『鏡の中の自分』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
同じ顔 同じ服装
だけど鏡越しの君-ワタシ-は
どんな顔をしてるんだろうか
鏡の中の自分
鏡の中の自分は
笑ってる
辛くても
苦しくても
いつも笑顔で
幸せそうな毎日を過ごしてる
本当の自分の姿は
映らない
鏡の中の自分が失踪してから七日が経過したので、
そろそろ捜索願を出すべきなのか悩んでいるところ
です。
#鏡の中の自分
鏡の中の自分はどうなってるかなぁ?
もお1人の自分
自分で自分の感情をコントロールするのも仕事の内らしい。
わかいうちは許されるけど…
20才超えると許されないただの老害でしかない。
更年期って言葉で片づけられるような生易しいものじゃない。
でも自分の感情の制御できない💦💦
なむ
髪を切るときって、だいたいヘアカタログなんかを見て、こんな感じにしてください、ってオーダーするでしょ。
でも、仕上がってみると、それは望んだイメージとは違ってたりする。
服もそう。お店で見てるときや、試着のときって、場の雰囲気に乗っかって、似合い度が割増ししてる。家に帰るとその効果が消えてて、どこかガッカリ感がある。
一番近いからこそ、客観視がうまくいかない。
なりたい姿を追うのもいい。
同時に、そうじゃない姿も、毎日ほめて仲良くしたい。
【鏡の中自分】
鏡の中の自分____
2022/11/03 妄想日記
「ホントにクズだね」
そう彼女に言われた。私は少し涙が出そうだったがそれより先に言葉が溢れた。
「そうだよ、私はクズだよ。そんなの知ってる」
両親には迷惑をかけ、親友にまでわがままな気持ちを抱くようになった。昔からクズのまま。
「いや、嘘だね。本当は自分を優しいと思ってるんでしょ」
「ちょっとはそりゃ思うよ。だけど、私の優しさは卑怯なんだ。ただの偽善者なんだ」
周りの人から優しいと言われる。そうすれば仲良くなれるしみんな幸せな気分になる。
「偽善者って言っちゃう自分もまた、優しいと思われるからそう、ワタシにも言ってるんでしょ?いい加減そういうのやめろよ」
「じゃあ、どうすればいいの…?私は誰かに優しくしていないと恩返しをしないといけない。知らず知らず相手を傷つけれるからその分優しくしたらお互い様じゃん」
「だからって自分で自分の首をなんで絞めてんの?優しさは怒りになってその怒りは涙になる気づいてんだよね。本当はかまってもらいたいから優しくして自分を傷つけてるんだよ」
「違うよ。そんなんじゃない。不眠症なのは辛し、夜泣くのももう嫌。また、過呼吸なんてなりなくない。それに、迷惑をかけたくない」
「でも、不眠症なの半分嘘じゃん。わざと寝ないようにして周りから『しょうがない』って思われたいんでしょ?」
違う。ただ、朝が来ちゃうから寝たくないだけなんだ。寝れないだけなんだ。ストレスためて泣くのがちょっとスッキリするだけなんだ。
「キモ」
今日もワタシは私にムカついていた。
全員に怒っていた。
両親、親友、先生、友達、妹、クラスメイト。
全員に怒っていた。
「ごめん」
鏡の前で私はそう呟いた。
「偽善者」
鏡の中でワタシはそう呟いた。
名も知らぬ黒ずみの様なものができている。
皺も増えたか。
時季もあるのだろうが乾燥している。
これが普通だと思っている。
これが普通だと思っていた。
毎年そう感じている。
10年前はどうだったか。
何を食べたのか、誰と過ごしたのか。
何を感じていたのか。
変わったのは肌だけだったろうか。
どれだけ黒ずみを蓄えてきたのだろうか。
それでも生きてきたのかと、ふっと鼻で笑う。
笑えるならばと明日を諦める。
鏡の中の自分
誰でもよくありがちなのかな?
自信が無い人ほど鏡の向こうの自分に
問いかけることがある。
「今日の私はどうだった?」
完璧を求め過ぎる自分と
ちょっと緩くなっている自分だったら
どっちが愛されると思う?
日に何度も鏡を見ては
無いものねだり
褒められても
喜べず
愛されても
信じられず
自分以外
全て美しく見える
人の痛みは愛せるのに
自分だけ愛せない
「鏡の中の自分」
鏡の中の自分に
声をかける
「自分らしく生きているか」
と問い、
「これくらい大丈夫」
と励まし
「頑張ってるね」
と認める
そうやって毎日を
乗り越えてきた
題「鏡の中の自分」
『鏡の中の自分』
──カタカタカタ
『チー牛がwww顔真っ赤にしてマジレスwww乙www』
そう最後に書き込みパソコンの画面から目を離す。
今日も十分に楽しめたし、この辺で良いだろう。
尿意をもよおしたのでトイレへと向かう。
俺の趣味はネットで誰かを煽る事だ。
適当に相手の気を逆撫でる事を書き込めば、必死になって食い付いてくる雑魚は一定数いる。
誰かを苛立たせている臨場感。
誰かの感情を自分が握っている優越感。
誰かが大切にしている矜恃を踏みにじる高揚感。
……あぁ、なんて楽しいんだろう!
ネットの中の"俺"はリアルの俺とは違う。
誰かの上に立つ事が出来るのだ!
──ジャーー
用を足し終え洗面所で手を洗う途中、視線を感じて前を見る。
……手を洗う自分の姿が見える。
当たり前だ、そこには鏡があるのだから。
──キュッ
蛇口を捻り部屋に戻ろうとした所で、どうにも違和感を感じ足が止まる。
少しの間を空けて……気付く。
手を洗う途中、俺は手元を見ていた筈だ。
それなのに鏡の方から視線を感じるのはおかしいだろう。
そう思って鏡を見れば、ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべながら此方を見ている"俺"がいた。
"俺"が言う。
『リアルのお前はこんなにも醜いのになwww』
「……うるさい」
『ネットでイキる事しか出来ないチー牛www』
「……うるさいっ!」
『外見も中身も醜い弱者wwwそれがリアルのお前だろう?wwwwww』
「……っ黙れぇっつ!!」
──バリィンッッ
気が付くと"俺"は何処にも居ない。
残された鏡には……鮮血に染められ粉々になった、誰かの顔だけが写っていた。
鏡の中の自分
妙齢の女性が、鏡を覗き込む姿は
なんとも言えず美しい。
日本画に、浴衣姿の女性が片肌脱いで鏡に向かい、櫛を入れる作品がある。その女性は、自分の美しさに納得しているであろう。
自室には、壁掛けの姿見がある。ベッドの上でのストレッチの時、ちょうどいいように映る。
鏡の中の自分を見ながら、ストレッチ。鏡は、美しくない姿のストレッチを映してくれる。
妙齢の女性の湯上がりも、おばさんのストレッチも、
平等に写してくれる鏡。
鏡は平等だ。
鏡は平等でも、神様は平等じゃない。
一部の人は、皆がうっとりする美人だし、そうではない人もたーくさん居る。
神様は平等じゃないのだ。
わたしを含め、ほとんどの人は平等じゃないのをやり過ごしながら、
他のことで何とか補填しながら生きているのだと思う。
鏡の中の自分
あれ?
こんなに太ってたっけ?
洗面台の前に立ち思い出す。
あー、イライラする。
怒鳴り声を上げ私を注意する上司。
ひたすら陰口を叩く嫌味な奴ら。
年収や結婚の話をする同級生達。
全部、全部ムカつく。
私は顔を上げ目の前を指差し呟いた。
「でも、私を一番イライラさせるのはお前だからな」
お題 鏡の中の自分
鏡の中
鏡の中の自分は本当を映し出す醜い存在
だから首に力を入れて微笑んであげるの
あなたを誰よりも愛しているよって
泣かなくていいんだよ、私がそばにいるでしょ
鏡の中の自分は偽物だ
偽物のはずなのに
何故、隠したものが映っている
隠し方が悪かったのか
いや
まさか
そんなはずはない
本物が入れ替わるなんてそんなこと……
見えていない素敵なところを映し出す
目に見えない不思議を映し出す
あれ、こんなに。
そんな小さな幸せを映し出す
バランスのいい人と言われた
自分ではピンとこない
ただの八方美人なだけだよ
顔にめっちゃ出てるし、私
態度にも盛大に出てるし、笑
自分の過ごしやすいように過ごして、接して
楽しいか、楽しくないかの2択みたいな人生
バランスがよく見えるだけ
「ちゃんと笑えてますか?」
鏡の中の自分
#25 完結。
鏡の中の自分は、いつも泣いていた。
本当の自分はいつも悲しくて泣いていたのに、みんなにはずーっと、明るい笑顔を見せていた。平気なふりをするために、何も考えていないかのように笑っていた。
自分が何かを抱えているということを
知られたくなかったから。
ずっと隠してきた事。
_________病気。そして、長い命ではない、ということを。
平気なふりをして、病気だということを感じさせたくなかった。普通の中学生でいたかった。
"沢山の人生がある場所"。それは、学校で、みんな未来があって、その未来が輝いているということが羨ましくて……。
誰にも分からないように、明るい笑顔な自分を演じてた。
でも、自分の心には嘘はつけない。自分だけが見える鏡の中の自分は泣いていた。崩れ落ちて、ただ孤独で泣いていた。
助けてほしい、という思いさえも誰にも届かずに。
苦しみを見せて、一人で抱え込まなければ、助けてくれる人がいる、ということも気づかないで。
___鏡の中の自分
腹筋を割りたい。
休職して出勤が無くなり、顔に日焼け塗り以外塗らなくなると、鏡の中の顔にはほとんど構わなくなった。代わりにじろじろ見ているのは己の腹だ。
今日こそは綺麗にへそを通る縦筋ができていないか。精一杯腹をへこませて兆候を探す。もともと私の腹には横筋が3本通っているが、これはおそらく筋肉によるものではない。むしろ贅肉というか肌のたるみが顕現したものだと思う(思春期の頃は「なぜここに線が」と悩んでいたが、ヤマシタトモコの漫画で私と同じく腹に横線を持つ女性が登場し、私だけではないと知って安心してから原因を追究しないでいる)。
なぜそんなに筋肉を鍛えたいのかと言うと、休職中の日々でほとんど唯一続いている生産的なことが毎日75分ほどの運動だからだ。仕事をしていない無力感を補うために、せめて少しでも運動で成果を出したいのである。
毎日75分とはいえ、30分はただ単に近所を歩いているだけ。残りの45分で、YouTubeのトレーニング動画を観ながら有酸素運動と筋トレをしている。スポーツテストの成績万年最下位だった自分が、みずから再生した動画に合わせて体を動かしているなんて、中学生の頃の自分が見たら悪夢だと思うだろう。だが、体を動かしている間は仕事をしていない自分を忘れられるので好きだ。何をするかは画面の向こうのトレーナーにゆだねればいい。休職してから、運動を終え、全身ほかほかになりながら汗を流し、早くも痛み始めている太ももを伸ばしながら地面に倒れ込むよさを知った。
とはいえYouTubeを流し始めるまでは身体が動かない。しんどいしだるいし。だが運動後の気持ちよさは忘れがたい。葛藤の中で、私の脳みそが見いだした解決法が、鏡の中の自分に筋肉の兆候を見出し、モチベーションを高める方法だったのだと思う。
できるならば腹筋を6つに割りたい。少なくとも縦線まではいきたい。毎日祈るような気持ちで鏡を見つめている。