巡り逢いという言葉を分解してみる。
巡る。回って、また戻る。
逢う。寄り集まって、1つになる。
巡り、そして逢う。
これが巡り逢い。
日が上り朝になる。
そして、日が落ちて月が登る。
月が眠ったと思えば、日が上りまた、朝になる。
-空はずっと巡っている。
時計の針が12時を超えた。
そして、針はもう一度12時を目指す。
針は12時をめざして、追い越して、また目指す。
-時計もずっと巡っている。
人が動く。
僕も動く。
電車も動く。
車も、バスも動く。
飛行機も動く。
決まった時間に、決まった通りに動き続ける。
誰かとすれ違い、ぶつかり、すれ違う。
動いて、休んで、また動く。
-人間だって巡り続けている。
全てのものは巡っている。
けれど、巡れど同じものに会うことはない。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
-方丈記
物は全ていつも巡っている。
人もお金も水も時間も空も。
けれど、例えどれほど巡っても元のものでは無い。
昨日、僕の隣に座った人は今日は居ない。
昨日、僕が使った百円玉はお釣りの百円玉では無い。
昨日、僕のシャワーで使った水は今日のシャワーからは出ない。
巡って巡って、昨日が今日になり、そして今日が昨日になる。
そうやって1つの時間となる。
人間が動き、休み、また動き。
巡り続けることで1つの地球となる。
物は使われ、捨てられ、また使われる。
巡り続けることで1つの物となる。
巡り、そして逢う。
何かが巡り、ひとつの何かになる。
これは、常に変わらぬことなのだ。
だから、巡り逢えたのは決して偶然では無いのだ。
だから、巡り逢ったのはただ運が良かっただけでは無いのだ。
巡り、そして逢う。
何時かの小さな巡り逢いが、僕の人生を作っていく。
巡り逢いが、巡る。
巡り逢いは、ずっと巡り続ける。
僕にとって嫌な出会いも、
そして僕を変える出会いも、
いつか巡り逢う。
この文を読んだ君ともいつか必ず巡り逢う。
巡り逢い、そしてまた、巡り逢う。
さて、どこへ行こう。
僕は鳥になった。
翼を広げて空に行った。
僕の街が小さく見えた。
真上の空が近く見えた。
だけど、何か違った。
次は、どこへ行こう。
僕は魚になった。
ヒレを動かし海に行った。
青い海は透き通っていた。
見知らぬ魚の踊りを見ていた。
だけど、どこか違った。
今度は、どこに行こう。
僕はアリになった。
小さな足を動かし地面を歩いた。
いつもの道が冒険に思えた。
小さなお菓子が宝物に見えた。
だけど、違った。
どこへ行こう。
僕はモグラになった。
手を動かして土の中を進んだ。
土の中の友達と出会った。
木の根っこが大きいことを知った。
だけど、やっぱり違った。
僕はどこへ行こう。
僕は誰かになった。
僕の知らない声で誰かと話した。
誰かの人生は楽しそうだった。
僕のいつもとは全く違った。
だけど、結局。
何か違った。
どこへ行こう。
どこへ行こう。
僕は僕になった。
いつもの日常に戻ってきた。
僕には、空を飛ぶ翼も、海を泳ぐヒレも。
何かを運ぶ強い足も、自由に土を掘る大きな手も。
そして、誰かのように楽しい人生も無いのだ。
だけど、僕は僕に落ち着いた。
僕は僕の足を、手を動かした。
僕は僕の声を聞いていた。
僕は僕の人生を思い出した。
僕は僕を思い出した。
さて、僕はどこへ行こう。
そうだ。空を見に行こう。僕だけの空を。
そうだ。海を聞きに行こう。誰もいない海を。
そうだ。お宝を見つけに行こう。僕だけのお宝を。
そうだ。土の中を探検しよう。僕にも小さな出会いを。
そうだ。僕は僕になろう。僕だけの人生を受け止めていこう。
さて、今から、ここからどこに行こう。
BIG LOVEという言葉を聞いて思ったことがある。
BIG LOVEがあるのならSMALL LOVEもあるべきだろう。
BIGLOVEとは、直訳すると大きな愛であるが、ネット上では大好きという意味で使われるらしい。
僕は愛=好きであるのか。
と疑問に思った。
愛どんな言葉なのだろう。
僕はこう思う。
愛とは便利な言葉である。
例えば、
愛している。
この言葉だけでいくつの意味があるのだろうか。
恋愛としての愛。
家族としての愛。
友情としての愛。
自分自身への愛。
世界に対する愛。
愛とは様々な形になれる。
愛とは何処にでも居れる。
だから、愛というぼんやりとした言葉に人は逃げてしまうのだ。
よく世間は言う。
恋愛をしろ、と。
家族を愛せ、と。
友を大切に、と。
自分を好きになれ、と。
何事にも慈愛の心をもて、と。
人は何かを愛さなければ生きていけないのだろうか。
-全く、その通りである。
人は何かを愛さなければならないのだ。
人は子孫を残そうとして、愛を知った。
人は子供を育て続ける為、愛を与えた。
人は人と深く繋がるのに、愛を使った。
愛とは、人類の歴史である。
最初に言った。
愛とは便利な言葉である。と。
そして、こうも言った。
愛と言うぼんやりしたものに逃げてしまう。とも。
愛は人のために作られたものである。
故に、愛は便利な手段であるし、逃げ場所でもある。
だからこそ、それを恥じることはない。
しかし、「愛が何であるか」とを考えずにそれを使うのは愚かである。
人は、大小はあるものの愛を持っている。
大きな愛、小さな愛、真っ直ぐな愛、歪な愛。
愛に形などないのだ。
自分なりの愛を見つけ、そして与えることで本当の意味で何かを愛すことができるのだろう。
愛とは便利な言葉だ。
しかし、不思議な言葉だ。
誰もその本当の姿を知らない。
もしかしたら、今は愛の形が分からないかもしれない。
愛の形が歪かもしれない。
愛の大きさが小さいかもしれない。
けれど、それは今、君の愛である。
愛は、必ず赤いハートの形である必要はないのだ。
愛とは元々自分の奥底に在るものだから。
ざわざわ。ざわざわ。
風が知らぬ顔で通り抜ける。
木は誰かにささやいていた。
いたい、いたいと泣いていた。
ざぶざぶ。ざぶざぶ。
カモメは気にもとめずに飛んで行った。
海も誰かにささやいていた。
きたない、きたないと怒っていた。
ざーざー。ざーざー
車は気にせずに通って行った。
空も誰かにささやいていた。
くるしい、くるしいと困っていた。
ざわざわ。ざわざわ。
カメラは興味無さそうにフラッシュを炊いた。
人は誰かにささやいていた。
だれか、だれかと助けを求めていた。
ざわざわ、パシャ。
ざわざわ、パシャ。
カメラは誰かを記録した。
人は誰かを噂した。
ざわざわ、パシャ。
ざわざわ、パシャ。
カメラは傷ついた人を笑った。
人は怒っている人から距離をとった。
ざわざわ、パシャ。
ざわざわ、パシャ。
カメラは困っている人は撮らなかった。
人は助けを求める人を嘲らわった。
ざわざわ、パシャ。
ざわざわ、パシャ。
木のささやきはもう聞こえない。
海のささやきはもう聞こえない。
ざわざわ。
ざぶざぶ。
ざーざー。
ざわざわ。
カメラはファインダーを見るのを辞めた。
人は誰かのささやきを聞こうとした。
空のささやきはもう聞こえない。
人のささやきはもう聞こえない。
もう誰のささやきも聞こえない。
月は狡い。
自ら輝かないくせに、夜になると我が物顔で街を照らす。
星は静かだ。
自ら輝き、なんだったら太陽よりも光るはずだ。
だけど、夜の空に隠れ、慎みながら光っている。
月明かりは苦手だ。
特に満月は。
否が応でも僕を照らしてくる。
夜ぐらい僕を映さないで欲しいのに。
星明かりは優しい。
満点の星空は、優しく照らしてくれる。
一つ一つの光は弱いけど、集まって照らしてくれる。 その光は、優しく足元だけを照らしてくれる。
太陽はうるさい。
太陽の光が正しいかのように一方的に突きつけてくる。
それが僕は嫌いだ。
けれど、太陽もどこかでは星のひとつなんだ。
どこかで、誰かを優しく照らしているひとつなんだ。
そう思うと、少しだけその光を受け入れてみた。