→短編・雨に別かつ。
雨に佇む。
天を仰ぐ。
曇天の緞帳は大粒の雨。
高校時代からの友人が消えた日のこと。
あの日、お前を連れて海に行ったのは、俺。あいにく空は曇天。降り出しそうな雲の下、二人で浜辺に座った。
お前の沈んだ様子が気になって。何か話してくれるかなって。
なのに、お前が話題にするのは俺の最近できた彼女のことばっかりだった。彼女は元気か? お前には勿体ないくらいにいい子だよな。大事にしろよ。
お前は妙にはしゃいでそんな話をした。
お互いフリー期間が長くて、ようやく二人して彼女ができたところだった。俺が先、お前がそのすぐ後だった。
気分転換になるかと思って、4人で遊びに行こうと誘ったら、「別れた」と静かに呟いた。
「そりゃあ、辛いな。俺で良けりゃ、いつでも付き合うぜ?」
一瞬お前は何かを言いかけ、その言葉を飲み込んだ。俺、何か良くないことを言ったっけ? 怖気づいて俺は黙り込んだ。高校時代からの何でも知ってるお前の、何もかもがわからなくなった。
そんな俺を気遣うようにお前は言った。
「やっぱりお前もいい奴だよ。彼女とお似合い」
雨が降ってきた。大粒の雨だった。二人で立ち上がった。俺は雨宿りできる場所を探そうとしたが、お前は浜辺へと歩いて行った。
「……俺みたいなヤツに構わず、彼女を大事にしろよ」
振り向いたお前は、よそよそしい笑い顔を浮かべていた。
あんな顔、初めて見た。
降りかかる何千何万何億もの雨が幕を引いてゆく。
何故だか「こっちとあっち」とかイヤな言葉が浮かぶ。
「俺のことは気にするなよ」
何かを断ち切るような冷静なアイツの声は、まるで知らない人ようだった。
それが、最後にあった日。
雨の日、後悔ばかりが心に積もる。
テーマ; 雨に佇む
→短編・往復書簡
夏の終わりを前に秋雨前線が長雨をもたらし始めた頃、友人が亡くなったとの知らせを受けた。
その訃報は彼女の娘さんからいただいた。長い闘病生活の末のことだったらしい。
そんなこと、彼女は露も匂わせなかった。
やけに雨音が響く部屋の中、私は文箱の蓋を開けた。彼女からの手紙の束。もはや彼女の新しい手紙は来ないのだ。切なさや悲しみに胸が詰まった。
友人と私は、女学生時代の友人だった。長いおさげの髪を揺らして、青春を駆け抜けた。ときに笑い転げ、ときにケンカをした。唯一無二の親友だった。学校で毎日顔を合わせるというのに、交換日記まで交わしていた。学校での些末な出来事、親兄妹の話、恋の話、雑事……、その中でもとりわけ多く語り書き綴られたのは、将来の夢のことだ。
彼女は医者、私はお嫁さん。今のご時世の女性たちには、私の夢は夢ではないと言われるかもしれないが、当時はまだそんな女性が多くいたのである。
女学校を卒業して、彼女は進学に合わせて東京へと上京し、私は地元に残った。
そうして、交換日記は文通へと形を変えた。
彼女は夢を叶え、東京で小児科医になった。私は地元で見合いをし家庭に入った。どちらも夢を叶えたことになる。
時代は進み、色々な連絡方法ができても、私たちは文通を続けた。
私たちはお互いの近況を手紙で報告しあった。あんな事があったのよ、こんな話はあなたにしかできないわ……。
今、目を通しているのは、遥か昔に彼女が結婚した頃にしたためれたものだ。緊張した花嫁と花婿が睨むようにこちらを見つめる写真が添えられている。裏を見ると「失敗の一枚、笑ってちょうだい」と書かれている。
働いている病院の話、近所のお惣菜屋さんとの会話、初めての出産、その痛みの恐怖と極上の幸福。「喉元過ぎれば何とやら」との一文に強く頷いたものだ。彼女の離婚。その手紙は短く、その失意は痛いほどだった。
しかし、手紙には大方明るい近況が綴られ、彼女の生活が楽しいものであることが行間からも伝わってきていた。
1年ほど前の手紙に「この文通、まるで私の日記帖ね」と書いてあったことを思い出す。そこにはこうも記されていた。
「もし私に何かあったら、ぜぇんぶ燃やしてくださいね」
妙な一文だと思い、記憶に残っていたのだが、そうか……。彼女は覚悟を決めていたのだ。私が、思い至らなかったのか……。
便箋の輪郭が歪んだ。彼女の繊細な筆跡に、涙が雨粒のように落ちた。
長雨が止んだら、寺でお焚き上げをしてもらおう。そして天国の彼女に「日記帖」を渡すのだ。余計なことを、と怒られるかしら?
涙を拭いて、私は手紙を丁寧に文箱に戻した。
テーマ; 私の日記帳
→▷きさまとし◀
逃げなきゃ!
早く!! 走って!
振り向いたら終わり!
アイツと向かい合ったら、もう終わり!
……。
でも、どうやったら逃げられる?
アイツは、俺の影。
夕日に伸びた俺の影。
アイツ、急に立ち上がって赤い口を開けた。
「貴様と死」
全く意味が解らないけど
良くないことが起きてるってのは確かだ。
逃げろ!!
あぁ!! どうしたらいい!?
私ㇵ君丿一部。
遊ボウ⁴。
ズット一緒 ニ 遊ビタクテ、
夕日 ニ 助ケテ 貰ッタンダ。
嬉シクテ、君丿名前 ヲ 呼ンダョ。
「志都正樹」
…??
全ク意味ガ解ラナイケド、
君ㇵ怯エテ走リダシタ。
待ッテ!! 危ナイョ。
嗚呼、ソノ先ㇵ大通リデ……――
テーマ; 向かい合わせ
→短編・風鈴丘
夜、ひと気なく静まり返った風鈴丘に、一面の花風鈴が咲いている。
透明な花びらに様々な差し色が美しいスズラン科の花だ。
丘を渡る夜風に、花々はチリンチリンと涼しげな音を鳴らす。
この丘に名前がなかった頃のこと。
一組の夫婦が一輪の花風鈴を植えた。
毎年一輪ずつ増やしてゆこうと二人は決めた。
慎ましい生活での唯一の贅沢であり、夫婦の絆の証でもあった。
「心豊かなご縁が続きますように」
花風鈴の花言葉である「繋がる」にあやかった願掛けだった。
毎年毎年、花風鈴は数を増やしていった。
花の数が増えるように、夫婦も家族を作った。
丘を訪れる人々と共に、夫婦家族も花風鈴の音楽に耳を傾けた。
時が過ぎ行き、年老いた夫婦に代わって、その役目は子どもや孫へと引き継がれた。
花風鈴は丘を埋め尽くすほどに増えていった。
やがて家族は一族へと拡がり、夫婦は色褪せた写真にその姿を残すばかりとなった。
一族の誰かが丘を買った。
風鈴丘と名付けられたのはその頃だ。
現在、風鈴丘への立ち入りは有料である。
丘をぐるりと囲む高いフェンスが侵入者を見張っている。
写真映えするスポットとして有名で、多くの観光客が忙しなく往来する。
花風鈴を管理するのは専門の園芸業者だ。
所有者一族は遠い都会へと引っ越していった。
夫婦の想いは、まだ風鈴丘に残っているだろうか?
テーマ; やるせない気持ち
→海で。
白い砂利道に反射する太陽。
背の高い草に囲まれて、草いきれ。
そこに混じる磯の香り。
駆け抜けて、広がる風景。
海へ。
白い泡を立てた波は浜辺に打ち寄せ海へと還る。
砂に刻まれたリズム、地球の轍。
足跡をつける。足裏の砂が沈む。
砂に溺れる前に、一歩。
海へ。
海へ飛び込み、海に包まれる。
ここは誰も知らない秘密の場所。
あの子もこの子も、誰もここを知らない。
私だけの浜辺。
私はここでなら思い切り泣ける。
海で。
テーマ; 海へ