『花畑』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
花畑
俺は、向日葵畑が、
好きだった。
真夏の真っ青な空の元、
鮮やかな黄色が、
まるで小さな太陽の様に、
元気に輝いている。
そんな、花畑。
向日葵畑は、
未だ家族が側に居た頃の、
幸せだった想い出の欠片だ。
しかし。
家族を失ってからは、
俺には、花畑に行く気力なんて、
何処にも無かった。
だけど。
お前と出逢って、
漸く、思い出したんだ。
真夏の花畑。
向日葵の美しさを。
今度。
一緒に、向日葵畑に行かないか?
そして。出来たら、
お前の好きな、花が咲く花畑に、
俺を、連れて行ってくれないか?
ユートピアには花畑がある。
一面、カラフルな花が風に揺られている風景は圧巻で、その奥に権力者タワーがある。
でも、前はそんな光景じゃなかった。演奏者くんが来た時は花畑なんてなかった。
殺風景な明るい明るい何も無い広場。
そんなのはつまらないからって、頑張って花を育てた。時がないこの世界も、花だけは育ったり枯れたりするから、毎日欠かさず水をあげた。何故か毎日水をあげてれば枯れることはなかった。
最初は簡単だった。二本、三本しかない花に水をあげるのは楽だった。
でも、いつの間にか花畑になってしまった。ううん、自分で新しく植えたり、花からどうにか種とかとったり交配させたりして花を増やしたのだ。
今は一体何本あるんだろうか。殺風景だった広場を埋めつくしている花畑。あまりにも広かったここに花がビッシリ生えている。
水あげ作業が少しだけ憂鬱だけれども、花を枯らしたいわけじゃないから、端から水をあげていくことにしている。
時間はめちゃくちゃかかる。でも、欠かしたことはない。
演奏者くんがこの花畑を好きだって言ってくれたから。そして、迷い子たちもここを気に入ってくれることが多いから。
ボクが統治している場所はユートピアの一区画に過ぎないけれど、多分一番迷い子たちにとって過ごしやすい環境なんじゃないかと自負している。
だからその評価を維持するために頑張っている。
決して無駄じゃないはずのこの行為。ボクがもし権力者じゃなくなったら、きっと無くなってしまう気がして、小さなため息が口から漏れた。
「休日に行ってみたいところってある?」
「何処にあるかわからん、妄想の場所でもいいか?」
「何?月とか言うつもり?」
「そうじゃない。花畑だ。黄色い花が一面に咲く花畑に行ってみたい。でも日本の何処にあるのか知らないって事だ」
「あら、いいわね花畑。私もひまわりとか、黄色い花大好きよ」
「夏の日の、よく晴れた天気で、周りには一面黄色い花が咲いているんだ」
「いいわね」
「周りには誰もいない。静かな場所だ」
「そこにあなたは行きたいんだ」
「違う、お前と2人でいきたいんだ。それだけだな」
花畑
花畑の中で眠りたい
花と花の間から覗く太陽の光を
眩しく感じながらも暖かい光で眠くなる
そんな平和な生き方をしたい
昔、何とは無しに思い立ってバラ園に行ったことがある。まったく見頃とは関係ない時期だったので、こんな状態で大丈夫なのかと思ったが、見頃の時期の報道などを見ると余計な心配だったようだ。
悪口で、頭がお花畑か、という言い回しがあるが、その花畑も、ここぞという時にちがう魅せかたをするものかもしれないので余計な心配なのかもしれない。
花畑
何も考えなかった結果がこれか。
新しい仕事はそこそこ楽しい。
けど、楽しくない。
頭をいきなり使えばパンクもする。
よくわかんない。きっつい。
右隣に忙しそうな人がいるから逃げないけど、
脳内お花畑で、わたしって、本当に馬鹿かもしれない。
久しぶりに帰省した私は、
何となく近所を散歩してみることにした。
昔はよく色んな遊びをしたものだ、
と歩きながらその時のことを思い出していた。
川で魚を探したり、田んぼでカエルやオタマジャクシ
を捕まえたり、なんだかんだ活発だったな
と、休日はもっぱらスマホや外出になっている今の自分と比べてみる。
近所を走り回っていたあの頃からもう10年以上経っている。
なんだかんだ変わらないだろうと思っていた
予想とは裏腹にかつて遊んだ田んぼや広場が、
真新しい住宅街になっていて驚いた。
「あの広場、なくなっちゃったのか・・・」
ぼんやりながる先には駐車場、昔はこの広場で盆踊りや野球大会が繰り広げられていたのだ。
ちょっぴり切ない気持ちになりながらも、歩みを進める。
狭い路地の中、少し先には青と緑がみえる。
「確かここは・・・」
路地を出ると、シロツメクサの花畑が広がっていた。
春になると、よく花を詰んで冠や花束を作っていた。
「ここはあの時のまんまだな・・・」
あの時の記憶と違わない光景に、思わずほっとした。
花畑へ足を踏み入れる。
モンシロチョウが飛んでいる。
他にも、バッタやてんとう虫、
大人になった今では怖くて触れない昆虫たちも、
この時ばっかりは昔のように触れる気がした。
花畑ってどう思う?
あーその、昨日テレビで見てさ。
普通にきれいだったんだよね。
で、実は個人的に珍しいんだけど見にいきたくなったから、同行者を探してんの。
ね、だからといってはなんだけどさ
一緒に行こうよ。あなた花、好きでしょ?
……やっぱごめん。言い方変えるわ。
「初デート」、どうですかっていうお誘い。
ちなみに私はそれはもうあなたと一緒に行きたいです。むしろあなたがいいし、実は真っ先に来ました。
全然笑ってよ、本望でしかないから。
返事は…言うまでもなさそうな顔してんね。
わかるよ。好きだし。
「花畑」
私の頭は花畑
誰かと出会って
人生が変われるものと思っている
そうしているうちに
棺桶だわ
It was a sunny day today.
I think that flower parkwas veruly beautiful today
花畑といえば、昨年、栃木県足利市の
「あしかがフラワーパーク」に行った。
そこは日本屈指の藤の花の名所で、満開時には
優しい紫色の花が無数に咲く。
昼間も圧巻なのだが、夜のライトアップはまた格別で
光に照らされた藤の花そのものが輝いているような
この世のものとは思えないくらい
幻想的な風景が存在していた。
また、「花畑」とはいっても、花々の隙間に雑草が
ひょっこり生えている、なんて光景は
実際のところ日常茶飯事である。
しかし、あしかがフラワーパークは違った。
藤の花だけでなく、同時に見頃を迎える躑躅や
それらのアクセントとなる他の花まで
美の追究を一切怠っていなかった。
管理されている方々の努力が素人目にもはっきり認識できるのである。
当然、雑草も生えていない。
私はあれ以上の完成された「花畑」を見たことがない。
もし気になったのなら一度訪れてみることをお薦めする。
藤の花の見頃は5月だ。
【花畑】
「此処ね、死んだお父さんが昔好きだったの」
何処か遠くを見るような眼差しで彼女は口を開く。
亡くなった父親はかつて世界で有名な画家の1人で、数々の作品を世に送り出して来たらしい。
日本でも何度か展示会を開き、各著名人が高値で何枚もの絵を買って行ったことがあるそうだ。
自分も幼い頃は父のような偉大なる画家を目指して絵をたくさん描いて来た。
父は普段とても温厚で優しかったが、一度絵のことになると鬼のように厳しく、よく母に泣き付いては慰めて貰っていた。
そんな父親が好んでよく来ていたのがラベンダー畑であり、いつも絵を描く際は決まってこの場所だったと彼女は言う。
「懐かしいな……」
彼女の真っ黒なショートヘアが初夏の若干湿気った生暖かな風に乗って軽やかに靡くと共に、ラベンダーの華やかで独特な香りが鼻腔を擽る。
閑散とした其処は今、僕と彼女の2人だけだ。
“まるで世界に自分たちしか居ないみたい”
なんて、ありふれた言葉が脳裏を過る。
「……お父さん……」
ふと彼女に大きな悲しみがのし掛かり、膝から崩れ落ちて泣き出してしまった。
両手で顔を覆い、肩を震わせて涙を流す彼女をただ呆然と立ち尽くして見下ろすことしか出来ない。
こんな時、彼女を優しく抱き締めて慰めてあげることが出来れば。
グッと下唇を噛み締め、悔しさに拳を握り込む。
この密かに想い抱いている気持ちに彼女はいつ気付いてくれるのだろう。
泣きたいのは、こっちの方だった。
花畑
私の友達の家には、
沢山のオオデマリが咲いている。
花言葉は「天国」なんだって。
見た目に相応しい名前だった。
ある日君はその花畑を見せてくれて、
得意げに意味まで教えてくれた。
花言葉は「華やかな恋」らしい。
信じていいのかな。
ヒマワリ、菜の花、コスモス、ラベンダー、など
いろいろ見に行ったこともあるけれど
実はあまり花畑は好きじゃない
なんでだろうかと考えてみた
一面に咲く、あの景色はきれいだと思うし、
好きな部類に入るだろう
ただ、じゃあ見に行こう、とはならない
近くで眺める、というところに行くとたちまち興味がなくなってしまう
つまり、景色としての花畑は好きな部類に入る、ということか
それに、花自体もあまり好きではない
もちろん、好きな花はある
桜、梅、鈴蘭、紫陽花、朝顔、椿
これらはパッと思いついた好きな花たちだ
桜は散り際より、蕾がだんだんほころび、ひとつふたつと咲き始めるころが好きだ
梅は咲きそろっているのが好きだし、鈴蘭は一株一株、ぽつりぽつりと立っていてそれらがそろって花をつけているのがいい
紫陽花は雨に、朝顔は夜露に濡れているのがキレイだと思う
椿は雪を乗せている、あの雪があるからこそなお映える濃い緑の葉、赤と白の花。
ここまで書いていて気づいた。
どうやら、群れているのが苦手らしい
桜だって梅だって、群生しているのは見に行こうとは思わないし、景色としてはああキレイだなと思う
鈴蘭も群生しているより一株、二株、ぽつりぽつりと立っている方が好みだ。
紫陽花と椿…は、よくわからないけれど、朝顔は一鉢に1輪2輪咲いている方がなんとなくいい気がする。
群れている、群生しているのが苦手なら、花畑に興味を持たないのはなるほど、たしかにそうらしい
花は遠くで景色として楽しむことにしよう
#花畑
5歳児の息子が突然お花畑に行きたいと言い出した
私は仕方なく車を動かしお花畑に行く
息子は採っても大丈夫エリアで必死にお花を集めてる
ふふ、好きな子にでもあげるのかな?
私)ねね、それ誰にあげちゃうの?
息子)好きな人にあげるんだ!( ◜ᵕ◝)
もー、若い子の恋って健気!!
次の日
今日は私の誕生日
息子から「だいすき」と書かれた手紙をプレゼントしてくれた
綺麗に包まれたお花と一緒に
花の絨毯なるものがあるらしい
一度は見てみたいと思う
一つ一つ見ても美しく
集合で見ても美しい
なんだかとても羨ましい気がする
どちらか出来たら万々歳だろうに
少しずつでいい
なんだか見てられるなって
思われるようになりたい
 ̄[花畑]
最近は、朝起きたら誰かが引退発表していてなんか寂しい。
実は少し前、プロ野球の2軍の試合を観戦する機会があった。この暑さなので最後までは観られなかったけど、その試合に先日引退を表明した選手も出場していた。
お元気そうだし、調子も悪くなさそうだし、なにより相変わらず男前だった。
男前を確認した帰り道、コスモスが群生しているところがあり、あ〜もうコスモス咲いてるんだ〜青い空と一面のピンクが綺麗だね〜なんて思いつつ帰ってきた。
それからしばらくしての、引退発表。
寝起きでいきなり殴られた気分がした。
いやだって、あの時そんな気配なんて感じさせなかったのに。
笑顔も見られて、いつも通り男前だったのに。
......と、この前の試合を思い返してみると、心の中での映像はあの日のコスモスと重なって、まるでコスモスで縁取られているような気がした。
思い出す場面場面が切り取られて、コスモスと一緒に額縁に入れられていく。
なんか、花の力ってすごいね。
なんでも思い出が美化されちゃう。
...いや、違うねんて。
まだまだ思い出にしたくないんやって。
あの芸術点の高いバックホームのこと、ずっとずっと生々しく覚えていたいんやって。
ここ何年か
季節は早まり
人間の思惑を
裏切り続ける
日本一の藤だとか
富士山の麓の芝桜
桜めぐりバスツアー
日程の決まっている
格安花畑ツアーは
添乗員さん泣かせ
ことごとく空振りだ
そんな中 ネモフィラだけが
一面の青を見せてくれる
小雨に降られ
傘を差しながらではあったが
まあ 良しとしよう
長男の一歳のお誕生日に、南房総に出掛けた。
畑一面にポピーが咲き誇り、金魚草や他の花々と美しいコントラストを作っていた。
穏やかな春の小さな旅。
泊まったペンションの部屋で、二つ並んだベッドの間を、一歩一歩、嬉しそうに歩いて、私達の胸に飛び込んできた息子。
歩いた、歩いた!!と大喜びの私達夫婦。
それまで一、二歩歩いては転んでいたのが嘘のように、次の足が前に出てくる。
そのことが楽しくてたまらないような満面の笑みで、歩き続けた彼。
25年経った今でも、そんな光景を鮮やかに蘇らせてくれたお花畑。
心に刻まれた幸せな記憶は何年経っても色褪せることがない。
花畑と聞いて真っ先に思い浮かべたのは、祖母の家の庭先にあった色彩豊かな花壇であった。
やんちゃしてたちんちくりんのガキの時代に、毎年のように訪れていた祖母の家がおれは大好きだった。
花のことはなーんにも知らないはなったれのおれだったけれども(なんなら今も全然知らんしはなったれてもいるかもしれない…)、隅々まで手の行き届いた、品性を感じさせるような花壇であったことはなんとなくだが憶えている。
当時のおれたちは色とりどりに並べられた花たちと背比べをしたり、花びらに顔を寄せてはその数を一枚ずつ数えたり、蜜の匂いに誘われてやってきた虫たちと戯れきゃっきゃと無邪気に声をあげては大人たちを心配させたりと、そんなことをしながら退屈とは程遠い日々を毎年のように過ごしていた。
庭先の一画に作られた六畳一間程度の、花畑と呼ぶにはなんともスケールの小さいものではあったけれども、花畑という2文字の言葉を目にすると、時折在りし日の無垢なる記憶が、ひらひらと胸の内に舞い戻ってくるように感ぜられる……
……こうして度々、頭の中の端々に極彩色の花を咲かせながら、浸るや溺れるノスタルジィ。おれは懲りずに、酒を飲む。今日も今日とて、浴びるように、酒を飲む。
「花畑」