『10年後の私から届いた手紙』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
「10年後の私、幸せですか?」
過去の自分が無邪気な言葉で問いかける。
その言葉に私は深いため息をついた
「幸せは一瞬で終わる。呆気ないものよ」
今が一番人生の中で辛い時期だ。
乗り越えれば、よくなる。
耐えろ。耐えぬけ。
にわかに信じがたいけれど。
今、私の手には
10年後の私から届いた手紙が、ある。
見覚えのある筆跡で「10年前の私へ」と書かれた
自分好みのシンプルな封筒。
開けてみたい、という気持ちが無いわけではない。
けれど、開けてしまうのもなんだか怖い。
悩みに悩んだ末に
お気に入りの缶に未開封の封筒をそっと入れ、
棚に仕舞い込んだ。
あれは、お守り。
10年後の私から今の私へのエールなのだと。
そう、思うことにして。
10年後の私から届いた手紙
10年前(じゅうねんまえ)のぼくへ
ぼくは今(いま)、道(どう)とくのじゅぎょうでこのお手紙(てがみ)を書いています。
ぼくが読(よ)んだ本(ほん)では、10年後(じゅうねんご)のぼくが読(よめるように
土(つち)の中(なか)にお手紙(てがみ)をうめるお話(はなし)を読(よ)んだことがあります。
でも、むかしの自分(じぶん)に送(おく)る手紙(てがみ)、というのは聞(き)いたことがなく、
ぼくも、今(いま)、何(なに)を書(か)けばいいのかわからないまま書(か)いてます。
でも、10ねんまえのぼくは かんじがよめないはずなので
ここまでのぶんにはふりがなをつけて
ここからひらがなで、かんたんなぶんをかくね。
ちゃんと おとうさんおかあさんのいうことはきくんだよ。
かべにおえかきはしちゃいけないからね。
わるいことをしても、かーてんのうしろにはかくれず
ちゃんとごめんなさいしてね。
10ねんごのぼくより
最近、突然送られてくるという、10年後からの自分への手紙というのがある。
高校の友達は、それについてみんな話をしている。
[なあ、手紙さ俺サラリーマンしてるって。]
[俺はさ、結婚したんだってウケる]
そして、当たり前のように自分にも聞かれた。
[おれ、…]
上手く誤魔化せなかった。自分には10年後からの自分への手紙なんて来なかった。10年後、今、高校2年だから10年後25歳。死んでいるのかもしれないし、めんどうで書かなかったのかもしれないし、書けない理由があるのかも知れない。
10年後、死ぬことを考えたが実感が湧かなかった。死ぬ、死ぬ
死ぬ、他人事だった。
ただ、自分の人生の感じ方が変わった。終わりが始まった。
「10年後の私から届いた手紙」
前略、私殿。
突然こんな手紙が届いて、さぞ驚いていることだろう。私は40歳の君だ。君は今30歳だから、ちょうど10年前の私になる。
どこをどうしたらこんな手紙が届くのか、君は不思議に思うだろう。いやそれよりも、これから先10年経ってもまだ手紙なのかと、せめてメールにしろよと思っているだろう。
私も10年前、同じように思った。時空が途中でねじ曲がっているのか? 詳しいことは、10年経ってもわからない。なので10年前の君に、わかる術はない。諦めろ。
私は今後10年間で、確実に起こる未来を君に教えよう。
まず君は32歳でうつ病になる。原因はT課長のパワハラだ。それによって君は休職に追い込まれ、1年半後に退職することになる。
断っておくが、これは君にとって確実に起こる未来の話だ。気分転換にジョギングしたり、睡眠をしっかりとったり、はたまたいい人をやめたとしても、避けられない事実だ。なぜなら私が32歳でうつ病になって苦しんだからだ。
悪いことだけではないぞ。35歳で君は初めてフルマラソンに出場し、見事完走することが決まっている。タイムは5時間28分12秒だ。大した記録ではないが、先におめでとうと言っておく。
38歳で富士山登頂を目指すが、残念ながら8合目で高山病になり無念の下山となる。くどいようだが、ゆっくり登っても結果は同じだ。諦めろ。
40歳になって、君は短編小説で新人賞を取り、作家デビューを果たす。念願の作家デビューが決まってるんだ。もっと喜べよ。まあ10年前、私も疑心暗鬼になったので、不安な気持ちも理解できる。
作家には憧れるが、書く習慣アプリでも♡がつかないし、自信がないんだろう。でも大丈夫だ。40歳になった私は、今作家になっているし、次回作の執筆も順調だ。
なぜそんなことができるのかって?
10年後の未来では、作家は書く才能も、タイピングさえも不要だからだ。未来の世界はすごいぞ。ストーリーは、なんとAIが勝手に書いてくれるのだ。
実はこの文章だって、Chat GPTというサービスで書いたものを、ちょっと修正しただけだ。
なに、みんなやっていることだ。お互い様なので、バレはしない。
安心しろ。君の未来は安泰だ。
拝啓。自分へ
………なんて手紙かければいいんだけどねぇ…w
書けないんだよなぁ、
実際は…
夢なんて無いしもし夢を持ててもその仕事をしてないかもしれない。
だからボクは明日の自分に書く。
明日の自分へ
昨日のボクは元気だよ。学校めんどくさいから今週いっぱい休むって初めてだよねぇ。でも意外と学校行くと楽しいのにそれをサボるって……まぁ休憩日だと思えば大丈夫だ!!昨日は昨日!!今日は今日!!明日は明日!!そう思えば楽になるさ!!ハハッ☆
…おい待てハハッ☆の字なんか微妙に綺麗だなおいw
物語創作とか絵書いたりお菓子作ったりとかでも結構すっきりするからね!!(* ´ ▽ ` *)
自分の好きな事しなさいよ~?w
こうできるのなんて今のうちなんだから!!何にもすること無かったら動け!!
それじゃぁ!!
2月16日 木曜日
昨日の自分より
10年後の私から届いた手紙
大丈夫、安心して、とかは言わない
君は嫌いでしょ、そういうの
君のこと1番よく知っているのは
今の君で
僕が何を言ったところで
君には髪の毛1本、爪の一欠片も届かない
こっちの僕も僕なりに頑張るからさ
君も君なりに生きな
君がこれからみるであろう希望も絶望も
全部、今の君の目で見てきなね
拝啓。元気ですか?
私は元気です。今は思春期だと思います。
今は辛いと思いますが頑張って生きてください。勉強も難しくなり学校のルールも厳しくなると思います。それでも頑張ってる貴女は偉いです。これからも頑張ってみてください。
未来の私より
未来の自分から手紙が届くなら、教えてほしい。
どうすれば、抱えきれなくなるほど溢れた苦痛をなくせるのか。
なくし方がわからないときは、どう探せばいいのか。
充足感で満たすには、どうすればいいのか。
今よりぐんと成長して、あらゆる技術も発達した未来に住む私なら、全部解決するんでしょう?
お願いだから、教えてよ。
お題:10年後の私から届いた手紙
あなたへ
あなたには大事な人ができます
笑顔が素敵で優しい人です
その人は、生涯をかけてあなたを幸せにすると誓うでしょう
あとはあなたの信じる心ひとつが必要です
きっと、きっと、幸せになってね
10年後のわたしより
10年後の私は今なにをしていますか?バドミントンしていますか?働いていますか?それとも家族と共にゆっくり家で過ごしていますか?10年若い私にはまだわかりません。
ですが、甘い食べ物の食べ過ぎや頼まれたことで無理をしないでいてほしいです。
『行け』
手紙だ。突然届いた。今時手紙なんて珍しい、どこの誰が寄越したのか。差出人不明、文章はあまりにも淡白な一言。行け、と。どこへ?
筆跡に見覚えがあった。完全に俺の字だ。本人が言うのだから間違いない。ただ、こんな手紙を自分宛に出した覚えは無い。日付が書いてある、過去の自分が書いたのだろうか。いや違う。
2033/2/15
未来の自分だ。さしずめ、10年後の俺から届いた手紙とでも呼ぼうか。彼はどこへ俺を導くつもりか。記憶を探る。思い付いたのはたった一人。
幼馴染がいた。最近話していなかったが、たった今連絡が来た。『家で会えない?』。俺は、勉強が忙しいからまた今度と送った。もう夜だ、こんな時間じゃなくていいと思った。
嫌な予感がした。勿論、こんな手紙を鵜呑みにするのは馬鹿だ。分かっている。ただ、確かめるだけ。誰にでもない俺自身へと言い訳する。
俺は、急いで部屋を出て幼馴染の家に行った。向こうの家族が驚いていたが、一応謝罪だけして彼女の部屋へ突っ切った。
その瞬間、目を疑った。
天井に不気味な縄が釣ってあったのだ。
自殺するつもりだったらしい。きっかけは両親の喧嘩。更には受験シーズンとも重なってプレッシャーによるストレスも積もり、安心出来る居場所が無くなった事。唯一頼りにした俺にも断られ、相談できず死を選ぼうとしたのだという。
受験が終わった。無事二人とも合格し、一緒の大学に通い、同棲するようになった。付き合い始めたのはほぼ自然の流れだった。
あの時、10年後の俺は何を思いながら、あの手紙を書いたのだろう。俺が行かなければ今彼女はこの世にはいない。ならば彼女が死んだ世界に生きるであろう俺は人生最大の後悔を胸に手紙を綴ったのだろうか。
手紙は偉大だ。たった2文字で人生を大きく変えて、人生最大の幸福を届けてしまえるのだから。
俺は筆を執る。そうだな、母親にでも今から手紙を書いてみようか。少し迷ってから俺は書き出した。「最近どうですか?」いや、やめた。
『元気』
これだけでいい気がした。
10年前の今のわたしへ
10年前の日記を見てほほえましくなりました
私はChatGPTに夢中だったんですね
ショートショートが書けるなんてすごい
とか
定型詩は書くのが難しいみたい
とか
なんだかすごく原始的に遊んでいてほっこりしました
詩はいま、AIから人へ与えるものになっています
古今東西の詩歌を機械学習し
あらゆる学問を取り入れ
人間の心の琴線の音階が解明されました
俳句の二物衝撃
ロートレアモンの解剖台の上のミシンとこうもり傘
詩情の謎は解明され
失敗も推敲もなくなりました
太古に祈りで治していた病を
医学で救うようになったみたいに
AIが紡ぎ出す確実に素晴らしい詩
たまにしかふるえなかった心の琴線が
今はずっと鳴り響いています
どうかわたしが静かに詩をつくれる場所を見つけてください
#10年後の私から届いた手紙
小学生の頃に学校の授業のなかで、10年後の自分に届くハガキを書いた。慣れの大仏様のもと保管され、大人になった自分へ届くと言ったものなのだ。しかし、いざ届いてみると何の気持ちも湧いてこなかった。それはきっと実感というものが、その時分の私にはなかったからだろう。その当時というのは、先の記事でも触れているが元々は反社の人間だった主要メンバーが営業をしていた会社に勤めていた。毎日怒鳴られ殴られ蹴られる日々、職長になってからは管理不行き届きだと絞められた。部下のミスは全てが責任者が背負うものだと、ケジメをつけさせられた。痣私の身体からが絶えることはなく、時には見せしめとして皆の前で殴られることもあった。そんな環境のなかにあって、きっと同級生やそれこそ同世代とも違う時間を生きていた私には自由も娯楽も何もなかった。外出を許された時には同僚と公園に行きバスケをしたり、喧嘩ではないがスパーリングとも言えないようなゲームをしたりした。たまに公園や外出先で同世代を見かけては、その自由を羨んだ。
求人を出していたのであろう、確実に少しづつ従業員は増えていくが私たちの環境に変化が訪れることはなかった。新しく加わった従業員は、住み込みだが別のアパートを用意されており給料も貰っていた。それ故に、同じ会社の仲間とは思うことが出来なかった。仕事ではそんなもの関係がないことは心得ている為、協力し合い笑いあっていたが仕事外では一切の絡みを持つことは無かった。私たちとは違う世界に住んでいることが羨ましく憎くもあったこと、現場では私たちはペットボトルに入れた水を飲んでいたが自販機で買った炭酸ジュースを美味しそうに飲む姿が目に写ることも要因ではあった。社長に私たちの現状を口止めされた訳では無いが、新規メンバーに話せばいつか社長の耳にも伝わるだろうことは容易に想像できた。暗黙の了解とでも言うか、古参メンバーは内々だけで愚痴を吐いては慰めあっていた。しかし、私の中では古参メンバーも仲間という意識はなかった。私がこの会社の体制に疑問を持ち、給料未払いや暴力について異議を唱え退職を申し出たところで彼らもまた私の敵に回っていたことがあったからだ。それはまるで一種の洗脳のような状態にあったのかもしれないと考えるのは、彼レから言わせてみれば住む家とあたたかい風呂や食事があるだけ幸せなのだそうだ。また、彼らの境遇もその思考に加速をかけていたのだろう。中年のメンバーは元々ホームレスやそれに近い状態にあった者がおり、若いメンバーでは親に捨てられた者や事情が会って地元を離れた者がいた。そんな彼らからしてみれば、暴力という力で支配された環境も生きていくには何ら不自由のないものだったのかもしれない。
一度職長を任せられてからというもの、社長をはじめ幹部から評価されたのか行く先々で職長や責任者を任せられた。当初は名ばかりで責任の押しつけのようだったそれも、次第にしっかりしていった。現場の状況報告もそれまでは日に何度も連絡しなければならなかったが、帰社したタイミングや夕食のタイミングでながら伝えでも済むようになった。作業人員を増やしたいときは連絡をして状況を伝えだが、怒鳴られることもなくなり二つ返事で快諾されるようになっていた。責任者として半年ほど過ごした頃、部長が事件を起こした。夜勤専従でプラントに入ることになったとき、そのメンバーを決めるのも社長は私に意見を仰いでくれた。そして部長が他の現場でポカをやって仕事がないから助けてやってくれと社長に頼まれた為、部長もメンバーに加えた。それまで日勤で入っていた私たちも夜勤専従ということで初めての夕方出勤に備え、生活リズムを変えるなど環境整備を徹底した。急な生活リズムの変化は体に不調や事故や怪我のリスクが高いことから、3日ほど順応期間を設けた。もちろん、夜勤になって加わるメンバーや日勤でやってきたメンバーにも通達した。部長にも三日間の順応期間を経て夜勤の作業に入る旨、備えて万全を期すようにと添えておいた。
四日後の夕方。現場まで二時間の道のりである為、17時過ぎに会社で借りている駐車場で集合した。ダブルキャブトラックのダイナとトヨタのカルディナの二台に、道工具を積み込み出発した。私はカルディナの助手席でメンバーにプラントの説明を済ませ談笑をしていた。すると現場まであと三十分という所で、後方を走るダイナのメンバーから連絡が入った。聞くに、部長が酒臭い気がするという。あと二十分も走れば右手に自販機が5台ほど並んだ空き地があるので、そちらに停車して確認してみようと伝え電話を切る。直ぐに社長へ連絡し状況を報告、二十分後に再度連絡する旨を伝えた。
泥酔していた。空き地に到着し、ダイナが来るのを待つ間というのは様々なストレスで吐きそうになっていた。夜勤移行の初日であり、人員を欠くことは出来ないという状況であるにも関わらず部長が酒臭いという。管理不足だと社長に絞められるかもしれないと思うと、気分がずんと重くなるのを感じた。というのも、評価され信頼を得たのかここのところはとても可愛がられていた。社長が買い物に行く時には付き添いを命じられ、酒などを好きなだけ与えてくれていた。それがまた元通りの過酷な日常に戻るかもしれないと思うと、立っているのも辛かった。
ダイナが遠くに見えた時、どんな状況なのかと無意味な想像してはどうしようかと考えを巡らせた。ダイナが停車して、運転していたメンバーや乗り込んでいたほかのメンバーが降りてくるなり臭いという。部長は後席で横になって眠っていた。ドアを開けた瞬間に酒の臭いがする。恐らく日本酒をたらふく飲んだのだろう車内に充満したなんとも言えない臭いに吐き気がしたが、躊躇わず部長を起こしにかかる。起きたは起きたのだが、やはり酔っ払っていた。「寝てるんだ、起こすなよ。お前後で覚えてろよ」と捲し立ててくる。ストレスがグッとのしかかってくる。殴り掛かりたい気持ちを抑えて、務めて冷静に社長へ電話をかけた。「はいよ」と社長が電話に出た声を聞いて直ぐに謝罪と説明をした。しかし、「おめーは悪くねぇよ。むしろ俺が悪い。面倒を見てくれって言ったのに、こんな事になって申し訳ない。いま、俺らも向かってるから気にせず仕事してくれ。元請けには頭下げといてくれ。着いたら電話する」と社長は電話を切った。
二時間後に電話がなる。着いたから迎えに来て欲しいという連絡を受け、ゲートまで十五分の道のりを全力で走った。社長をダイナまで案内すると、全てのドアの鍵が施錠されていた。このプラントのプールで車の施錠は禁止されていることは全メンバーが知っているが、念の為運転をしていたメンバーに確認するとしてめいないという。鍵もグローブボックスにあるという。そこからは、社長や専務。常務や本部長とともに車体を揺すったり叩くなどしてぶちょうを起こした。鍵を開けろとさけぶ社長に驚いたのか部長は直ぐに鍵を開ける。ドアを開けた社長が部長の息の根を止めるのでは無いかと緊張したが、そのまま社長の車に蹴り飛ばして攫っていった。
翌日、夜勤明けに帰社して食事をしていると社長が目の前の席に座って「おはようさん。お疲れさん。大変だったな」と笑った。そして「車の中で五発くらい、たぐったから今は顔面がボコボコで合わせられないからまた今度詫びを入れさせるな」とサラッととんでもないことを口にした。以降は部長を現場に入れることはなくなったのは言うまでもない。
ここまで話すと最後には気を許してくれた社長の元で楽しく過ごしているように思えるかもしれないが、そんなに甘くはない。外出は近所の公園までで、いい大人がボール遊びをしに行くだけなのだから情けない。その辺の小学生の方がお金を持っているほどだ。そんななかで、心から楽しめるわけも安らげるわけもない。誰にも言わず、抜け出す計画を着々と進めていたのである。そのために信頼を築いてきた。二年と半年ほど、そうして心の中であれやこれやと考えて過ごしてきたのだ。
例えば、今私が十年前の私に声をかけるとするならば。手紙をあてるとするならば「なるようになる。なるようにしかならないから、今できることをできるだけしとけ」だろう。そして、きっ十年後から届いた私からの手紙にも同じことが書いてあるのだろう。私はこの生き方で生きてきた。この考え方で生きてきた。そしてどんな時も、結局は何とかなってきたのだ。その積み重ねの上に生きていて、十年後の私はその更に高いところで笑っているだろうさ。
『10年後の私から届いた手紙』
拝啓 10年前の僕へ
僕は未来のことについて何も言うつもりはない。
それはきっと、あなたもそう望んでいるでしょう?
僕が言いたいのは、ただ今ある縁を大切にしろ。ただそれだけ。
あなたは友人や家族を大切に思っているだろう?
僕もそうですよ。──今も昔も変わりませんね。
例え大切な人に忘れ去られても、どんなに置いていかれても、泣くな。笑え。それが僕の運命だから。
大丈夫、あなたはひとりじゃない。ずっと僕を見守ってくれる奴が嫌でも現れますから。
それだけは言っておきます。僕は運命を受け入れた。
だからあなたも、運命を受け入れてくれることを願いますよ。
それでは、また10年後に答え合わせをしましょう。
敬具
今、今その時を、生きていてくれてありがとう、あきらめないでくれてありがとう、今も思っているように、ありがとうを繰り返して、嬉しいことも悲しいことも一緒になんとかまだ生きています
『10年後の私から届いた手紙』
10年後の私はなにしてますか?
仕事をバリバリこなして社長になってたり
もしかしたら結婚して専業主婦
そんな幸せな妄想は自分がむなしくなるだけだとわかっている。
人生は自分が思った通りに運ばないのだから
想像するのは明日明るく生きていくため
誰だって希望があれば
彼氏とかいる?
年収いくら稼いでる?
てか、働いてる?
ニー活はすんなよ
10年後の私に宛てて書く手紙なんて
開くかどうかわかんないじゃない。
未来は今の延長線上にある。
一発逆転なんてそんな嬉しいことは無いのよ。
それでもまだ夢を見て、理想に浸って、
現実に突き落とされる。
前を見なくていいから下を見て、
積み上げてきたものがあるかないかの2択。
すぐ地面に足が着くうちは、やり直せるけど
いつかやり直せない時が来る。
下を見ても雲しか見えないくらい
高いところにいるなら、もう少し力抜いて。
ゆっくり歩くのも悪くないんじゃない。
私はもうやり直せない地面にころがった女から
立ち直れてますように。