『過ぎ去った日々』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
【過ぎ去った日々】
入学した日からもう6(または3)年経ちました。
それまで悲しいことも辛いこともありましたが私達は今、卒業しました。
今までの一日一日が大切な思い出です。
あっという間に過ぎ去った日々
この思い出を忘れずにこれからも歩んでいきます!
今までありがとうございました!
毎日の記録を書き集めてポーカーをしたい。
そうした方が悲しい出来事も面白さに昇華出来そうな気がする。
どんなに願っても、あなたはもう帰ってこない。
もう一度あの日に戻れるなら、
あなたにどんな言葉をかけられただろう…
もう一度あの日に戻れるなら、
「行かないで」と素直に言えるだろうか…
もう一度あの日に戻れるなら、
「ごめんね」と顔を見て謝れるだろうか…
もう一度あの日に戻れるなら、
あんな小さなことで怒ったりしない…
もう一度あの日に戻れるなら、
あなたの言った「ごめん」を受け入れる…
もう一度あの日に戻れるなら、
あなたにあんな顔させない…
もう一度あの日に戻れるなら、
「愛してる」と伝えたい…
もう一度あの日に戻れるなら…
だけど、もうあなたは帰ってこない。
どんなに神に願っても、
あなたはもう帰ってこない。
どんなに反省しても、
あなたはもう帰ってこない。
どんなに請い願っても、
あなたはもう帰ってこない。
あなたのいない世界なんてもういらない。
あなたと過ごすこれからはもうない。
あなたと過ごしたこれまでも帰ってこない。
それならもう何もいらない。
いま会いに行くね
過ぎ去った日々
『過ぎ去った日々』が溶け合った海には後悔が浮いている。追体験したい程の楽しいことや喜びは、潜って探さないといけない。
後悔を掬い当時を振り返ってはため息をついた。
あの時の物言いは失礼だったかな、考えてから行動に起こせば違う結果を導き出せた?私の過去の集合体に後悔先に立たずのことわざが漂う。
浮くのは私の心残りだから。戒めとして次の糧になるようにより良い言葉と行動の種類を増やして可能性を広げるため。
気落ちした日もあれど潜れば優しく元気付けてくれる日々だってちゃんとある。潜って探す過程はまるで冒険者になったようで心が踊ってつい夢中になった。
快晴、汗が止まらないほどの暑さ、水やり、向日葵と彼。とキーワードを並べて記憶の糸を頼りに進むと海中で花の形になって咲いている。彼の誕生花でもあるそれは、溌剌と愛嬌のある彼にとてもよく似合う私の好きな花。
「花はもちろんだけど、種も好きなの」
「縦縞の模様でかわいいよね」
「えっと、食べるほう…」
きょとんとした彼。食い意地が張った女だと飽きれられたかもと、ホース片手に羞恥で赤くなった私に降ってきたのは、朗らかな笑い声だった。笑う彼と向日葵に残った水滴がきらきらと眩しくてずっと見ていたくて、その顔を引き出せたのが私で嬉しかった。
ひとつの行いに注視する後悔とは違い、花を慈しむのと同じ様に五感を使ってその日を丸ごと噛み締めては元気をもらう。不安を感じた時にも潜って勇気を、そっと背中を押してもらった。
過ぎた日々を思い返して
ああ、あの時ああすればよかったなあ。と後悔することはあれど
今生きてる自分は、その選択の連続から成り立っているものだから
あまり過去にとらわれ過ぎない方が、私は良いと思う
個人の見解だけどね
青春を満喫しよう。
過ぎ去った日々の中で色々あり、全て思い出の一つ。
過去に後悔しない青春を送ろう。
考えたって仕方ない
時間が戻ることはない
引き返せはしない
後悔したってもう遅い
今まであった事を思い返してみる
俺は彼女とずっと一緒に居すぎたみたい
過ぎ去った日々に全て彼女が隣に居て
彼女の綺麗な声,コロコロ変わる表情が
いつまで経っても目が離せない。
俺の生活は彼女との生活に染まってしまったみたいだ。
毎日君に「おはよう」を言って
毎日君と隣で過ごして
思い返してみると彼女と過ごす日々は
とても幸せで心が暖かくなるような日々だった。
これからの生活も君の隣で過ごしていきたいな。
─────『過ぎ去った日々』
あれから数日後
あの時のことは、夢だったんじゃないか?
と思っている。
しかし、体の節々の痛みがそれを夢ではないことを語っている。
あれから山芽くんには会っていない
彼は大丈夫だろうか?
そんな風に思うことしか今は出来ない
今日も教員として教壇に立つ。
今回のこの事件をキッカケに、改めて自分を見つめ直した。やはり、綺麗事だとわかっているが、私は1教員、夢は自分のスクールをいろんな思想が思考が許される寛容されるスクールを作ること、今はただこの夢を真っ直ぐに追いかけ今日も教壇に立とうと思う。
いつかまた、もしかしたら世界の平和が揺らいでしまうような出来事が自分じゃなくても教え子がその決断をしなければならない時が
やってきたとき、自分で自分の選択に悔いが残らないような選択が出来るそんな生徒が出来るような場所を作って起きたいのだ。
過去を振り返るとまず悪いことから思い出す
誤解されたこと
理不尽に感じたこと
怒られたこと
嫌味を言われたこと
修正されないまま続いたちぐはぐな会話
一所懸命話したのに伝わらなかったこと
失望
やらかした失敗
ついて行かなくてもよかった人間関係
そんなことを思い出しては
迫ってくる思い出たちを振り払うように
「あーーーーー!!」
と叫んだり
「死ね!しね!!」
と罵倒の言葉が口をついたり
脈絡のない適当な言葉が大声で飛び出したりする
完全におかしい人だ
自衛できていたら不要な独り言は減っていただろうか
「自分を大切にする」という言葉の意味を早くに理解していたかった
嘘をつかずに過ごせるようにする
→すらすらと状況を話せるようになる
時間がもったいないという感覚を身につける
→自分の時間を有意義に使う
できる限り無理のない人間関係を築く
→卑屈からの解放
生きていてよかった
周りも私を認めてくれた
そう思える環境に巡り会いたいものです
「過ぎ去った日々」
過ぎ去った日々、昔の出来事や過去に起こった嫌なことを変えられればなって思ったことが何度もある。
でも過去を変えることなんて、誰にも必要ではないことに気付けた
過去の自分は今の自分を作っているから。
過去に起きた辛いことや苦しいことは楽しい事と同じように 思い出として大切にしなくてはいけない。
私はそう思えた。
今も胸に残るよ 世界で一番美しい夕陽が
ああ その瞳には
不安より大きな希望が輝いてた
ただ近くで見つめあえるだけで
幸せのすべてを 知った
道のさきに 哀しみが待ってても
その願いを その言葉を
そのひとすじの光を守りたかった
いつまでも
その笑顔に その涙に
そのひたむきな想いに触れたかった
心から
いとしき日々よ サヨナラは言わないで
あなたに会いたくて もう一度会いたくて
届くまで叫びつづける
忘れはしない この体が消えても
あなたに吹く風よ あなたに咲く花よ
あなたと追いかけた明日よ また会いたくて
いとしき日々よ
いま歩きだそう
平井堅の「いとしき日々よ」。
TBSドラマ『JIN-仁- 完結編』の主題歌になっていた楽曲です。こちらは2番の歌詞になります。
JIN-仁-のドラマすっっっっごい大好きだったんですよね。幕末タイムスリップ医療ドラマ。
大沢たかお演じる脳外科医の主人公
南方仁先生の穏やかで心優しく繊細で
頼りないように見えて芯が通った性格は
とてもとても魅力的で・・・
(原作の漫画本の仁先生とは少し違う性格付けをされている、というのは後から知りました)
南方仁先生がいきなり幕末にタイムスリップして
現代と幕末の医療技術や世間の認識の差に右往左往しながらも、綾瀬はるか演じる橘咲らの支えによって、人々に慕われ、門下生を増やしていき
幕末の人々を身分関係なく治療していく姿、
歴史的に重要な役割をはたす人々と出会い
深い関係を築き、歴史上では志半ばで亡くなってしまう人々を医療の力で救いたいと奔走するけど
「歴史のながれ」という大きな壁に阻まれて
時には挫折し涙する姿・・・
「JIN-仁-」「JIN-仁- 完結編」のどちらのシリーズも毎週たいへん楽しみに観ていたのを思い出しました。これもある種の「過ぎ去った日々」ですかね。
過ぎ去った日々を思う。あの時ああしていれば、あの時あんなことをしなければ。人生はそんなことばかり考える。
だがそれは無駄なことだ。過去を反省しそれを活かすことは可能だろう。だが多くの場合ただ過ぎた時間に思いを馳せるだけで無駄な時間を過ごすだけだ。
そんなことをしている時間があるならこれからどうするべきなのかを考えるべきだ。過去に囚われず未来に生きるべきだ。
具体的に言うと最近ブルアカを始めた。このアプリは二周年を終えて俺はそれから一ヶ月後くらいに始めた。
当然だが二周年後に始めたので二周年にあった様々なキャンペーンなどお得なサービスを受けられなかったし、周年限定キャラも取れなかった。
ブルアカはサービス開始直後から知ってたけどやらなかった。二周年でいろいろやってるのを知ってたけどやらなかった。
でも暇だったので最近なんとなく始めたらめっちゃはまった。そしてあの時始めていれば、何故あの時やらなかったんだ。最近そんなことばかり考える。
これが無駄な時間というものだ。そんなことを考えるくらいならこれからブルアカをどう遊ぶかを考えるべきなのだ。
しかし理屈でわかっても過去に囚われてしまうのが人というものだろう。あぁ、サービス開始から遊んでいれば全部のイベントシナリオが見れて配布キャラも全部持っていたのにな。
せめて二周年から始めていれば。そんなことばかり考える。
あーあ。あの頃は楽しかったなー。
時が経つとよく口にするけど、そんなふうに呟いてる今さえも、過ぎ去った時にきっとあの時楽しかったと振り返る。戻れなくなってから充実していたことに気づくこの感じがなんだかもったいないような寂しいような、、。表現するって難しい。今も過去も大事にしたい!
「それでね、 女子高生がきゃっきゃと楽しそうに話しながら通ってさ?」
「うん」
「私もあんな若い頃があったな〜とか、 思ったわけよ?」
「今も十分若いけどね?」
「そりゃあ今だってまだ20代ですし? 若いんだけどさ、 やっぱ高校生の若さには敵わないじゃない?
あの頃って戻りたくても戻れない、 一生に一度の出来事だと思うの。 どうせならもう一度戻ってみたいわよ」
「高校生の頃も可愛かったよね。 もちろん、 今も可愛いけど」
「君はどうせ『あの頃も可愛かった〜』とても言うんでしょうけどね」
「さすが。 バレバレだったか」
画面の向こうの君をそっと撫でる。
君に比べて、 随分歳をとってしまった。 その分色々な経験もしたよ。
残される僕のことがどれほど心配だったかは、 このテープの山でわかる。
僕を思ってくれてありがとう。 そちらに行ったら、 たくさんの土産話と、 君への愛を語るよ。
そのために僕は、 今日も生きているんだ。
愛しているよ。
『過ぎ去った日々』
今でもたまに、日常の片隅で思い出が蘇ってくる。
特に休みの日の日が暮れ始めたあたり、感傷的な空気の中にいると恋しくなる過去がある。
目を閉じると瞼の内側で、その景色が見える。
幼い頃、祖母の家の台所。
夏の日の昼間。
白いレースのカーテンが揺れる。畑が見える。
隣には歳の近い従姉妹がいて、まだ小さかった手で野花を摘んだり、色紙(いろがみ)を切ったりした。
あの時、私は世界で一番幸せ者だった。
何も知らなかった。知ろうとする心すら知らず。
心は穏やかだった。
そこには憂鬱や劣等も無く、ただ無垢だけあった。
私の今までの人生で、最も毎日が楽しかったのは、あの時だろうと思う。
私はずっとあそこに居たかった。
今は、もう祖母はいない。
祖母の家も気軽に行ける場所では無くなってしまった。あの頃の無垢な心も、もうない。あの夏の日々は二度と感じられない。いくら涙を流しても。
きっとこの記憶には、死ぬまで囚われ続ける。
そんな粗末なものいるようで要らないわ。
過ぎ去ったのなら、友人と思い出話する時だけ話せばいいのよ。
過ぎ去ったのなら、辛い時に同じような体験をしていないか、思い出せばいいのよ。
そんな大事なもの要らないようでいるわ。
高校3年生の時、親友が急に学校に来なくなった。
私は親友にとって1番近い存在だと思っていた。なのに親友が学校に来られなくなってしまった理由も、何があったのかも、何も知らないことが悔しかった。
人知れず涙を流した夜があったのかもしれない。そう思うと自分が情けなくて胸が張り裂けそうだった。
「話したくなかったら無理に話さなくていいからね」精一杯の言葉だった。きっと話してくれると信じて。
でも、私が本当の理由を聞くことはできなかった。
きっと苦しいことがあったんだろう。辛いことがあったんだろう。だから深堀はせずに、変わらない態度で今まで通りにしよう。そう思うことしかできなかった。
何の力にもなれない現実を、受け入れたくなかった。
結局、親友は高校を辞めた。私の中には何もできなかった心残りと親友と過ごした楽しかった思い出だけが残って高校生活は幕を閉じた。
春から私は地元を出て、親友は地元に残った。本当に離れ離れになってしまった。
次に会った時、私は上手く笑えるだろうか。あの過ぎ去った日々を上手く笑い話に変えられるだろうか。
その時まだ親友が暗い暗い闇の中にいたとしても、次は私がその手を引いて明るい未来へ導いてみせる。
そう、きっともう大丈夫だ。
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お題『過ぎ去った日々』
昨日 ”今日” 明日 ”
過ぎ去っていく時間の中でかけがえのない毎日を送っている
ただ平凡と暮らしてる毎日もみんなそれぞれ悩みや葛藤を抱え、
時に苦しみ 死を感じながら必死に足掻いたりもするだろう。
そんな中で普通と言う言葉は存在するのだろうか…
普通って物を世の中の基準としズレてしまった物は使い捨ての雑巾のような扱いを受ける。無価値な人間として生きていく。
そんな世の中に耐えられなくなったものはその必死さを尽き
静かに深い眠りへと消えていく。 それを人は悲しいと叫ぶが、
きっとこの世の基準を作っているのは人間 「人」 そのものだと思う
私たちは生きている この先も未来も 生 と 死 は みな平等。
人間 動物 全ての生き物に共通している生と死がある限り
生き方、やり方 、基準は人それぞれで誰も絶対に否定できない
だからそんな世界の殻なんて自分で破ってしまえばいい。
1人でもそんな人が居たのならそれを起こせる人が居たのなら…
この世の中の明日は確実に一歩づつ変わっていくだろう。
私はその普通とか生きていくレールはとっくに壊れている
だからもう自由に飛べばいい
失敗しても自分が成功だと感じたならそれは成功なのだから。
過ぎ去っていく日々の中で私達は前に進もうと足を伸ばしている
だから後は1歩踏み出すだけだ。怖くない。大丈夫 未来は明るい。
過ぎ去った日々を振り返ると、
どれも充実した思い出ばかりで、
戻りたくなっちゃう。
けど、過ぎ去った日々を越えたから、
今の毎日があってそれがまた過去になるんだよね。
過ぎ去った日々には戻れないけど、
今を大切に生きて過ごしたいな。
#過ぎ去った日々