『誰もがみんな』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
誰もがみんな、存在している。
生きていようと、死んでいようと、
同じ次元に在る人物ではなかろうと、
一人一人がそこに存在していることは、
揺るぎない事実なのである。
生きていてえらい、というが、
死んでいたらえらくないのだろうか?
そんなことはないと思う。
私は、一人一人が存在していることを讃えたい。
存在してえらい。
生きていようが、死んでいようが、
別の次元に在ろうが、
その存在が、そこにその人が在るということが、
誰かの救いになっていると私は思う。
その存在を思うだけで充分だと思えるほどの人。
そこにいる、ただそれだけで幸せをくれる人。
あなたがそこにいてくれて、ありがとう。
本当にそう思うのだ。
※一日飛ばしたので今回は二本立てでございます。
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花など、毎日貰う人でもない。
花束を、自分が抱えて、人に抱えさせて。そんな情景を想い出すのは、ああ、花ではなく、それを頂くに至った一連の関係を、因果を、そして感情を呼び起こす。
そのどれも、忘れる事など叶わないのなら、それは。
それは枯れずの花束。
手の中の彩色は、未だ痛いくらいに艶やかで。どうしようもなく、憎くて、憎くて、美しい。
【花束】
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誰もがみんな、愛情を憶えている。
憎悪を、敬愛を、嫉妬を、羨望を、憤怒を、喜楽を、憶えている。
誰もがみんな、人間である。
誰もがみんな、息をしている。
食事を、睡眠を、代謝を、発熱を、運動を、生命活動を、している。
誰もがみんな、生きている。
当たり前の話だ。抽象化の果てに、人は同じく括る事が出来る。共通項はすぐに見つかる。貴方は、私は、物体である。地球の上に存在している。
それは、容易い事だ。
そう、容易い事なのだ。それでも。
執拗に難しく考えて、簡単に括った関係を切り分ける事が出来るのは、ただ自分自身だけである。分け方は千差万別、それ故に、括る様に一つ明確な定義や正解はあり得ない。
それ故に、酷く難儀な事である。
そしてそれ故に、価値を見出だしやすい事も。
きっと、誰もがみんな、知っている事だろう。
【誰もがみんな】
あの偉い発明家も
凶悪な犯罪者も
みんな昔
子供だってね
イエモン
「JAM」
この歌のこの歌詞が
事件が起きる度に
浮かんでくる
そう
誰もがみんな
あどけなく笑う
子供だった
最初はみんな
可愛い赤ちゃんだった
幼い子を見かけると
よく思う
この子らが大きくなった時
この世界は
どんなふうになっているんだろう と
「誰もがみんな」
人には優しく、親切にしなさい。いつも笑顔を絶やさず、誠実でいなさい。真面目に勤勉に、努力を怠ってはいけない。そんなことを子供の頃から一度や二度、周囲の大人から言われたことがある人は少なくはないのではなかろうか。かくいう私も、保育所の頃や小学生の頃に教師やご近所の方など沢山の人にそう言われてきた。いつもニコニコと笑顔で過ごしていれば周囲も笑顔に、誠実に振る舞えば誰からも信頼される素晴らしい人間になれる。誰にでも、どんな時も優しくあろうとすれば誰かに優しく愛される人間になると言われてそれを信じてきた。
大人になって様々な経験してきた中で、これらの教えというのはとても大切だと気づいたが常にそれを守るというのは難しい。子供の頃のように素直になれる環境がなかなかなく、常に猜疑心を持って人と接するようになってしまった私には純粋に優しくすることがとても難しく感じるのだ。人に騙され、断崖絶壁を蹴り落とされ転げ落ちた人生で私が学び得たことは如何に人を利用できるか。優しく丸く転がして、利用価値を引き出して得たいものだけ得たならばあとは何ら必要性がない。喰われる前に喰うということに他ならず、人を人として見てはならないということだけだった。「騙されたお前が悪い」、「付け入る隙を与えたお前が悪い」、「世間知らずで優しいお前が悪い」。散々そう言われてきた。私の周囲には元極道、元詐欺師、現役幹部の人間などが居た。その中でこれらの人の様々な意見や助言を聞いてきたが、どれも私の非を指摘するものばかりだった。もちろん、単に馬鹿にするものではなく私の不甲斐なさを指摘するものだったことは理解している。しかし、立場や経歴が違えば言葉もまるで違うものになる。現役の方に言わせれば、騙される私も悪いが 騙した方が当たり前に悪い。しかし、騙されたからと言って腐っていい理由にはならないし人に不義理をしてはならない。元詐欺師の方に言わせれば、人なんてものは信用に値しない。騙してなんぼなのだから、喰えるだけ喰っとけという。元極道の方に言わせれば、アンテナを立てて色んなものを拾って賢くならないといけない。そうでなければ、判断材料が極端に限られるか全くないと言うことになる。そうすると、人の手のひらで転がされることになるという。
実際に人を利用するだけ利用して、不要になったら縁を切るといった汚いことを散々してきた。人が金にしか見えないという時期もあった。もちろん、罪を犯すようなことはしていない。しかし、人としては最低最悪な言行であることは言うまでもなく地獄行きは必至だろう。ここまで読んだ人は恐らくだが、私のことを嫌いになるだろう。しかし、私も人間だ。道を外すこともあれば、褒められたことではない醜いこともする。事実そうしてきたのだ。だか、それだけじゃない。
助けを求められた時に私は一切の見返りを放棄したのだが、これは思い出したことがあったからだ。私は人の支えや助けがあって生きてこられた。人生をやり直すことが出来た。それを思い出して過去の過ちを恥じたのだ。妻子ある同僚が、どうしても生活費がままならないといって泣きついてきたことがあった。手には借用書と判子を握りしめていた。いつも私や周囲の人間に金の工面を助けてら貰っているからだろう、もはやそれが彼にとってはありふれた行動のひとつでしない。「お金を貸してください。もう生活できないんです。利息と合わせて次の給料で返済します」という彼の言葉を聞いたあと、私はこれまでのことを思い出して考えた。なんて置かなことをしてきたのだろうと。だから断ったのたま。「悪い、貸せないし貸さない」と言うと彼はもう他に頼るところがないと言い土下座までしてきたが私は突っぱねた。そしてバッグの中から、彼が必要だという金額にいくらか乗せて彼の手を取り握らせた。どういうことかと戸惑う彼に私は言った。貸すことは出来ない。貸してしまうと君がまた誰かから借りなければいけなくなり、やがてまたここに涙を流しに来ることになる。そんなことはもう見たくない。だから、このお金は君に託す。その代わり、責任を持って父親と夫の役目を果たしなさいと。
今までがどれくらい搾取できるだろうかと、醜いことばかりを考えてきた。しかし、今まさに人生のどん底にある人間をみて私は過去の自分を重ねた。そして、その時にすくい上げてくれた人たちのことを思い出したこ。あの時の人たちに音を返すことは出来ないが、あの人たちが救ってくれた私が誰かを救えばその音に酬いることになるだろうと心変わりしたのだ。
人は生きていれば、躓き傷つくことがあるだろう。人に裏切られ心が荒むことがあるだろう。どんなに賢い人も、偉い人も優しい人も面倒見の良い人も人間なのだから。
そして、私もまた人間だ。色んな経験から人生を見つめ直して、後悔と反省で持って成長することができた。そして、この先もきっと成長し続けていくのだ。
どんな人間にも、気持ちや意識しだいでいくらでもどこまでも道は拓かれている。
誰もがみんな、人生は無限大に拓かれている。夢や理想、その意思や想いの分だけ。
人生のどん底から這い上がったさきで、人生を失敗した私がそうだったように。
#誰もがみんな
誰もがみんな同じじゃない
なのに
みんな同じにさせようとする“ものさし”
その“ものさし”から外れると
即、ダメな人認定✨✨✨
個性の尊重とか
線引きはNGとか騒ぐくせに
直ぐ“ものさし”出してくる
そんな世の中にうんざり
世間では
“ものさし”の許容範囲内に入ってること
それが大切らしいよ〜
波風立たせず
目立たぬように
はみ出さないように生きる…
つまんねぇ~なぁ〜!
退屈すぎる!💩💩💩
これじゃ良い人じゃなくてもいいわぁ〜
ダメな人 万歳! ヽ(`▽´)/ウェーィ
たかが“ものさし”で人生決められるなんて…
馬鹿らしくて笑っちゃう
そんな“ものさし”ぶっ壊せ!
🌈黒猫のつぶやき🌈
子供の頃 悪い事すると
「みなんが見てるよ」とか言われたっけ
“みんな”ってワードの威力に完敗だ〜
【誰もがみんな】
隠されているんだよ
いつもね
だけど 本当は知っている
誰に教えてもらわなくても
どうしてだか 辿り着く
草花のトンネルの向こう
──誰でも行けるんだよ、
子供ならみんな。
隠されていたんだよ
本当なんだ
でももうわからくなった
誰もがみんな知っていた
秘密の場所はトンネルの向こう
誰もがみんな
今日はお題が難しい
誰もがみんな…
同じ人なんていない?
でも不思議と思うのが三人兄弟
結構な確率で真ん中の子はいい子。
聞き分けがいい
頑張り屋
忍耐強い
わがままな上と自由な下に挟まれてるからかな
使命を持って生まれてきたんだ。
でも、何の使命があるのかが分からないと
生きることを見失なう
迷って迷って疲れはて立ち止まる
止まって見えた景色は足元に
小さく咲く花の凜とした姿は誰にも評価されない使命
動く力が戻るまで君を見させて
誰もがみんな、という言葉をよく使ってきた。
例えばお小遣いがもっと欲しいときに、
「誰もがみんなもっとお小遣い貰ってる」
っておねだりするときとか。
でも結局はそんなに人数はいなくて、
「みんなって誰?」
と問われて俯いてしまう。
それに何人あげたところで、
「余所はよそ家はうち」
と言われるのだ。
でも"私は"って言っても説得力はない気がするから。
そうして私はお願いを滅多にしなくなった。
どうせ無理ってそう思ってしまうから。
言えばいいって言われても怖くてしかたがない。
私には説得力のある言葉なんて出せないから。
勝手に期待して勝手に裏切られるだけ。
どうせ駄目だって言うのなら言わせないで。
でもそれが苦しくて惨めだから、
「誰もがみんなそうやって生きていくんでしょ?」
と繰り返し自らに言い聞かせる。
でも誰もがみんなって誰だろう。
私は私以外の人のことを知らない。
だって聞いたことがない。
本当は分かってる。
みんながいないなら作ればいいってことくらい。
話して、聞いて、試して、前例を作っていけばいい。
でも私はやらなかった。
出来なかった。
嗚呼、誰もがみんな持ってる勇気が欲しい。
誰もがみんな精一杯生きている。うん。昨日雪ふったから雪の話でもするか。
昨日は雪ふったけどそこまで積もらなかったし寒くもならなくて助かった。寒くて水道管が凍ると不安だしめんどうだからね。
雪っていうと路面の凍結も地味に嫌だな。スノーブーツ持ってないから道が凍ったら長靴くらいしか靴がない。とはいえ年に一回使うかもわからないのにスノーブーツを買うってのもためらう。
そういえば昨日は周囲の人たちが道路の除雪をしてた。除雪とかやったことないな。
ああいうのってやったほうがいいんかね。でも車とか持ってないから道路に雪が積もってても別に困らないんだよな。
そりゃ滑ったら困るから靴とか気にするけどその程度よ。地域的に雪なんてほとんどふらないし積もらない。雪慣れしてないから周囲の人たちの行動に困惑する。
えっ、なんで除雪してんの?この程度の雪放っておけばよくね?って。車持ってたり子どもがいたらその辺わかるんかね。
それにしても最近は寒さがやわらいできたから着替えが楽になって助かる助かる。冬はほんとしんどいからね。春が待ち遠しい。
【誰もがみんな】
誰もがみんな自分を見てくれるわけじゃないのに
今日もひとりでここに来て、文を書く。
書き終わったらみんなの投稿を見たり
どれだけ"もっと見たい"って思ってくれた人がいたか
見てしまう。
私の文なんて長くて読む気にもならないのに
なんでここに来てしまうんだろう、
誰もがみんなひとりぼっちにはなりたくないと思っているのに。
誰もがみんな孤独を切り離せずに生きている。
誰もがみんなひとりぼっちにはなりたくないと思っているけど。
誰もがみんな繋がりを持てるばかりではないから。
きっと誰もがみんな、優しさを忘れられずにいるんだね。
【誰もがみんな】
【誰もがみんな】
才能・・・それは選ばれた人間しか持っていないもの
だから私には何もない何も一人じゃできない。
何も人より上手くできない。
何も・・・。
「君の良いところ私は知っているよ!」
「?」
「1つ目誰にでも平等で優しい、2つ目何に対しても一生懸命!、3つ目一人じゃできないことも誰かと協力して達成すること!他にもあるけど言いきれないぐらいいっぱいあるよ!」
「・・・・・・・・・・。」
そっか・・・私は一人で何もできないんじゃなくて誰かと協力することで出来るようになるんだ。
誰かと協力して成し遂げることができるのは私の才能なのかもしれない。
誰かと協力してまでも成し遂げ用とするのは私の才能なのかもしれない。
才能・・・それは自分が気づいていないだけで誰もがみんな持っているもの
誰もがみんなできることだよ
君はいつもそう言う
君がそう、誰もができると思ってることはさ
君にしかできないんだよ
僕はいつもそう返す
誰もがみんな、誰もがみんなできるって
自分は特別なんかじゃないって
君の見ている世界は、世界でたった一人
君にしか見えないのに?
誰もがみんな
【誰もがみんな】
主語を大きくするのは嫌いだ。
わかった気になって話すのはおこがましい。
あなたのこともよくわからないのに。
ましてや自分のことすら全部わかっていると言えない。
誰もがみんな○○だ、なんてどうして言えるのだろう。
99本の薔薇の花束を貴方に…
お題
花束
誰もがみんな
生きたいのに、生きられるわけじゃない
お題
誰もがみんな
「誰もがみんな」
先日電車の中で優先席に座っていた3人にヤンキー高校生な男の子達がいた。
社内は平日の通勤時間帯もありそこそこ混んでいた。にも関わらず男の子達はマイペースにおしゃべり。
その光景に乗客はイライラしていた。
列車が発車して2駅目に着いた時、妊娠9ヶ月目とおぼしき妊婦さんが乗車してきた。
ワイワイ喋っていた男の子達は妊婦さんに気づき
「スっと」立ち上がり「どうぞ」と席をゆずった。
妊婦さんは「ありがとうございます」と安堵の表情を浮かべ会釈。
「人はみかけではない」
という
誰もが一度は聞いたことある言葉通りの
エピソードをリアルで見てしまった。
自分だったらどうしていただろう?
考えさせられた1日だった。
・誰もがみんな
勉強に追われていても
仕事が忙しくても
子育てに手を焼いても
みんな生きている
自分一人だけが
辛いわけじゃない
道路に投げ捨てられていた花束。
お気持ち察します。
成功者は言う
誰もがみな自分だけの才能を持ち
自分だけの使命を持って生まれてきたのだと
その使命を全うするために人生はあるのだと
だが、そんなの成功者だけが思うことの出来る綺麗事
誰もがみな持ち合わせているのは
毎日、休むことなく動き続ける心臓と
生まれ落ちてからこの世を去るまでの時間だ