エイプリルフールに
嘘をつかないことにしている。
理由は、
嘘を考える時間に理由を見出せなくなること
嘘をつくことで得られる幸せが見つけられないこと
どんな嘘でも本当でないなら誰かを悲しませてしまうリスクがあること等だ。
しかしながらエイプリルフールというのは
私達にとって存在意義があると感じている。
何故ならこの日だけは大なり小なり
「嘘」を意識して一日を過ごすことになるからだ。
日頃嘘をついている人は、その愚かさに気づいて姿勢を正したり、はたまたもっと大きな嘘を思いつくかもしれない。また日頃から誰かに騙されているような人は、この日に次々と訪れる見える嘘や見えない嘘に怯えて暮らすかもしれない。
そういう私も、この日は嘘はつかないと言っておきながら
日頃は無意識に話を盛ってしまったり、相手が傷つかないように方便として意図的に婉曲に表現したりする、そういうきらいがあると自覚した一日だった。正確に言えば、私はエイプリルフールにしか嘘をつかないのかもしれない。
そう考えるとぼんやりとした真っ赤な嘘が、急に後ろに突っ立っているような気がして怖くなったのだ。
あなたにとって
今年のエイプリルフールはどんな日でしたか?
日本の幸福度ランキングは現在51位。
幸せになることは
どんどん日本人にとって難しくなっているらしい。
インスタグラムを開いてみる。
豚の貯金箱の画像があったとする。
令和6年において
そこには様々な情報が加えられる。
例えば、
#この貯金箱は有名なデザイナーがたった数個しか作らなかった一品で、
#さらに塗料も希少性の高い鉱石を使って作られたもので
#普段は売るということは決して無いものの
#個展に本人がいた場合に話しかけて上手く行けば気まぐれでプレゼントしてくれるという
#幻の…etc
どれだけオンボロに見えても
付け加えられた情報こそに価値が見出され
その貯金箱を持っている人がもてはやされていく。
高級か、稀か
どんな異質さがあるのか
人々は嗅覚を研ぎ澄まし囃し立てる。
どんな人が貰えたのだろう?
どうやって貰えたの?
なにか良くないことでもしたのか?
どうせ彼と繋がりがあるんでしょう?
ずるい!
金持ち自慢?
羨ましいわ。
こういった感情が幸せを呼ぶわけはない。
SNSの普及により、
見栄を張ったり充実した暮らしをUPするために
様々なものを犠牲にする人も少なくない。
何にも知らない人々の
本来見なくてもいいものを
見過ぎているような気がする。
幸せになるには
他人ではなく自分や目の前に居る人を見ること。
そうは言ってもなかなかね、と思いながらも
一つだけ行動してみる。
今日は寝る前にインスタ見るのはやめてみよう、
とかね。
卒業式が終わった。
担任の結びの挨拶もあと少しで終わる。
授業中に目で追ってしまうことも
妄想に胸を膨らませることも
きっともうない。
同じクラスだったのに
言葉をまともに交わせたのは
確か文化祭の前準備の時だけ。
「ありがとな!」って彼の言葉は
ただのクラスメイトに対して発した
フラットでなんの特別もない感謝だった。
何にも知らない
屈託のない笑顔を向けられた時
傷つけちゃいけないって思った。
私の好きな人は
私の好きな人のまま
終わることができる。
彼は友人と楽しそうに話しながら
私の横を通り過ぎて階段を降りていった。
何気ないふりをして近づくことは出来なかった。
本当の偶然をただ祈るように待っていた。
待っている時間で満足できた。
咲かず散らずで綺麗なまま
そっと胸の奥に仕舞われる
私の初恋。
ハッピーエンドって
人生の途中の中継地点で得られるご褒美みたいなものだ。
だってハッピーなのだから。
例えば
好きだった人と喧嘩したり、離れたりしながら
やっとの想いで叶えることができた恋愛や結婚。
目標を立てて、それに向かって数字を上げたり
努力して達成できた会社やチームでの大仕事。
またはそれに伴う昇進や独立なんかも。
スポーツをやっている人であれば第一位獲得とか。
しかし、ハッピーエンドの次は
またすごろくのスタート地点に戻るのが定めだ。
人生はなおも続く。
どんな恋愛をしようと
どんな成功をしようと
人が最後に迎えるのは死である。
多くの人はその瞬間をハッピーエンドだと
思えるだろうか?
悔いなく生きた、またこんな人生を生きたい!と
最後に思えたならハッピーエンドと言えるかもしれない。
まだ生きていたい、死にたくない!
こんな終わり方は嫌だともがきながら
バッドエンドだと感じる人もいるかもしれない。
私は人が亡くなると
最後に見える景色について
想像してしまうことが少なくない。
恐らく日本における殆どの人が病室か自宅の天井を眺めることになるだろう。
あの真っ白な余白を見て何を感じるだろう。
余白など見えないくらいに精一杯生きた思い出で溢れてきたら、きっとそれはハッピーエンドだと思う。
第四話
(全四話 お読みくださった方ありがとうございます)
車のバックする音が聞こえる。
暫くの間、目を瞑ったままいたらそのまま本当に寝てしまった。上司に気を遣うこと以外はユルい事務の職場だと思っていたけれど、ここ数ヶ月は相当疲れていたようだ。
それにしても今まで、裕斗の助手席で寝てしまうなんてことあっただろうか?彼にどう思われても良いという、ヤケクソな自分が居るという事だろうか。
「あー、やっぱダメだ!!」
裕斗の大きな声で目が覚めた。
「どうしたの?!」
咄嗟に出た言葉でさらに裕斗を傷つけてはいないかドキドキした。さっきまでしっかりと寝ていたくせに。
「色々考えてたんだけど上手く出来そうもないや」
一体なにのことだかわからない。
焦った顔して見つめられると、次に出てくる言葉は何なのか怖くなる。
「待って…これって別れ話?」
「いや、そう思わせてたとしたらごめん。
実は転勤が決まって」
「え、別れ話じゃん」
「じゃなくて…」
裕斗の計画では、初めてのデートで行った植物園に向かう予定だったらしい。私が寝ている間にスマホで確認したら水道の故障で臨時休業になっていて、ある作戦がダメになり、どうしたら良いのか考えていたらしい。
裕斗は前から計画性はあるけど、変化に伴う適応力があまり無い。もっと相談してほしいと最初の頃は言っていたけど、結局自分で決めるので後からちょっと困ったことになっていたのを思い出した。
でも、やると決めたことは絶対やり抜くし、後輩の面倒見も良い。先輩でも間違ったことは間違ってるとハッキリ言うタイプだ。人よりも少し不器用だけど、真っ直ぐ、実直に生きる姿が好きだったことを思い出した。そういう彼が好きだから、こうやって今まで側にいたのだから。
「その、ある作戦ってなに?」
「いや、あの、プロポーズ」
この手の話は急にやってくるとは聞いていたが、今なのか。裕斗ははっきりと私を見つめている。三年前に戻ったみたいだった。
「昇進してから、というかする前あたりから。気にかけてあげられてないのは分かっていたんだけど。どうしても気持ちが前に行っちゃってて、仕事を頑張れば美咲との関係も進められるって思ってたんだ」
「 頑張ってるのは知ってたよ。仕事の話聞かされる度に。裕斗に比べたら、私なんてちっぽけなことで悩んでたりして私も私で相談できなかったし。ごめんね」
「別に張り合わなくてもいいのに、美咲が俺に劣等感みたいなものを感じてるのは分かってた。だけど、仕事頑張るしか思いつかなくて。…ごめん」
「こうやって感情出して話すの久しぶりだね」
「そうだね」
コンビニの駐車場で今までのことをずっと喋った。
何も持ってない、何も背負っていなかった時の二人に戻って。お父さんが言っていたのを思い出した。
『ニンゲン、大事な人に謝れなくなったら終わりだ』って。
「あの時植物園で買ったサボテン覚えてる?」
「ああ、上がピンクで小さめのやつ!確か裕斗の家が日当たりが良いから、ウチからそっちに移したんだよね」
「そう。あれだけは大事に育ててたんだけど、昨日枯れたんだよね」
「…そうなんだ」
「その時、サボテンに警告された気がした笑」
「なにを?笑」
「美咲は死ぬまで大事にしろって」
私達は終わり、じゃないかもしれない。
ー終ー