『誰かのためになるならば』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
自分の心に向き合っていたら
自然と周りの人も
その人らしく生き始めている
そういう世界
誰かというその誰かは
自分が映し出しているもの
外側ではなく
内側へ
誰かのためになるならば
私は私が分からないのに…みんなは私のことを知りたいと言う
もしそれが誰かのためになるならば、私は早く私を見つけないと…
誰かのためになるならば
私は何をするのだろう
私は何が出来るのだろう
誰かが喜べば嬉しい
誰かの為になるのなら嬉しい
これは誰かのためになるのだろうか
誰かの為になるのなら
僕は君のフリをするよ。君が望まれていないなら、
なんで泣いてるの君は笑ってる顔が可愛いんだから。
笑ってて
“誰かのために”って、
ヒーローみたいで好きだった。
ヒーローでありたくて、
いっぱい、いっぱい、がんばった。
“誰かのために”、
痛いも、苦しいも、辛いも、悲しいも、
全部全部、押し殺して。
分かち合いたい何かも、
全部、なかったことにした。
ふとした時に、スポットライトから外れてた。
ほしかった光も全て、
私でははない、
他の誰かに当たってる。
“誰かのために”したことは、
“私を殺した”
【誰かのためになるならば】
誰かのためになるならば、なんだってやってみせよう。
いや、ちょっと言い過ぎたかな。
無理のない範囲で、やってみよう。
無理をしないことが一番大切なのだと、年齢を重ねて気づいた。
[誰かのためになるのなら]
誰かのためになるのなら、私は自分の命を捨ててでも何かをする。
テーマに合ってない気が…
誰かのためになるならば
誰かのためになるならば、じゃなくて貴方のためになるならば私はなんだってしてあげる
私は毎日、水をかけている。
雲の上から。
私はこの行為に意味は無いと思っていた。
あの日までは。
私は天使の中でも別に位が高いわけでも低いわけでもなかった。
だからこそこの意味もなさそうな仕事に疑念を抱いていた。
ある日神様たちの会議を立ち聞きしていると
今年の降水量は例年よりいい感じだね。
人間界の畑が豊作のようだ。
来年も降水量に気をつけてがんばろう。
そう言っていた。
降水量はたぶん水をかけた量だ。
人間界の畑が豊作、、、。
人間界の食物は水で育つのだろうか。
でも私はこんなことを考えながら人間の役にたっていると感じられとてもやりがいを感じた。
誰かのためになるならば。
君が誰かのために君を捧げるのなら、
君を思う僕の気持ちはどこに向ければいいのかな
誰かに向ける君の優しさを
君自身にも向けて欲しい
誰かにためになるならば、この記憶を売る。
でも、自分の大切なものを失ってしまう。
それでも、誰かの支えになるのなら、、
誰かのためになるならば
(本稿を下書きとして保管)
2024.7.26 藍
誰かのためになるならば
一人はみんなのために、みんなは一人のために。的な考え方かな。今は個人主義の時代だから誰かのためになんて本気でやる人いるとは思えないけど。
まぁもし誰かのためになにかする人がいたとしてもその人は間違いなく金持ちだろうな。人助けなんて金持ちの趣味でしかない。
時間と金に余裕のある人間しか誰かのためになんて考えない。実際に行動にまで移したらそりゃよっぽどのお金持ちだ。
なんていうのは貧乏人のひがみでしかないんだろうけど。俺も誰かのために生きられるくらい余裕のある人間になりたいものだ。
誰かの為になるならば
私が盾になろう。
君が生きてくれるのならば私が死んでみせよう。
全ては君の為に出来ることを私がしてやろう。
どうしてこんな世界は残酷なんだ。
私は誰かの為に犠牲しかないのかな。
生きたいって願っても死ぬしか残されていないのかな。
誰かの為にしなくてはいけないのかな。
(お題:誰かのためになるならぱ)
誰かのためになるならば、なんて、そんな清らかで尊い思想は、昔いつかの私が捨てた。
私はいつだって利己的で、自身の欲とエゴに正直に生きてきた。優しさの裏にはいつも打算があったし、ずるい嘘なんて数えきれないほどついてきた。それに罪悪感なんて持たなかったし、持つ必要だって感じなかった。
何故ならば、私にとって他者はあくまで、私を満たしてくれるための道具でしかないからだ。打算の優しさもずるい嘘も、巡り巡って未来の私の為になる。人情なんてものは持ち合わせていないし、あったらあったで、それはいつか私を破滅の道に突き落とすだけだ。そんな結末は望んでいない。
醜い自分を隠さず、世界に迷惑をかけながら自分のためだけに生きて、そしていつか孤独に死ぬ。
私の人生は、それだけでいいと思っていた。
そう、思っていた。思っていたのだ、つい数分前までは!
(誰かのためになるならば)
今日も明日も、食べ、働き、眠ろう
誰かのためになるならば
誰かのためになるならば
ヒーローになる…変身!戻った後の筋肉痛とか体力復活を手助けしてくれる人は間接的どころか影響度大。
目に見える活躍は誰かが安心する。でも、そのヒーローを心配する人は無事に帰ってきて欲しいだろうな。
無理だと言われる革新的な研究をする…研究費も少なくて(あるだけまだいいのか)も、理解される事も少ない。身体を壊すようなのめり込み方。目的がはっきりしていて、かつ、執念も感じる。でも、取組むもので扱われ方が違う。横取りされるか、馬鹿にされるか。あっ、日本沈没の田所博士とかのイメージが近い。
奉仕の仕事…自分が参加する事で役に立つならと勉強したり資格を取ったり、泣いたり怒ったり頑張ったり、上手くいかなくてガックリして諦めたり…誰の満足?
道端のゴミを拾ったり、落とし物を預けたり、迷惑かけない行動したり、些細な出来事に感動、感謝したり、
なんか、そういう事が出来る事?闘う事ではないか。
#誰かのためになるならば
“”誰かのためになるならば…“”
そんな風に思えるほど
私自身たいした人間ではない
心に余裕がなきゃ
“”誰か“”の事まで見ていられない
毎日いっぱいいっぱいで生きている私には無理
自分が何者でもない小さい人間なんで…
私は自分が大好きで他人にほとんど興味が無い…
好きなものに囲まれた
自分の小さな世界の中で
自由気ままに過ごす事をこよなく愛している
他者との接触は最小限?
いやいや
できれば避けて通りたい
時々自分の世界から薄目で世間を覗き見👀
ん?って興味がある事は隙間からジロジロ観察
その時ピンチの人を発見したら
特撮ヒーローにでも変身して
即刻助けてあげられたらいいけど
でもそれって無理でしょ?
ただの人間だもの
“うわぁ やばい どうしよう… 声かける?”って
悩むんです! ものすごく!
自分のできる事の許容範囲なんて狭すぎて
力になれるかなんてわからないじゃん…
そのまま何もせず見過ごすこともできるけど
莫大な勇気を振り絞って声を掛けてみる
“”May I help you?“”
その声はものすごく小さいwww
で
「大丈夫です〜 ありがとうございます」
なんて返されたらもう恐縮至極でさ
もう膝から崩れ落ちるわ〜
安心感となんか気恥ずかしさでwww
ちょっと良い人やって達成感120%(´∀`∩)↑age↑
気持ち良くなったらまた自分の世界へin…
“”私って良い人♡ふふふ~“”って
自己満足にどっぷり浸かる♨️
なんにもしていないんですけど〜😝
嗚呼…
そんな自分がやっぱり大好き♡
🌈黒猫のつぶやき🌈
人には限度ってものがある…
だから私が困ってる時は丸ごと助けてもらいたい
私はひねくれている。
小学生の時は、いじめられている子と一緒に遊んで、いじめが収まるよう行動していた。
中学生の時は、不登校の友達をなんとか学校に来てもらおうと、家にまで行った。
高校生の時は、一人ぼっちになりそうな子を呼んで、一緒に昼食を食べたりした。
大学生の時は、隣で咳をしていた子が、先生から
怪訝な顔を向けられていたので、「気にしなくていいよ」的なことを言った。
皆が、敵にしていたり、孤立している人と仲良くなりたいと思ってしまう。
もちろん、優しさや思いやりもある。
だだ、無意識のうちに自分より下だと思う人と、絡んでいるのかもしれない。
これらの行動が、その本人に良い影響を生んでいることを願います。
善意だけの「本当の優しさ」を持ちたい。
誰かのためになんて
烏滸がましい事は言わない
結局は自分のため
自己満足でしかないから
自己犠牲での奉仕は誰のためにもならない
自身が幸福であるから
そのお裾分けでお手伝いをする
それが在るべき姿
それでも私は
貴方のためならば
私が出来うる限り手を差し伸べたい
「誰かのためになるならば」