『誰かのためになるならば』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
誰かのためになるならば。もう性善説は通じない世の中よ。そういうお題じゃないかもしれんが。
どれだけいいことをしても揚げ足とりのように細かいことを突っ込まれる時代だ。なにもしないが最適解だ。昔からかもしれないけどな。
さわらぬ神に祟りなしだ。でも情けは人のためならずとも言うからな。ケースバイケースか。ぶっちゃけリアルでいいことをして悪い結果になることはほとんどないだろうしな。
まぁ俺は誰かのためになんてまっぴらごめんだけど。そもそもそんな余裕がない。貧すれば鈍するってのはマジだな。貧乏は心を歪ませる。
今日のお題はいまいち書くことないし今日読んだ雑誌のことでも書くか。今日は新連載を二つ見たからその感想をば。
まずはヤンジャンで見た新連載。ゴールデンカムイの人の新作。アイスホッケーを題材にした作品。氷上の格闘技とか言われてるんだっけ。あんま興味ない題材だ。
でも読んでみるとすらすら読めてまぁまぁ面白かった。絶賛するほどじゃないけど次も読むレベル。流石に長期連載のヒット作をやっていただけはある。
次も読むけどタイトルは確認するの忘れてたから来週確認しとこ。
もう一つ読んだ新連載はチャンピオンのやつ。ゴルフを題材にした作品。これも題材に興味ないな。感想はつまんなかった、目が滑る。以上。
なんかチャンピオンってほんと読むものないな。俺が好き嫌い多いってのもあるけどこれ読んでるやついるのかよってレベルが多い。
でも廃刊になってないってことは利益があるんだろうしチャンピオンを読んでる奴がいるんだよな。誰が読んでるんだよあれ。謎の雑誌だ。
誰かのためになるならば、何だってする…
そういう人だったね、君は…
見知らぬ人でも、困った様子ならば必ず声をかけ
助けていた
「誰かのためになるならば、私は何だってする。」
僕にはわからなかったけどね
誰かのためになるならば、
自分は死んでもいいって言うの?
きっと、君の心は
嫌っていうほど
綺麗なんだろうな…
自由研究って本当にする必要があるのか?しかも、2つも。世の中の為に、日々謎を解明している科学者の方の研究は、本当に世の中のためになっている。でも、私がやる研究って、あくまで自分のためだ。自分が怒られない為、先生からの評価を上げるための。それって全く面白くないし、時間がなさすぎて、「自分が楽しめるかどうか」なんて二の次になってしまう。
誰かのために頑張るのって、大変だが案外気持ちは楽だ。でも、それが自分のため、となると、途端に嫌になってしまう。
もっと、自分のために頑張れる人になりたいなぁ…。
「あ、すいません…。」
俺は通行人を避けながら、交差点に落ちていたゴミを拾った。
誰かのためになるならば、と思って続けてきた習慣だが、中には不審者でも見るような、うろんな目で俺を眺める奴もいる。
近所のじいさんは、よく声をかけてくれるが、区の吸い殻パトロールの親父は、ライバルが出現したとでも思うのか、完全無視だ。
小学校の旗振りのオヤジも、俺を見て見ぬふりをする。
「何でそんなことしてるの?」と、明らかに不審の目を向けてくるやつもいる。
だが、俺の毎朝の働きのおかげで、カヤが生え放題だった都会の交差点は、すっかり綺麗になった。
いいことをして何が悪い!と俺は言いたい。善きことに不審な目を向ける奴は、魂レベルが低いんだと思っている。
【誰かのためになるならば】
誰かの為になることで
自分の居場所を確保しようと
必死だった。
誰かの為になることなんて
誰も気付かないことなんだと…
知ってからは、後ずさり。
空回り。恥ずかしい。偽善者。
こんな風になるなんて…と
自分で貼り付けてしまった
レッテルを、泣きながら剥がした。
誰かの為は誰の為…
分からぬまま、彷徨いながら
私は塵になる。
【お題:誰かの為になるならば】
誰かのために私達は何をすればいいんだろう
正直ない
あるとしたら
老人の話を聞くとか
社会に貢献するとか
こんな私達ができることなんて
指で数えられるくらいだ
自分の人生で精一杯なのに他の人を考えてられない
だから私達はただ祈るだけ
みんなが幸せになりますようにと
〈誰かのためになるならば〉
誰かの代わりに自分が死ぬ状況って
きっと私は死ぬことはできない
誰かのためにとか
私は死ねない
きっと愛するものができたなら
私はきっと死ねるかも
─────『誰かのためになるならば』
誰かのためになるならば
私は進んで前に出よう
誰かのためになるならば
私は手段を厭わない
誰かのためになるならば
私は、私は
私はこの続きを書けなくなってしまった。
誰かより自分を大切にすれば良いのです
道行く人のたった一言
"ここに花が咲いていたら"
それを叶えることが
誰かのためになるならばと
始まりはそんな些細なことだった
長い時間をかけ作り上げた景色のなかで揺れる花々が
私に生きていていいのだと言っている気がした
(誰かのためになるならば)
誰かのためになるならば、を免罪符にしない。
誰かのためになる、を私の存在理由にしない。
「誰かのために」が悪いことではないんだけど、「誰かのせいで」と紙一重になる気がしてね。どうも苦手なんです。
……コーヒーを飲みながら目の前の女は話す。喫茶店に人はまばらで、こちらを見る人はいない。
ほら、私たちが動くと人間ってすぐ有難がったり、怖がったり、すがったりするでしょう? その逆もたくさんあって。
私たちが「助けていたのに何事だ」って言うのも、なんか違う気がするのよ。そういうのばっかり見てたら、疲れちゃって。
「本当に、お疲れさまです」
いいのよ。人間なのにわざわざこうやって話聞いてくれるだけで、私たち嬉しかっんだから。
女は立ち上がり、店を出るためにドアのほうに向かった。自動で開くはずのドアは開かず、女は“通過”して外に出た。
「本当に、そうですね。『誰かのために、という自分のため』くらいでいいと思います」
コーヒーは、飲みかけのままそこに置かれていた。
誰かのためになるならば
立派な考えだけど
私には明確な
私は他のだれでもなくて
あなた達のためになるならば
全てを差し出してかまわない
~誰かのためになるのなら~
誰かのためになるなら命も掛けられる。
そんな人はあんまりいないと思う。
恋人 友達 先生 親 赤ちゃん いとこ
色々あると思う。
もし恋人がいてその人のことが本当に好きなんだったら命はかけられるかもしれない (特に男
友達も、親だってそうだ本当に本当に好きで大切だったら命も掛けられる。
命をかけるということは生きていないといけない。
君たちは大切な人、誰かのためになりたい人は居るかな?
まだ私はいない……
だから私はその大切な人を見つけるためにまだ生きてます
♯誰かのためになるのなら
ここにいて それだけでいいと君が泣く
それだけの理由 それでよかった
#短歌 #書く習慣 20230727「誰かのためになるならば」
僕は、どんなに苦しいときでもずっと我慢してきた。
自分の時間や体力を削ってでも頑張ってきた。
「誰かのためになるならば」と言い訳をしながら。
我慢していれば、きっと先に光が見えると思っていた。
まだ誰も見ぬ、素晴らしい光が。
でも、それって結局は自分のためなのでは と気づいた。
まだ見ぬ光を誰かに見せびらかしたいだけなのでは と。
その瞬間、「僕」というものが崩れた。
「僕」は完璧じゃ無かった。
もろくて、細かくて、少し冷たかった。
#誰かのためになるならば
誰かの為になるのならば、僕は喜んでこの世を去ろう。
これが、本当に誰かの為になるのならば。
人の役に立って死ねるのならば、僕は未練なんて無い。
でも、少しでも、迷惑がかかるようならば、辞めよう。
と、僕は何度も何度も自殺を辞めてきた。
カーテンを開けて。空に向かってこう言う
さぁ、今日も迷惑かけないように生きよう。と
誰かのためになるのならば
多分これは綺麗事でまれにすごく優しい方がいるだけ。
でもその優しさがあるから人に希望を持つと思う、どんなけ裏切られて人間不信になっても優しくされたりすれば心に隙ができてしまう。それが悪いことなのかは分からないけど、その出会いがあるから今、僕は愛する人がいる。
だから僕は誰かのためになるのならば、少しずつ優しくしていこうと思う。
【誰かのためになるならば】
放課後の生徒会室。君と二人向かい合わせで、書類の束をぱちぱちとホッチキスで挟んでいく。午後5時を告げる音楽が、開け放たれた窓の向こうから流れていた。
「ごめんね、こんな時間まで付き合わせて」
申し訳なさそうに眉を下げた君へと、私は軽く肩をすくめてみせる。その間も書類を捌く手は止めない。
「良いよ、別に。誰かの役に立てるのは嫌いじゃないし」
明るく口にすれば、君は少しだけ眉を寄せた。困ったような、それでいて何かを咎めるような視線。そうして君は小さくため息を吐き出した。
「君のそれは美徳だとは思うけど。誰かに騙されて良いように使われてないか心配だよ」
「いやいや、そこまでお人好しじゃないし」
というかそっくりそのまま同じ言葉を、本当は君に返したいんだけど。明日の全校集会で配る書類の準備を先生方に丸投げされて、文句も言わずに一人で黙々と片付けようとしていた生徒会長様のほうが、私なんかよりよっぽどお人好しだろう。
誰かのためになるなら、それって良いことでしょ。なんて言って、私は君が一人で引き受けた仕事の大半に手を出しているけれど。だけど本当に私が助けたいのは『誰か』なんて漠然とした存在じゃなくて『君』だけだ。君のためじゃなければ、こんな面倒な仕事を手伝ってなんてやるものか。
だけどそんな素直な本音を口にすれば、きっと君は萎縮して私の手伝いを断ろうとするだろうから。だから私は君の前でだけ、誰かの助けになりたい博愛主義のお人好しを演じている。
「さっ、とっとと片付けよ」
にっこりと笑って、止まってしまっていた君の作業を促した。橙色の夕陽が、窓の向こうの空を鮮やかに染めていく。ぱちんと私の手元で、ホッチキスが軽やかな音を立てた。
誰かの為になるならば…じゃなくて、私は、私の為に、そして、愛する貴方の為にこれからも生きていきたい…いつも私の悩みを聞いてくれたり、私の我儘を聞いてくれるのは、私とは、違う世界を生きて来た、健常者の彼でした…私は、ずっと貴方に恋をしていた…だけど、健常者と障害者だし、ましてや、利用者と職員だし、絶対叶わない恋だと思っていたし、貴方と交わる事さえ無いと思ってた…ずっと、貴方に恋する恋心と、貴方が私に恋に落ちている事さえも、気付かないふりをしていた…だって、その2つに気付いてしまえば、私が私でいられなくなるし、それに、当時付き合ってた彼氏も、そして、貴方の事までも傷付ける事になるって分かっていたから…だから、ずっと、アプローチせずに耐えてた…けどもう限界だって思った時には、貴方にアプローチどころか、キスやハグをしてしまっていた…2人きりしかいない密室で…駄目だって分かってたのに、もう自分でもブレーキ効かなかった…でも、それよりも衝撃だったのが、貴方も私に、キスやハグ等をしてくれる様になった事…あんだけ、「彼氏がいるから駄目でしょ」って言ってた貴方が、絶対恋に落とす事出来ないと思ってた貴方が、私に好意を持ってくれた事。それが何よりも嬉しかった。そして、今、色んな試練を乗り越えて、今の私達がいる。ホントにいつもありがとう。もう少しで、付き合って半年になる彼氏へ
#誰かのためになるならば
誰かのためになるならばと、自分の意見を押し殺してきたこと多数。
それで確かに感謝されたこともある。
だけど、なんで人って慣れると感謝出来なくなるんだろうね。
別に感謝されたい訳では無いけど、それはこっちが判断することで、そっちが勝手にもう感謝しなくていいや、じゃだめだと思うんだ。
もう、自分のために生きても良いかなぁ。
誰かのためになるならば、家の路上沿いの花をきれいに整えたい。