除夜の鐘が鳴り響く。
その様子を家のテレビで見ている私は、ふと元恋人のことを思い出していた。
相手とはかなり良好の関係だったが、私たちそれぞれが属している家系の仲がそれはまあ悪かった。
お互いに諦めず両親達を説得したが、より上の家系までもが突っ込んで来る事態となってしまったのだ。まあ過ぎたことのためその辺はどうでもいい。私はゆっくりと目を閉じて過去に思いを馳せる。
ふと目が合えば微笑んでくれる姿。
ボーン。
美味しいものを口いっぱいに頬張る姿。
ボーン。
映画でボロ泣きしている姿。
ボーン。
……別れる日の後ろ姿。
除夜の鐘というのは煩悩≒欲を捨てて新しい年を迎えよう、という行事である。
だが、私はこれをいつか忘れて、捨ててしまうのだろうか。
ボーン。
最後の鐘が鳴る。
つまらない。退屈だ。私は今日も同じ日々を繰り返す。そんな日々から逃げるように、仕事に向かう途中は音楽を流し、現実を直視しないようイヤホンで耳を塞ぐ。
それが今日を乗り切る唯一の方法だというのに、なんとイヤホンを家においてきてしまった。
わざわざコンビニで買うほどではないし、そのまま向かうことにした。雑踏の中、目的地へひたすら向かう。
多くの足音。広告のポスター。飛び交う車。
電話をしながら歩く人。スーツ姿で何かを待っている人。
これはいつもの光景でつまらないことなのだろう。だが、生きている。みんな、つまらない中、今日までをひたすら生きているのだ。
例え退屈な、いつもの1人の夜だったとしても。何も成し遂げられなかった日だったとしても。
みんな、今までを、生きているのだ。
それはとてつもなく果てしないことで、「つまらない」なんてことはない。
つまらない日々を生きている私たちは、「つまらなく」はないのだ。
な〜んて。実質今がつまらないから、とりあえず私は脳内で音楽を流した。
澄んだ瞳がこちらを覗いているのがわかる。やめろ。見るんじゃない。いたたまれなくなってついに俺はその場からそっと離れ、ショッピングモールの中を1人早歩きで家に逃げ帰った。
駄目だ。まだ早い。
……犬を飼うのは。
俺は自分自身の世話だって出来ていないのに。給料は家賃や光熱費などで手一杯だ。もし犬が病気にかかったらどうする? 犬と俺共々生きてはいけなくなるだろう。
こんな葛藤を毎日のように続けている。じゃあ行かなきゃいいじゃないかと言われたらぐうの音も出ないが、無意識に足を運んでしまう。
「しっかりしろ……俺」
欲望を閉じ込めろ。今はあの瞳から逃げ続けなければいけない。
パソコン画面にペットの広告が混ざった転職サイトを映しながら、俺はそう呟いた。
海の底。
実際にいる場所はそこではないけれど、相手が簡単に手を差し伸べられるわけじゃない場所、という意味においてはおんなじ場所にいる。
そもそも僕が無意識かどうかは知らないけど、望んでここに来たんだろうし。
今日も、救いようのない、救われるつもりのない僕がここにいる。
時折上を見上げると、差し込む光が見える時がある。その光は僕にとってのものではないとわかっていても、僕のものにならないだろうかとつい期待してしまう。
今日も僕はウタを歌う。僕の気持ちを乗せて。僕の考えを乗せて。僕の好きを乗せて。
届け、伝えたい人に。どう解釈をしても構わない。聞いてさえくれれば。
でも、僕はウタを歌うのが下手だ。一人で何気なく歌う時は気にもならないんだけど、人前で歌うとどうしたって歪んで聞こえてしまう。なぜ?
おかげで僕のウタを聞こうとする人は減るし、僕自身もウタを人前で歌うことが嫌になって、もうずっと一人きりで歌っている。誰にも聞かれることのないまま、そんな寂しさを気に入ってくれないのだからしょうがないと心の奥に閉じ込めて、声が枯れるまで僕は歌うのだ。