『終点』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
とっくに皆は降りてしまい、誰もいないと思われた車内は照明すらもおとされてしまう。
運転に飽きた車掌は、次の駅で停まることにした。
静かに停まり、ドアすら開かない電車から、窓より身を乗り出して夜風を頬に受け止める。何だか知らない駅に来てしまったようで、ぞわっとする。
見上げた空だけは、よくみた乳の道がゆったり流れていた。
終点なんてあるのだろうか
今自分が頑張っていることはほんとに終わりがあるのだろうか
そんな無意味な葛藤ばかりしている
けど…きっと大丈夫
君の頑張りは絶対報われるから
終わりなんて見ずにもっと向こうを目指そう
走れるだけ走ればきっと終点が見えてくるはず
あなたに初めて会ったのは、どこだかわからないローカル線の終点だったね。
失恋やら仕事のミスやらなんやらかんやらで、涙が出なくなるほど泣いて崩壊してたの。
誰も声をかける人はいなかった。
そんな私に
「あれ?君も迷子?」
「僕電車苦手でさ、もう何に乗ったらいいのかわかんないだよね。」
笑えない事をひまわりのような笑顔で右手を差しのべながら言ったよね。
すごく嬉しかった。
あの時から私の人生が変わったの。
それまでの私は他人の目を気にしてばかりいたの。日に日に自分がどこか飛んで失くなりそうで怖かった。
私、あなたの笑顔が好きなの。
あなたの笑顔みるためなら頑張れるの。
あなたの笑顔が曇る前にあなたに手を差し出すの。
あなたにもらった笑顔を返したいから。
それが私の幸せ。
私の地元は終点になることがあるので、名前を口にすると「ああ、知ってる」と言われることが多い。
しかし、彼らが実際に降りることはまあ無いだろう。
何も無い駅だ。
…何も無いとは流石に言い過ぎか。
コンビニと多分学習塾のような建物がある。
想像してほしい。めぼしい建物がコンビニと塾の駅を。勿論駅も小さい。駅としての機能のみをしっかりと果たす駅だ。
あなたもきっと言いたくなるだろう。「何も無いよ」と。
しかし、私は地元が好きだ。いつかまたあそこで暮らしたいと思っている。
駅同様、栄えているとはお世辞にも言えない場所だけれど。
私は
どこを目指しているのだろう?
終点が見えないまま
続く旅
仕事が終わり、明日は休み。
帰りは、電車に乗って家路を急ぐ。
「明日、お休みだね。予定はどうする?」
「そうだなあ」
悩んで、考えて、ふと思った。
いつも途中で降りる電車はどこまで行くのだろう?
降りた先には、どんな景色があるのだろう。
終点まで行ってみようか。
「電車に乗って、終点まで行く旅はどうだろう?」
「いいよ。面白そう」
明日早起きする為に、早めに寝寝よう。
お休みなさい。
「終点」
駅の終点
その先はない
途切れてこれ以上は動かない
仕方ない その先はないからと
夢も途切れれば
景色だって見られない
想像つかない
思い返しても
いつか終わる
辛くても
いつか終わりが来る
苦しいのは皆同じ思い
また新しい朝がくれば
時間がたてば
忘れて
新しい
起点が始まる
その繰り返し
繰り返して
また終点が来る
それが中途半端な出会いでも
良いと思う
私は終点も起点だと思っている。一つひとつの出来事に区切りはあるかもしれないけれど、未来のことにまったく関わらないわけではなくて、必ずどこかでつながると感じるから。だから、失敗してもそれで終わりになるわけじゃない。次があって、今の失敗もいつか過程の一つになる。
私は、何かに対してあきらめたりはしたくない。目の前のことに、やるべきことに真摯に向き合える人でありたい。
最近怖いこと
音楽を聞いている時は何故か世界に入れて、とても楽。だから音楽が終わるのがすごく怖い。魔法が解けて暗い現実に戻るような気持ちになる。悔しくて、でも出来なくて泣きたいけどいつも人の目を気にしてしまう。嫌われるのがすごく怖いんだと思う。自覚しているようで人に言われたらすぐに落ち込む。いつも楽な方法を考えてしまう。だからすぐにいつも解決策が考えられてしまう。怒られたくないから。置いてかれたくない。休みたい。もうここから抜け出したい。何度も目に涙が溜まる。人には見られたくなくてのどに力が入ってすごく痛い。過去に戻りたい。早く大人になりたい。楽になりたい。けど、時間は早いようで遅くも進む。1分を生きなくては行けない。辛い時も楽しい時も。幸せな時間も。前に進まなくちゃいけない。怖いけど、怖くて仕方ない。明日のことが。惨めな姿。1番嫌いな言葉だ。
終点のアナウンスが箱の中に鳴り響く。
もっと遠くに行きたいのに、、、
そんなぼくの願いはブレーキの音と共に消えていった
『終点』
私の恋もここまで
人生の終点は笑顔で。
「終点」
僕らの終点はいつも突然訪れる
気持ちや状況なんてお構いなしだ
終点の先にあるものは何だろう。
幸福?苦痛?いや、多分そうでは無い。きっと、幸福や苦痛など感じない、"無"だろう。
人は、ストレスを溜め込むと、苦痛を感じ始める。しかし、それに慣れてしまうと、途端に何も感じなくなる。
だから、何も感じなくなる前に、誰かを頼ってね。
お疲れ様ゆっくり休んでね
終点
自分のために頑張って出た結果が人生の
終点
あの人との物語は
半年後には終点に着くのか
また会う機会があるとすれば
半年後はまだ通過点なのか
どうやって判断すればいいかも分からないし
まだ着いて欲しくはない
終点 には
終点。
終点に住んでるから
推し事で疲れても
起きたら着いてるから
かなり便利。
電車に乗るのが
大好きだから
18切符で
いろんな
終点に行こうっと。
かなり前の
夜行電車も
いろんな出逢いが
あった。
自由席が大好きだったなぁ。
今すぐ今すぐ私の終点になぁれ
終点
006【終点】2022.08.10
学校の写生会のとき、路面電車に乗って終点まで行くの、好きだった。終点まで行くと、なぜか電車に「おつかれさん」っていってあげたくなるんだよね。
普段は、下車するときは、必ず運転手さんに「ありがとう」っていう。でも、当たり前だけど、車両にはなんの感慨ももたない。そのまま下りて、普通に見送る。なのに終点までいくと、急に車体が生々しい存在として意識されだすみたい。レースを終えた競走馬のように、よく頑張ってくれました、と労ってあげたくなっちゃうんだなぁ。
うふふ。へんだね。
このお題に出会うまで、自分が無意識のうちにそんなこと感じてただなんて、知らなかった。
それとね。路面電車の終点って、ある意味始発と兼用じゃん。
さっき終点に着いて仕事を終えた電車が、クルクルクルと行先表示を替えて始発になる。それに一番に乗り込むときの、ガラーンとした車内の感じ。間もなく出発を控えた、栄えある一番乗りなのに、そこはかとなくただよう寂寥。この世界に、運転手さんと私とたった二人だけ。へたしたら、動かない電車の中で、一人きりで、運転手さんが一服から戻ってくるのを待ってたりする。
警笛一声、やっと走り出した瞬間って、これで全てが平常運転に戻るんだ、ってほっとしない?
私は、あの世からこの世に戻って行く感じがする。自分も電車も、終点兼始発から遠ざかるにつれ、生色を取り戻していくような。
私にとっての路面電車の終点のイメージって、この世の果てのちいさな死、もしくは、かりそめの終焉、なのかもしれないね。
∴ ∵ ∴ ∵ ∴ ∵ ∴ ∵ ∴
追伸。
昨日のお題、皆さんの文章にはげまされました。
感謝です(人´∀`)アリガトウ