『誰かのためになるならば』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
#今日のお題
#誰かのためになるならば
私は、昔から他人に対しても、親友に対しても
恋人、あるいは家族、親族に対しても
誰かのためになるならば、人助けをしたいと考えている。学生時代、同級生と、後輩がいじめにあっていた時、私はずっとその子たちに寄り添った。
お節介かもしれない。私は、困っている人がいたら、自分から手を差し伸べる。今でもそう。困っている人がいたら、大丈夫ですか?と話しかける。それが例え、高齢者さんや、妊婦さん、お子さん連れでも
そう。障害者の人にも、教える時がある。
お節介ですよね、すみませんという。でも、
ありがとう。お姉ちゃん優しいのね
と言われるのが嬉しいんだ。困っている人を
見て、助けないのはダメだよ。
本当に困っている人やいじめられている人を
無視するな
仲間(グルに)なるなと
母親と祖母に厳しく言われた。
今でもそう。ひとりぼっちで
誰も庇ってくれる人がいなかったり、
どうしよう、困っちゃったなぁという
人がいたら絶対無視しない。大抵、
人間というのは残酷で
無視したり、冷たくあしらう人もいると思う
でも私は無視しない。例え
冷たくされたとしても
相手にお節介だなと
思われても
助ける心があれば、
相手も自分も
気持ちがいいから。
あなたが辛い思いをするなら
私が引き受けてあげる。
あなたが嫌な思いをするなら
私が引き受けてあげる。
あなたがやりたくないなら
私が引き受けてあげる。
あなたが不機嫌になるなら
私が引き受けてあげる。
あなた辛い立ち回りをするなら
私が引き受けてあげる。
自分の心も想いも気持ちも
全部無視して
引き受けてあげる。
人が辛いのが私も辛いから。
そう 言い聞かせるから。
–誰かのためになるならば–
誰かのためになるならば命を差し出せる...なんて事思ったこともなかった。今も思っていない。だけど貴方になら命でも何でも差し出せるとは思うんだ。その真っ黒な目が海にできた渦のように私を飲み込んでいく度に貴方から目が離せなくなっていく。誰かのためになるならばは無理かもしれないが貴方のためになるならば何でもできる気がする。
誰かのためになるなら 出来ることは何でもする
#16
誰かのためになるのなら
私は微笑を顔に打ち付けます。
私は愛想を枯らしません。
私は優しく人の願いを聞き入れます。
私は愛を人に与えます。
その愛はいつ私に還ってくるのでしょうか。
誰かのためになるならば
ときどき、本当に死ぬべきなのはわたしなんじゃないかって思う事がある。
わたしは何もない、できない、役立たずだと。
ーそれでも、最後に何かしたいんだ。
こんなわたしでも、誰かに何かできたんだと。
最後に思う事ができたなら。
・・・最後、最後と言っているけど、まだできる事があると思って、本当の最後になっていないんだけど。
誰かのためになるならば、わたしはほんの小さな事でもしようとするんだろう。
命と交換してでもしようとするんだろう。
それが、救いようのないわたしの、生き方だから。
誰かのためになるならば
どんな悪でも演じよう
自分のためになるならば
誰かを悪に仕立てあげよう
あなたはどちら?
自己中·ナルシスト·唯我独尊·利己主義·眼中無人……
言われなくても知っていた。私が自分のためにしか生きられないことなど とうに。
自分が可愛かった。自分が大切だった。自分が好きだった。傷つきたくない正しくありたい責められたくない...... それはきっと誰もが思う普通の感情でしょう?
だから,手の届かないものは早々に諦める。責任を取れないもの。中途半端は良くないから。初めから何もしない。切れる蜘蛛の糸ほど残酷なものはないから。
"あなたのため"
なんて唾棄したいほどに嫌悪している。押し売りの親切は用をなさないの。少なくとも私にとっては。
尊重と肯定が私なり精一杯の親切だから。
誰かのためには生きれないみたい。
それでも,私の行為が誰かのためになるのなら それほど嬉しいことはないわ。そう素直に思うの。
影の中に沈み込んでいるだけというのは、覚悟していたよりもずっと退屈なことだった。
そもそも、なんのためにこんなところに自ら閉じ込められてしまったのか。いや違うな、閉じこもってしまったのかだ。
簡単だ。影の中しかないから。
この誰かの愛情と憎しみ、嫉妬、僻み、絶望を捏ねて固めたこの身では、周りを焦がし尽くしてしまう。
自らのものとも区別のつかなくなった感情はエネルギーとして膨大で、我々となった私たちは周囲を燃やし尽くさないよう、じっとしているのがさだめなのかもしれない。
「誰かのためになるならば」
誰かって誰?
そこに入る名前1つできっと大きく変わってくると思う
むやみな自己犠牲を美しいとは思わないし
何の感情も抱いていない見ず知らずの相手のために行動できる気はしない...
あの人のためになるならば
たぶん自分は頑張れる!
あの人のためになるのかもしれんが
まあちょっと、今はいいか...。
「なら」って言うくらいだからきっとそう容易いことじゃないんだよね。落ちてた紙くず拾うとか、ドアはきちんと閉めるとかそういうんじゃなくて。
こっちもちょっと頑張らないといけない何か。
「あっ、あの...チャック...開いてますよッ...」
「絶対に、飛び出したらダメって、言ってるでしょ!!?」
「やっぱり私さっきの君の言葉で傷ついた!!」
言いにくいし言う時辛いことっていっぱいありますよね!!
それでもホントに相手のためを思うとしたらみんな言う。
でもそれほどまでに思える相手もそう多くないわけで
誰かってレベルの不特定多数にまで使わなきゃいけないモンではないかな...
誰かのためになるなら
自分を犠牲にしてもいいんでしょうか
私はそうは思いません
誰かのために、と生きること
それもいいと思いますが
やっぱり自分のために生きるのが
1番いいと思うんです
もしそれが限定された誰かなら
その人が居なくなった時に
生きる意味がなくなってしまうでしょう?
自分のために生きるなら
自分が死んでしまうまで
一生懸命生きられる
自分のために生きるから
自分を大事に生きられる
私が今自分のために生きているのか分かりませんが
私はそういう生き方をしたいと思います
だから今のうちから自分のために頑張るのです
誰かのためになるならば
そんなふうに考えて
行動してる?
見知らぬ誰かのために
なんて
利己的な自分にはちょっとね
情けは人の為ならず
って感じで
その誰かは未来の自分
かもしれないし
とりあえず今日を生きようか
暑いけど
誰かのためになるならば
まずは「自分」を大事にすることから始まる。
健康第一なのはもちろん、常日頃から幸せを感じて
自分を満たすための行動を怠らないだろう。
そうして自分がある程度は満たされたなら、心の余裕ができた時に、初めて周りの人間を見渡そう。
一番身近な人というと「家族」である。
家族に対して、自分のできることは自ら進んでやる。時には家族への日頃の思いやりから、出先からお土産を買っては喜ばせようとするだろう。
結婚も、子育てもする年頃になった。
それぞれの環境の変化により、昔ほど会うことは少なくなったが、それでも「友人」のおめでたい事には心から涙が出るほど嬉しく感じた。
子どもが無事産まれてきたことの吉報は、それよりもさらに号泣してしまうほどで、友達の子ども達は私にとっても特別で愛おしく想う。
私は、見知らぬ他人のために生きることはできないし、損得抜きではしない。
しかし、私の愛おしく思う人々は、周りにいる。
まずは自分と、周りにいる人々をより大切にしたい。
両手で持てるほどの小さな力だが、これからも自分のできる限りのことをしたい。
それが、自分のためにもなるから。
ありがとう
耐えてくれて
ありがとう
ここに存在してくれて
私達はパズルのピース
一人でも欠けたら
この世界は成り立たないの
〜誰かの為ならば〜
誰かのためにと思う時
まず君自身を大切にし
いたわり
リラックスする
すると
そんな君が纏う
ゆったりとした雰囲気が
周りにも届くんだ
その影響力のほうが
強いんだ
誰かのためになるならば。
そんな意識で自己犠牲する人間を、俺は好まない。
どうせするなら、愛する人のために。
この身を捨ててしまおうか。
【誰かのためになるならば】
「やります。特に予定もないですから。」
急に頼まれた人探し。二人の少女を探せという。
夕日は赤く、空には黄金の雲が浮かんでいる。
死ぬには良い日と思っていたが、予定が入った。
どうせ捨てるはずだった命だ、使ってやろう。
路地裏のフェンスを越えて、ないはずの4番線で6両編成の無人列車に乗り込む。気がつくと日はずいぶんと大きく、低かった。夕日かと思っていたが日は東。時計は4:30を指したまま止まっている。
気がつけば列車は終点の街に停まっていた。
どこか懐かしく、寂しい街だった。
誰かのためになるならば、ってずっと考えてる。そりゃあ自分のことは大切だよ。でも、誰かが心の底から喜ぶのであれば、自分自身を犠牲にしても構わないって思う。むしろ、そっちの方が自分に合ってる気がするしね。誰かの幸せが自分の幸せだからさー。
「俺は何でもするぞ。誰かのためになるならば」
「うん、灼くん?そういうこというのやめたほうがいいぞ?」
「京。誰かのために尽くすことはとても大切なことなんだ」
「俺諭されてる?灼、違うのよその前が問題なんだよ」
「?過程の問題か?」
「は?かてい?」
「道のりのことだ」
「違うなあ。何でもするってところなんだよなあ」
「???」
「灼は純粋だからな。仕方ない、俺が言葉の怖さというものを手取り足取り教えてあげよう。とりあえずそこに寝転がってもらって」
「させませんけど?」
「あ、出たセコム」
「こらこら……」
「いいんですよ灼さん。コイツしばくだけなんで」
「ミィルくん、キミ俺の片割れみたいなもんだよね?」
「貴方だって灼さんがこんなことされそうになったら止めるでしょう」
「おお。ヤろうとしたやつ○すわ」
「でしょうね。一緒です」
「何故意気投合しているんだ……」
道端のスミレが踏まれないようにちょっと遠くで見てるバス停
昔、『最大多数の最大幸福』という考え方があった。
最も多くの人に最大の幸福をもたらすのが善と考える事だ。
聞いてみると良いものと捉えられる。
じゃあ、こういう状況はどうだ?
5人の子供がいる。
その子達はそれぞれ体に悪いところがあり、移植してもらう事を望んでいる。
そんな時、貴方の臓器が適切だと判断された。
つまり、貴方が5人分の臓器を提供し、死ねば
5人の子供が助かる。
その逆に、提供しなければ5人の子供が死ぬ。
…君は1人の幸せと5人の幸せ、
どっちを重くみるかな。
ー誰かのためになるならばー