『私の当たり前』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
❴私の当たり前❵
{毎日、学校に行っては君を思い出す、、
それが、今まで辛かった、、、
でも、、
今はもう、
君を思い出すのが当たり前の様になってしまった、、
私はいつも自分自身を偽って生きている、、
そして今日も、、、}
そう思い、教室のドアの前に立つ、、
「、、ニコ」
今日も笑って、、
いつも通りに、、
あれ?
”いつも通り”って、、
何ダッケ??
何、、、ダッケ、、、、、?
自分の当たり前が
必ずしも他人の当たり前ではない
ってことを
意識して人とは付き合っていかなければ
と思う
他人からされた時にね
ほんと思う
価値観の押し付けをする人は
そんな想像力もないんだろうね
私の当たり前
私の当たり前は、「ほとんど全て」を大事にすること。
ただ、生きていく上でどうしても「この人は苦手」という人が居る。疲れている時は悪口の一つでも言いたくなることがあると思う。かくいう私も、ある。
けれど、そこで大事なのは「自分の中で終わらせること」だと私は思う。それでもムカムカしてしまう時は、家族にだけ話すようにしている。
嫌だな、と思うのは人それぞれだ。自分は嫌いだけど、他の人は好きなものがある。私は少女マンガなどでヤンデレが苦手(見られなくはない)だけれど、逆に好きな人が居るというのはちゃんと理解している。そして、それを否定する気はさらさらない。
悪意を持たずに呟いた言葉も、捉え方によっては悪意とされることがある。某アニメでも、言葉は凶器だ、と言われているように。やっぱり今のナシ!と付け足しても、出ていった言葉が無くなるわけではない。
それを引きずって、苦しんでいる人だっているだろう。
SNSに呟くのもそうだ。見られてない。本当に?
もしその悪口が本人には届いていなくても、似た性格の誰かを傷つけることもある。それがもし本人の目に届いたのだとしたら、その人はどう生きていけばいい?
アイツは私のことを嫌っている、そう思いながら生きていけばいいのか?それで前向きに生きていける人間は、果たしてどれくらい居るのだろうか。
沢山の好きなことより、少ない嫌なことの方が記憶に残るというのを、どこかで聞いた。だから、私は「嫌だな」と思っても、その人の全てを否定しないようにしている。
ただ、その人が誰かを傷つけたのなら、誰かのものを壊してもヘラヘラとしているのなら。私はその人を否定する。
これが、私の人生の当たり前だ。
時と場合にもよるけれど、基本的に、努力をしている人間を否定することはしない。
テストなら、頭のいい人はノー勉でも大丈夫だという人も居るだろう。それは私的にはどうでもいい。
ただ、苦手な教科などを頑張って勉強している人を、運動が苦手でも頑張っている人のことは、私は応援している。
性格が苦手でも、言い方がきつかったとしても。
その頑張りを否定する権利なんて、誰にもないのだから。
犯罪などの方面で頑張っている場合は否定するけれど、真面目に生きていこうとする人の努力は、お金では買えなかったとしても宝石より美しいものだと私は思う。
私の当たり前
当たり前、と聞くと「♪あたり前田のクラッカー~」と脳内再生されること。
朝おきて、ご飯を作って食べる。
家事をする。
病気をしないように心掛ける。
ぐっすり眠る
「当たり前」
胸を張って堂々と言えるくらいまで
努力し続けた自分を時々労ってあげてくださいね。
『私の当たり前』
『私の当たり前』
愛することは出来るのに
愛されることはない
人の機嫌はとれるのに
自分の機嫌の取り方を知らない
踏切が怖い=飛び込みそうで怖い
死にたい…が
突然、湧いて出てくる
今ある幸せを
ちゃんと受け止めきれない
人は裏切るものだと
誰よりも知っているから
自分が自分でないかのようなことが
時々起こる
ぱっと見
普通の人と変わらない
けど
起きてもいないことに毎日怯える
これが
『私の当たり前』
「そんなの、できて当たり前でしょ?」
高校の頃、どうしても欲しいゲームがあって
母親に買ってもらう交渉として
期末で学年一位をとった
結果を報告したら
交渉に進むまでもなく
笑顔を見るまでもなく
バッサリである
せめて、「よくやった」があれば
その後の交渉に進めたものを……
でも頭のどこかで分かってた。
だって、友人から
「テストでいい点をとったら買ってもらうんだ」と聞いた時
なるほど!それが交渉になりえるのか
よし、やろう
と思ったのだから。
だから成り立たないだろうと
分かってた。
母の当たり前は
私の当たり前でもあったのだ
全ては無に帰る。そして人は常に1人だからもっと自分勝手に生きてもいいじゃない
自分の当たり前なことって
人にとっては当たり前じゃないんだよね…
そーやって気づいたのはいつだろうな
それぞれの価値観が存在してる
自分の当たり前が間違ってたり
賞賛されたりする
不思議だよね
でも「あたりまえ」も日々いろんなことが
起きて変わりゆくものもある
変わらない「あたりまえ」も
変わっていく「あたりまえ」も
柔軟でいたいなって私は思う
でも納得いかないことは自分の中でのあたりまえを
静かに大事にしていきたい
あなたの当たり前が
私の当たり前ではない事だってあるってこと
何でわたしの言葉はきこえないのに
あなたの言葉は嫌でもきこえてくるの
耳をふさいでしまおうか
目をつむっている間に 通りすぎてくれないかな
そんな事したって意味が無いことくらい
分かっているけどね
私の当たり前
お布団でごろごろ。猫さんになりたい。
晴れた日には、ウォーキング、お散歩。猫さんようにテトテト。
気まぐれで何かをする。猫さんに憧れる。
私の充電が切れて、お布団でごろごろ。猫さんは、ごろごろしながら、日向ぼっこ。
平和すぎる当たり前。
仕事は全力でやらない事がわたしの当たり前です。
人と比べる事で精神を安定させてる自分としては、
全力で仕事して、自分が劣っている事を確認するのがとても怖いです。
でも全力で仕事をしていない自分は許せない。
そんな自分を許すために、本業の他に肉体労働の副業を行うことで、他の人より多く働いている意識を持つ事で自分自身を納得させています。
これって逃げだなー
お金もらってるんだから
仕事はちゃんとやるもの
できて当然、そこに感謝とかいる?
と思いこんできたけど
都合のいい女だと言う人と
あなたの周りは血だらけだと言う人が
私の当たり前は
ある人には使い勝手がよく
ある人には恐ろしいものらしい
どっちにしろ嫌だな
朝起きて顔を洗う。
トイレに行って、部屋の窓を開ける。
音楽を聴く。
「私の当たり前」
「私の当たり前」を初めて知ることができるのは、「誰かの当たり前」を知ってびっくりするときなのかなぁ、と思っています。
小さい頃は自分が話や主張してもいいと気づけなかったし、そもそもそれ以前に人の話を聞いていなかった……かもしれません。あんまり人に興味がなかったからでしょうか……?
その代わり、絵本を読んでもらうのが好きでした。文章と挿絵に触れるとその世界にすぐ入り込めるのが楽しくて、同じ絵本を何度も何度も読んでもらっていました。
そのうち、ある程度の漢字まで読めるようになったのです。
小学校に上がって習い事で音楽を始めて、音に名前がついていることを知ると、みるみるうちに聞くだけで音階が分かるようになりました。
はっきりとは覚えていませんが、この風の音は「ファ」だね、なんて会話もしたそうです。
それから、いつからか頭の中でお話を作るのが面白いと思うようになりました。
実際に紙に書き留めてはいないものの、今でもふとした時に色んな物語の展開を考えてはああだこうだと楽しく悩んでいます。
言葉と音楽と想像を紡ぎながら、毎日のんびりと過ごしていました。
ですが、ある時から自分の体調がだんだんと悪くなっていることに気づいたのです。
あれ、おかしいな、などと思うだけで放置していました。
ここで、私の当たり前だったことに気づきます。
当たり前の「健康」がなくなってしまった。
それから、さらに驚くべきことに、成長してから「人の話を聞いても理解できない」ということが───正確に言えば、耳から入る言葉を聞き取れないことが───分かったのです。
人との交流は今まであまりうまくいっていませんが、少ない交流の中でも、本が苦手な人に話上手な人、音楽を聴かない人と、さまざまな「当たり前」を垣間見られました。
みんながみんな、自分の「当たり前」を抱えて、それに苦しめられたり、救われたりする。
時に新しい「当たり前」を作って、古い「当たり前」を壊して、少しずつ輪を広げる。そうすることで色のついた、奥行きのある世界で暮らせるようになる。
まだまだみんなの当たり前からは遠く離れたところにいる私も、これからちゃんとみんなに追いつくぞー!と思って、今日も生きています。
誰かの当たり前も確かに大事なものですが、時には自分の当たり前を抱きしめて、大切にしてあげてください。
そうすることで、きっともっと満たされると信じています。
「あなたの当たり前が、皆の当たり前だと思わないで下さいよ」
と、いきなりテーブルの向こう側から声が掛かった
大学のサークルの新入生歓迎会での出来事だ
新入生の世話役を任命された柚紀が甲斐甲斐しく動いている、まさにその時だった
一瞬、何の事だか分からずにキョトンとしていると
「だから、そのレモンですよ、レモン。
唐揚げにレモンて、かけたくない人いるんですよ!
まず、かけて良いですかとか聞くのが礼儀でしょ
ていうか、余計なお世話なんですよ
かけたい人は後から自分でかけますよ
レモンがかかった唐揚げなんて俺は食えませんよ」
所謂、『唐揚げレモン論争』だ
柚紀はそんな事を考えたことも無かった
家では唐揚げにレモンは当たり前だったし、上手くレモンが絞れない弟のためにはいつも柚紀が絞ってあげていた
だから、これは柚紀にとっては「良かれと思って」したことだった
もちろん、そんな事をいきなり言われたショックと恥ずかしさでいたたまれない気持ちだったが、さらに柚紀を腹立たせたのは、新入生の分際で、あろうことか先輩の柚紀に向かってそんな事を皆の前で堂々と言ってのけた図々しさだった
だが、気の強い柚紀も負けてはいられないと
「そんなこと無いわよ! レモンかけた方が良い人手を挙げてみて」
と30人ほど集まったメンバーに問いかけた
すると、しずしずと手を挙げたのは約半分
それも、柚紀を慕っている後輩や同学年の面々
そこには充分忖度も含まれていそうだった
(そうなんだ… 確かに、自分の当たり前が他の人の当たり前とは限らないのよね…)と内心納得したが、その新入生のことはギッと睨んでおいた
それが圭介との初めての最悪の出会いでもあった
普通なら二度と口もききたくない、と思うところだか、そこが柚紀の少し風変わりな前向きなところで
「コイツと居たら、私の価値観はどんどん広がりそうだ♪」
と柚紀の方から圭介に交際を申し込んだ
まさに今、柚紀は毎日
「私の当たり前を改革中!」
なのだ
もちろん、柚紀の当たり前を圭介にもレクチャーしている
『私の当たり前』
私はどこにでもいる
オタクと呼ばれる者である
名前はあるが名乗る程ではない
年に四回放送が切り替わる
アニメをチェックし
読んでいる漫画や小説は
新刊日にすぐ購入
特典店舗や初版限定版があるかを
確認するのも忘れない
好きな作品や推しの円盤も
連動特典やイベント抽選などで
積む必要がある場合は
同じものを何枚買うのもいとわない
ゲームのガチャも
好きなキャラの
限定カードが出ようものなら
課金の誘惑に抗うも
結局抗えない
グッズを買おうとするも
立ちはだかる
ランダム商法に毎度憤るも
少ない出費で好きなキャラや推しが
来た時のドーパミンはたまらない
コラボカフェや舞台の
抽選戦争に打ち勝ち
現地で推しを摂取する喜び
こうして羅列してみると
当たり前とはと哲学したくなる
【私の当たり前】
私の当たり前
え。たくさんある(笑)
何だろう。
「文章言語の抜け道が、まさしくコレよな。
『イントネーション、アクセントが欠落してる』」
つまりこういうことさ。「当然」と「ヒット前」。
某所在住物書きは「Expected(あたりまえ)」ではなく「Before hitting(あたりまえ)」の変わり種を書こうとして、苦悩し、葛藤している。
相変わらずお題の難易度が高いのだ。
「……私のガチャが『当たる』『前』、ってのもアリか?それとも方言に活路を求める?」
俺の固い頭じゃこの辺が限界かねぇ。物書きは首を傾け、ため息を吐き、首を振った。
ガチャの当たり前はSSRすり抜けネタ、
方言の当たり前はおそらく「何かが配られる・貰える前」、「特定の疾患、脳卒中等にかかる前」、「妙なものを食ってハラを壊す前」。
ところで、昔職場の親睦会で生牡蠣が出され、食して「当たった」連中が多発し、部署が酷い機能不全を起こしかけたハナシに需要はあるだろうか。
――――――
去年の夏のおはなし。
女性が神社で引いたおみくじの内容が当たる前と、
その先輩の顔に子狐のポンポンアタックな腹がダイレクトポフン、当たる前のこと。
「ここのおみくじ、ちょっとユニークでかわいくて、すごく当たるんだってさ」
7月も、もうすぐ中盤。相変わらず熱帯夜続く都内某所の某稲荷神社、薄暮れ時の頃。
「先月末に、ホタル見に来たじゃん。その時、買ってる人がチラホラいてさ。気になってたの」
諸事情により先日まで完全に体調を崩していた乙女が、なんとか調子を取り戻し、散歩に来ていた。
手には小さな白い巻き物。稲荷神社の授与所で購入した、その神社オリジナルのおみくじである。
赤紐の封を解き、縦に開く。
「ふーん。『電話』。でんわ……」
一番上は、デフォルメされたオレンジ色の、ユリに似た花に虫眼鏡を向ける狐のイラスト。
その下には大吉も小凶も、全体運の記載は無く、ただ花の名称と思しき「アキワスレグサ」、それから「電話してみたら」とだけ記されている。
「先週、イヤリング忘れたか、落としたかしたの。『届いてるから電話してみたら』ってことかな」
「どうだろうな?」
ポツリ言って、同じ物を購入したのは、長い付き合いであるところの職場の先輩。
代金を払い、ごろごろ百も二百も入っているだろう木箱の表層から、丁寧にひとつ巻き物をつまむ。
「当たるも八卦、当たらぬも八卦。
何にでも当てはまりそうな文言を引っ掛けて、その人がその人自身の悩みに気付き、答えを自分のチカラで見つけ出すのを助ける。
それがこの手のくじ、だったりしないか?」
早速思い当たるカフェの番号を調べ、電話をかけ始めた女性、つまり己の後輩に視線をやって、
それから、ふと遠くを見た。
「?」
居たのは子狐を撫で抱える巫女装束。すなわち神社関係者。なお近場にある茶葉屋の店主でもある。
あらあら。稲荷神社のご利益ご縁を信じないのですか?狐にイタズラされても知りませんよ?
巫女装束は、それはそれは良い顔で微笑して、
抱えていた子狐を、地に下ろした。
「さて。私のは何が書かれているだろうな」
とたんとたんとたん。子狐が全速力で売り場の裏の影に消えていくのを、それとなく見送った後、
購入した巻き物の封を、くるくる解いて開く。
描かれていたのは、白いトリカブトに飛びかかる狐。
書かれていたのは「オクトリカブト」と「上見て」。
「ほらな。誰にでも当てはまる――」
上の地位を目指せ。うつむき下見るより顔を上げよ。まぁ色々な応援激励に利用できる言葉だな。
先輩は小さくため息を吐き、笑って上を見ると、
「……え?」
視界には、愛と幸福でぽってり膨れた子狐の腹。
数秒待たず己の顔面に当たるだろう直前の、前足後ろ足をパッと広げたモフモフであった。