『私の名前』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
君はわたしの名前なんて、覚えてないでしょう?
でも…私は覚えているよ
君の名前…
そう思っていたけど、奇跡的に覚えていたんだね
ありがとう
わたしの名前を覚えてくれていて
ありがとう…
自分の名前が好きではなかった。字面だけ見ると可愛い名前だけれど、とても私には似合わない、いわゆる『名前負け』。苗字が特徴的というのも相まって、私を名前で呼ぶのは昔から家族だけだった。
この先もきっと、私の名前を呼ぶ人は多くない。私自身も名前で呼ばれるのはそんなに好きではない。
それでも、彼が呼んでくれるときだけは。
この名前を、私を、少しだけ好きになれる気がする。
→すまん、思い付かなかったので別の話を。
─────
家業を継ぐため、十数年ぶりに田舎に帰った。村の人たちは皆、俺を温かく迎え入れた。
「羊の子が帰ってきた、これでもう我々が禍に苦しめられることはない」
昔、ガキの頃に来たきりの荒れ果てた寺の境内で、俺はただ一人その時を待つ。それが、先祖代々受け継がれている生業。長子を生贄とする代わりに、俺の家系は繁栄してきた。
荒屋の外から、するする、という音が聞こえてくる……
翌朝、村の者たちがかつて寺のあったあたりを見に行くと、真っ赤な花が一輪咲いていた。
「なんだ?」
「これは…失敗だな」
「いくら血筋といっても、都会にかぶれた者は所詮よそ者だな、駄目だなぁ…」
「まあまあ大丈夫だよ、次に上手くやれば、」
「「「生贄なんて、ほんとうは必要ないのだから」」」
(生業)
『私の名前』
わたしの名前「rororu」は、ずっと平仮名の「ろろる」で使ってきた名です。
五十音の中で、使用頻度の低い音を使ってあげたくて、イメージだけで「ろ」と「る」を選び、名前らしく並べました。
ところが、ある時、この名をカタカナにすると「ロロル」で、パズルのように合体すると「呪」の漢字になってしまうことに気付いたのです。
ビックリしましたし、怖くなり、使うのをやめようとも思ったのですが、「意味はわたしの心にある」と、偶然のいたずらにひれ伏すこともないように思え、使い続けています。
ひらめきで作った名ですが、長年使い続けていますので、割りと気に入ってます。
私の名前は、お父さんが命名辞典なんかを使って一生懸命考えてくれた名前だ。
でも私は自分の名前が好きじゃない。
古臭いというか、漢字に華がないのだ。
改名するほどではないけど、気に入っていない。
込められた意味は好きだけど。
私の名前。名前の由来か。昔聞いたような気がするけどなんだったかな。まぁどうでもいいようなことから取った名前だろう。
名前と言うとキラキラネームってのが今でもあるな。調べたらラブとかピカチュウとかやべぇな。俺はそれが流行るより前の生まれだから普通の名前でよかったわ。
版権物の名前をつけるってのも聞くな。鬼滅が流行ったときは鬼滅のキャラの名前をつけたって言うけどマジなんだろうな。子供作るような人間の考えはぶっ飛んでるわ。
しかしまぁ今の時代に生まれるとは哀れなもんだ。金持ちの家に生まれればまだ幸せだろうけど多くは貧乏人の子供だからな。
今は格差の可視化で自分がどれだけみじめな人間なのかわかっちゃうからな。貧乏人でもユーチューバーやらブイチューバーで一発大金持ちなんてのもあり得るけどそんな成功できる人間なんて一握りだ。
と言ってもユーチューバーの実態なんて知らないけど。でも多くはユーチューブ本体とトップ層の養分でしかないだろう。だけどユーチューバーの存在はあまりに輝いていてなにより自分も簡単になれてしまう。
本来なら普通の幸せくらいなら掴めていた人間がユーチューブの活動に時間と金を使ってしまってそのまま転落人生。なんて人も多いんだろうな。
後は手っ取り早く注目を稼ごうと炎上系になって逮捕とかね。でも炎上系も稼いでいるの多いらしいからほんと狂った時代だな。
まぁ今日書いたのは全部妄想でしかないけど。ユーチューブの実態なんてまるで知らんし。書くことないから妄想を書き散らしたにすぎない。
(ねぇ、ママなんで泣いてるの?)
(どーしたの?どこか痛いの?)
(僕はね、もう痛くないよ?)
(僕ね、ママと家族になれて本当に嬉しかった)
(いっぱい走って、いっぱい食べて、いっぱい寝て、)
(ママとだから楽しかったんだよ!)
(ねぇ、、、)
(もうママの声聞こえなくなってきちゃった)
(ママ、最後にもう1回、、)
僕の名前を呼んで。
「私の名前」
私は、自分達の名前が嫌いだった。
私は、名前でよく男の子達にいじられていた。
体はでかいのに名前は小さいじゃん!
と、よく言われていた。
だけど、いつか好きな人に名前を「素敵な名前だね」と言われた頃から、私はこの名前を好きになった。
あなたも、好きな人が見つかると良いね😊
今度から、お題が書きにくいなと思うことがあったら、違うお題にさせて貰います!
すみません( ̄□ ̄;)!!
学生さんは夏休みですね!
夏休みを有効に使えたら良いですね
私も小学生の時は、計画性がなくて、夏休みの宿題を後回しにして、提出日間に合わなかったりしてたなぁ(笑
皆さん、夏休みの宿題多いと思いますが、がんばって下さい💪
私の名前
「しあわせの枝がいっぱい伸びますように~ってつけたの」
それを聞いたのはいくつの頃だったろうか。
幼い時は自分の名前があまり好きではなかった。周りの女の子の名前が短くてかわいかった。そのまま呼んでも可愛い名前だった。
自分の名前の「最後の文字」がいらないといつも思っていた。
思えば、自分に自信がないことを、自分を作る何かを理由にしたかったのだろう。
「自信」の存在なんて気づけない年だったから。
今、名前にこだわることはもうない。
それが、成長なのかどうかは分からないけれど、「最後の文字」があるから自分だと言うことができる程度には大人になった。
大人になっても、いろんなことを器用にこなせるタイプでもなくて、前に出ていけるタイプでもない。
今はもう自分の子どもに名前をつけてあげることはできなくなったけれど、もらった名前に自信を持つことはできるような年になった。
ありがとう。
私の名前
僕の名前は〝幹太”。きっと父親は幹の太い人間になれって付けたんだと思う。
僕としてはもっとカッコいい名前が良かったが、友達からは親近感が湧き呼びやすいと高評価である。
今日は仕事が休みで、少し散歩にでも行こうと川沿いを歩いていると
「カンタそっちじゃないこっち、、」
えっ!と思って振り向くとシュナウザー犬を散歩させている小学生ぐらいの女の子がいる。
(犬の名前なのか〜)
犬も家族だから最近は犬にも人の名前をつける人が増えたと聞いた事があるが
(あの犬カンタか〜犬と同じ名前か〜)
その犬がまた飼い主の言うことを聞かず、あっち行ったりこっち行ったり、、、。
「あ〜カンタ!そんなところにウンコしちゃダメでしょー」
(はぁ〜カンタだめじゃないか)
他の犬が来ると全く動かない。
「カンタ!歩いてよ!もーカンタなんかきらい!」
(はぁ〜僕も女の子にはモテないんです)
それでも女の子は楽しそうにカンタと散歩をしていた。
(カンタ、お前は愛されているぞ。だからもう少し大人になれ!
俺と同じ名前だからこれからもモテないかもしれないけど、家族は大切にしろよ)
またいつかあのシュナウザーに会ったら、「僕もカンタなんです」って言ってみようかなぁ。
「いい名前ですよね〜」って、、、笑
-私の名前-
いつかあなたは呼んでくれるだろうか?
一日何度でも呼んでほしい。
もう、うるさいな笑ってなるくらいに
何度でも、、、
―私の名前―
ほんとは、ただの文字の羅列でしかなくて
それ自体に意味なんてものは特になくて
人を判別するもので、その人がその人であると
証明するためだけのもの
なくなれば、私は私じゃなくなる
どんなに長いときを過ごそうと
世界がどんなに変わろうと
これだけは変わらなくて狂うこともなくて
命が産まれたそのときに、
親から初めて与えられる、愛の籠もったプレゼント
世界にたったひとつだけの愛
それは人間として産まれた特権
自分の歩みたい道を切り開いて
自分だけの名前を描いた道しるべを掲げて
好きなように過ごして好きなように進んで
時の輝きの集まりを胸を張って謳歌しよう
僕らは奇跡の集合体だ
««««««««««««««««««««««»»»»»»»»»»»»»»»»»»»»»»
―私の名前― ver.2
父親に怒りと軽蔑の感情を持つようになったとき、
あんな人の血が自分の中に流れていると思うと
怖くて、同じ姓を持つことに嫌気が差した
両親が離婚して、私が母と共に母方の姓を
名乗ることになったとき、あの人から離れて
尊敬する母と二人で暮らせることが清々しかった
母とも離れ、私を愛してくれる人と結婚したとき、
愛する人の姓を名乗れるようになることが
信じられないくらいに嬉しかった
そして私と愛する人との間に芽生えた命が無事に
産まれたとき、二人で考えた名前をその子につけて
あげられることが堪らなく嬉しくて思わず涙した
私の名前
自分の名前が大嫌い
親はなぜこの名前をつけたのかな…
産んでくれてありがとう
大事に育ててくれてありがとう
でも名前だけは笑
それでもこの名前で生きてきた
この先もこの名前で生きていく
だから考えを変えてこれからは生きていけたらいいな
あなたは初めて私の名前を呼び捨てで呼んだ、
もう///
#私の名前
私の名前。
私は自分の名前が嫌いだ。
こんな事を言ったら、お母さんにもお父さんにも怒られるかもしれかもしれないけれど。
今はどうしても好きになれない
クラスの勉強も運動もできる優秀なあの子と同じだからだ。
周りからもあの子と平凡な私を比べられて嫌気が差す。
名前が一緒なだけで私とあの子は別の人なのに。
どうして比べられなきゃいけないの
嫌いだ。優秀なあの子も、こんな名前をつけた両親も、比べてくるクラスの奴らも。大嫌いだ。
でも、一番大ッ嫌いなのは…
人を嫌いになることでしか自分を守れない私だ。
優秀なあの子は今日も人気者で、
平凡な私は今日も比べられて。
どうしてここまで違うのだろう。
どうして私はあの子じゃないのだろう。
あぁ、私も比べてしまっている。
本当に嫌気が差す。
私の名前。
好きになれる日なんて来やしない。
そんなことを思った、雨音の鳴り響く梅雨の時期。
私の名前はとろろ。
ご主人は「とろ」と呼ぶ。
散歩に出掛けると人間から猫、と言われる。
私はご主人以外を人間と呼ぶ。
ご主人はご主人。
私の名前は、読み間違え
られることも多いけど。
この名前に、感謝している。
あなたは、この世で特別な子だよと
まだ本当に若かった、両親が
考えて考えて、名付けてくれたのだから。
そうして、私の妹にも
同じ漢字が使われている。
名前に込められた想いは
人様々だろうけど。
「お腹の赤ちゃん」と、けっこうな
人数の人たちが最初はそう
呼ばれていたんじゃないかな。
そう思うと、少しおかしくて
ふふっと笑ってしまう。
【お題:私の名前】
今回の「帰省」だが、陽菜にはもう一つの目的がある。
高校時代の後輩と会うこと。約3年ぶりだ。
2年間毎日のように顔を合わせていたのに、卒業すると途端に会わなくなった。連絡すらとっていなかった。
そんな彼から、先日急に、陽菜の叔父夫婦の営む喫茶店でアルバイトを始めたと報告があった。久しぶりに会おう、と。
「うちで会えばいいのに」と叔母は言う。
後輩も、バイト上がりに店で…と言っていたが即座に断った。自分の家で、家族に見守れながら、何の話ができるのか。恥ずかしすぎる。とは後輩にも叔母にも言えず。
「うちの店にはいつでも行けるから」と、理由をつけて、駅の裏手の飲み屋街から、ゆっくりできそうな店を予約した。
待ち合わせは、駅前のバスロータリーだ。
それなりに行き交う人の波を避け、階段のそばで、陽菜は待っている。
陽は落ちたとは言え、まだまだ空気が蒸し暑い。
何本かバスを見送った。乗客が駅へと去っていくのを眺めていくと、後ろから声をかけられた。
「佐倉!」
どきりと心臓が跳ねる。毎日聞いていたはずの声なのに、呼ばれる名前がむず痒い。振り向くと、彼が立っていた。あの頃と、何も変わらない。でも、制服でないのが、少し違和感。
「佐倉陽菜、久しぶりだな」
「…いや、何でフルネーム?」
「下の名前も知らないって、お前が怒ったんだろ」
後輩はニッと笑った。そんなことも、あったかしら。
「私もちゃんと覚えてるよ。一彰。萩野一彰」
顔を指さして言うと、一彰は満足そうに頷いた。
「…よし、早速移動するか」
そういうと、一彰は、さっさと進んでいく。
気構えていたよりもずっとスムーズに再開ができてホッとしつつ、陽菜は一彰と並んだ。
少し見上げると、一彰のほほに汗が伝うのが見えた。
「私の名前」
自分の名前について考えてみる。
日本人なので日本人としては本当にありふれた名前。
名前をつけてくれた人の片方はすでに他界してしまった。フルネームで呼ぶ人は病院とかそういうところでしか呼ばれないだろうと思う。
大事なようなそうでないような。
名前がなければ結構不便だろうなと思う。
✞自分の名前✞
最初は意味がわからなかったけど
後から聞いたら龍の用に伸びる用
にと稀は恵まれる用にとつけられ
た事を知っていい名前を付けてく
れたんだなぁって事を心から感謝
している。
✟雨宮✞