞の声を聞くことができないのはなぜなのか。
煮詰まる思考は、まるで魔女の大釜だ。
混沌、混乱、釜で煮る。
そこに新たなる材料追加、昨日と同じ私。
そうして日常は綴られる。万物変容。
テーマ; 昨日と違う私