『生きる意味』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
『生きる意味』
藤永求は今日も仕事帰りに団地横の公園に寄り、ベンチで缶ビールを開けた。
ここ数ヶ月、すっかりルーティンになっていた。
きっかけがはっきりとあったわけではないが、あるときから自分の人生に不安を覚えるようになった。それは、夜の自宅という、自分を生きられる場合にとりわけ襲いかかってくるので、家という場所と距離を取り、酒で脳を鈍らせることにしたのだ。
そしてこの日も、不安を誤魔化そうとしたが、この日に限って藤永の頭は妙に冴えていた。自分と向き合わずにはいられなかった。
「俺は一体、何が不安なんだろうか。」
ビールを一口飲み、空を見上げてため息をつく。
不安の出処がぼんやりとしている。そしてそのことが藤永をより一層不安にさせる。
藤永は、東京の大学を出た後、就職を機に名古屋へやってきた。生まれも育ちも東京だったので、まったくゆかりのない場所での生活を送ることになった。
最初の方は、仕事をするという新しい営みに慣れるのに必死で、毎日が充実していた。いち早く仕事を覚えようと、休日も自己研鑽に励んでいたので、彼の人生に関する諸問題について考える余地は無かった。
ところが、1年すぎてある程度仕事を覚えた頃から彼はよく周りのことが見えるようになった。今まで没入していたものから距離を取れるようになると、今までこっそりと棚上げにされていた問題が牙をむき出す。
慣れない土地での孤独や見通しの立たない将来が藤永の心を着実に蝕んでいた。しかし、孤独や将来という抽象的な不安は、「理解ができない」ことでますます不安を増長する。
こうして藤永は追い詰められていったのだった。
頭の中をぐるぐると様々な不安が巡る。
またビールを一口飲んで天を仰いだ。
ベンチから見上げる空は団地のせいで狭いが、むしろその狭さは藤永を安心させた。狭い空は、彼の頭の中で拡散する不安に歯止めをかけてくれるようであった。
いくらか空を見て少しは落ち着いた藤永は、残りのビールを一気に飲み干し、帰途についた。
「どうやったら、幸せになれるんかなあ。」
この日を境に、藤永は精神を徐々に病んでいき、1ヶ月後には鬱の診断を下された。
生きる意味
生きる意味を見つけたくてもがいてる
趣味、仕事、恋人。
人と関わることで心を満たす。
何気ない言葉を私は真に受けてしまった。
真に受けていい言葉なのかわからないけれど
今まで作り上げてきた
『誰からも嫌われない私』
『私らしいからと許されてる私』
人によって話し方だって変えるよ
そうしたほうがうまくいくから。
素の私とは違うけれどね。
それを指摘されたのは初めてではない。
態度は、メリットがあるから変えるのに
『女の中で嫌われるタイプでしょ』
私の何がわかるの?
全部知った気になってるけれど
全然違うから。
─私はそう思ってないけど、もしかしたら。
気づいてないだけだったのかなと
悲しくて、苦しくて、心が痛くなった。
こう見えて人からの評価を誰よりも気にしてる
『普通』を目指してる
それを知ってて言っているなら、私はきっとそのうちあなたの言葉で壊れてしまう。
自己肯定感を削ぎ落とされるのかな、これから。
正直に言ってくれたなら、優しいんだろう。
否定された気持ちになったから、悲しいの。
気にしないようにしても、これから心の隅から離れないんだろうな。
生きるってなんだろ。
困ってる君がいるなら飛んでくし笑っているなら何もしないし
【生きる意味】
与えていただいた命を大切に過ごすしか過ぎない!しかし!自分らしく楽しくが、未だに63才にして確信できてない!未熟な無駄の多い毎日に反省の日々かな☺️
他人のペースに呑まれないで
自分の為に生きるのが今の生きる意味
『PINK』
嫌味なくらい美しく咲いている
あなたに与えた養分で大きく綺麗に咲き誇って
養分が切れた時にあなたが私になっている事を
願っているわ。
パッと見綺麗な幸福の偽装
メッキが剥がれ落ちた
嘘のオブラートを何重にもしたって
水を司るあなたには無意味と確信した。
自己肯定感を上げたい青い小鳥たち
いい人の基準を間違えがち…
無力を呪う声と
救いを祈る声が
混ざったような歌が聞こえる
あぁ、あと何回君とサクラを見れるかな
あんたと同じもん食っているバケモノが
そんな思いで過ぎてく春も18年目、長いね。
何の為に生きてるんだろう
辛いこともたくさんあるのに、我慢の連続なのに。
明確な理由が欲しいと思ってしまう。
意味もなく、生きているような気がして。
その理由が見つからない、わからないことに
不安と絶望を感じる時もある。
世の中の大半が休みになっているゴールデンウィークに稼ぎ時だからと休みなく働き続ける。
あらゆるメディアが【ゴールデンウィークに行くなら】【最大10連休】と煽ってくる。
学生の頃はそんな事が反対側で起きてるって思ってもいなかった。
休みの日に旅行に行って泊まる場所があることも、ご飯が出てくることも。テーマパークで山積みのゴミ箱を片付けてくれることも。インフラや交通が使えることも。
仕事だから皆頑張ってることで、サービスされる側が金払ってるからと傲慢な態度をとっていいわけじゃない。
割と最近、カスハラという言葉を耳にする。
何でもっと穏やかに生きれないのかなと思った。
当てつけみたいな言葉で、生きる意味を見失うというのに。
私はいつも小説を握りしめていた。
外出する時は文庫の小説をお守りとして持って出かけていた。
生きる意味を文字通り探していた10代。
もう二度と戻りたくはない、あの時代。
生きていく為の言葉を探していたから、沢山の言葉が詰まった小説は心の支えだった。
人と目を合わすのが苦手だったり、対人関係が宜しくない私には小説の世界が必要だった。
ドストエフスキーの罪と罰、太宰治の人間失格、吉野源三郎の君たちはどう生きるか、梨木香歩の西の魔女が死んだなどお世話になった小説たちは心を落ち着かせてくれた。
ある日、ブックオフで購入したドストエフスキーの悪霊を買ってホクホクとして家に帰る途中に姉とブックオフの近くで合流した。
姉の携帯が鳴り、何かの嬉しいお知らせだった。
姉は合格したのか、私は「おめでとう」と言った。
それで「何を買ったの?」と話の流れで訊かれたので、「ドストエフスキーの悪霊が手に入ったの」と私は嬉しくて見せた。
姉は顔を強張らせて、「縁起が悪い」と言い出したので私はポカンとしてしまった。
小説について説明ができたら良かったけれど、私はしどろもどろになってしまった。
そして、問答無用で買ったばかりのドストエフスキーの悪霊を持って首根っこを掴まれた猫のように、ブックオフに戻って売りに行かされた。
あの日がとても印象に残っている。
ちなみにあの頃、姉は小説も多読していて中学生の私に三浦綾子の塩狩峠、有吉佐和子の非色を読めと押し付けてきて、私は素直に読んでいた。
生きる意味って、周りに決められるものじゃない。
自分で決めるものだ。
死ぬときだって、自分が死にたいって思ったのなら、それは止めるべきじゃない。
生きたいって思えば生きればいい。
でも、世の中にはそんな簡単なことですらできない人がいる。
でも、それはその人のせいじゃない。
周りの人間、または周りの環境のせいだろう。
その人は、生きようと思って精一杯生きてる。
その頑張りを認めず、誰かの命を奪うような人を、私は許さない。
生きることは、死に向かって歩くことだと思う。
死へ向かう長い長い道の中で歩きやすい靴に履き替えてみたり、一緒に歩いてくれる人を見つけたりして、それぞれ違った道を歩く。
素敵な道を歩く人もいれば、険しい道を歩く人もいる。その道を歩くさなかで先が見えない不安から道をそれてしまうこともあるだろう。そんな時引き止めてくれる、あるいは道を綺麗に舗装してくれるなにかに出会うこと。それこそが「生きる意味」だと私は考える。
『生きる意味』
誰かが死ぬために生きてると言っていた。生き物は必ず死んでしまう。それはどうしても避けられない。何事にも終わりは来る。
子供の時にぼんやりしていた「死」という言葉は、大人になるにつれて確実に身近なものに感じていく。深い悲しみを感じた時、逃げ場のない状況に置かれた時、心が疲れ果てた時、その「死」という言葉はふと頭をよぎる。
私達は自ら命を絶つ方法も知っている。でも、その選択肢はいつも最終手段であって安易には選ばない。選んではいけないと、本能的に知っているからだ。
それなら、その選択肢を選ばざるを得ない時まで私なりに足掻いてみよう。私らしく自分の感じる感情をしっかり受け止め、正解などないこの道を進んでいこう。
そして、その道が途切れた時に「楽しい人生だった」と思い返せるように。自然と旅路の終わりを迎えられるように。
それが私の生きる意味。
詩乃
『生きる意味』
人が行く先は死だって決まっているのに
遅かれ早かれ必ず死ぬのに
生きる意味ってあるのかな。
誰にも必要とされていない僕に
生きる意味なんてないよな。
認知症になってしまった母
買い物も通帳やカードの管理もできなくなっている。
自分にお金の管理を
させてもらっていない事に腹を立てて
何度も説明を繰り返すのに、
生きる価値がない。もう死にたい。
ヒステリックに騒ぐ。
生きてて欲しいと思う家族の願いは
生きる意味に値しないのかと言って
ようやく落ち着いてもらう。
このやりとりの回数が増えて、
ここ最近では一日置きのペース。
ものすごく疲れる。
でももし将来自分も老いて
息子に迷惑をかける事になるなら
死にたいと思うだろう
生きていくのは辛い
生きる意味を見つけるために
生きるしかない
まだ答えは見つかっていない
それを捕まえられたとき、
わたしはどんな表情になるんだろう?
“生きる意味“
…前も打ち込んだ気がする!
それを探すための人生ってのも
あると思うんだ!
生きる意味…
増えていく物 欲望は止めどなく
裸で生まれたことも忘れて
哲学は人に任せてわたくしは
歌とご飯を作る母です
「生きる意味」
僕には生きる意味が分からない
ネットで調べても
人に聞いても
どうしても分からなかった
死ぬことは怖い事
屋上に僕は立っている
別に後悔もこの先も面白いこともない
両親もいない
親戚もいない
友達も…親友も…
生きる意味なんて僕にはない
目を覚ます予定はなかった
でも病院のベットで目が覚めた
君が泣きながら僕の手を握っていた
小さい声で「生きる意味なんて…あなたの代わりなんていない…」
僕がいなくなったって
君はまた新しい出会いがある
でも…それでも…
これからは君を笑顔にさせる…
僕の生きる意味…理由にしてもいいですか
『生きる意味』
生きる意味とは何だろう。それぞれ目的をもって生まれると言われるが、自分はそうは思わない。
生きる意味とは、ただ、人は生きる上で、心の底で、自己満足ができるように思ってる感じがする。
でも、好きなように生きたらいいんです。
色んな好きなようにがあるが、どれでもいい…
4月28日
そんなものをイチイチ考えながら生きてはいない。
大層な野望を抱いているわけでも、誰かを見返したいと奮闘しているわけでもないのだから、自然とそうなるのだろう。
至って普通の、どこにでもある平凡な日常を過ごしてきたとすら思う。
だって自分という人間は、ああいう華やかなフィクションの中の住人ではないのだから。
どうあっても、全て「なるように」しかならない。
──たとえ、今この瞬間に“救いの手”が割り込んでくれる幻想を願っていようとも。
人が死に近づく間際、最期に観るかもしれないのが走馬灯だという。
それがこんなに無音で、一方的に流れて駆けていくものだと、今しがた知ってしまったし。
これから一秒後、ここは自分の知らない世界。
なにが残るのかなんて想像も考えもつかないな。
【生きる意味】
生きる意味を考える日々でした。
いつも通り朝起きて
いつも通り学校に行く
いつも通り先生に進路について話され
いつも通り悩む
いつも通り授業を受けて
いつも通り家に帰る。
いつも頭の隅では数え切れない悩みがある。
これができないのは親、環境のせい。
自分のせいにしたくなくて
こんな自分嫌だなと思ったり。
好きな物も熱中できるものも何も無い。
そんな自分に生きる意味はあるのだろうか。
友達、先生、カウンセラーの人には言えない。
必ず生きる意味はあると言う。
生きる意味がないと言って欲しいわけじゃないけど
もう苦しいの。
もう楽になりたい。
自殺なんてする勇気も行動力もありませんから
今日も生きる意味を見つけに行きます。
─────『生きる意味』
そんなもん無いよ。要らない。
どんな命も、
ただただこの世を『在る』状態にするための一部ってだけ。
古い細胞から新しい細胞にどんどん代謝されるように
人間も若い人にどんどんバトンタッチしていかなきゃと思う。
だから私は、長生きが賞賛される社会に
違和感を覚える。
残念なことに、
意味がないと生きててはいけないと人間だけは考えてしまう。
そうじゃなくて
どうせ生きているのならば、
人の役に立って自分もハッピーになれたらいいねってだけ。
そして時が来たら
潔くあの世へ還帰る。
それも含めた全てが、
生きるということ。
私にはなんとなく
そう感じられている。