『私の当たり前』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
犯罪を犯してしまったほうがもっとずっと早く救われてしまう。
罪を犯さないうちは、誰も優しくなんてしてくれない。
私の正義は、社会と迎合している。
そのせいで私は、誰からも見向きもされない。
みんなみんな、私を引きずり落としたいのだ。
生まれ持った私の正義が、軌道修正しなくてもいい、
楽な人生だから。
何もしなくても許されるんでしょう?
なら何もしないで
私がやりたいことも、好きなことも、
そんな事しなくても、私は恵まれているのだから
だけど私は、何も出来ない、動けないことを、
罰だと感じている。
それはなんの罰だろう
私の当たり前
君の隣に私がいる事
私の隣に君がいる事
そうやって
ずっと一緒に生きていく事
でもこの当たり前は
当たり前ではなく
永遠に続かないことを
私は知っている
だけど
そんな事を考えたくないから
忘れたふりをして
当たり前の顔をして
今日も隣にいるんだ
この年齢になって自分の当たり前の事が更新されていく。今日、このアプリに出会って過去の思い出を自分と言う主人公の目線で書いていこうと思う。
その時、その時の当たり前を描こう。
この素敵でくだらない虹色の世界!
疑問に思うことなく、日々を謳歌する。
友人と何気ない会話をして、
最後はみんな言うんだ。
「また明日。」って。
それが普通だったから。当然だったから。
明日があることは不変の事実で、
私達が生きていることは至極真っ当な事だと。
私は、私達は、信じて疑わなかった。
君からのおはようが聞けなかった。
大好きな君の笑顔が見れなかった。
君の明日が来なかった。
私の当たり前が壊れた。
音も立てずに、別れの言葉も無く。
私の隣に君が居る、小さな幸福が。
【私の当たり前】
「わ、なんだコレ」
私がいつものように危険運転を繰り返していると、タイヤがバーストした。
こんな時は人に頼るに限る。
火花をちらしながら職場につくと同僚に聞いた。
同僚「予備のタイヤがあるから貸してあげるよ。クギがたくさん刺さってるけど」
使えん。
仕方ないので後輩に聞いた。
後輩「え?タイヤが使えないなら新しい車を買えばいいだけですよね。ていうか、そんな状態で会社に来たんですか。バカなんですか?」
クソが。
仕方ないので課長に聞いた。
課長「そっかー。車が使えないなら仕事に来れないよね。首にしよう」
ゴミが。
仕方ないのでその辺のおっさんに聞いた。
おっさん「人のタイヤを盗めばいいだけだよね。バレなければ犯罪じゃないし」
なるほど。採用だな。
─しかしこの時の私は気づいていなかった。
新しいタイヤを買うという現実的解決法が存在していたことに。
私の当たり前
日が昇りやがて月にかわる
風が吹いて季節がかわる
そんな日常の中で
たいせつにしていること
私の周りの方々に
感謝の気持ちを忘れないこと
それを伝えること
そうして笑顔でいられたなら
素敵な一日だなと思います
私の当たり前が皆の当たり前と同じとは限らない。
全く予想もしていなかったところで「それどういうこと?」と引っ掛かられることがある。
皆の当たり前はどこで習ったものなのだろう。
当たり前だからわざわざ言わないだけで、皆当たり前を教える学校の卒業生なのかもしれない。
私の当たり前
それは本を読むこと
読むことは私にとって生きていることと同じ
本を読むようになってからは、今まで気にし
ていなかった事に目を向けられるようになった。
私の単調な毎日に彩りを与えてくれる
本は私に無くてはならない当たり前の存在
毎日、本が読めることにとても感謝しています
ありがとう!
私には優しすぎる彼氏がいる。
強く当たっても怒らない彼がいる日常といつもの道を通って通勤と退社繰り返す日々。
彼と一緒にいる時間が楽しくて終わらないで欲しいと思うけどお互い会社の時間とかあるからうまくは行かないけど、これからも彼といたい。
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theme 私の当たり前 2024-07-09
モーニングルーティーン
起きて目に入るのはあなたの顔
幸せそうな顔をして寝ているあなたの顔
次に目に入るのはわたしの顔
よだれが今日もついているわたしの顔
今日もわたしたちは
同じベッドで眠り
同じ夢を見て
同じベッドで起きる
これがわたしたちの当たり前
そして私の当たり前
家族に対しては優しくしたいと思って生きてきた
できる限り親と一緒にいたいし
いわゆる親孝行というものをしてあげたい
祖父のとこも得意ではないけれど
可能な限り会いに行きたいし
人生を良かったものとして終えてほしい
家族に限らず周りの人には楽しく生きてほしい
身近な人へ与える側の人間になりたい
それを私の当たり前にしたい
私の当たり前
周りからしたら当たり前じゃない
でも私からしたら当たり前
長らく当然のようにやり慣れてるから
他の人が私と違ったことをしている
でもその人にとっては当たり前
あの人可笑しいな
ではなく、そんなやり方もあるのかと学ぶ
【私の当たり前】
「こういう人はこうである」を信用しないこと
例外があることを私は知っている
私の当たり前は…
良い意味で彼氏が居てくれる事かな!
仕事終わればずっと電話を繋いで
お互いの休みもずっと電話繋いでて
寝落ち通話してて
まるで一緒に居るみたいで安心する。
予定とかは全て報告するし
家族みたいに当たり前で
休みはどぉする?って一緒が当たり前。
会う?とかそんなの聞かないし聞かれないし
一緒が当たり前の存在。
お互いに予定を決める時でも
例えば友達と遊ぶとかネイルとかでも
この日は大丈夫?って確認取ったり
ちゃんと大丈夫な日を選ぶし
仕事の休みだって大型連休もいつ?
って確認もする。
お出かけもここ行きたいあそこ行きたい
ってのも全部彼氏と行く前提。
ほんともぉ家族だよね。
仕事終わりに自宅近くのスーパーに寄って、割引きシールの貼られた惣菜と次の日に食べるパンと牛乳を購入。
最近また出没するようになった変質者に出会す前に、暗い夜道を自宅まで競歩。
二階建てアパートの二階奥が私の現在の住まいである。
一段飛ばしで外階段をガツガツと上がり、宅配BOXの陰に隠している自宅の鍵を使って、半日ぶりの我が家へと体を滑り込ませた。
帰宅早々に手指のアルコール消毒、長時間履きっぱなしで蒸れて臭う革靴に消臭スプレーを吹きかける。
シャワーを浴びて下着姿で部屋を徘徊、冷蔵庫に牛乳をしまい、かわりに冷凍庫からラップに包まれたご飯を取り出して、買ってきた惣菜と一緒にレンジに放り込む。
通販で箱買いしたカップ味噌汁にウォーターサーバーのお湯を注ぎながら、カチカチに凍ったご飯が温まるのを待つ。
――そうだ、忘れていた。
「ただいま、母さん」
冷蔵庫の上に置かれた小さな写真立ての中で微笑む母に向かって囁いた。
テーマ「私の当たり前」
私の当たり前…男でも私を使った方がいいのも当たり前?僕は理数系が何をしてもダメなものはダメだった。逆に文系は、クラスで2番目位に優れてると思う。
1番は、確か生徒会長…生徒会長って両方出来るの当たり前?ただの決め付け、偏見では?と僕は漫画やアニメを見ている時に思う。
残念ながら、この世界でも縛られてるみたい。
生徒会長は眼鏡を掛けているのが当たり前?
生徒会長は頭が良いのが当たり前?
生徒会長は運動神経も抜群なのが当たり前?
違う、これはただの俗に言う‘設定’である。
設定があるから、こうなってしまう。
逆に、頭が悪い生徒会長に運動音痴な生徒会長っていう設定もあるよね。
人間は産まれてくる前に初期設定があるんだと思うんだ、其の初期設定から少し得意不得意なもの変えてやるだけで何通りのも設定が生まれる。
だから、人の感性はそれぞれ違う。
変態は自分の欲求に素直すぎるだけ。
馬鹿は思考が苦手で直感が鋭いだけ。
天才は普通の事が困難なくこなせるだけ。
腐女子男子はそういう恋愛も許せるってだけ。
馬鹿にする奴は其れが認めれないだけ。
みんな、努力をしている。
だからといって、努力をしてない奴がダメだとかそういう訳ではない。
だって好きな事は好き、嫌いな事は嫌い、これが人間なんだから。
こう考えたらさ、ほら、少し自分らしくて良いんだって思えたんじゃない?思えなかったら、今はまだ其の時じゃないってこと。
ゆっくりでいいから無理に合わせる必要なんて何処にもないんだ、辞書にすら載ってないよ。
これらの事が一致する事を共通点とか趣味が合うって言うんだよ。
当たり前は人間みんな違うから、自分の当たり前を認めて貰えたら相手の当たり前も認めてあげてね。
当たり前なんて、ぶっ壊しちゃえ。
そういう人も居るよね。
この文章で気楽になれたら嬉しいな〜
其の:その 俗に:ぞくに 其れ:それ
何処:どこ
◤◢◤◢⚠️注意⚠️◤◢◤◢
初めましての方こんにちわ。
私の作品は主に男の子が主演です。
なので、微BL展開やもろBL展開やんけっていう作品を書いてしまうかもしれません。
其の時は1番上に注意書きをします。
余り持っていかいないように気をつけます。
苦手な人は別の作品で逢いましょ!
お題『私の当たり前』
当たり前というのは、所属するコミュニティによって違うと思う。
親との仲とか、学歴とか、働き方とか、お金の使い方や友達といる時の振る舞い方とか
生きているとそれらがある日突然当たり前だと思えなくなる日がくることがあるし、そもそも当たり前だと思っていない人に出くわすことがあった。
これからも自分が生きやすいように『当たり前』をアップデートしながら生きていこうと思う。
・1『私の当たり前』
雨漏りしてて
怒られて
糸くずが付いてて
怒られて
遅いっておこられて
袖を引っ張られるの
空中でバランスを崩しそう
【続く】
『私の当たり前』
「この林檎、何色に見えます?」
「赤です」
「本当に?」
「では、こちらのバナナは?」
「黄色です」
「林檎は赤い、バナナは黄色い、ですか?」
「では、林檎はどんな赤色をしていますか?」
「どんなって……」
「赤にもいろいろあるでしょう?」
「バナナはどんな黄色ですか?」
「……黄色は、黄色です」
「まさか、あなたの網膜に映し出された色と、私の網膜に映し出された色が、寸分違わず同じだなんて思っていませんよね?
瞳孔の開き具合、明度や彩度を感知する細胞や器官、それを認知する脳、これら全てがあなたと私では異なっています」
「質問を変えましょう。この林檎はどんな形をしていますか?」
「えと、その、丸くて」
「丸い? どんなふうに?」
「見たままの形です」
「あなたが見ているものを、私はわかりませんし、私に見えているものをあなたはわからないでしょう」
「最後に、これまでの私の言葉をどう受け取りましたか?
キツイ口調に感じましたか?
呆れたようでしたか?
諭すようでしたか?
あなたの見えているものや感じていることを当たり前のこととして、普段生活していませんか?」
私の当たり前
それは私の中だけで通じること
どんなに近くにいる人でも、
全く同じ当たり前なんてない