※二次創作
※bl
「おい……なんで泣いてんだよ?」
「え」
指摘されて初めて気づいた。
悲しいわけでも、ましてや特別嬉しいわけでもない。何処かが痛むとかでもなければ、苦しいわけでもない。
「あれ? ほんとだ。なんでだろ……?」
だってオレは今、五年も一緒に過ごす恋人と同じベッドで寝ていただけだ。
泣く理由をいくつか並べたが、強いて言うなら、嬉し泣きだろう。嬉しいかと問われれば、そりゃ嬉しいに決まっている。こうして当たり前のように恋人と穏やかな時間を過ごせているのだから。
なんて言ったって、オレのかわいい恋人さんはそりゃもう酷い事件体質で、呪われてるんじゃねえかって思うくらい頻繁に殺人だの強盗だのと事件に遭遇する。全くどうなってんだ。
だからこうして、珍しく重なった休日にたくさんイチャついて、平和に過ごせているのは割と奇跡だ。それはもう泣きそうなくらいに。
でも、だからと言って、本当に涙を流すほど感動しているわけじゃない。
「意味わかんね……グスッ……なんだろ、」
「泣くなよ……調子狂う」
するりと頬を恋人の手の甲が撫ぜていく。目尻から零れていく涙をひとつ、またひとつと優しく掬っていく。
泣いている理由はオレも分からない。悲しいわけじゃないし、涙が出るくらいに嬉しいわけでもないのに、意味のわからない涙がずっと止まらない。
ただ、なんというか。
こうやって二人で向かい合いながら、平和な時間を過ごしているこの状況が、以前にもあったような気がして。
「わりぃ……へへっ」
「変な面」
泣くか笑うかどっちかにしろよ、と呆れ笑いをこぼしつつ、それでも心配しているのだろう、彼の眉は八の字に下がっている。
「なんか、こういうの前にもあった気がする」
「はぁ? おめーがわけも分からず泣き出すことがか?」
「いや、そうじゃなくて……なんか、こういう状況が前にも、というか、それよりもずっと昔に……」
ああ、そうか。この感情は……
「懐かしい……感じ?」
「はぁ? 懐かしい?」
すると、彼は途端に怪訝な顔をして、数年前の記憶を探っているのかうんうんと唸っている。オレの心配はどうしたんだよオイ。
でも、オレの心配をするよりかはこうして思考している方が彼に似合っているし、何だか安心もする。
それに、この懐かしさの原因はきっと、彼が遡っている記憶の中にはない。オレにだってよく分からないが、彼と過ごしてきた中で、今と似たような状況は確かにたくさんあったけれど、そうじゃなく、もっと昔。彼と出会う前に、こんな風にふたりで過ごしていた気がする。
なんて、リアリストの彼に言ったら笑われてしまうだろうか。
――きっと全ては、この頬を流れる涙だけが知っている
【※一応二次創作ですが、どうしても外せない口調以外、作品がわかってしまう名前などの名称は出てきていません(…の、つもりです)】
ここを訪れるのは久しぶりだった。
自宅マンションから車で三十分と少し。何の変哲もないただの山道。道を縁どる白いガードレールは少し錆びつき、所々それに凹凸が見られることから、時の経過を感じさせる。山の中を走る途中にある、少しだけ外側に飛び出た場所。車を停めるには十分だった。以前はバイクで訪れることが多かった場所だけれど、あの日彼と出会ってからは、ここへ訪れる手段は専ら車を選んでいた。
はぁ、と肺の空気を外へ出せば、外気温で冷やされた吐息が白い霧となって冬の夜空へ消えていく。目の前には煌びやかな街。背中には、暗闇に溶けそうなほどの艶やかなブラックのセダン。
――あの日も、こんな風に街の明かりを眺めていた。
しかし、あの日と今とで異なる点が一つだけある。
不意に、背後から車のドアが静かに開き、バタンと閉まる音がした。途端、自然と口元に笑みが浮かぶ。
「フッ、やーっと起きたか!」
振り向きざまに車から出てきた彼に声を掛けてみれば、未だに状況がよく分からないのか、彼の目は眠たげな半目だったが、その眉間には随分と怪訝そうにしわが寄せられている。
「……何だよ?連れて行きたい場所って、ココだったのか?」
わざわざ内緒にすることも無かっただろ、と呆れたように溜息をつく彼だったが、まだこちらの真意を図りきれていないのか、眉間にしわは刻まれたままだ。
実を言うと、最初から内緒でもなんでも無かったのだが、そういうことに興味を持つはずもない彼がこの日が何の日か分かるはずもないかと内心苦笑する。
「ああ、まあな」
再び視線を煌びやかな街に戻した。ふわふわと漂う明かりを見ていれば、自然とあの日のことを思い出す。
――見下ろす夜景は今と何ら変わりなかった。今と違うのは、背にしているのが車か、バイクかだけ。当時愛用していたのは、スポーツモデルという名に相応しい外装をしているGSX-S1000GTというツーリングバイクだった。値段の割にハイスペックなそれは一番のお気に入りで、仕事へ行くときもプライベートで遊びに行くときも一緒だった。
そんな愛バイクが不調をきたし、専門業者を呼んで待機していたときのことだった。
『こんばんは』
静寂な空間に、突如として凛とした声が響いた。
驚いて振り返れば、この街灯もなく月明かりだけが頼りの暗闇の中で、彼の持つ蒼い双眸だけが唯一許されているように光を放っていて、その美しさに思わず息を飲んだ。
『え、と……?』
声が出せたのは幸いだった。すると彼は、『驚かせてすみません』と言って、クスッと可笑しそうに微笑する。
『こんな所で何をしているのかな、と思いまして』
何か、悩み事でも?
そう問うた彼の瞳は強く、それは強く意志を放っていた。何故か、どこか尋問されているような、じりじりと追い詰められているような感覚がした。
それでも、居心地が悪いものではなくて、寧ろゾクゾクと背中が歓喜に粟立つような。
――そんな彼の蒼い双眼に強く惹かれたのを、今でも鮮明に覚えている。
あの強烈な印象は忘れられるわけもなかった。
その日、何故自分に声を掛けてきたのかと問えば、返ってきた答えは案外、呆気からんとした理由だった。
『貴方が……何処か遠くへ行ってしまうような気がしたんです』
ふんわりと明かりを灯し続ける街を眺めながらそう呟いた彼の目には、何か憂いているような色が浮かんでいた。まるでそれは、とろりと蜂蜜を垂らした宝石が美しく艷めいているようで、その艶やかさを目にした途端、不意に喉がごくりと音を立てる。
それが聞こえていたのか否か、彼はそんな雰囲気を誤魔化すように眉を下げて笑みを浮かべた。
彼はきっと、自分のことを何も知らないだろう。当たり前だった。彼にとって“は”その夜が、初めての邂逅だったのだから。
口にした理由だって、言葉以上の意味なんて無いだろう。きっと、自分が自殺しようとしているとでも思われていたのだろう。そんなことは充分に分かっていた。
――それでも、手を伸ばさずには居られなかった。
『っ……あの?』
するりと伸ばした手は、いとも簡単に彼の頬に触れた。
こんなことをするつもりは一切無かった。これからも、この先も。この出会いだって、偶然が引き起こした時のイタズラに過ぎない。
しかし、この偶然の出会いだって、この夜以前の“出逢い”だって、きっと――運命だったのだ。
『心配してくださって、ありがとうございます』
私は消えたりしませんよ……ーーー。
かつて、呼んでいた呼称を囁くと同時に、彼の双眸が大きく見開かれた。それを間近で見ていれば、また自然と頬が緩む。
気がつけば、彼の腰をやわく抱き寄せ、呆気にとられて開いたままのくちびるに、そっと自分のそれを重ねていた――……
「ん……ぉい、ここ外……っ」
「……ンー、もうちょい」
グイ、と肩を掴まれて押し返されるが、それはひどく弱い抵抗だった。本当に嫌だと抵抗するならば、すぐに彼の得意な蹴りが飛んでくることだろうから、この程度の抵抗など抗っているうちに入らない。そうタカをくくって、少しだけ調子に乗った。
しばらく彼のやわいくちびるを堪能していれば、あの時よりも随分とろけやすくなった蒼の宝石が、いつの間にか甘そうな蜜を浮かべているのに気が付き、これ以上は色々な意味でアブナイので、名残惜しくも彼のくちびるを解放する。
「ハァ……っ、ん……おまえ、やり過ぎ」
「いてッ。ん、わりぃ」
じとりと軽く睨みつけられて、頭には拳がこつんと静かに当てられた。
それでも、頬は緩み続けていた。目の前の彼はきっと、それに呆れているのだろうが、大人しく腕の中に収まっているところをみれば、機嫌は良さそうに感じられる。
「で? オレをこの場所へ連れてきた理由は?」
連日連夜、仕事と向き合っていたために、終わった途端に死んだように眠っていた彼を半ば誘拐するような形でここまで運んできたわけだが、彼はどこか面白そうに口角を上げている。
その様子に、この日が何の日か分かったのだろうかと淡い期待を抱いたが、それもどうでもいいかと思えてくる。なぜなら、この状況に置かれている彼の表情が、どこまでも楽しそうだったから。
「……一年前の、この日」
そこまで零した瞬間、彼は納得したように「ああ……そういうことか」と不意に微笑んだ。
「「オレたちが初めて顔を合わせた日」」
その日の夜、お互いの姿形を初めてハッキリと見た。
「……律儀な奴。こんな細けえこと覚えてたのかよ」
「細かくなんかねえよ。お前とオレが“ハジメテ”を経験した、記念すべき日だろ?」
すると、彼は途端に頬を桃色に染め、キッと睨みつけてきたかと思えば、「変な言い方すんな!」と怒られてしまった。
そんな彼にカラカラと笑いながら、この後のことを考えて、もう一度彼の腰をグッと抱き寄せる。
「……おい、オレは嫌だぞ?」
「さーて、なんの事やら?」
「てめっ、とぼけんな! 何だこの手は! 女扱いすんじゃねえ!」
女扱いなんてした事無かったはずなのだが。
少しだけムッと口が尖ったが、こうなった彼は強情で誰にも絆されないことを知っていたので、回していた腕を「へーへー、分かりましたよ」と言いながらしぶしぶ解いてやる。
「ったく……油断も隙もありゃしねえぜ」
「なーんでいつも流されてくれねーのかねぇ?」
「ハンッ、知るかよ。オメーの誘い方が悪いんじゃねえのか?」
そう言ってニヤリと口角をイタズラに上げたのを見た途端、今度は自分の腰に彼の腕が回される。
「エッ。マジで……? オレのこと、抱けるの? つか、抱いて、くれんの?」
いつになく心臓が破裂しそうなくらいにドキドキしていた。
「なんでそんな嬉しそうなんだよ……?」
いやいや、そんなの、だって。嬉しいに決まってる。
自分はいつも、彼を抱く側だった。別に特別そうしたいとか、思っていたわけじゃないけれど。所謂、そういう事に臨もうとしたとき、彼が自ら体に負担のかかる方を選んで、準備して来てくれていたのだ。何も知識が無かった訳では無いが、恥を忍んでそれを教えてくれた彼にはとても翻弄されたし、その存在が心の底から愛おしく感じてしまって。そのまま、溢れくる衝動のままに、その日の夜は彼をこの腕に大切に抱いた。それからの夜の営みでも、以前経験した方に慣れたいということで、すっかり位置が固定していったように思う。
愛する彼とならどちらでもいいと思っていた。抱く側でも、抱かれる側でも、ソレを共にすること自体が相手に想いを伝えることに違いは無い。どちらでも同じことだった。
それでも、心配はあった。いくら彼を組み敷いたとて、彼は男であって、女では無い。本来受け入れるべきでないそこへ、自分を受け入れてくれている。本来使うべきところを、使っていない。
雄は雄としての本能がある。それは自分自身がいちばんよく分かっていた。
“好意にする相手を、自分だけのものにしてしまいたい”
“他でもないこの腕に閉じ込めてしまいたい”
そんな風に、自分の意思では止められないほどの強い欲求がある――ということを。
だからこそ、彼からの行動は、嬉しいの一言に尽きるのだ。
意思では抑えきれないほどの欲求を抱くということは、自分に好意を抱いている証拠に違いなかったのだから。
「嬉しいよ」
ふわりと、自分でも驚くくらいに甘い声が零れ落ちた。
「おい……それ、ワザとか?」
驚いてあっ、と呆けていれば、突如として彼の低音が耳をくすぐる。ハッとして彼の顔をよく見てみれば、先ほどまで蕩けかけていた蒼い宝石が、今度は満月の光を反射して、その瞳の中に鋭い一線の光を形作っていた。
その二つの蒼い宝石に射抜かれた瞬間、ぶわっと体温が一気に上昇し、顔から火を吹きそうなほど体内から熱を感じてしまい、張り詰めた弦を弾いたような突発的な動揺は、普段ならば隠せたはずなのに、今の自分はなぜか咄嗟にそう出来なかった。
「うっ、いや、わざとじゃねえし……?」
照れ隠しが下手というにもほどがあるだろう、と心の中で自問した。仕事柄、ポーカーフェイスが上手いはずなのに。
「かわいいな」
「は――」
フッと彼が笑みを零した瞬間、気がつけばくちびるを奪われていた。いつもとは逆の立場に少し戸惑いつつ、恥ずかしさと、嬉しさが入り交じり、心臓が変な音を立て始める。
完全に受け身なのも癪だったので、少しだけ舌を使って歯筋をなぞってイタズラしてやれば、彼はぴくりと反応を示した後、まるで大人しくしとけとでもいうように上顎をねっとりとなぶられた。
「ふぁ……ん……」
自分のものとは思えない声が漏れる。恥ずかしさはとっくに頂点に達している。今にも泣き出してしまいたい。
しかしそれと同時に体は尽く正直なもので、心臓は歓喜に震えていて、やがて彼の体温を全身で感じられるようにと体温は上昇を続け、体に触れる彼の手から指から身体から、彼のぬくもりが自分の体へと伝っていき、それがまた体内の熱を膨張させた。
冬の寒さなど頭には無かった。忘れ去る頃、ようやくくちびるが解放される。
今、自分はどんな表情をしているのだろうか。
少し気になったが、見たくは無い。
きっと、情けない表情に違いないだろうから。
それでも、彼の表情を見れば、それがどんなものか一目瞭然だった。だって、分かってしまうのだ。
いつも彼が見せてくれていた、情欲をそそるあの艶やかな表情。
あれを目の前にすれば、オレはきっと。今、目の前の彼がしているように。
こんな風に、雄の雰囲気が立ち込めるような目をしていただろうから。
「ここに連れてきてくれて、ありがとうな」
身長などはほぼ変わらず、体格だってそれほど差は無い。それでも、彼の笑った顔は人一倍美しいと思わずにはいられない。
きゅん、と人知れず胸が鳴く。
「ああ、そうだ。今日は、お前とオレが“ハジメテ”を経験した日、だったっけか?」
そう言って笑う彼を見て、釣られて自分もふはっと笑ってしまう。
新しい“ハジメテ”を、この先もずっと隣に居てくれると約束した愛しい存在と共に、今夜――……
静寂に包まれた山の上。
俺たちはテレビでやっていた流星群が降る様子を見に来たのだ。友人が数人と、幼馴染がひとり。
今夜は天体観測日和らしい。
少し肌寒く、気づけば両腕を摩っていた。周りに目をやればチラホラと人影が見える。きっと、俺たちのように流星群を観察しに来たのだろう。寒いのにご苦労なこった、と自分たちのことは棚に上げてそう思った。
みんなで使おうと持ってきたひとつの天体望遠鏡は、今は友人たちが使っている。俺と幼馴染はきっと、彼らが満足した後に使うことになりそうだと、少し離れた場所で賑やかな声をあげる友人たちに苦笑を浮かべつつ、俺は星空を見上げた。
そこには当然、恒星が輝いて見える。
俺の隣では、幼馴染が同じ空を見上げていた。
そのとき、ふと思う。
空に浮かぶ星より、君の方に目を奪われるのはなぜだろうかーーと。
流れ星に三度願い事をすると、その願い事は叶うと言われている。
人は星に願い、星はその願いを叶えているのだろうか。
――だとしたら
星には確かな意思が存在していて、それは星を生き物だと認識してもおかしくないということになる。
ならば……
“星”という生き物の願いは、一体誰が叶えるのだろう?
その瞬間。なぜだか、胸の奥がぎゅうと締め付けられた。
くしゃりと胸のあたりを掴む。
理由も分からず、ただただ胸が苦しかった。
何か、とても大切なものを失ってしまったような。しかし同時に、この星空をずっと待ち望んでいたかのような。そんな不思議な感覚だった。
何がこんなに苦しいのか分からないし、そんなことを経験した記憶も無いのに、ただひたすらに悲しくて寂しくて、けれど、覚えてすらいないそれはとてもあたたかい記憶のような気がした。
「っ……」
気がつけば、ツー、と涙が頬を伝っていた。
何も覚えていないのに。分からないのに。胸が苦しくて、寂しくて。でも、胸の奥はあたたかくて、記憶の中で自分がとても幸せだったことは何故か分かった。
「え……どうして、泣いてるの……?」
隣の宇宙人に、泣いているのがバレてしまった。綺麗な瑠璃色の瞳がまん丸に見開かれている。
咄嗟に涙を拭って「なんでもねえよ」と答える。
「…………そっか」
彼は穏やかにそう零した。
星空を見上げる彼の目は細められていて、何故か嬉しそうに口元を緩ませている。そんな彼を目にした途端、また理由も分からないまま胸の奥と目尻がじわりと熱くなる。
再び、涙が頬を伝っていく。
全てが不思議だった。
こんなに悲しいと感じているのも、涙が止まらないのも。見上げている星空がとても綺麗で、それをなぜだかとても嬉しく感じるのも。
隣の彼は、泣いている理由を何故か聞いては来なかった。星空を見つめているその目には、一体何が見えているのか。いつも掴みどころのないこの男が、何を考えているのかなど、分かるはずもない。
ただ、何故か。
星空を見上げているこの瞬間だけは、自分と隣の彼は同じことを考えているような気がした。