『貝殻』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
貝殻を拾って
いつまでも夏を忘れないようにと
心に閉じ込めた
貝殻。
よく海に落ちている。
どうやら耳に当てると波の音がするらしい。
だから耳に当てて聞いてみよう
特に何も音がしなかった
けど景色は想像できた
凄く綺麗な海にサラサラした砂浜
本当に凄く綺麗。
いつかこの海に行ってみたいと思う
貝殻
僕の愛する彼女は海が大好きな海が良く似合う人でした。
普通なら海に来たら真っ先に泳ぎに海に入るけど
僕の彼女は海に入るより先に
砂浜で遊びます。
「見て!綺麗な貝殻!」
砂浜で山をつくったり貝殻を探したり。
どうして海が好きなのに海に入らないのか
「海は好きだけど泳ぐのは好きじゃないから」
「私はこの砂浜で海を眺めて遊ぶ方が好き。」
そういったはずの彼女は
数時間後砂浜で目を閉じていた。
その近くで涙で砂を湿らす僕。子を抱きしめる親。
未熟な僕は人が身を投げ出しまで行ったというのに
なんでこっちには目もくれないんだ。と思った。
けど彼女はそんなこと思わないだろう。
彼女の心は海のように広く温かいから。
僕は大好きな海の砂浜で眠りにつけたことを嬉しい
と思ってることを信じるよ__
あの日君がくれた貝殻を持って今でも海に遊びに来ています。
ただ誰かに話を聞いて欲しいだけです。ただ全部吐き出したいだけです。
嫌い大嫌い。目も声も全部。私の自由を奪わないで。学校行って部活もやって家帰って飯食って自分の時間なんてちょっとしかないのに。スマホも制限あって。それなのになんで私の時間を奪おうとするの。お風呂は一日の疲れとか嫌な気持ちとかを全部洗い流せるから遅くに入るのに。私の気持ちわかんない癖に。私の事だって。子供をなんだと思ってるの。子はあんたらが思ってるより繊細だよ。親の一言。行動で傷ついてる。考えた子ある?子が親に殴られる気持ち。そんなことしかできないなら。気に食わないならなんで産んだの。そんななら産んでくれない方が嬉しかった。もう嫌だ。消えたい。死にたいんじゃない。逃げだって思われるかもしれないけど。消えたいのただ。目の前からいなくなりたい。お願いだから1人にして。家くらい居場所にしてよ。なんで家でまで気使って本当の自分隠して我慢して本音も我慢しなきゃいけないの。泣いたの気づいてんなら話聞いてよ。分かってよ。なんで泣いちゃダメなの?泣き虫は泣いちゃいけないの?あんたらにとって私ってなんなの。あんたらの普通を押し付けないでよ。親子ってそんな硬い関係なの?本音も言えないで言ったら言ったで態度悪いとかなんだその口はとか、私友達が羨ましいよ。家族みんな仲良くて。本音も素直に言えて。冗談言っても笑い合える。結局無意識に自分の立場しか守ってないよ。私が家飛び出した時の最初の声掛け覚えてる?どうしたの?大丈夫よりも。誰に電話してんの?どよ。人によって解釈は違うかもしれないけど私はそう思った。なんで私が人見知りなったか、こんなに人ののと信じれなくなったかわかる?ほとんどあんたらが原因だよ。親に全部話しても否定されて逆ギレせれて殴られて。何が私の内向的を見たことないだ?当たり前でしょ。あんたらに本当の自分見せれないもん。学校での私分かんの?あんたらの中で勝手に私を決めないで。私をつくらなで。私は1人の人間だよ。姉とは違う。姉と基準を合わせないで。あんたらなんか大っ嫌い。
って言えたらどんだけ楽かな笑
勇気だして言えない根性なしな自分が情けなく
嫌になる。
長々と書いてしまってすみませんでした。
気分を下げてしまったらごめんなさい。
今年は、、
とういうより、もう何年も
海に行ってない
貝殻ひろいとか
写真立てつくるとか
してみたい
【貝殻】
男はズルくて、女はバカだ って
話した女優さんは誰だっけ?
曖昧で、言葉は覚えていないけど。
手を繋いで砂浜に行って
男の人は、水平線の向こう
遥か彼方にあるまだ見ぬ世界に夢を見て
遠くにあるものばかりを見ていて。
女の人は、足元の砂の中
すぐ目の前にある小さな貝殻を可愛いねって
目の前にあるものを大切にしていて。
女の人が『これ、かわいいね』って言ったら
男の人が水平線を見たまま貝殻を見ずに『そうだね』って答える。
女の人は、もっと遠くの
外の世界を見られるように賢くならないといけなくて
男の人は、もっと近くの
目の前のきれいなものにきちんと気づけるようにならないといけなくて。
遠い世界も見られて近くにあるものも大切にできる人になりたい。
こんな内容だった気がする。
私も、そう思う けど。
私は
遠くも見えずに、近くも愛せない
男よりも女よりも 愚か。
「貝殻」
小さい頃はよく海に行って、貝殻を探していた
綺麗な柄の貝殻だ
集めた後は、よく眺めていた
私が海に行く楽しさはそこにあった
貝殻
拾って
集めて
コレクションしたくなるもの
生物、きみらが住んでいたおうち
綺麗な形の貝殻探しに、海辺を走った青春
浜辺のきらめきと貝殻のきらめき、この思い出のきらめきにを残してくれた先住民と海へ感謝を𓈒 𓏸𓈒𓂂𓂃
〘 貝殻〙
法螺貝の貝殻に耳を当てると海の音がするってほんとかな
貝殻ってなんだろうね。死にたい。からがあったら楽ならな
『貝殻』
貝殻・・貝殻・・カイ
カイくん・・
貝殻とは関係ないけど、このお話を聞いてください
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ある所に、小学4年生の女の子がいました。
いつもの帰り道。
その子は、ある巣から落ちたつばめのひなに出会いました。
女の子は、そのひなに「カイくん」と名づけました。
そこから、女の子はカイくんを見て、
より一層笑顔になっていきました。
ですが、それは長く続きませんでした。
巣から落ちたつばめのひなが長く生きることが出来ない事
それを女の子が知った翌日
カイくんは亡くなりました。
泣いて泣いて泣いて。
顔がぐっちゃぐちゃになっても、女の子は泣き続けました。
ーー
・・その事があって数年後
女の子は少し大人になっていました。
でも、その事を忘れた事はないのです。
これは
名前に
「つばめのカイくん!」
とつけるくらいカイくんが好きな女の子のお話。
終
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(これは実話です。)
すごい愚痴にはなってしまうけど……(嫌な人はここで👋)
人にあれやってこれやってって言いながら、
「話聞いてんの?」は、不可抗力すぎるでしょ。
えっ?何?僕、顔ふたつあると思ってんの??
それとも背中に目あると思ってんの??
いや、無いから。僕目2つだけ。顔もひとつなんよ。
人にやって。って言いながら、話しかけんじゃないわよ(謎のオネェ)そんな重要な話ならやること終わらせたんだなっ確認してから話しかけてくれるかしら??
僕がやんなきゃできないことじゃないんだから、人にやれって言って、話聞いてんの?って怒るくらいならさいしょっからそっちがやれよほんとさぁ(^Ủ^)و💢
一日何があったのか知らんけど、イライラの矛先をこっち向けんな(ꐦᵔᵔ)イライラ伝染するわ( *´˘`*ꐦ)
てか、散々人が不機嫌な時怒ってくるくせに、自分が不機嫌な時はこっちにぶつけてくんのおかしいだろ。
僕あんたにイライラぶつけた覚えないんですけどぉぉ??
怒鳴ったことないんですけどぉぉ⤴︎︎︎??
まぁ態度にだけ出してる方がタチ悪いか…(自己解決)
はい、ていうことで、推しに癒してもらってきます。さようなら。🍀︎ ̖́-
ここまで見てくれた方ありがとうございます。
ご不快にさせましたら申し訳ありません。
それではおやすみなさい
「貝塚っていうのは、大昔の人が食べた貝の貝殻を捨てた場所なんだよ」
「え、なにそれ。ゴミ捨て場だったってこと?」
汚ねー、と弟はぼやいて足元の小石を蹴り飛ばした。小石は僕たちの目の前の柵に当たり軽い音をたてて跳ね返ってくる。
「こら、やめな」
僕の言葉を無視して不貞腐れたようにしゃがみこむ弟。せっかく付き合ってやってるっていうのに、なんだその態度は。
夏休みも残すところあと一日。だというのに僕の弟は自由研究にまったく手をつけていなかったらしい。
その事実を知った母が朝から雷をおとしたが、本人はどこ吹く風、焦る様子は全くない。見かねた僕が自由研究の題材になるんじゃないかと、市内で最も大きな公園の隅にある貝塚に連れてきたのだ。
「ほら、写真撮れよ。あとはあそこの案内板に書いてあることを丸パクリすれば、それっぽくなるだろ」
我ながら適当すぎると思うが残り時間ではこれくらいが精一杯だろう。
未提出よりはよっぽどいいはずだ。
のろのろと立ち上がった弟が父から借りたデジカメを構える。
「なんで昔の人のゴミ捨て場なんかがすごいの?ただのゴミでしょ」
「その時代に生きていた人たちがどんな生活をしていたかが分かるんだよ。貝殻以外にも、石器や動物の骨なんかが見つかってるんだってさ」
「でもゴミはゴミじゃん」
やる気も興味もない。まあ、小学生に貝塚はちょっと渋すぎるか。
「今の時代のゴミ捨て場も一万年後には貴重な遺跡になってるかもよ」
「どうせ俺、生きてないし」
口を開けば文句しか言わないな、こいつ。
夏休み最終日を古代のゴミ捨て場で過ごす羽目になったのは自業自得だろうに。
「そうだ兄ちゃん、俺あと読書感想文と算数のドリルと絵日記が終わってない」
「……おまえ夏休み中なにしてたの」
さすがにそこまで面倒はみきれない。ため息をついて、この事実をいずれ知ることになる母の心配をすることにした。
「貝殻」
貝殻
地味な貝殻より緋扇貝の様なカラフルな貝殻が好きだ。
フラメンコの扇子みたいでかわいい🪭
海がよく似合う子がいた。
真っ白な肌に、海のように美しい瞳。透き通る黒い髪の毛が風に靡いて、今にでも波に攫われてしまいそうな、そんな子だった。
彼女は、体が弱くて滅多に外に出られなかった。いつも寂しそうに窓の外を見ていたから、僕は彼女の代わりに外に出た。
道端に咲いていたたんぽぽ。
公園に落ちていたどんぐり。
浜辺で拾った貝殻。
僕は彼女に会うたび、外からのささやかなお土産を渡す。どんなにちっぽけな物でも、彼女は嬉しそうに喜んでくれた。
彼女は貝殻を耳に当て、目を瞑る。
「何してるの?」と聞いた僕に、彼女はそうっと、「こうしていると、海の声が聞こえるの」と言った。
不思議に思った僕も貝殻を耳に当ててみたんだ。でも、海の声なんて聞こえやしなかった。
「僕を揶揄ってるんでしょ!」
「ふふ、そんなことないよ」
彼女にだけ聞こえて、僕に聞こえないことが悔しくて、僕は何度も貝殻を耳にあてた。
結局、海の声なんてちっとも聞こえなくて、彼女はそんな僕をみてくすくすと笑っていた。
今思えば、彼女との会話は、これが最期だった気がする。
静かに眠りにつく彼女は、まるで真冬の海のように冷たい。僕の心は、深海に沈む沈没船のように悲しさと寂しさが入り混じっていた。
彼女の側にそっと置かれている貝殻を、僕は手に取る。
「…やっぱり、海の声なんて聞こえないじゃないか」
海がよく似合う子がいた。
海の声が聞こえる、不思議な子だった。
もう二度と会えないけれど、僕は彼女に逢いに、今日も海に行く。
『貝殻』
近所のお姉さんにもらった貝殻のネックレス。
おおきくなったら着けたいな、と思っていたのにいつの間にかなくしてしまった。
そんなものたちが何処かに集まって、仲良く世間話をしていたら、と夢想することがある。
失われたものたちの天国だ。
“貝殻に耳を当てて澄ませると、波の音がする”
最初にそう言い出したのは誰だろう。
海に初めて触れたのは小学校高学年の自然教室。
そのときは残念ながら貝殻どころか欠片すら見つけることは出来なかった。
“海には必ず貝殻がある”と思い込み、貝殻に耳を澄ませることに夢を抱いていた私はショックを受け、しょんぼりと肩を落とした。
せっかく遠泳で400m泳げたのに。
だが、小学生の思春期真っ只中であった私にとってはそんなことなどどうでも良かった。
それから時は流れ、機会は再び訪れた。
中学校3年生の修学旅行で沖縄へ行くことになったのだ。
ずっとずっと憧れだった南国の島。
今度こそ!と私は1人息巻いた。
“沖縄の海になら貝殻の1つや2つあるはずだ”
昔から何かと夢見がちな私は、またもやそんなイメージを抱いては胸に期待を膨らませていた。
いざ現地に到着し、初日は観光名所を巡る。
季節は春なのに沖縄は真夏の気候でジリジリと日差しが照りつけ、しっかり日焼け止めを塗っていても肌が焼けるのではないかと思う程だった。
そして、いよいよ2日目。
天候は曇り。本場の海は思っていたより透明ではなかったのが少々残念であったが、問題は貝殻だ。
教師に自由時間を与えられた生徒たちは散らばり、私もデジタルカメラを首にぶら下げて友人と砂浜へ走った。
波打ち際に近づき、しゃがんで貝殻を探し始める。
……うーん、なかなか見つからない。
「(友人の名前)ちゃん、そっちどうー?」
「んー、なーい!」
「そっかぁ……」
「もう探すのやめて遊ぼ~!」
「ごめん、もうちょい探してみる」
変なところで諦めが悪い私。
友人は肩を竦めてクラスメイトの仲良い男子たちのところへ行ってしまった。
(これで見つからなかったらもういいや……諦めよ……)
そのあとも1人で探索してみるものの見つからず。
あーあ……此処にもなかったか……とのろのろと立ち上がり、男子たちと遊んでいる友人と合流した。
修学旅行に同行していたカメラマンにカメラを向けられ、イェーイ!とダブルピースではしゃぐ私と友人。
ふと、足元に何か感触がして其処を見ると小さな白い貝殻が落ちていたのだ。
「あ、あったー!!」
目をこれでもかというくらい大きく見開いて驚き、声を張り上げる私。
友人もまさかこんなところで見つかるとは思わなかったのだろう。ぱちくりと目を瞬かせながら呆然と隣で立ち尽くしている。
早速貝殻を拾い上げると、サイズは手のひらより一回り小さい。
それでも私は心臓をドキドキと高鳴らせ、そっ……と耳に近づけて神経を集中させる。
「……どう?何か聞こえる?」
「…………何も聞こえん」
「だよね~」
「こんなちっさいしね~」
けらけらと友人と顔を見合わせて笑い、貝殻を再び砂の中へ戻す。
何も聞こえなくて当然だ。
もしあれより大きな貝殻が見つかって本当に波の音が聞こえるなら、それはそれでロマンがある。
またいずれ海へ行くことがあれば、夢見の少女時代の自分を連れて一緒に探してみようか。
“ねぇ、貝殻探しの旅に出掛けよう”
うちではオーナメントの代わりに
貝殻をクリスマスツリーに飾る。
一人暮らしでこの飾りは少し寂しいような気もするが、
他の家ではあまり見ない飾りを
私はとても気に入っている。
サンタさんなんて存在しないと思いつつ、
毎年手紙を書いてしまう。
当たり前だがプレゼントは来ない。
なので今年は
ハワイアンな便箋で書こうと思った。
いつも便箋だけ赤と緑で
上らへんにリースが描いてあるものを使っていた。
だからツリーと統一してしまおうと
思い切って買ったのだ。
わくわくしながら寝た翌朝、
なんと
プレゼントがあったのだ。
うええおぉうぉあああ!!!
と、
可愛くない喜び方をしてしまったが、
中身はちゃんと
私の欲しかったものだ。
いつでも読みたくなるような、
飽きない漫画が欲しいと書いた。
表紙を見た瞬間
あ、これ好きぃぃぃ!!と叫んだ。
1ページ目から
私の好みを知り尽くしたように
惹かれる一言が書かれていた。
"Good Midnight!"
読み終わるまで
今日はここから動けないだろう。
クリスマスツリーの1番上に飾られている
ラメ入りの大きい貝殻が
日光に照らされ
きらきらと光らせながら
私を待っていた。
しじみの味噌汁を食べる時、皆さんはしじみの身を全部食べますか?わたしは基本全部食べますが、殻が小さくて食べにくい時は残しちゃうこともあります。ゴメンなさい、しじみさん。そしてしじみ漁師さん。最近あさり食べてないなぁ。ボンゴレ食べたい。
「貝殻」
子供の頃海に行って、貝殻を拾うのが楽しみだった。
二枚貝、巻貝。色とりどりのキレイな貝もあれば、見るからに食用の、美味しそうだけど地味な貝もあった。
キレイな貝は宝物で、たまにお祭りなんかで売ってる貝殻の詰め合わせ?みたいなのも、全部が宝物だった。
大人になって、ただキレイというだけではなかなか価値を見い出せなくなり、ブランドだったり、金額だったり、流行りだったり。
色んな付加価値が気になって、純粋にキレイだけでは楽しめなくなって、あんなに輝いていた宝物が色褪せて見えた。
でも、その時期も通り越すと又、純粋にキレイ、というだけで楽しめるようになった。宝物、とまでは言えないけど、捨てたくはないし、飾っておきたいと思えた。
その物以外の余計な部分を削ぎ落として、ただ自分の価値観や感受性で、良い物を良いと、好きな物は好きと、自信を持って言える様になった。
貝殻は何も変わってないのに、自分が変わったせいで見え方が全く違う。価値が全く違う。
多分、貝殻だけじゃなくて、世の中全部そうなんだろうなあ、って今思った。