瑞希

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私の当たり前は、「ほとんど全て」を大事にすること。

ただ、生きていく上でどうしても「この人は苦手」という人が居る。疲れている時は悪口の一つでも言いたくなることがあると思う。かくいう私も、ある。

けれど、そこで大事なのは「自分の中で終わらせること」だと私は思う。それでもムカムカしてしまう時は、家族にだけ話すようにしている。

嫌だな、と思うのは人それぞれだ。自分は嫌いだけど、他の人は好きなものがある。私は少女マンガなどでヤンデレが苦手(見られなくはない)だけれど、逆に好きな人が居るというのはちゃんと理解している。そして、それを否定する気はさらさらない。

悪意を持たずに呟いた言葉も、捉え方によっては悪意とされることがある。某アニメでも、言葉は凶器だ、と言われているように。やっぱり今のナシ!と付け足しても、出ていった言葉が無くなるわけではない。
それを引きずって、苦しんでいる人だっているだろう。

SNSに呟くのもそうだ。見られてない。本当に?
もしその悪口が本人には届いていなくても、似た性格の誰かを傷つけることもある。それがもし本人の目に届いたのだとしたら、その人はどう生きていけばいい?
アイツは私のことを嫌っている、そう思いながら生きていけばいいのか?それで前向きに生きていける人間は、果たしてどれくらい居るのだろうか。

沢山の好きなことより、少ない嫌なことの方が記憶に残るというのを、どこかで聞いた。だから、私は「嫌だな」と思っても、その人の全てを否定しないようにしている。
ただ、その人が誰かを傷つけたのなら、誰かのものを壊してもヘラヘラとしているのなら。私はその人を否定する。

これが、私の人生の当たり前だ。
時と場合にもよるけれど、基本的に、努力をしている人間を否定することはしない。

テストなら、頭のいい人はノー勉でも大丈夫だという人も居るだろう。それは私的にはどうでもいい。
ただ、苦手な教科などを頑張って勉強している人を、運動が苦手でも頑張っている人のことは、私は応援している。
性格が苦手でも、言い方がきつかったとしても。

その頑張りを否定する権利なんて、誰にもないのだから。
犯罪などの方面で頑張っている場合は否定するけれど、真面目に生きていこうとする人の努力は、お金では買えなかったとしても宝石より美しいものだと私は思う。

7/10/2024, 6:17:56 AM