『私の当たり前』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
『私の当たり前』
僕の当たり前は、他の人の当たり前ではない
逆もそうだ
だから、僕は他人と一緒にはいられない
当たり前が違うから
馴染めない
違和感があるんだ
私の当たり前
えっとなんだろう
書く習慣を当たり前にしよう、、、、かな
希望を込めて
私の当たり前。人間って自分の環境が普通で当たり前だと思うから恵まれている人は自分が恵まれていることに気付かないって言うよな。
たまに金持ちなんかが自分はこんなに劣悪な環境で~なんて言ってるけどお前それめちゃくちゃ恵まれてるじゃねーかって突っ込まれるてるのを時々見る。
金持ちというのは自分がいかに環境に恵まれて今の立場にあるかを理解していない。そんな人が多いように思える。
努力というのも環境に恵まれていなければできない、あるいは身に付かないものですからな。そんなことを言っている俺も自分が恵まれている立場にありながら不幸だ底辺だと言っているのかもしれない。
実際日本に生まれただけで割りと恵まれているというのは思わないでもない。でもやっぱり俺は底辺で不幸だと、そう思ってしまうことが多い。
お題についてはこのくらいにしよう。これ以上書くこともできるけど今週はジャンプの発売日なんでね。感想を書かなくては。
最初に読んだのは呪術。連載順が上の方だったから目についたので読んだ。最近の呪術はそれくらいのポジション。見たら優先的に読むけどもし連載が下のほうだったら他の作品を先に読んだだろう。
内容は相変わらずバトルの実況。もはや実況漫画だなこれは。別に悪いとは言わないけど臨場感が薄れる気がして今一つって感じだ。
次に読んだのは鵺。アスミとアンデラのほうが連載順上だったけど先に鵺を探して読んだ。呪術の時も鵺を探して読もうと思ったけどまぁ連載順が上だったので呪術を先に読んだ。なんだかんだ呪術も俺の中で期待してる漫画だな。
とにかく二番目は鵺。俺が今一番ジャンプで期待してる漫画。今週も面白かった。なんかテンポが独特で癖になる面白さがあるんだよな。
それに毎回思うけどキャラのデフォルメがかわいい。鬼滅なんかもキャラのデフォルメがかわいかったな。この作品は鬼滅級に成長できるかどうか。さすがに無理か。
最近の新連載だと鵺を別格としてアスミ、それとキルアオが地味に面白くなってきた。キルアオは割りとスルーだったけど最近いいね。
後読んだのはろぼこ逃げ若サカモトアンデラか。逃げ若そんな好きじゃないけど読ませる力あるな。アンデラは普通。もうあんま期待もしてない俺がいる。悲しいね。
当たり前はとうの昔に崩壊した。
過去の私は自分の楽しいが、皆も楽しいと信じてやまなかった。だから何をしても、怒られても、自分のせいではないと信じていた。
そんな中で転機は訪れた。小学4年生の頃、グループの友達に、私といても楽しくないと言われた。
その言葉で、私にとっての当たり前はガラガラと音を立て崩れ去ってしまった。
崩れた末に残ったのは疑いだ。私の言葉は楽しい?正しい?嫌な気持ちにさせている?不安で不安でたまらなくなった。
自信がなくうつむきがち、そんな人間が中学で馴染めるわけもなく、中学時代はあまり良い思い出はない。
あの時は苦しい気持ちや、自分への情けなさで今思い出しても辛い気持ちになる。でも、そんな過去がなければ良かった、なんて思わない。
あの一言が、私の当たり前を壊さなければ、自分の事ばかりを考えていた人間のままだったと思うから。
今日も、当たり前を疑いながら生きている。
私の当たり前
自分にとっての当たり前を
他人に求めちゃいけない
公私ともに気をつけたいところだけど
つい忘れそうになる
#55 私の当たり前
毎日同じことを繰り返す
それを『退屈』と捉えるか
『安定』と捉えるか
ただ、子どもを相手にしていると
『当たり前』なんてものは存在しないと
伝えておきたい
昨日出来たことを忘れ
苦労していたことが突然解決され
かと思うと逆戻り
目まぐるしい変化の中
生活リズムは崩さぬように
過干渉にならず
さりとて放任せず
塩梅に頭を悩ませながら
そうしているうちに、いつの間にか
子どもが成長していることに気づき
次の段階に進まなければならない
そんな生活を18年続ける
見返りを求めることは許されない
お願いだから
それを安易に『当たり前』の一言で
片付けてくれるなよ
もし、今
毎日が同じことの繰り返しで
面白くないと感じているなら
それだけ成長したんだと
考えてみてほしい
---
久しぶりに来たらね、こんなお題。
常識、社会的風潮、ローカルルール。
色々な所に『当たり前』は転がっていますが。
「ありのままを受け入れる」とは
「自分の当たり前」と異なる物事や
移り変わることそのものを
難癖つけずに許容するということです。
色んな『当たり前』があるね、って
増やしていくだけの話かもしれませんが、
人間、考えずにはいられないもので。
結局、自分の中の『当たり前』を
『そうじゃない』んじゃないかと
疑い続けることになります。
それはね、大事なことだけど
つらいことでもあると思うんですよ。
僕のあたりまえはゴールに向かって歩む。前向きに。ネガティブな事が起きても。自分を見うしわないように
私自身が、ちゃんと選択をすること。ちゃんと考えること。ちゃんと意見を持つこと。
そうしないと、私が生きている意味がないから、ね。
毎朝起きて水を飲む
ガラスのコップ
私の意識がふわりと
何処かへ離れたその隙に
音を立てて割れた
―私の当たり前
『他人の顔』
群集の渦 他人の顔を借りて歩く 意味は後付け
果てる木乃伊 再生を繰り返す 風は強く 裸のままではいられない そう思い込んでいる そう思わされている 昨日の顔を忘れて 明後日の顔で歩く もはや自分は もはや人間は、、
「今回のテストは1位じゃないのね」
落胆した声と表情で私にプレッシャーを与えてくる
「ごめんなさい、次は取るから。」
「次は取る?
当たり前のこと言わないで私の子なんだから」
今回の順位は2位
私は勉強が好きなわけじゃない
ましては覚えが良い訳でもなかった。
だからこそ私は毎日空き時間も勉強
起きてから寝るまでずっと勉強する
これが私の当たり前
友達と遊ぶなんてありえない
話す時間や遊ぶ時間があったら
勉強、勉強
辛いなんて気持ちどっか置いてきた
勉強するのが私の当たり前
─────『私の当たり前』
〖私の当たり前〗
~𝔸𝕜𝕒𝕟𝕖𝕜𝕠~の当たり前 Top 5!
No.1 メガネ、財布、携帯、車の鍵は所定の位置に必ず置く!※散々無くして、学びました。
No.2 朝、面倒でも何かしら食べる。※食べないと10時頃には腹がなります。
No.3 買いたい物は思った時にメモる※覚えてると思っていいやってしてると帰ってきた頃に思い出します...歳かな..
No.4 「ありがとう」、「ごめんなさい」、「おはよう」、「おやすみ」「いただきます」、「ごちそうさま」をしっかり言う。※人としての当たり前
No.5 今、私の周りにいる人達と全力で人生を楽しむ。※こんなクソみたいな世の中、楽しんだもん勝ちっしょ!
最後に、こんな小説なのか、なんなのかよく分からない文を読んで頂いている皆様!今後も飽きない限りは投稿していきますので、よろしくお願いします!
あれ?髪切った?似合ってんじゃん(笑)
私の当たり前 NO6
母は夕食に必ず味噌汁を作る。
夕食に味噌汁は私にとっても当たり前である。
豆腐の味噌汁 茄子の味噌汁
ワカメとお揚げの味噌汁
玉ねぎとにんじんの味噌汁
大好きな豚汁 豚汁は次の日うどんを入れて食べるのが好き。
冷蔵庫に何もない時は溶き卵の味噌汁
暑い夏は胡瓜やミニトマト、ミョウガを入れた冷汁
私が残しておいたケンタッキーのチキンが入っていた時もあった。
お母さん、ケンタッキーのチキンは次の日レンジでチンして食べても美味しいんだよ涙
ピザを頼んだ時も味噌汁を作ってた。 お母さん、ピザに味噌汁はちょっと複雑笑
母が肺炎で入院した。
その間、私の味噌汁はコンビニのカップ味噌汁やお湯を入れるだけの味噌汁になった。
夕食の味噌汁は私にとって当たり前だけど、お母さん大変だったよね。これからは時々、私も作るからね。だから元気でいてね。
「お母さん、ありがとう」
日常と当たり前は似て非なるものだと思う
完全に私のイメージだけど、
日常はどちらかというと優しい雰囲気で
当たり前は強制されるものという感じ。
して当たり前、できて当たり前。
私達は知らず知らずのうちに先人の道を辿っている部分が少なからずある。
つまり私達は誰かの日常が積み重なって出来た当たり前を強制されているのかもしれない。
"私の当たり前"
それは単なる自分の日常だけではないのだろう。
わたしの当たり前
わたしの当たり前は、みんなの当たり前と違ってもいい。
ずっと、そう言う風に言われてきた。
だけど…
毎日嫌々学校に行って
無理やり色々やらされる。
やっと家に帰って唯一自分が認められたんだって思えることはオンラインゲームの中でしかなかった。
それが俺の当たり前の生活だと思ってたけど、
オンラインゲームで偽って
めちゃくちゃ元気でノリがいい自分をめざして
チャットしてると
どんどん友達が増えてきて、うれしいって思ってた矢先に、
俺は口を滑らせて1番仲良しだった人に
つい、「おれ、いじめられてるの」なーんて言っちゃって、
でもその人
真面目に受け止めてくれて
今では話して良かったって思ってる。
でもやっぱり
見捨てられんのかな
そんなことしかないから
不安なんだよ。
もう、やめてほしいんだけどな…
私の当たり前
私は毎日自炊している。
朝も、昼も、夜も。
時々忙しくて冷凍食品を使うことがあるが、
それは夜遅くまで残業して、帰ったのが20時になってしまった、みたいなときだけだ。
私の母は、料理をしなかった。
毎日冷凍食品や、カップラーメンなどで済ましていた。
私はいつかできる子供に、絶対にこんなものを食べさせないと決めた。
いつかできる子供には、手作りの料理ですくすく育ってほしい。
そのためには今から練習しておかないと。
私の当たり前は、毎日を一生懸命過ごすこと。
勉強も部活も全部頑張って、今日も1日頑張った!って思えるようにするのが当たり前。
頑張らなきゃ当たり前なんて作れない。
『私の当たり前』
誰にだって自分の決めたルールに基づいて生活している
それは所謂、社会の暗黙の了解や法律、またはモラルなど
様々な要因から成り立つルールであり、当人の常識と言っても
差し支えないのかもしれない
そして、当人の常識とは人の数だけ解釈があるものだ
世の中には信じられないが、
自身の利益という利己的な目的の為ならば、
他者を犠牲にする事すら躊躇わない者がいる
犯罪者、非常識、無法者、こうした人間は確かに存在している
愚かしいと思うかもしれない
馬鹿馬鹿しいと内心で嘲笑うのかもしれない
理解の範疇を越えた者に対する差別と侮蔑、そして恐怖
それらを決して正そうとしてはならない
親切心かもしれない、正義感かもしれない、
けれど彼らには彼らのルールがあり、彼らの当たり前がある
その日常が壊される時、何が飛び出してくるかなど
当人以外には分かりはしないのだから
一人でミュージカルを観に行くこと。
とびっきりの悲劇のやつを。
悲劇が好きなのは、心をより強く動かされるから。
怒りや悲しみ、負のエネルギーをのせた歌には
日常生活を送っているだけでは得られないような、尋常ではないパワーがある。
自分の力では変えられない運命、冤罪、もう戻れない後悔。それでも人が生きているっていう、執着に近い生命の力強さを感じる。
もはや歌が上手いか下手かの次元を越えた、演者自身の人生や心がストレートに刺さってくるのが悲劇の歌だ。
その衝撃を仲間と分かち合うのもいいけれど、一人で咀嚼して受け止めて、感じたままにひとりじめしたいというのもある。皆が泣いているところで泣かなくてもいいし、泣いていないところでも思いきし泣けるのがいい。天の邪鬼っぽいけれど。
そう、一人観劇の何がいいって、ミュージカルを一人で観ていても浮かないどころか、一人で号泣していてもまったく違和感がないのが面白い。
そんな空間、まず日常にはない。異様だ。
幕が閉じ、やりきった、という笑顔のカーテンコール。会場はずびずびと鼻を啜って、やまないスタンディングオベーション。
一人を求めてきたはずなのに、演者さんも客席も、ああ、私たち今ひとつになってると思える。
一人観劇は私にとっての当たり前だけれど
この感動は当たり前ではないんだな。