→短編・何でもないフリで、お行儀よく座ってらっしゃい。
お止しなさいよ、お止しなさいよ。
遥か昔に貴方の舞台は幕を下ろしたんですよ。
やれやれ、
華やかな昔日の栄光を急に思い出したのですね。
ふむ? 彼らを告発する?
困ったなぁ。
ねぇ、マダム?
少し昔話をしましょうか?
当時の貴方は、パトロンたちが引き起こした不徳に気づかないフリをした。知らん顔でそっぽを向いてらしたじゃないですか。
お忘れですか?
今になってソイツを蒸し返すのは賢い選択ではありませんよ。
何度でも言います。お止しなさい。
それにしてもそのお洋服、よく見つけてらしたこと!
よくお召しでしたね。
さぁさぁ、鏡はこちら。よくご覧なさい。
今ではすっかり虫食いだらけ。
あぁ、長く立ってらしてお疲れになった?
どうぞ、車椅子はこちらです。
さぁ、お部屋に戻って着換えましょうね。
そんなキョトンとしたお顔をして、どうしたんです?
虫食いの服を着た理由がわからない?
まぁ、そんなこともありましょう。
そうだ、少し聞いて下さいな、マダム。
今の貴方の生活は、かつてのパトロン方のご厚意の上に成り立っている。そのことを忘れちゃいけません。
気まぐれの義憤は、貴方を宿無しにしてしまいますよ。
私が何を言っているのか分からない? 彼らには感謝しかしていない?
そうですか、それなら結構。
面倒なことは言いません。
ありきたりですけれど光射すところには影がある。
だから、どうぞおとなしく座ってらっしゃいな。
テーマ; 何でもないフリ
→短編・祭りの後
ライブ後、会場から観客が帰路につき始めていた。昂揚した面持ちの彼女も、その1人である。
1人でライブに参加していた彼女は、火照った頬をひんやりとした外気で冷めしながら最寄りの駅に向かっていた。同志たちの間を足早に縫って歩く。
「今日のセトリも最高!」
「あの曲が入るとは思わなかった〜」
「ライブの時のあの曲、化けるよね」
耳に入る感動の一つ一つにウンウンと心のなかで頷きく。ライブの余韻に浸る帰り道が彼女は大好きだった。ライブ会場よりも仲間意識が高まる気がするんだけど……、これってアーティストにとって、褒め言葉になるのかな?
電車に乗って、スマートフォンでさっそくセトリのプレイリストを組む。視線を感じて目を上げると、ライブグッズを持つ同年代の女性と目があった。
お互いに軽く会釈した後、彼女はイヤホンを耳に入れた。
テーマ; 仲間
→夢うつつ
幼い頃、私の部屋は2階にあった。トイレは1階。夜中に1人でトイレに行くのが、何よりも怖かった。
天井に付けられた階段の灯りは仄かで頼りなく、1階を照らすほどの光量はない。真っ直ぐな階段の下は、底の見えない洞窟のように見えた。存在しない冷気を感じる……。
「一緒に行ってあげる」
一度だけ、そう言ってプラスチック製の小さな手が私を導いて連れて行ってくれたことを覚えている。
赤ちゃん人形というのだろうか? 小さな女の子の姿をした人形は、柔らかいプラスチック製だった。その子と手を繋いで階段を降り、無事にトイレに到着。事なきを得て、再びベッドに戻った。
この、少しぼやけたフィルム写真のような記憶は、私の中に確かにある。しかし本当にあったことなのかは不明である。
テーマ; 手を繋いで
→短編・あの日から、決めたこと。
電車で席を譲ったら、「すみません、ありがとうございます」と言われた。
僕はにこやかに言った。
「どうぞ、どうぞ、ごゆっくり」
親切は気持ちよく。感謝には笑顔で応える。ある時から僕はそれをモットーにしている。
脳裏に浮かぶ彼女の顔を戒めとして。驚きに目を見開いた彼女の顔を。
あれは中学生時代のことだ。学校の階段から落ちそうになった同級生女子を助けた。
「ありがとう、ごめんね」
「謝る意味とか意味不明」
彼女の言葉にカチンと来て、噛みつくように言い返した。思春期特有の正誤感覚は、攻撃的で妥協や白黒以外を認めない。
彼女は、もう一言「ごめんなさい」と呟いて顔を伏せた。
彼女の萎縮した様子に、背中がカッとして熱くなった。言わなくてもいい主張をした自分に気が付き、罪悪感で胸が潰れそうになる。しかし、勇気のない僕は何も言えなかった。
それ以降、彼女と話をした記憶はない。
親切に自己主張を持ち込んではいけない。
後悔は先に立って旗を振ってくれやしないのだから。
テーマ; ありがとう、ごめんね
→部屋の片隅で、私の誇りが咲いている。
部屋の隅、
割れたカップ、
壁のコーヒーのシミは、まるで大きな花。
昨日の決別をお祝いしてくれてるみたい。
さよなら、あなた。
怒鳴っても、宥めすかしても、
私はあなたの付属物にはならない。
私は私の人生を生きてゆく。
テーマ; 部屋の片隅で