《たまには》
「こういうのもいいんじゃない?」
いつもだろっつったこと、まだ根に持ってんのか。
「だってさぁ、疲れちゃうのは仕方ないよ」
甘えだって言ってるだろ。
「だから許してよ」
許す許さないの前に、勝手に消えるんだろうが。
「ごめんね、置いて逝っちゃって」
また、を付け忘れんなよ、馬鹿野郎。
たまには短くてもいいですよね……?
幾つさのお題混ぜててキメラ爆誕目指してるのかなって……恐ろしく筆も遅いし……僕なんですけど。
《欲望》&《たった一つの希望》
&《大好きな君に》
それを情だと勘違いしていた頃が、酷く懐かしく思える。
今にして思えば、元より枯渇を早めるだけの存在であり関係でしかなかったというのに。
月明かりに晒された、異様に白い肌が視界を焦がす。
「何の真似だ。首の詰まった服以外は着るなという約束だった筈だが」
興奮を抑えた声は、思いの外低かった。
「……約束破ったのはそっちだろ」
はっとした。
気付かれていたのか、と驚くが安堵もした。
目の奥が熱くなる。
「そうだな、俺の方が早かったな」
だからもう、いいよな。
恐らく抵抗はないだろうとみて前に立ち、両手を拘束することもなく肩を押す。
「ふぅん。潔いいんだね」
「……っ、はぁ……はっ…………」
緩慢な動作とは裏腹に、呼吸は急いていた。
喉が、渇いた。
ただほしい。
「いーけど、後悔しても知らないよ……」
予想通り、寧ろ受け入れられる形で視線が合った。
自分の影が落ちたその首に顔を近付ける。
後のことなんてどうでもよかった。
この渇きが満たされるのというのなら。
「…………ッ、ぁ」
歯を立てて一瞬の抵抗の後に、黒く染まった紅が溢れ出す。それに舌が触れた瞬間、甘みが走った。
狂おしい程甘美で、濃厚なそれ。
渇望を満たすが為の、最高に美味しいと思えるものだ。
「あッ……やっぱり、慣れっ……ない、な……」
何かを言っているが、どうでもいい。
ただ、渇きを埋めたい。
至高の甘みとやらに、支配されていた。
約百年ぶりの味だ、無理もない。
生まれたのは七百年程前だったように思う。
それから、姉と慕う存在が獲物を分けてくれた。
少しして力が付くと、赤子を狩るようになった。抵抗もされずに手に入るからだ。
狩りの対象が赤子から子供へとなり、大人へと変わるまでに半世紀も掛からなかった。
それから、百五十年は飽く程好きに生きた。
食事ではなく快楽が為に狩ることもあったし、浴びる程飲んだこともあった。
きっと、恐らく当時は恵まれていた。
だが、今から五百年前に誤って同族の血を飲んでしまった。
過度な甘さを誇るそれは、一口で吐き出してしまう程だった。
本来であれば、狩る側の存在が狩られる側に堕ちることは屈辱だろう。
だが、アレは少し頭が可笑しかった。
喜んで迎えたのだ。
それ故に、実際に歯を突き立てるまでは同族だと気付けなかったのだ。
そしてそれ以降、多くは求めなくなった。体が拒絶するのだ、仕方がない。
相手が枯れてしまっても、都度吐き出したからか十口しか飲めていないということが多くなった。
赤ワインで気を紛らわせ、時に肉を食らって気休め程度に摂る。
そんな日々を四百年続けた頃、最低最悪の夜を迎えたのである。
*
ここまで必死にがっつかれるとは思っていなかった。
耳元で声がしている筈だが、それすら聞こえていないだろう。
「……い、たい……て……っ……」
下手くそ、ブランクが長い。
煽ったのはこちらだが、きっかけを作ったのは向こうだ。
「も……二度と……飲まないっ、て、言ってた……のにッ……」
嘘吐き。
心の中で続けた言葉は、今の思い出によるものではなかった。
遠い誰かの、いや、自身の記憶。
今から百年程前のこと。
再会した当時、弱くなっていた理由を知りたかった。
彼はお前の所為だ、としか言わなかった。
一度そちら側に立った存在を同族として認められず、餌として殺す気でしかなかったのだ。
だから敢えて利用した。
次は——人間がいい、と願いながら。
予想通り、抵抗もせず好きにさせていても餌としての役割以上を求めてこなかった。
爪で掻くこともなく、悪戯に斬ることもない。ただ手や指で皮膚を、口でその下とを触れるだけだった。
零れるのも気に留めず、首では飽き足らず、手、指、脚、腕……好きなように味わっていたのだろうか。
いや、酷く飲めたものではない、とその瞳は物語っていたから、彼の矜恃の成せることであったのだろう。
同族は餌としてはならない。
それが我々には本能的に備わっている。
なぜなら、元々甘いからだ。
甘ければ甘い程求める存在である我々にとって、同族が餌となるのは面白味がない。
我々の存在自体が高貴なのであって、そこに優劣も上下もないとしたのだ。
対して人間のものは差程甘くない。だが、そこに感情が加わることによって甘味を増すのだ。
その増した甘みの方が蕩けるようで、我々を特に魅了するのだった。
けれど、興味が湧いた。
どんな感覚がするのだろうか、と。
食事中に餌は快感を覚えるらしく、それが首だから覚えるのかと気になったのだ。
果たして、首からの行為は酷く快楽に満たされた。後に聞いたことだが、首は性感帯の一つされている。それが理由なのだろうか。
たった一度、一口でそう感じたのだ。
果てるまでそれを繰り返された時、どうなるのだろう。
そう思って四百年経ち、再び会うことができた。
体の至る所から歯を立てられたが、それらも脳に無理やり快楽を捩じ込まれたかのように感じられた。
ああ、そうか。
これが餌の終わりで、快楽の中で死ねるということなのだろう。
けれど、満足したわけではなかった。
彼も同じ気持ちに堕としたい。
そう願ったからか、運命の悪戯か。
想いは叶うのだと知った。
意識が戻っても、人間として生きることは不快ではなかった。
寧ろ目新しいことだらけで、永い時を過ごしたが退屈の多かった頃を思えば楽しかった。
一番の理由は、偶々彼と出会えたことだろう。
それも定められていたのかも知れないが、物心つく前から傍に居てくれた。
それで、終わりは定まったのだ。
「これで、漸く——」
吸血鬼の恍惚とした目で血を啜る様を見て、吸血鬼であった少年は笑った。
「大好きだからね、ずーっと」
《現実逃避》
帝都の中央に据えられた、帝国公認機関。
帝国中で義務と定められている、第一試験なる霊力を計る試験で合格した者のみが、所属の権利を与えられる。
そして、その中でも所属を希望する者が第二試験を受けることができる。
それに合格すれば組織に所属することができるのだが、合格率は三割程度と、低かった。
第一試験の合格率八割に対して、あまりにも低いのではないか。
そう唱えた者が過去に多くいたそうだが、それは組織によって取り下げられた。
理由は単純、組織の任務は命の危険と常に隣り合わせだからである。
霊を祓うことの難しさや恐ろしさは、当事者ら——除霊師らしか知りえない。
窓枠の中を桜が舞う。
艶やかな黒髪を流し、ブーツの踵を鳴らして涼風は廊下を歩いていた。
腰に履いた太刀に結んだ、紐を弄りながら。
「——涼風!!」
名を呼ばれ振り返ると、同期の江藤が駆け寄ってきた。
色素の薄い短髪に、同色の瞳。耳にピアスを複数付けているからか、不真面目そうに見える。だが、実際は同期想いで情に厚い男だ。
「霊が怨霊化してたって聞いたけど……大丈夫だったのか!?」
「まぁ、なんとかな。ギリギリだったけど」
霊は命日から四十九日を過ぎると現世の感情やら念やらによって魂が穢され怨霊化する。
本来の霊であれば数日で自然に成仏する為なんら問題はないのだが、時折霊力が高かったり未練の強い者は長く現世に留まる。
そういった現世に長く留まった霊が怨霊と化す前に祓うのが、除霊師の任務だ。
今回の霊は捜索に時間が掛かってしまった所為か、対峙した時には怨霊に堕ちていた。
怨霊と化した霊は、本能的に人を襲う。
「政治家の奥さんだったっけ。浮気されて自殺したって聞いたから、怨念が強かったろ」
「まぁ……ツネちゃんに手伝ってもらったから」
ツネちゃんというのは、本名はなんだったか、涼風に憑いている狐のことである。狐だから、ツネ、だ。
名もない神様と認識されたツネちゃんは、どこかの土地神だろうと皆納得した。
涼風の霊力が高い所為か、変なモノに懐かれやすいからである。
「そのツネちゃんは今どこにいるんだ? いつもなら肩の上にいるのに」
「力使って疲れたから、お昼寝中だよ」
きっと今頃、部屋で丸くなっている筈だ。
涼風にしか聞こえていないらしい声で、寝言でも言っているのだろうか。
「なら、お前も疲れたから丸一日寝込んでたのか?」
「はは……心配かけてごめんって」
任務遂行が第一だが、怪我が酷かったようで丸一日回復に費やしてしまった。
「心配させられたお詫びに、この江藤様に奢ってくれてもいいんだぞ?」
「誰が奢るかよ。寧ろ頑張った俺を労ってくれよ江藤〜」
「わかったって。これから時間あるか?」
「悪い、報告に呼ばれてるんだ」
「そっか。じゃあまた今度飯行こうぜ!」
「おう、報告行ってくるわ。じゃあな、江藤」
涼風はこういう、江藤との気の置けないやり取りが好きだった。
親友と別れて歩き、廊下の突き当たりにある上司の部屋に着く。
「涼風です。報告に上がりました」
「入れ」
報告は正確かつ端的に。
上司の方針に従って涼風は報告をする。
「対象は怨霊化し、鎮静を図りましたが抵抗が激しく、討伐に至りました。死者は出ませんでしたが、依頼者が負傷。命に別状はありませんが、念の為帝都の病院に入院しています」
「そうか、良く帰還したな。精進せよ。……次の任務はこれだ」
「はい。失礼します」
上司と対峙しているのは息が詰まる。
早々に退室した涼風は、新たな資料を手に自室へ戻る。
「あっ、先輩! 起きてたんですか!?」
「ハナちゃんじゃん。久しぶり」
廊下の途中でふわりと桃色の髪を揺らし駆け寄って来たのは、後輩のハナちゃんだ。
「ハナちゃんじゃなくて、花崗ですっ! あんなに怪我してたのに、五体満足復活……!?」
「ツネちゃんが手伝ってくれたんだよ。心配してくれてありがと」
ハナちゃんの突っ込みはいつも通り無視して、その頭を撫でる。
「あの土地神、中々やりますね……っておかしいですよ! 絶対死んでる傷の深さだったのに」
「そんなに俺に死んで欲しかったの?」
「そんな訳ないんですけど!」
素直な後輩を揶揄うのはよせ、といつもならツネちゃんが諌めるところだが、今日はいないのだ。自重するべきか。
「というか、俺の怪我ってそんなに酷かったんだ」
「そうですよ!」
手を下ろして問うと、食い気味に詰められた。
ハナちゃんは救護班で、口振りからするに涼風の手当を担当してくれたのだろう。
思い出したのか、呆れたように続ける。
「先輩の傷酷過ぎましたよ? 右目は潰れてましたし、左腕は肘から下が欠損。腹が半分抉られて、左脚は腿から下が切り刻まれてました。それに、背中に怨気のこもった矢を六本受けた上に、全身の小さな傷も馬鹿にならない数で……」
怨気、というのは怨霊の攻撃に付随する力で、直人が受ければ魂を穢される。
魂が穢された者の多くは、殺人衝動に襲われたり常軌を逸した言動を取るようになる。
除霊師にはそういったモノに対する抵抗がある程度備わっているが、傷口から直接体内に侵入して来た怨気は強力だ。
正気を保っていられる涼風の方が、この場合は不思議だろう。
「手当しても傷が多過ぎて……一体何をしたらああなるんですか!」
「怨霊化したのを除霊したらああなったんだって」
「うぅ〜……もっと自分を大切にして下さいよ!!」
「わかってはいるんだけどなぁ……ま、気を付けるよ」
ハナちゃんが強く言えないのは、涼風の任務内容が過酷なものだと知っているからだ。
今回の任務も涼風一人に任されたのだが、その時点で人手不足と最前線の厳しさが伺える。
本来霊の捜索から始まる依頼というのは、最低でも二、三人で行うもの。
それを一人で行うのは大きな負担だ。
また、怨霊を発見した涼風が応援を呼んだが、すぐに駆け付けなかったということも聞いているのだろう。
それだけ人手が足りていないのに、依頼は幾らでもあるのだ。多少は無理をするのもやむを得ないが、涼風は余りにも危機感が足りなかった。
それを常々思うハナちゃんは、口酸っぱく注意喚起をするのだ。
「いいですか! 今度無茶しても知りませんよ? 治してあげませんからね!![#「!!」は縦中横]」
「そんなこと言わないでくれよ〜! ハナちゃん以上に腕の立つ救護班の人なんていないんだからさぁ、また今度も頼ませてくれよ」
ハナちゃんは創立屈指の実力者で、最前線に立つ能力はなかったものの救護班のエースとして活躍している。
人体構造の理解と、回復を促進する術式の構築が得意なのだ、と本人から聞いたことがあった。
「……まあ、仕事で振り分けられたら回復してあげますけど。怪我減らして下さいよ?」
「善処しまぁす! ……んじゃ、そろそろツネちゃんが起きるだろうから戻るわ。ハナちゃんまたな、ありがとう」
「はい! 任務お疲れ様でした」
先程受け取ったばかりの資料を持ち直し、自室へと向かう。
扉を開け中に入ると、見慣れた執務室である。
当然だ、涼風の執務室なのだから。
「——……ツネちゃん?」
その声に、伏せていた顔を上げ、胸に飛び込む。
涼風だ。
「ツネちゃん、おはよう」
『涼風っ、おはよう! 涼風!』
「どしたの? 今日は熱烈だなぁ」
椅子に座った涼風の膝の上で丸くなると、手に頭を擦りつけてくる。
「なんだ、撫でてほしいのか〜? よしよし、起きて独りでびっくりしたんだろ。ごめんなぁ」
『涼風が居てくれるなら、何でもいい! 涼風っ、どこにも行かないで』
「あぁ…………うん、そうだな」
涼風は小狐の背をを撫でながら、資料を手に取った。
「……ありゃ、これ、期限明日までじゃね?」
『うん! 今から任務行こっ』
「忙しいのなんのって! ツネちゃん、手伝ってくれな」
ご機嫌な狐を肩に乗せて、涼風は任務へと向かった。
涼風の主な得物は剣だ。
斬る為には接近する必要がある為、ツネちゃんが術式で結界を展開してくれていなければ、今頃多くの傷を負っていたことだろう。
どれほど場が緊迫していても、ツネちゃんが焦ることはない。土地神と言えども神様だからだろうか。
「涼風! 後ろっ」
「——これで最後だッ!」
仲間の声も聞きながら、涼風は剣を振るった。
これで今回は依頼完了である。
「お疲れ様、ツネちゃん」
『涼風、帰ろう』
涼風は嬉しそうに笑って、仲間の元へ向かった。
毎日、依頼が幾らでも積まれていく。
その多さに辟易しながら、ツネちゃんは資料を摘んだ。
「ツネちゃん、疲れたの?」
『うーん……』
「そっか。なら、もう、止める?」
『止めない』
「なら、ちゃんと責任取ってくれよ〜」
『……取る』
似たような会話を日々重ねた上でのこの会話だ、涼風も苦笑い気味である。
「俺がぶっ倒れた日からもうすぐ三十日経つか……」
『涼風、涼風』
「そろそろ重要な仕事、行くっきゃないな?」
『涼風——』
ツネちゃんは嫌な胸騒ぎがした。
涼風がまた無茶をした。
その報せを聞いた花崗は、軽負傷者の治療を他の人に渡して、重負傷者の運ばれた部屋へと走った。
幸い涼風の他には大きな怪我はなかったようで、扉を開けてすぐの寝台に寝かされていた。
花崗は努めて冷静に診察を始めた。
「先輩また怪我して……あれっ? 傷が、ない……?」
大きく服は裂かれているものの、血が付いているだけで傷口がない。また、怨気も残されていなかった。
それを認めて、花崗は部屋を飛び出した。
「江藤先輩ー! どこにいるんですか、江藤先輩!?」
「おー、どした、花崗」
江藤も涼風の話を聞いたのか、こちらに向かって来ている途中だったようだ。
「聞いて下さいよ! 涼風先輩に傷がなくって……!」
「おー……おー? それはいいことなんじゃないのか」
「よくないですよ! 救護班でもない先輩が、傷をどうやったらすぐ消せるんですか」
「あれだろ、今回は最初から怨霊を祓いに行ってるから……形代を使ったんじゃないか?」
形代とは、除霊師の使う術式の一つだ。
予め人型の紙に術式を書き込んでおき持っていれば、霊力を大きく消費するが好きな時に発動できる。
発動していれば、次に来る怨霊の攻撃を形代の紙に肩代わりさせられるのだ。
例えば、避けられない攻撃が来た時に、その一撃を浴びる前に形代を発動していればその傷は紙に移される。つまり、無傷で済むのだった。
「最初は僕もそうかと思ったんですけど、致命傷に成りうる大きな切り口が五つ在ったんです。血も付着していました」
「血は他の奴のかも知れんが……形代発動に、めっちゃ霊力喰った筈なんだけど」
「そうですよ。三十日程前に先輩に聞いた時は、一日で三枚発動するのが限界だって言ってました。それもツネちゃんの力を借りた上で、だそうです」
「なら無傷は可笑しいよな……他の奴に追加で複数掛けてもらう程、自分が生き残ろうとは思ってない奴だしな。あいつは自分の実力を過信してるし」
「そうなんですよ……なんか、変ですね。何かを見落としている様な気がしてならないんですけど」
「本人に聞くのが早いだろうが、難しいよなぁ……。まあ、取り敢えず様子見に行こうぜ」
「あ、はい! 多分まだ寝てると思いますけど……」
江藤と花崗は涼風の元に向かった。
「あ?」
「えっ?」
だがそこには既に涼風の姿はなく、小さな紙が置かれていた。『傷はツネちゃんに治してもらったから、また今度よろしく〜』と書かれた筆跡は、涼風のものだ。
「勝手に出て行くなんて許せません! けど、他の負傷者もいますので僕は一旦これで失礼します!!」
「お、おう……」
怒り心頭の後輩に、江藤は気圧されながら返す。
「……にしても、ツネちゃんって何者だよ」
その呟きまでを拾って、狐は立ち去った。
終わりを、悟って。
あれから二十日後。
任務を四つ片付けた後、夕闇の中涼風は神社に来ていた。
過去に一度だけ、涼風が訪れたことのある神社だ。
「……ツネちゃん」
『涼風、先に行ってて』
涼風は足を止め——闇に消えた。
鳥居の下に続く石段を登って、彼は辿り着く。
百の鳥居を潜った先にあるのは、社だ。
帝国で最も広く知られている神が祀られている社。
常磐神社だ。
「——涼風」
その声に振り返ると、石段を上がってくる人影があった。
「ツネちゃん……!」
ツネちゃんは、小狐の姿を取っていただけである。
本来の姿は、こうして、人に近いものであった。
白髪を揺らして、無垢な瞳で涼風の姿を認めた。
「涼風、遅くなってすまない」
狐の姿をしていた時は制限されるらしい、神本来の意識が、今のツネちゃんにはある。
その為、幼さも抜け、威厳のある神になるらしい。
「遅いけど……まあ、まだ間に合うからいいよ」
「そうか。ならば、疾く終わらせよう」
目を伏せたツネちゃんを、涼風は抱き締める。
「嫌なことさせてごめんな。でも、もうそろそろ俺が意識を保ってられないんだ。あと十分も持たないかな、多分」
——霊は命日から四十九日を魂が穢され怨霊化する。
涼風は、あの日。
とうに死んでいたのだった。
それを受け入れられなかった神は、騙ることを決めた。
涼風と、伊達に四年間過ごしていないのだ。
癖も何もかもを把握していた神だからこそ、できた芸当と言えよう。
「ツネちゃん、時間がない。もういいよ、俺は十分過ぎる程幸せだった」
「涼風」
涼風なら、どうするのか。
その答えをわかっている神だからこそ、苦しんでいた。
涼風の愛刀を、抜く。
「ツネちゃん。俺、できるだけ消えないようにするから。忘れないで」
「忘れるものか」
陽の落ちる瞬間、神は剣を下ろす。
「先に行って待ってるから、疲れたら俺のとこ遊びに来てね。ありがとう——常盤様」
最期に、やっと名前を呼んでくれた彼を想って。
「——涼風、颯」
消えた涼風の証を探すように、常磐は、神しか知らない名前を口にする。
「なぁ、教えてくれ。我に何故守れなかったのだ」
帝国の守り神であり、現世と常世を統べる神は。
「颯」
常磐様は、それでも消える訳には行かないのだ。
「颯」
仮令、大切な者を守れなくとも。
《君は今》
その目に誰を映しているのか。
俺には関係の無いことだけれど、そう思ってしまった。
「なぁ、なんで泣くんだよ」
頼むから涙を見せないでくれ、と願う理由もわからない。
幸せだったんじゃないのか。
幸せだと君が言ったから俺は納得したのに。
だから、頼むから泣くな。
「やっぱアイツのせいなんだろ」
君は決して俺の言葉に頷かない。
ただ、あたしが悪いんだとだけ言ってまた顔を伏せるのだ。
なにがあったのかも、なにを感じているのかも答えてはくれない。
それでも、1人にだけはするものか、と俺は隣で座り込んだ。
とはいえ、俺如きが君の傍に居てもなんの役にも立たないことは知っている。
「なぁ、お願いだ。教えてくれよ」
だからせめて、これだけは知りたい。
「君は今、誰を見て、なにを想ってるんだ」
目の見えない俺にとっては、君の話す言葉でしか全てを知りえないんだから。
どうか。
どうか。
君が笑っていてくれますように。
その為の手伝いくらいは、俺にさせてくれますように。
神様、お願いだ。
《0からの》
偉大なる魔法使いはこう言った。
「人類は発展を続けてきた」
偉大なる学者はこう言った。
「けれど発展とは1があるから成るものだ」
偉大なる王はこう言った。
「0からの発展とは存在しない」
偉大なる戦士はこう言った。
「なれば、初まりの1を生み出すものは何か」
偉大なる魔術師はこう言った。
「それは世界を構成する想いの成れの果てである」
偉大なる天使はこう言った。
「そこに在ってけれど目に映らぬもの」
偉大なる悪魔はこう言った。
「時に法則性を人が身勝手に定めるもの」
偉大なる神はこう言った。
「0からの初まりとは、我らの与えし試練である」
愚かな者はこう言った。
「不条理な環境を良く見せる為の詭弁だ」
……そうして世界は改竄を経て、巡ると言う。