なのか

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英語の授業中のことだった。隣の席の相模さんが、少なくとも周りからは理不尽に感じられる理由でお叱りを受けた。英語の教師から見れば、彼女はノートの取り方がなっていないようだった。
その英語教師はマイチョークを持ち歩いていて、授業終わりの黒板はかなりカラフルに仕上がる。品詞や単語の役割によって色を分けているらしいのだけれど、相模さんは何故か黒と赤だけで板書していた。要は、黒板の通りに板書をしろということだった。ちらりと見えた彼女のノートはとても丁寧に取られていて、それで駄目なら自分も怒られて然るべきだなと、雑にまとめられた自分のノートを見た。
「災難だったな」
英語の次は現代文で、暇だったので相模さんに話しかけた。
「ううん、ちゃんとノート取ってないのは本当だから」
控えめなことだ。
「色、あんまり使わないタイプなのか?」
「うん」
ノートを取るのが上手な人間は文房具に詳しいと勝手に思っていたので、なんというか意外だった。
「でも、次は取らないとな。面倒かもしれないけど、怒られるよりましだろ」
歯切れの悪い返事があった後「私語は慎むように」と現代文の教師から形ばかりの注意を受けた。
昼休みはいつも通り購買で弁当を買って、友人のクラスに出向いて食べた。その内の一人を見た時に、ある可能性に思い至る。
「なぁ、お前さ、何色が分からないんだった?」
そいつは急にどうしたと茶化しながら「赤とか緑とかは、条件によるけど見分けづらいな」と言った。だからビリヤードの時困るんだよなとそいつは自虐した。
お礼に唐揚げを一つ渡して、雑な味の炒飯をかきこんでレモンティーで流した。断りを入れてその場を離れる。
教室に姿が見えなかったので、相模さんと親しそうな女子達に訊ねると、図書室にいるのではないかと言われた。図書室へ足を運ぶと、彼女はパーテーションで区切られた席で文庫本を読んでいた。声をかけて隣に座る。
「なぁ、間違ってたらというか、言いたくなかったら別にいいんだけど」
そう切り出す。
「もしかして、見分けづらい色があるんじゃないか?」
相模さんのことはよく知らない。でも、彼女の表情が驚きに満ちたことだけは理解出来た。
「友達にいるんだ。ビリヤードの球の色が見分けづらいってやつが。そいつは赤と緑が分からないって言ってた」
「私も、赤と緑です」
文庫本に栞を挟んで置き、相模さんはそう言った。
「ごめん。何も知らないのに、余計なこと言った」
この謝罪も自己満足だ。自分の中で消化出来ない何かを、吐き出しただけの。
「ううん。分からないのが普通だから」
だから大丈夫なのか。それでは英語教師と同じではないか。
「相模さんって、部活やってる?」
「やってないけど?」
首を傾げる仕草が、妙にらしかった。部活をしているのかも分からないのに、何故かそう感じた。
「今日の放課後暇? 詫びと言ってはなんだが、一緒にペン、買いに行かないか? 英語の授業で必要だろ」
一息に言い終えてしまってから、先走り過ぎたと後悔する。ペンを買う時に色を見分ける人間が要るだろうと思ったけれど、それは自分である必要はないし、そもそも店なら色は書かれている。
「私、色ペン持ってるよ」
一生懸命背伸びをする子供を見た時のように微笑んで、相模さんはそう言った。
「なんだ、持ってるのか」
一人空回りをしていたのが急に恥ずかしい。それならいいんだと返事をして踵を返そうとしたら、相模さんが「かき氷、で許してあげます」と言った。
「お詫びなんでしょ? ペンじゃなくて、かき氷がいいな」
相模さんなりの気遣いだろう。
「近くにあるのか?」
「歩いていけるよ」
「分かった。じゃあ、放課後、な」
同じ教室に戻るのに、そう言って別れた。彼女の瞳を通して見た自分はどんな風に見えるだろうと、乱れた夏服の襟を正した。

1/9/2024, 12:53:53 AM