『色とりどり』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
色とりどり。このお題は季節とか関係ない汎用のお題かな。
それで色とりどりと言われて思いつくのは食事、かな。緑黄色野菜とか言うし健康のためには色とりどりな食事がいい。
でも改めて考えてみると食事って言うほど色とりどりな見た目にできない気がしてきた。
野菜で緑、肉で茶色、卵で黄色。後はもやしで白とかそれくらいか?パプリカを使えば赤とかも出せるけどパプリカってほとんど使わないだろ。
料理は色とりどりというお題に向いてなかったかな。正直このお題でいい感じのテーマが思い浮かばなかったから適当だったし。
まぁいいや。しかし今日は寒い。なんでだろ。別に雪が降ったわけでもないのにここ最近で一番の冷え込みだ。
あまりにも寒いからお菓子を買ってきた。お菓子はお金がかかるし太るから買いたくないし食べるべきでもない。それはわかってるから普段は買わない。
だけどこう寒いとメンタルが傷んでやばくなってくるのだ。だから今日はお菓子を食べてメンタルリセット。というわけだ。お菓子を食べると幸せになれるからね。
それで今日はエアリアルというコーン系のお菓子を買ってみた。なんとなくコーン系のお菓子を食べたかったから今まで買ったことないエアリアルをチョイス。
食べてみると食感から味付けまで実にうまかった。俺はポテト派だったけどコーン系に鞍替えを考えるくらいうまかった。これはリピしちゃうな。
色とりどりの瓶。
一つだけでも十分な存在感だがそれらが並ぶと一気に華やかであった。
ガラスに色をつけ瓶の形にしただけだというのに。値段も手頃とくればひとつだけでなく複数個買うのもいいだろう。現に近くの客が寒色系でまとめて買って行った。インテリアに使われるのだろう。
生憎とそんな趣味はないためもう帰ろうかとカバンを持ち直せば一際綺麗な緑が目についた。
遠い異国の地にいる友人の目が、綺麗な緑だった。
躊躇いは数秒で流れるようにレジに並んでいた。
色とりどり
色とりどりの用意してくださった美味しいもの。
どれを見ても素晴らしく、すぐに食べたくなってしまう。
美味しそう、いい匂い。
手作りのご飯は、ご馳走そのもの。
皆にとりわけて。
さっそく、いただきまーす。
素晴らしいご飯をありがとうお母さん。
ん?
我が愛猫は、いじけて、隅にいる。
勿論、君にも猫ちゃんご飯あるからね。
にゃんざぶろう。
雨ぽたり 軽やかな声 幼子の 色とりどりの傘の花咲く
「色とりどり」
フェスティバルの咲き誇る花々はどれも綺麗で、色とりどりの幸せが広がっていた。
今は春の花を待ちながらケーキショップに並ぶ花のようなスイーツたちの色彩に甘い夢を見ている。
題「色とりどり」
récit œuvre originale
あーか、あーお、きーいーろ
三原色ー!
【色とりどり】
英語の授業中のことだった。隣の席の相模さんが、少なくとも周りからは理不尽に感じられる理由でお叱りを受けた。英語の教師から見れば、彼女はノートの取り方がなっていないようだった。
その英語教師はマイチョークを持ち歩いていて、授業終わりの黒板はかなりカラフルに仕上がる。品詞や単語の役割によって色を分けているらしいのだけれど、相模さんは何故か黒と赤だけで板書していた。要は、黒板の通りに板書をしろということだった。ちらりと見えた彼女のノートはとても丁寧に取られていて、それで駄目なら自分も怒られて然るべきだなと、雑にまとめられた自分のノートを見た。
「災難だったな」
英語の次は現代文で、暇だったので相模さんに話しかけた。
「ううん、ちゃんとノート取ってないのは本当だから」
控えめなことだ。
「色、あんまり使わないタイプなのか?」
「うん」
ノートを取るのが上手な人間は文房具に詳しいと勝手に思っていたので、なんというか意外だった。
「でも、次は取らないとな。面倒かもしれないけど、怒られるよりましだろ」
歯切れの悪い返事があった後「私語は慎むように」と現代文の教師から形ばかりの注意を受けた。
昼休みはいつも通り購買で弁当を買って、友人のクラスに出向いて食べた。その内の一人を見た時に、ある可能性に思い至る。
「なぁ、お前さ、何色が分からないんだった?」
そいつは急にどうしたと茶化しながら「赤とか緑とかは、条件によるけど見分けづらいな」と言った。だからビリヤードの時困るんだよなとそいつは自虐した。
お礼に唐揚げを一つ渡して、雑な味の炒飯をかきこんでレモンティーで流した。断りを入れてその場を離れる。
教室に姿が見えなかったので、相模さんと親しそうな女子達に訊ねると、図書室にいるのではないかと言われた。図書室へ足を運ぶと、彼女はパーテーションで区切られた席で文庫本を読んでいた。声をかけて隣に座る。
「なぁ、間違ってたらというか、言いたくなかったら別にいいんだけど」
そう切り出す。
「もしかして、見分けづらい色があるんじゃないか?」
相模さんのことはよく知らない。でも、彼女の表情が驚きに満ちたことだけは理解出来た。
「友達にいるんだ。ビリヤードの球の色が見分けづらいってやつが。そいつは赤と緑が分からないって言ってた」
「私も、赤と緑です」
文庫本に栞を挟んで置き、相模さんはそう言った。
「ごめん。何も知らないのに、余計なこと言った」
この謝罪も自己満足だ。自分の中で消化出来ない何かを、吐き出しただけの。
「ううん。分からないのが普通だから」
だから大丈夫なのか。それでは英語教師と同じではないか。
「相模さんって、部活やってる?」
「やってないけど?」
首を傾げる仕草が、妙にらしかった。部活をしているのかも分からないのに、何故かそう感じた。
「今日の放課後暇? 詫びと言ってはなんだが、一緒にペン、買いに行かないか? 英語の授業で必要だろ」
一息に言い終えてしまってから、先走り過ぎたと後悔する。ペンを買う時に色を見分ける人間が要るだろうと思ったけれど、それは自分である必要はないし、そもそも店なら色は書かれている。
「私、色ペン持ってるよ」
一生懸命背伸びをする子供を見た時のように微笑んで、相模さんはそう言った。
「なんだ、持ってるのか」
一人空回りをしていたのが急に恥ずかしい。それならいいんだと返事をして踵を返そうとしたら、相模さんが「かき氷、で許してあげます」と言った。
「お詫びなんでしょ? ペンじゃなくて、かき氷がいいな」
相模さんなりの気遣いだろう。
「近くにあるのか?」
「歩いていけるよ」
「分かった。じゃあ、放課後、な」
同じ教室に戻るのに、そう言って別れた。彼女の瞳を通して見た自分はどんな風に見えるだろうと、乱れた夏服の襟を正した。
色とりどりの花
色とりどりの鳥
色とりどりの、「」
っていうけど、
一番色とりどりなのは、人間なのかな。
もちろん人間がカラフルなんじゃなくて
その人間が持っている想い出の色。
楽しい想い出は暖色で。
悲しい想い出は寒色で。
普通の想い出は何でもない色。
生きるから、
その色がどんどん増えていくんだろうな。
わたしもその色とりどりの想い出を
増やしていきたいな。
『色とりどり』
先輩のインスタを覗くと、そこには笑顔で映る先輩の写真、雑誌の表紙に載りそうな景色の写真、部活の写真など色とりどりの思い出がある。
あぁ、いつかそのページの中に僕がいたらいいのに。
そんなことを考えながら先輩の記念日投稿にいいねを押した。
______やまとゆう
『色とりどり』
手の中の袋を持ち上げる。中には色とりどりの飴玉がいっぱい入っている。
お正月、初詣の帰りに神社の屋台で見かけた飴の詰め合わせを見つけて、何だか無性に欲しくなって買って帰った。帰り道、適当に一つ摘み上げて口に放り込むと、安っぽい、でもどこか落ち着く甘さが口の中に広がって、僕は頬を緩めた。
今は自分の部屋で飴玉を眺めている。色とりどりの飴玉を見ていると、皆の顔が思い浮かんだ。
赤と黄色のマーブル模様の飴は、熱い心と、流星のような輝きを放つ星矢みたいだ。
うっすら透き通った緑色の飴玉は、芯の強さと優しい心を持つ紫龍を連想させた。
青と白のマーブル模様に赤い点が混じった飴玉は氷河みたいだ。一見クールに見えるけど、心の中には熱い心が滾っているのを知っている。
赤みがかったオレンジ色の飴玉は兄さん。不死鳥のような強さと激情を表していて、ピッタリだと思った。
混じりっ気のない真っ白な飴は純真さの象徴みたいで、沙織さんを思わせた。
そうして袋の中を漁っていると、ピンク色の飴を見つけた。それを摘み上げる。
僕はピンクという色が好きじゃなかった。それは女の子向けの色だと思っていたし、強さとはかけ離れているように思えたからだ。
でも今はそんな考えは微塵もない。アンドロメダの聖衣は色など関係なく強く、僕を何度も救い、戦いに勝たせてくれた。それに、見てくれと男らしさや強さには何の関係もないことを、これまで出会った人たちが教えてくれた。真の強さとは、己の心の中にある。
僕はピンクの飴玉を口に放り込んだ。
ここは白い空がある国。
色とりどりの鳥が空を飛ぶ。
ピンクに水色、オレンジに赤。
まるでキャンバスに咲く花のようにそれぞれの色が引き立っている。
私はそれを見るだけで幸せを感じる。
#色とりどり
【色とりどり】
楽しいは「水色」
悲しいは「紺色」
嬉しいは「桃色」
怒りは「赤」
悔しさは「黒」
寂しさは「白」
とりどりの感情を
とりどりの色で描く
重なり混ざり
心のキャンバスが
色とりどりにさんざめく
理論神経科学者によると
人の肌は色とりどりに変化しているらしい
血液の状態で赤青黃緑を基本として肌は変化し
それによって感情や体調を伝達しているという
怒ってる人は赤く 体調不良の人は青く
当たり前に理解していたが確かに色が伝達している
しかもどうやら人の色を見分ける機能が
そもそも顔色の変化範囲に対して
敏感に反応するかのようにできているらしい
それを踏まえれば人が色の概念を獲得したのは
言う通りコミュニケーションの為なのではと思えてきた
目は口ほどに物を言う というがそれ以前に
顔そのものが情報の発信者だったということになる
顔は色ごとに物を言う
「色とりどりで豊かな人生を送るにはどうしたらいいの〜?博士〜〜〜!!」
「色とりどりで豊かな人生を送る夢を見るのじゃ」
「起きた後はどうすればいいの?」
「一人分の人生を堪能するのに目覚める必要はないのじゃ
というわけで今日は、コールドスリープについて学んでいくのじゃよ」
子どものころ親に連れていってもらったビュッフェ形式のレストラン。
そこには色とりどりの料理が並び、どれを食べても、何を飲んでも良い、その空間は幸せに満ち溢れてる。
幸せしかないその時間は、今でも私の中でかけがえのない記憶のひとつ。
もうビュッフェ形式のレストランに行くことはできなくなってしまったけど、店の前を通り過ぎると鮮烈な記憶が甦るのだ。
「全部ください! 選べないから!」
花屋の店員さんは、目をぱちくりさせた。
【お題:色とりどり】
色とりどりの花が咲き乱れている。
その光景が、あまりにも美しく、あまりにも現実離れし過ぎていて、「あ、死んだんだ」と気付くことができた。
最期は呆気なかったなぁ。でも、それなりに楽しかったから、未練はないかも。
それに、あの世がこんなに美しい場所なら、戻りたいとか思わないかも。この景色をずっと見ていたい。居心地が良い。
美しい花をじっとよく見てみる。
そして気付いた。この花一つ一つが、自分が過ごしてきた思い出でできていることに。
花びらの上に、綺麗に色付いた思い出が流れている。
これは親に褒めてもらった時。これは初めて自転車に乗れた日。弟ができた日。クリスマスにゲームを買ってもらえたこと。入学。卒業。就職。恋人ができた日。プロポーズされて嬉しかった夜。結婚。大切な子供が産まれた日。子供が成長していく様子……。
生きてきた長い時が、こんなにも色とりどりに、美しく咲いている。
「あぁ……戻りたくなっちゃったかも」
景色が涙で滲んだ。
『色とりどり』
色とりどり
みんな好きな色があって自由。
でも、男の子なのにピンク?とか女の子なのに青?
とか勝手に決めつけてどこの固定観念にとらわれてんだよ。
決まりとか決めつけって何?
そんなの人の自由を否定してるだけ。
色で他人に迷惑かけたこともないし、今後もかけることはない。
ニュースとかSNSとか道徳の授業とかで色が原因で問題になったとか聞いたことないし。
だから、みんな自信もって自分の好きな色を大切に。
「色とりどり」
たった三色から様々な色が生まれる
たった一つの色だけでも複数の名前がある
たった一つの色を変えるだけで雰囲気が変わる
色とりどりが、人を街を賑やかにする
色とりどりが、人を街を沈ませる
色とりどりが、人を悲しませる
色とりどりは
喜怒哀楽を産み出し、視覚を楽しませ、錯覚させる
色とりどり
いちいち数えてもいないし、気にもしていない。
いや、そうじゃないな。映っている自分の弱さを知られたくなくて、あえて逸らしているだけだ。
顔を上げろ。今度は僕の瞳の色を見せつける。