『誰もがみんな』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
誰もがみんな
言えないことを言うのは勇気がいる
どんなに心が強い人でも勇気のいることってきっとあるはずだ
寂しいと感じることがあるはずだ
人はみんな取繕った心の下に寂しさや孤独、勇気を隠している
そして、それに潰されないように自分を奮い立たせるための何かを持っている
それを常備していないと孤独や悲しみに溺れそうになるから
今日を生きる
明日を生きる
一人になるとそれで精一杯
だから、寄り集まる
誰もがみんな
誰もがみんな
誰もがみんな好き嫌いはあるだろう
私は牛タンや、鰻が苦手だか、
この2つを大好きだという人は多い
うちの家族は5人 野菜、フルーツ嫌いが2人 肉嫌いが1人
魚嫌いが1人、鰻を食べるのは1人
牛タンを食べるのは2人
こんな家族が、外食をするときは大変だった、行く場所が決まらない
毎日の食卓も非常に面倒だった
今は子供たちも大きくなり、自分たちで好きに食べる様になったが、
魚嫌いの旦那をもつと魚料理は出来なくなるし、食べなくなる
残念だ。
誰もがみんな同じってことは無いし
そんなに困らなくて悩まなくていいと思います。
私にはテストは絶対に
高得点をとりたい友達が居るんだけど
私は赤点回避してますようにって思ってるのに
勉強しない。
この場合は勉強した方が良いのだけど
私は勉強が好きじゃないから
勉強に縛られたくないって
思ってしまうんだよね。
これっておかしいのかなぁ?
私はそれが自分らしいから
困ったり悩んだりしてないけど
皆とわざわざ無理して同じにする
必要はないんじゃないかなって思います。
誰もがみんな一緒じゃないし
あんまりみんなと一緒にしないとって思わない方が
自分をもっと出せると思います。
どんなあなたも素敵です。
─────『誰もがみんな』
「誰もがみんな」
誰もがみんな
幸せになりたい
しかし周りの花々を
踏みにじってまで
得ようとする幸せに
何の価値があるだろう
今いちど
自分の足を見てごらん
恨み辛みで汚れてないかい
誰もがみんな
誰もがみんな、自分の居場所を
求めている。
そんな気がする。
居場所は、与えられるのじゃなくて、
自分の手で、探しにいかなきゃ。
我が愛猫は、そう言って、私のとこに来てくれた。
以後心地よいのだね。
ありがとう。
そばにいてくれて。
家族になるって、思っていた以上に面白い。
誰もがみんな、みんなの内の1人だ。
私もあなたも、そこのあなたも。
#誰もがみんな…
誰もがみんな欲しがるもの…
愛…
そして私も
愛されたい…
愛したい…
それが難しいことを
知ってしまった今は
星にそっと願うだけ…
真心は
ときに歪んでしまうのね…
純粋に相思相愛で永遠なんて
ほんのほんのひと握り…
あるかないかのこと
とてもとても…寂しくて…
誰もがみな
同じ道を歩いていくことはない
自分ひとりまわりと違う道を
選んだからといって
間違えていることはない
胸を張って
誰もがみな自分だけの道を
歩くんだ
__誰もがみな
誰もがみんな同じとは限らない。
あっ、この子私と似てる、そう思うのはきっと自分がすごいと思っているからだろうな。
でも、そうしないとやってけない。
人と比べるのは自分でもするし、他人にもされる。
同じように真似をしたら壊れることになるから。
怖くてできないなんか、言ったってきっと、わかんないんだろうなぁ。分からなくていいよ別に。
無理に私に合わせなくて大丈夫だから、
そう言ってくれるの私はいつまで待てばいいの?
なんて私は身勝手なんだ。
誰もがみんな同じなんて事は無いんだよ、
10人いたらみんな違うんだから。
『例えば彼女の』
例えば彼女の花の植え方 紅茶に入れる角砂糖の溶かし方 もっと言うと服の上下の配色センス 誰もがみんなおかしいと感じている 彼女に面と向かっておかしいとは言わないが 裏で口を合わせて彼女のことを3時の紅茶のあてにしている 例えば私の花の植え方 紅茶に入れる角砂糖の溶かし方 もっと言うと服の上下の配色センス 彼女のようになれたらいいとほんの少し模倣する 彼女に面と向かって素敵だよとは言えないが いつか彼女と3時の紅茶を飲めたらいいなと思ってる
夢を見るワンカップの砂糖
舌が痺れる音節を超然と楽しんで
いい旅だったとも
咽び泣く鴨
右側の道路が混んでいる時の 皿
いくら暗示をかけていても
注射は いたいぞ
誰もがみんな、ってよく言うけど本当に?
誰もがみんなこれがいいって思ってるって本当?誰か一人くらい、違うのがいいって思ってるかもしれないよ?
誰もがみんなとか、全員がとか、って、プラスのイメージで使われることが多いけど、そういう協調性を帯びた言葉は、無理に使えば同調圧力につながりうるんじゃないかな。
だから、協調性を帯びた言葉は使わないほうがいいよね。
こんなふうにして、コンプライアンスの規制が強化されると、発言の自由さを奪う。気にしないといけないことが多くなって、かえってストレスなのに。これこそがハラスメントなんじゃないの?
- 誰もがみんな -
もがいている
どうしようもないのに
あがいている
なにもかわらないのに
何のために、
誰のために、生きているのかすら
わからないままに
空だけをみて
もがいている
あがいている
今日も
生きるために。。。
「あんた、何回言わせれば気が済むの?」
知らん。しかもその質問意味無いだろ。
「なんで普通にできないの?」
普通って何さ。じゃあ普通と特殊の境界を教えてくれ。
__何について話していたのか、どうしてこんな空気になっているのか。
話が脱線しすぎて、もう覚えていない。
もはやウチでは日常茶飯事だが…。
確かな事は一つ。
この状況は、俺と母親の意見の齟齬が原因だということ。
俺の母親は、俺に『普通』であることを求める。
俺は、そんな母親に従う事を拒む。
この考え方の違いが原因。
…永遠に分かり合える気がしない。
普通を悪い事だと思っているわけじゃない。
むしろ、円滑に物事を進めるためには普通であることも重要だと思う。
よく目立つ箇所があれば、それを色眼鏡で見る人は多いだろうから。
普通であることを正義とするかのような主張。
そもそも、俺にとって『普通』の人は、普通であることを強要したりしない。
そのせいか、俺には母親の主張は狂気的にすら見える。
結局は、『普通』の基準は、各々の心なのだろう。
母親にとっての『普通』の人は、目立った個性が無く、その状態を守ろうとする人。
俺にとっての『普通』の人は、自分の普通を守りながら相手の普通にはあまり干渉しない人。
誰も『普通』になんて、なれやしないのに。
誰もがみんなお前と同じ思考回路だと思わないでくれ。
みんな違うんだから。
押し付けないでくれ。
誰もがみんな、違っているんだ。
誰もがみんな。
私にはこの言葉を理解できない。
なぜかって?
みんながみんな思い方は違うのにどうして誰もがみんななんて言葉があるのかわからない。
そんなこと言ったって何も変わらないのはわかっている。
だが、誰もがみんな一緒なわけではない。
それが現実だ。
私はこの言葉を嫌ってしまう。
誰もがみんな認めてもらいたいと思っている。
こんな深夜に、眠ることも出来ず、スマホをいじっている私はその最たるものだ。
書きたいから書くのではなかったか。頭の中の映像を再現したいのではなかったのか。それがいつの間にか、承認欲求に代わってしまっている。
こんな夜はもう横になるしかない。横たわって、また力が戻ってくるのを待つしかないのだ。
「普通なんてないから」(お題:誰もがみんな)3枚目
この世界には多種多様な人物がたくさんいる。そして、この世に「普通」という言葉は合わないはずだ。
全員が全員異性が好き、白人、天才、男or女…と思ってはいけない。だからこの世界は生きにくいと思われるんだ。
みんながそうなら合わせないとなんて思わなくていい。
自分なりの生き方をするのがこの世界を生き抜く方法の一つだ。
ひとつ覚えていて欲しい。誰もがみんな自分、あの人と同じだとは思わないで欲しい、
危なぁい。
危ない言葉だよね。
この言葉はさ。
大きな言葉だね。
この言葉を使う奴を簡単に信用しちゃダメだぜ。
なあ。
全てについて等しく語れることなんて
きっとありはしないんだ。
大きく包み込んだように見せて
こぼれるものを顧みない。
その語り口は欺瞞からか浅慮からか。
いずれにせよ
距離を取らなきゃね。
君は全てを一括りにして
何か大きなことを語りたいかな?