『海へ』をテーマに書かれた作文集
小説・日記・エッセーなど
「海へ」
人が集まる。
友だちと、あるいは好きな人と遊びに
走りに
日焼けを求めて
働くために人が集まる。
ゴミが流れ着く。
ポイ捨てられた
風に飛ばされた
豪雨で押し流され、全てを飲み込んだ終着点。
想いを叫ぶ。
やり切れない想い
人前で叫ぶことすらできない苦痛
激情。
溜まりきって溢れる感情
海は全てを飲み込んだ。
#12 海へ
「こっちこっち〜!」
夏休み子供たちが楽しそうにはしゃいでいる。
日差しは砂浜を熱し、素足じゃとても歩けない。
「元気だなぁ……」
海ではしゃぐ子供たちをみて少し羨ましく思った。
自分もあのころは友達と海に来たら
一緒にはしゃいでたな。
そこにあるすべてのものが遊び道具だった。
海水、砂浜、貝殻。
どれもこれも夏の思い出だった。
しかし、今はどうだろうか。
あのころは遊ぶために海へ訪れていたのに。
今は疲れを癒すために海に来ている気がする。
「疲れているんだなぁ」
そう思いながら、
次第にあのころの気持ちを取り戻したくなってきた。
気がつけばサンダルを脱いで、
熱々の砂浜を走り出し、海水に足を進めていた。
昔のようにはしゃぐのも癒されるかもしれない。
そう思った夏の思い出。
しぐれ
行ってきた、さっき
海ってほんとに癒やされる
だから大好き
#海へ
数十年前、海へと続く道沿いにある朽ち果てた民家の隅に
道路側の壁に白ペンキ縦書きで 山本のトミ小屋 と書かれた納屋のような建物があった。
トミ小屋には何があるのか、誰に向けてのアピールなのか
それは今もわからない。
海へ行こう
波を眺めに行こう
波音を聴きに行こう
まだ、慌てなくて、いい。
海へ行こう
波を眺めに行こう
波音を聴きに行こう
まだ、慌てなくて、いい。
さあ夏だ☀️🍉🌻🏊
みんな海いくよぉ〜🎶
って私海へ行くのは怖い😱
泳げない 溺れる(´ཀ`」 ∠):
山もヤダ🥺
海へ行く時は気をつけた方がいい
特にお盆の時期
うみに入った瞬間引きずり込まれるらしいよ
海って色んな怨念が詰まってるからね
「海へ」
海へ身体を入れる
冷たさが身体の芯まで伝わってくる
この冷たさは誰かの悲しみなのだろうか?
それとも誰かの喜びなのだろうか?
『裏返し』
誰かが言った。
「いやよいやよも好きのうちで、嫌いは好きの裏返し。好きの反対は無関心。」と。
僕はそうは思わない。
「嫌い」が「好き」の一種だなんて、認めたくない。
僕があの子に抱くこの嫌悪感は、「好き」なんかじゃないはず…
だって、好きな人がそばにいるときは近寄ると近づきたくなって、無関心な人が近くによっても何もしなくて、嫌いな人が寄ってきたら避けるだろう?
「好き」で近寄るなら、離れた「嫌い」が反対だと思わないかい?
とにかく、僕はあの子が嫌いなんだ!
絶対にす、好きじゃない!!
海へ
やっぱり行きたいと思ってる
どこかに一泊
考えてるんだけど
どうせなら海の見えるところがいいな
朝起きたときに海が見える
そして海の幸を食すのだ
でも
隣の県の海まで運転するのが気が滅入るの
運転歴それなりだけど
苦手なもんは苦手
特にバイパスなどの合流が
今日が一番若い日
そう思って
やっぱりちゃんと行動しようか
めざせ
海へ
【海へ】
青く澄み渡る海、白い砂浜、晴れやかに広がる青空。
夏に行きたいと憧れる場所の一つは海だ。
でもそれは皆が共通して考えることだと思う。
夏でやるテレビニュースでは「ビーチは今日も人で溢れています」と見たことがある。
でも、今年の夏もお盆休みなど関係なく、仕事に行ったり、休日はクーラーを付けた部屋で過ごすのが私の現実である。
私が夏に思う気分は海へ行って涼みたい、
あぁでも今年も叶わない願いだ…
来年こそは?
海にくれば何かすっきりするとでも思ったか。
海が近いところに住んでいると、当たり前っちゃ当たり前だが、海に夢が無くなる。
砂は木屑や硝子、プラゴミに欠けた貝殻だらげで裸足で歩くとあまり心地よくは無い。色も大して変わらない公園の砂の方がまだ綺麗だ。
海も空が真っ青なら多少は綺麗に見えるだろうが、大体灰色にみえる。足をつけると潮のせいか痒くなるし、海で足をすすいでもスッキリせずぺったりと汚れた足を玄関のホースですすぐまで我慢することになる。
潮風は心地よく吹いてのんびりとカモメが飛ぶ空の下でで昼食なんて私にはフィクションで、強風や飯を狙うとんびに警戒して、昼食の入った紙袋を持つときはしっかり抱えてさっさと屋内に入るのが常だ。
この島でデートに来たカップルは別れるジンクス?この島の女神が嫉妬して別れさせるという迷信だな。
この島がデートに向いていない、カップルがこの島で楽しませてもらおうという気しかないからじゃないか?駅からこの島まで遠い。手段は歩きしかないし、島の中も急な階段や獣道ばかりで自転車を使う隙もない。飯が美味い店はあれど、立ち食い前提、「映える」スイーツは他でも食べられそうな風貌のくせにこの島の名前を付けてやけに高い。潮風で髪はぐちゃぐちゃだ。
のどかな雰囲気につられた観光客が地元民よりいて、二人きりになれそうな場所は有料だ。そこそこするぞ。
まあ要するに、遊園地と同様、楽しむやる気がないとイライラしやすいところなんだ。女神様のせいにするな。
今晩は天気が荒れるな。海が近いと、台風で学校が、仕事がどころの話じゃないんだ。島が閉鎖か云々、今日を乗り切れるかの話だ。
わかったらこんなところで耽っていないで、電車が出てるうちに帰りな。事情も聞かず、知らない子を泊めてくれる爺さんやお姉さんはいないぞ。そんなのに会ったら大体不味いぞ。それはコンクリートジャングルでも同じだろう?
あーあ、私もあんたが言う海のような場所が欲しいよ。
【海へ】
『海へ』
私は海を見るのが好きだ。波の音を聴きながら受験勉強に勤しんだこともある。しかし、なぜ好きなのかと聞かれるとすぐには答えられない。漠然と、好きなのだ。無性に海へ行きたくなる。海を見ていると、水平線を見ていると、なんだか不思議な気分になる。私が生きているのか死んでいるのか、その境目もわからなくなる。ただ、私はここにいると感じる。私はひとりじゃないと感じる。理由はわからない。海に思いを馳せる時間が好きだ。波打ち際に寄って、迫り来る波に当たるか当たらないかの場所に立つのが好きだ。だから、海へ行きたくなる。一日中、海の傍にいたいと思うも日もある。
小説なんかでも、海はしばしば登場する。少なからず、人にとって海はロマンだ。私たちの思いを一新させる、特徴的な、物語の重要なシーンに現れるのは、海だと思う。その海の広さに圧倒され、自分の思いをもう一度見つめるきっかけになる。つまりは、海は人の思いを変える。私には、これが不思議でならない。ただ広がっている海に、私たちは何を見いだしているというのだろう。もちろん私だって、海に何かを見いだしている人間のひとりだ。だからこそ、不思議なのだ。私が海をわざわざ好む理由がわからない。
初めて海を見た日の衝撃なんて覚えていない。だけど、いつも新しい気分で海を見ている気がする。遠くまで続く海を見て、自分を見つめ直している気がする。なぜだろう、海を見ていると、過去のありとあらゆる事柄が、ぽつりぽつりと浮かんでくる。部活の合宿で、夜に部活仲間と海辺で花火を振り回し、朝には砂浜を走り込み、海に向かって目標を叫んだ日。なかなか会えない幼馴染と行った水族館にすぐ飽きて、近くの海辺で駄弁った日。親の実家に帰省して、温泉帰りに砂浜に立った日。高校の修学旅行で、友達と海の波に任せて浮き輪で旅をした日。私の思い出の中には、海がいる。そのあまりの雄大さに、少し驚きすぎたのではないだろうか。いわゆる、思い出の棚の鍵になるのが、海なのではないだろうか。『海』というのがあまりに万能な鍵だから、それに頼りたくなってしまうのではないだろうか。そうならば、思い出したいのに思い出せない思い出を、無意識のうちに探しているということにはならないだろうか。
そうすれば、海が『人の思いを変える』理由もわかる。私たちが無意識下で探していた思い出を見つけたからだ。人の思いは単純なことがあるから、きっとその思い出を見つけたことで、忘れていたものを思い出して、「そうだ、本当は私、こうしたかったんだ」と考える。
そうは言っても、私は、海はそのままが良いと思う。ただ漠然と会いに行きたくなる、そんなものの方が、よっぽど魅力的な気がする。万能鍵で留まる海なんてつまらない。きっと本当は、もっともっとすごい何かを秘めている。現に、海のほとんどは未解明だ。
私は海を理由もなく好きでいたい。何もなくても、ぼんやりと見に行きたいと考えていたい。海を見て、「なんだ、自分生きてるんだ」って呆れ笑いが出るような毎日を過ごしてみたいと思う。そうやって、なんだかんだ言って幸せな時間を海と生きてみたい。波の音を聴きながらそんなことを考える。
✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼••┈┈••✼
海へ行くと、もういないあなたを思い出す。
風が気持ちいいねと笑うあなたがいた。
もう長くないからと無理を言って飛び出した病院。
その笑顔は苦しそうだった。
今、あなたは海の向こうにいるけれど。
いつか私も、海を乗り越えてそこに行く。
そうしたら、また笑ってほしい。
元気な頃に海へ行った頃の、あなたの笑顔を見たい。
【海へ】
後にも先にも動けない感情にがんじがらめになって
高速道路の外灯も、遠くに見える海も、すべてひとごとだった日々
何の思い入れもなく、何も経験していない
たった数年だったはずなのにとても永く、とても重い
私はちゃんと笑えていただろうか
いいえ、もう忘れましょう、
通り過ぎた踊り場には戻れません
どうせ戻る気もないのだから
記憶から消してしまいたい、
でも、一度知ってしまったら知り直すことはできない
だから更新していくのです
海へ
船から勢いよく海へ飛び込む。
ばあちゃんの若いころから私たち海女は海に潜り、ウニやアワビ、サザエをカゴ一杯に採っていた。
今は若い海女はおらず、私がかろうじて50代、あとは60~80代、最高齢は84才だ。
私にとってアワビは岩にそっくりのため見分けるが大変だが、ばあちゃんたちにはアワビにしか見えない。2〜3年で目が慣れてくると言うが、私にまだはっきり見分けがつかない。
「毎日潜れ」
ばあちゃんからの愛あるメッセージだ。
私は海が好きだ。海に吹く風や潮の匂い、海自体が私を優しく包んでくれ、幸せを感じる時間だ。そして、伝統を守り受けついでいかなけばならない使命がある。
だからばあちゃんになるまで海女を続けていく覚悟がある。
海は離別の象徴、波はひいてゆく。
あついあつい砂浜、砂の城、打ち上げられた海月。
愛し合う者が永遠足りうる場所。
手からこぼれ落ちて、水を掴む。
けれど全ては海の中。
生まれも消えるも此処にある。
ざざあ、ざざあと心が鳴る。
ひいてはかえす、波の音。
/海へ
題【海へ】
「海へ、レッツゴー!」
私は、海へ行ったことがないのです。
だから、初めてできた男子の友達、そうしに、海に連れていってもらうことにしました。
「乗り物、大丈夫?」
「はい!酔わないです!」
「分かった。酔ったらいつでも言ってね。」
「はい!」
男の子とお出掛けなんて初めてですわ。
なんか、緊張します。
「外の景色はとっても綺麗ですね!」
「そうだね!たしか、もうすぐで着くはず…。」
ガタンゴトン ガタンゴトン…
プシュー ゴトン
「着いたのですか?」
「うん。着いたよ!」
「わー!!綺麗です。広い。本当に青い!」
「行ってみよう。向こうに。」
「えっ! 」
自然に手を握られた私は、たぶん、ものすごく、顔が赤くなってると思います!
創作「海へ」
お盆の昼下がり。海へ散歩に向かうと海月が沢山、海面を漂っていた。海月は幻想的な生き物である。 だからつい、想像したくなってしまうのだ。
静かな夜の海で生を受けた海月は、穏やかな波をゆりかごに、蝶よ花よと育まれる。そして、うつろいゆく空模様に翻弄されることもなく、広く厳しい海原をのらりくらりと揺蕩う。
それから、真っ白な砂浜に打ち上げられて、 裏返しになった体を波に洗われながら、ここまで生きられた誇らしさをそっと噛みしめる。最期には、さよならを言う前に影も形もなく消えゆく。
時にはつまらないことでも真剣に考えるのも悪くない。ゆったりと漂う海月たちを眺めていると、そう思えた。それが、ありがたいと思ったのだった。
明日、もし晴れたらまた海に来よう。わずかに秋の空気を含んだ潮風をあとにして、のんびりと帰路に就いた。
(終)
どこか1人になれてゆっくり出来るところは無いかなーそうだ海へ行こう