空が青かった。雲一つない。
手を握り締めて、伸ばした爪が手のひらに食い込んできて痛い。力を抜くように手を振りながら、歩き出す。
「甘すぎ」
さっき買った苺ソーダが、喉を焼きそうな甘さで、眉間に皺が寄る。太陽光にペットボトルを透かして見ると、炭酸が輝きながら、ピンクの中を上っていく。
大好きなあの人は、もう手の届かない遠く遠くへ行ってしまった。
綺麗できらきらしていて、優しく厳しく微笑む人で、ずっとそばにいたかったのに。
もう一口、甘すぎるソーダを含む。
こうして喉を焼く間は、皺を寄せている間だけは、涙が出ないと思いながら。
(あーめんど)
友人に誘われたライブハウスの前でため息をつく。どうしても聞いてほしいバンドがあるのだ、としつこいので、一曲だけと言ってチケットを受け取ったのだ。
(ちょろっと聞いて、帰ろ)
薄暗い中に入ると、丁度前のバンドの終わりかけだった。観客の中に目をこらすと、友人も気付いたのか手を振る。すぐ横に行き、当たり障りのない挨拶を交わすと、ステージでは次のバンドの準備ができたようで、周りから歓声が飛んだ。友人の目も輝く。
見た目、Tシャツに黒パンツ、短髪の4人。地味。ギターとキーボードとドラムと、スタンドマイクを握るのはボーカルか。
「集まってくれてありがとうございます。では」
それだけボーカルが言うと、ドラムがリズムを刻みだした。
(え)
一瞬で。
自分の周りの空気の、微粒子に至るまで全てが、きらきらきらきらと光を帯びる。
いや、空から降ってくるのだ。光の粒、それはまるで。
(星が、空に収まりきらずに溢れて)
(人間を、生物を全てを輝かせるために降ってくる)
そんな音が、この狭いライブハウスいっぱいにぎゅうぎゅうになってくる。
ドラムのリズム、主旋律のキーボード、それらを飾っていくギター、そして、声が乗ってくる。
(ぶつかってくる)
星が直撃してきて、痛いぐらいなのに、きらきらと輝きは失せない。例えるならそんな声が響き渡って。
(なんだこれ)
気が付いたら泣いていた。
凄かったでしょう、泣いちゃうの分かるーって言う友人に、半ば朦朧としながら頷く帰り道。
ずっと耳の後ろを擦っていた。
星が、ぶつかってきたせいだ。
空調の効いた部屋。静かな、雑音が排除された空間。
真っ白で、色が無く。
そして私以外、誰もいない。一つのベッドと一脚の椅子、小さな棚。そして壁にかかった鏡。
鏡を覗くと、自分の顔が見える。
全てを諦めきったような、それにすらも安堵しているかのような、安らかな。
「ふふ」
微笑むと、鏡の中の顔も微笑む。
もう、何もないのだ。
本を読んでいる。昨日から読み始めた、ミステリー。
ふと顔を上げると、スマホをいじっている横顔が見える。
本の中の犯人探しとか、トリックとか、気になるけれども。
本を置いて腕を伸ばして、そっとあいつの二の腕をつつく。
「ぎゃー」
棒読みの、普通の音量の悲鳴が出てきた。
「悲鳴かな?」
「つつかれたので、ダメージ喰らったってことで」
会話しつつも、スマホから目を離さない。
ちょっとイラッとしたので、もう一度つついてみた。
「ぎゃー」
そんな昼前。
もう少ししたら、昼ごはん何にするか聞こう。
こんな日が、ずっと続いている。
その視線の先に、何があるのか。
何を見て笑い、泣き、怒り、そして喜ぶのか。
艶やかな、束ねた髪の毛が風にそよぐ。じっと見ていると、彼女が振り返った。
「どうした?」
不思議そうに、でも笑顔で。
「何でもないよ」
そう答えると、
「相変わらず、何を考えてるのか分からないね君は」
微笑む。
鮮やかな、南国の花のようだ。
(彼女こそ、分からない)
常に鮮やかに美しく、凛として、笑顔で。
人々から人気があって、友人も沢山で。
「なんで」
口から出ていた。首を傾げる彼女の視線に押されて、
「なんで私と一緒にいてくれるの?」
顔が赤くなる。羞恥。でも。
(何を考えているのか、分からない奴と一緒にいる意味は)
「それはね」
彼女が、こっちの顔を覗き込んで、
「知りたいから」
そう、言った。