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6/29/2024, 3:51:01 PM

【入道雲】

ジリジリと肌を焼いていく太陽は、ちょうど自分の真上で影を作らせまいと躍起になっている。
田舎の夏はいつもこうだ。
低い山に囲まれ、田んぼに囲まれ、ひたすらに広い空が見下ろし、木々からは蝉の大合唱。夜はカエルに選手交代して、微かに揺れる風鈴と一緒にデュエットしてる。こんな田舎に『デュエット』なんて言葉は合わないかもしれないが…。

「ようちゃん、スイカ切ったからね」

縁側で座りブラブラと足を揺らしていたら、ばあちゃんが顔を出した。振り返ったときには暖簾が揺れているだけで、食べるなら台所から自分で持ってこいということか。まだ午後に入ったばかりで、気温も高くなりつつある季節で食欲があまりないからスイカは助かる。「よっこらしょっ」と口から漏れる。
夏景色に背を向けて、台所の暖簾に腕を通す。

「ばあちゃん、塩あるー?」
「あるよ。こんな暑い日にはスイカに塩だ。スイカ食って、食欲でたら、おにぎり作ってやっから言っておくれ」
「ありがとうばあちゃん」
「あぁそろそろじいさんが休憩にしに来んね」

そう言うとおぼんの上に麦茶が入ったボトルとコップ、作っていたおにぎりを持って、玄関のほうへと歩いて行った。
置いていかれたおれは、大きな机の上にある三角のスイカを何個か別皿に移して、振りかけるタイプの塩を持つ。先程まで居た縁側に持っていく。

蝉の声が出迎えするように大きくなっていて、無意識に「ただいま」と声に出ていた。あぐらをかいて座り、1つめのスイカに軽く塩をタンタンとかけて、大きくかぶりついた。
じゅわっと溢れる水分と甘さ、それに乗っかる塩っぱさに、自然と頬が緩む。今年のスイカも美味い。
じいちゃんが育てる野菜や果物はいつも絶品だ。
今は確か、夏野菜を育てておりキュウリはおやつ感覚で出てくる。あ、キュウリには味噌マヨ派だ。
なんて思っているうちにスイカの一欠片は無くなった。

「じっちゃーーん!スイカうめぇよー!」

玄関にいるであろうじいちゃんに向かって叫ぶ。

「そうがー!そりゃあ良かったわあ!!」

返事がかえってきたことに嬉しくなって、もう1つのスイカに手を伸ばした。
田舎の祖父母宅にお世話になっている期間は毎日が最高だ。都会の空気は狭苦しくて、どうも息が止まってしまいそうになる。なにより、広い空はビル群に隠れていて遠くの存在に感じてしまうのだ。

「たいようやあ!」
「なあん」
「西の方に入道雲が見えとる。今日のうちに収穫できるもんはしたいけー!あとで手伝ってけれ」
「わかったー」
「ばあさんがおにぎり作ってくれるけ、よう食べたら畑さ来いやあ!」
「そうするわあ」

「はい、おにぎり。しゃけおにぎりにしたで」

ばあちゃんの小さな手で作られたと思えない、
大きなおにぎりはいつも心が惹かれる。
ラップをとって、かぶりつけば塩焼きされた鮭のフレークが出てきた。それはもう本当に美味しい。

「そんながっつかんでも、いつでも作ってやるさね。  喉に詰まらせても悪いからね、気をつけるんよ」

おにぎりを腹いっぱいに詰め込んだ後は、
じいちゃんと一緒に夏野菜をひたすらに採った。
とうもろこしが大量で、あとでご近所に配るらしい。
じいちゃんが持っていた麦茶を少し貰って、空を見上げれば、広い青のなかにもりもりと上に伸びていく入道雲がこちらを見ていた。

6/28/2024, 3:32:35 PM

【夏】

夏休みと期末テストとの僅かな、放課後の部活動。
僕は外のデッサンとしてグラウンドの隅にいた。

元々体が弱いのもあって、何度も入院を繰り返した。そのときに心の支えになったのは、自由帳とクレヨンだった。
母と父は僕の前ではいい顔をして、心配したり笑かしたりと気を遣ってくれた。でも僕は知ってた。医療費が高くなりつつあって、それについて色々と喧嘩しているのを。だからその居場所が無くなる感覚を忘れるために、真っ白な自由帳を開いてはクレヨンで描きなぐっていた。
いつしか体調も良くなった頃には喧嘩していた父と母は安堵していて、申し訳なくて潰れそうだった夏を今でも忘れていない。

夏の香りはどの季節よりも濃い。
僕はそんな夏が嫌いだ。

木陰の中で野球部のバッターがよく見える位置に座る。この学校のエースが素振りをしているのが見える。エースの名前は、きょうへい。
実は幼き頃に病院で出会ったことがある。
『おれ、つよいバッターになるんだ!』
と今と変わらない笑顔で宣言していた。
その後、僕が先に退院してしまったこともあってどうなっていたかは分からなかった。しかし入学式のときに、同じ教室であの変わらぬ笑顔でいる彼を見つけたとき心底驚いたものだ。

「本当に、変わらないね…」

模擬練習だろうか、こちらに背を向けて立ったきょうへいの姿をしっかりと目に焼き付ける。そして膝元にある真っ白なページに、焼き付けた姿を描いていく。
逆三角の背中、太く筋肉質な太もも、柔らかに動く両腕……カキーン!響いたとき、構えた姿のきょうへいが紙の中に現れた。自分の中々の出来に、口元が緩む。

きょうへいは僕を覚えているのだろうか?

描き終えた背中にそっと触れたとき、
近くからポスッと音がして顔を上げた。

「みずき!」
「、え?」
「そこのボール、投げてくんね?」

きょうへいがこちらを見て、指を指した。
そこには野球ボールが落ちていた。
それよりも、、、

「覚えて……」
「ん?」
「僕のこと、覚えてるの…?」
「あったりまえだろ!」

にっと笑う、その顔に胸が張り裂けそうだった。
ドクドクと波打つ心臓を抑えつつ、落ちたボールを拾って少し高いぐらいのフェンスを超えるように投げた。

「さんきゅ、みずき!」
「どういたしまして…?」
「へへ、みずきがまだ絵を描いていて嬉しいよ」
「それは、きょうへいも」
「そりゃ世界目指してるしな!」
「あの頃と変わらないね」
「みずきの絵もあの時から上手かったけど、今じゃ国内での審査に出てるって聞いたぞ。」
「たまたま、だよ」
「努力の結果だろ?そんなふうに言うなよ。俺は嬉しかったんだぜ?」
「…そうだね」

居場所を求めて描いた絵に価値はあるのだろうか?
ただそう思うしかなかった。
幼き頃の自分を否定されたくないと思う気持ちもどこかにあって、全国に出るとて素直に嬉しいとは思えなかった。

「なぁ、今度うちに来いよ」
「え、!?」
「話せなかった時間に話したいことが増えてさ、もう溢れそうなんだよ。だから今度の部活休みの日に」
「…分かった」
「…お前だけだったから、あの時から応援してくれたのは…」

ビックリして固まっていると、遠くからきょうへいを呼ぶ声がした。よく通る声で返事をしたきょうへいは、「また明日な」と背を向けて走っていった。

夏の風はいつも一瞬だった。
でもその一瞬を忘れることは出来なかった。
あの幼い頃の思い出も、また。

「今年の夏は、ちょっと好きになれるかな」

こめかみを一筋の汗が通った。

6/27/2024, 3:41:09 PM

【ここではないどこか】

消えたいと思えたとき、私はとうしても死に対する恐怖が生まれる。私の中では、消えたいという思いと死にたいという思いは別物であり、消えたいと思うときの方が多い。誰の記憶にも残らずに、そっと砂のように消える。私の死体などどこにもないのだ。腐り、虫が湧き、体液が溢れるなど気持ち悪いとすら思う。そう思うと自傷行為などなんの意味もなく、刃物持てる力があるのならそのまま自死を選べばいいと、あまりにも自分勝手でおぞましい気持ちが過ぎるのだ。

「おい、マシュー!」

バチンっ!と音を立てて、タイプライターを使った日記には誤字が生まれた。
あぁ、、、また私は私の世界に没頭していた。

「すまない、ロイド。何か私に用かな?」
「あぁ、原稿が進んだか確認しにきた。
 といっても、あんたが日記を打ってるという事は終 
 わったんだな。あと何度ベルを鳴らしても、ドアを
 叩いても、あんたが出てこないから、不法侵入させ
 てもらったぞ。」
「ああ、なるほど…原稿ならそこのテーブルにある。
 確認したら持っていってくれ。…私は鍵をかけてい
 なかったのかな?」

ロイドは横に首を振った。ということは、不法侵入ではなく普通に鍵を開けて入ってきたのか。
ほう、と軽い息がもれた。

「なぁ、マシュー」
「なんだい?」
「ここから出たいと思わないのか」
「そうだね…たまには出たいと思うかもしれないな」
「まるで他人事だな…前は出たいと言っていたのに」
「気持ちが落ち着いたんだと思ってくれ」

その残して、夜の一杯を飲もうとキッチンへ向かう。
こんな夜にやってきたロイドの為にも、鍋を用意してミルクを温める。その間に茶葉をだして、サラサラと鍋に入れていく。ゆっくりと適度に回していくと甘い香りが広がっていく。
少しすり足の足音がこちらへと向かってきた。

「ロイヤルミルクティーか」
「ああ」
「あんたが作るロイヤルミルクティーは1番だ。
 どこの店に行っても、どうにも口に合わん」
「ふっ、それは光栄なことだ」

いつものカップに茶こしを通して、出来上がったロイヤルミルクティーを入れていく。寝る前の一杯としては上等なものができたと少々嬉しくなる。もう1つのカップを渡すといじらしくも両手で持つロイドが可愛く見えるから不思議である。

「なあ、マシュー」

今日3回目の名前を呼ばれて目を合わせれば、ゆらりと濡れた瞳があった。どうしてロイドが不安そうに見つめるのか、分からなかった。

「なんだい、ロイド」
「もし、もしだ。ここではないどこかに行ってしまったとしたら、このロイヤルミルクティーだけは忘れたくないと願うよ」
「……そうか」

あぁ、と微笑んだ顔はすぐにカップの底で隠れてしまった。
もし、私がここではないどこかへ行くとしたら──

「お前も一緒に連れていくさ。どこまでも」