「私の当たり前」
「私の当たり前」を初めて知ることができるのは、「誰かの当たり前」を知ってびっくりするときなのかなぁ、と思っています。
小さい頃は自分が話や主張してもいいと気づけなかったし、そもそもそれ以前に人の話を聞いていなかった……かもしれません。あんまり人に興味がなかったからでしょうか……?
その代わり、絵本を読んでもらうのが好きでした。文章と挿絵に触れるとその世界にすぐ入り込めるのが楽しくて、同じ絵本を何度も何度も読んでもらっていました。
そのうち、ある程度の漢字まで読めるようになったのです。
小学校に上がって習い事で音楽を始めて、音に名前がついていることを知ると、みるみるうちに聞くだけで音階が分かるようになりました。
はっきりとは覚えていませんが、この風の音は「ファ」だね、なんて会話もしたそうです。
それから、いつからか頭の中でお話を作るのが面白いと思うようになりました。
実際に紙に書き留めてはいないものの、今でもふとした時に色んな物語の展開を考えてはああだこうだと楽しく悩んでいます。
言葉と音楽と想像を紡ぎながら、毎日のんびりと過ごしていました。
ですが、ある時から自分の体調がだんだんと悪くなっていることに気づいたのです。
あれ、おかしいな、などと思うだけで放置していました。
ここで、私の当たり前だったことに気づきます。
当たり前の「健康」がなくなってしまった。
それから、さらに驚くべきことに、成長してから「人の話を聞いても理解できない」ということが───正確に言えば、耳から入る言葉を聞き取れないことが───分かったのです。
人との交流は今まであまりうまくいっていませんが、少ない交流の中でも、本が苦手な人に話上手な人、音楽を聴かない人と、さまざまな「当たり前」を垣間見られました。
みんながみんな、自分の「当たり前」を抱えて、それに苦しめられたり、救われたりする。
時に新しい「当たり前」を作って、古い「当たり前」を壊して、少しずつ輪を広げる。そうすることで色のついた、奥行きのある世界で暮らせるようになる。
まだまだみんなの当たり前からは遠く離れたところにいる私も、これからちゃんとみんなに追いつくぞー!と思って、今日も生きています。
誰かの当たり前も確かに大事なものですが、時には自分の当たり前を抱きしめて、大切にしてあげてください。
そうすることで、きっともっと満たされると信じています。
7/10/2024, 3:58:52 AM